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認識対象  作者: 虹月映
第一章 未央
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未央の結論(前)

 その日も未央は伶奈の隣で目を覚ました。いつものように伶奈はまだ眠っている。未央は伶奈の寝顔を見つめながら、今日は外がやけに静かだと感じていた。

 そこにあるのは、普段と変わらぬ二人だけの静寂であるというのに。


 昼食後、伶奈と外出している時のこと。触れ合える距離に伶奈がいる。それだけで十分であるはずなのに、灰色の霧が思考の片隅に居座り続けていた。それはやがて、奥底に抱え続けていた違和感へと溶け込んでいく。

 隣には伶奈がいる。それだけがすべて。そのはずだったのに。

 伶奈は未央の胸中に気付く様子もなく歩いている。今までも、これからも変わらぬ生活が続くと本気で考えているのだろうか。無邪気な表情で体を寄せてくる。今まで幾度となく繰り返された愛情表現。すぐに体温が交換され、混ざり合っていく。

 未央は繋いだ手に力を込めた。伶奈を手放さないように、指先に与えられる情報を頭に深く刻む

 絡めた指に触れる伶奈の手は、少しだけ冷たかった。






 家で二人寄り添っている時も、未央の心では不快な波が騒ぎ続けていた。


「ゴメン、ちょっといい? すぐ戻るから」


 伶奈は未央から離れ、部屋を出ていった。おそらく向かう先はトイレだろう。ほんの数分で戻ってくる。生理現象。何度も繰り返されたこと。

 ほんの僅かな時間、一人で取り残された未央。その「一人」という状況に、未央は孤独を感じていた。周囲は静かなのに、耳障りな雑音が鼓膜にこびり付く。

 孤独。今まで考えたこともなかった。初めて味わう胸騒ぎ。寂しくて仕方ない。


 それに気付いた瞬間、未央は脳髄に電流が走ったような衝撃を受けた。血液の脈動が勢いを増し、見開かれた瞳に映る部屋が霞む。目が乾く。視線が揺らぐ。

 無理もない。孤独などという感情は、二人きりの世界では存在するはずがなかったからである。

 孤独とは、多数の人がいる社会でなければ認識することはない。どこかに大勢の人間がいるというのに、自分は一人。そんな背景がなければ、孤独という概念は生まれない。ここは二人きりの世界なのだから、孤独とは無縁のはずだった。

 では、なぜ孤独を感じてしまったのか。それは外部からの干渉があったからに他ならないが、未央にそれを把握できるはずもない。ただ、押し付けられた現象に身悶えするしかない。


 なぜこんなことに。疑問の連鎖反応は止まらない。世界への疑問が次々と湧き上がる。明らかに都合良く改変された社会構造。理由と答えが得られないもどかしさが膨張して脳内を駆け巡る。

 意識が遠のきそうになる。黒い水のような液体を溜めこんだ心の堤防に亀裂が走る。決壊も近いだろう。まるで傍観者のような幻想に、未央は漂っていた。


「──ねえ、どうしたの?」


 平穏を与えてくれる澄んだ声。見ると、伶奈が心配そうな表情で横に座っていた。どれくらいの間、自分が正気を失っていたのかわからない。


「いや、ちょっと……」


 自分は今どんな表情をしているのだろうか。考えたくも見られたくもない。


「なんか、寂しくなっちゃって」


 語尾まで言い切る前に、未央は伶奈の胸に飛び込んだ。


「わっ。いきなりだなあ、もう」


 伶奈の表情も見えないが、声の感じから楽しんでいるのだと推測できる。今はただ、伶奈の存在を自分自身に刻みたかった。二度と消えないように、離れないように。

 伶奈の暖かさが未央の心を静かな凪へと導いていく。それでも、片隅では暗い種火がくすぶり続けていた。






 夜、二人はベッドに座っていた。枕を背もたれにして、足は布団に入れている。


「ねえ、未央。なんだか最近おかしくない?」


 伶奈の指摘は唐突で直球だった。しかし、それも伶奈らしいことだと未央は心の中で苦笑する。隠し事を続けることが滑稽に思えてきた。自分を気にしてくれるのならば、それに応えたい気持ちもある。


