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認識対象  作者: 虹月映
第一章 未央
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未央の結論(後)

 理由はどうあれ温泉に来たのだから、堪能しなくては損だと考えたのだろう。二人は前回と同じように浴衣に着替えてから温泉に向かった。

 それもすぐに脱衣所で脱ぐことになるのだが、そこをとやかく言うべきではないだろう。


「こういうところは二人きりだとありがたいね」


 未央は伶奈の手を引いて浴場への扉を開いた。湯気でどこまでも薄白く染められた視界。もちろんここは二人だけの場所である。


「それはなんとなくわかるかも。温泉は未央と二人で楽しみたいもん」


 かけ湯で体を軽く洗い、温泉に足を浸ける。広い空間に二人きり。前回は理性を奪おうとしていた物音の反響が、今は平穏をもたらしてくれる。隣で微笑む伶奈が素直に愛しく思えた。自らも表情が緩むのを感じる。

 久方ぶりに感じた初々しい気持ち。そんな状況が未央の心境に影響を与えていた。


「なんか、こうやってるとさ、こういうのも別に悪くないかなって思っちゃうな」

「こういうのって?」

「私と伶奈、二人だけの世界がってこと。昔がどんなものでも、今こうやって伶奈と過ごす時間は本物なんだし」

「それで未央は納得できるの?」

「正直に言えば、まだ気になることはあるよ。でもさ、やっぱり伶奈が一番だってのが私の本心だから。これからも調査は続けようと思うけど、それはあくまでも趣味の一環みたいな感じでやってくよ。私には伶奈の方が大切だから」


 喋っている間ずっと見つめていた伶奈が、未央の言葉を聞くたびに頬を染めて瞳を潤ませている。


「あたし、ずっと未央についてくよ。未央が隣にいてくれるだけで嬉しいから」

「ありがとう。こんな私だけど、改めてよろしくね」

「こちらこそだよ」


 二人の体が密着する範囲が増えていく。真実の気持ちを伝え合った結果、感情が高ぶるのは必然なのだろうか。伶奈の呼吸が感じられるほどに顔を接近させてしまう。


「──んっ」


 やがて重なる二つの唇。伶奈の体を抱き締めると、互いの胸まで重なり合った。うるさいほどに響くこの鼓動はどちらが発するものなのか、未央は判断できなかった。

 どれだけの時間が過ぎたのだろうか。二人は互いに体を預け合い、崩れないように均衡を保っていた。


「伶奈、耳まで赤くなってる」

「……もっと赤くしても、いいんだよ?」


 伶奈の声を聞くほどに、抑えられた欲求が姿をちらつかせる。伶奈の存在を深くこの身に刻み付けたくなる。加速した感情は止まらない。


「ねえ、体洗おうか」

「また洗いっこする?」

「いや、今回は私が洗ってあげる。隅々までね」


 未央は顔をさらに寄せ、伶奈の耳元で囁いた。


「……うん。未央に全部任せる」


 伶奈は体を震わせ、か細い声で呟いた。


「あっちに行こうか」


 椅子を二つ持ち、シャワーの前に並べる。前に伶奈を座らせ、後ろに未央が座った。


「あれっ、鏡って前もあったっけ?」


 伶奈は鏡と自分の体を交互に見ながら言った。


「あったよ。この前はそこまで気が回らなかったんじゃない?」


 未央は後ろから伶奈の体を抱き締めた。肩に顔を乗せ、至近距離で伶奈を見る。


「なんか、自分の体を見ながら洗われるのって、ちょっと照れるかも……」


 耳に未央の髪が触れたのか、伶奈はくすぐったそうに体を震わせた。

 そんな伶奈の体に未央は指を這わせ始める。指先だけで触れながら、焦らすような動きで。目を妖しく細めながら、未央の顔が上気する。


「どこから洗ってほしい?」

「未央に任せるって言ったでしょ」


 そっけなく振る舞っても、声色は正直だった。熱い吐息が混ざるのを隠せていない。


「じゃ、ここから……」


 未央はもう何度目かもわからない楽しみを始めた。伶奈の反応を見て、方法や強さを変えてみる。触れる肌から感じる熱は、互いに混ざり合って理性を焼き切ろうとする。ここで理性を手放すのは惜しい。だが微妙な綱渡りも面白い。

 そんなことを考えながら、未央は伶奈を撫でる手を動かし続けた。伶奈の声、吐息、感触、存在。それらすべてを全身から吸収し、意識の奥底へ焼き付けるように。導き出した答えを見失わないように。

 もう二度と、弱さが顔を出さないように。






 温泉から帰還して数日。二人は変わらぬ生活を送っていた。


「今日は久々に外で食べようか」


 そんな未央の提案により、二人はイタリア料理店にやって来た。先日行ったのと同じ所である。

 扉を開くと、前と同じ内装が二人を出迎えた。自然に体が同じ席へと動く。


「伶奈は何がいい?」

「そうだなあ……またコース料理にしようかな」

「前と同じの?」

「うん。いつものやつ! ってなんだか常連みたいだね」

「そういうのって、いいよね。カッコイイし」


 そんな雑談をしていると、記憶に新しい香りが漂ってきた。見ると、やはり食前酒が出されている。


「やっぱり、食べ物が勝手に出てくるのはどうなのかなあ……」

「あ、未央の不思議講座が始まっちゃう?」

「いや、これはこれで便利だから、そういうものだって納得しておくよ。難しく考えても始まらないし」

「そっか。さーて、今日はあたしが持ってくるよ」


 未央が立とうとするのを遮り、伶奈が取りに向かった。

 その姿を未央は見守る。何事もなく伶奈はカートを押して戻ってきた。そこに乗った薄黄色のワインを、伶奈が机に置く。


「さっ、飲もう」


 席に着いた伶奈がワイングラスを掲げた。今回はぶつけようとはしない。


「うん。二人のこれからに乾杯」

「あたしもそれに乾杯」


 前回と同じようにワインを一気に流し込んだ。焼けるような痕跡を残しながらアルコールが喉を通過していく。その刺激が未央を酔いに導こうとするが、未央はそれに背を向けて目前の伶奈に集中した。


「前菜が来たね。今度は私が取るよ」


 料理が出されると未央が取り、次は伶奈が取る。二人は交互に料理をカートから取った。それはこの二人だからこそできる息の合った共同作業だった。

 取られた料理は自分の口に入れるだけでなく、相手の口に運ぶこともあった。合図をしなくても、ただ口元に持っていくだけで、それが自然の流れと錯覚するような鮮やかさで口に吸い込まれる。運ばれた側は役割を交替し、食事がある限り続く遊びにのめり込んだ。


「ごちそうさま、かな」

「うん。あとはこれだけだね」


 伶奈が食後酒を机に置いた。それを見て未央は回想する。これまで酒に酔って正気を失ったことが数回あった。体質の問題と言えばそれまでだが、心の棘となっていたのは事実だった。手を伸ばして良いのか、ためらいが生まれる。


「未央も飲む?」


 そんな時に伶奈がグラスを未央の前に持ち上げた。


「──うん、ありがとう」


 ただそれだけで、未央のためらいが霧散した。止まることなくグラスを受け取り、口に持っていき、半分ほど飲んだ。


「おいしいよね、これ」


 既に伶奈はグラスを空けていた。


「甘くて飲みやすいもんね」


 続けて未央も飲み干した。悪酔いの足音は聞こえない。


「今日も、あたしの胸で眠る?」


 伶奈が未央にしなだれかかった。誘うような上目遣いも、今はただ愛おしい。


「ううん、大丈夫。酔ってないからね」


 未央はその頭を優しく撫でた。


「なら、あたしが未央の胸で寝ようかな」

「それは家でゆっくり落ち着いてやった方がいいんじゃない?」

「そっか。それじゃ──」

「──帰ろうか」


 頷き合った未央と伶奈は店を出て、家への道を歩き始めた。

 その手は普段と何も変わらず繋がっており、互いの温もりを伝え合っている。




          *




 未央は世界の真実に気付いても、それを受け入れて伶奈と過ごすことを選んだ。柔軟な発想で自分たちを世界に適合させる、という結末。それもまた確かな正解など存在しない答えの一種なのだろう。

 通常は起こり得ない特異な点の考察だったが、十分に価値のある興味深い結果が得られた。不安要素の一つを潰すことができたという収穫もある。


 さて、未央についてはこの辺りで一端切り上げることにしようと考える。観察すべき対象はもう一人いるのだから。

 ここは折り返し地点に過ぎない。場面は次の段階へ移行する。

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