「実は……ね。ちょっと気になるというか、しっくりこないというか、そんなことがあってさ」


 綺麗な言葉にはできないが、未央は伶奈に告げる決心をした。曖昧な形でも、抱える不安を打ち明けて受け入れてほしかった。


「どんなこと?」

「あのね、なんで私たち二人しかいないのかなって気になってるの」

「それって、つまりどういうこと? あたしは未央がいるだけで満足だよ」


 伶奈は理解できない様子で首を傾げた。やはりそうか、と未央は目を細める。


「私もだよ。でもね、なんか違和感があるの。まるで無理やりこの状況が作られたような感じがしてさ」

「うーん、よくわかんない」

「考えてみると、変なことがいっぱいあるんだ。私たちしかいないデパートとか、勝手に動く電車とか、料理がいつの間にか出てくるレストランとか……うまく言えないんだけど、おかしいなって」


 未央が話している間、伶奈は難しい顔をしていた。何度も目をしばたかせ、理解しようとする姿勢は見て取れる。

 それでも、自分の限界を超えることはできなかったようだ。


「未央が言うなら、少なくとも的外れなんかじゃないとは思うし、その考えを否定したりもしないよ。でも、やっぱりよくわからないや。ごめんね」


 伶奈は申し訳なさそうに視線を下げた。


「ううん、気にしないで。変だなって思ってるけど、私も完全にわかってるわけじゃないから。それにね、伶奈が私の考えを受け入れてくれたのが、とても嬉しいんだ。伶奈、ありがとう」


 未央は伶奈の目を見つめた。熱が込められた視線。純粋な感謝と強烈な依存を含んだ輝きがそこにある。


「前にも言ったでしょ? 未央のことはなんでも受け入れるって。未央に間違いなんてないんだから」


 疑うことを知らない澄んだ瞳が未央を捕らえて離さない。いつの間にか肩に両手を回されていた。すぐ近くにある伶奈の顔。吐息が顔にかかり、未央の肺に浸透していく。甘美な眩暈が未央を襲った。


「伶奈、ほんとにありがとう……」


 声を震わせながら未央は伶奈を抱き締めた。頬を寄せ合い、その感触を確かめる。伶奈の髪が顔にかかるが、その痒みを起こす刺激さえも愛しく感じた。


「どういたしまして」


 未央の耳元で囁いて、伶奈も腕に力を入れて抱擁に応じてくれた。

 二人はそのまま体をずらして布団に潜り、互いの存在を確かめ合いながら眠りについた。






 それから数日、二人は変わらぬ生活を続けていた。別段気まずくなるということもなく、何か行動を起こすということもなかった。 


「あのね、あたし決めたことがあるんだ」


 その停滞は、朝食を終えた後に伶奈が発した一言で崩れた。


「どんなこと?」

「この前、未央が言ったことをずっと考えてたんだ。それでね、未央と一緒に調べてみようって決めたの」

「ああ、そのことね……」


 あれ以来、未央は意識してその話題に触れないようにしていた。もちろん違和感が拭いきれたわけではないが、そうすることが二人の幸せに繋がると思ったのである。これ以上の変化をどこかで恐れていたのかもしれない。


「どう、かな?」


 そんな未央に、伶奈は歩み寄ってきた。理解できないなりに辿り着いた結論なのだろう。言うのにも勇気が必要だったはずだ。自分とは違う伶奈の強さが、臆病な未央の心を揺さぶる。


「わかった。一緒に世界の謎を調べよう」


 未央は伶奈の手を取った。繋いだ手から、未央に勇気が流れ込んでくるようだった。






 まずは身近な場所から始めることにした。家から一歩出れば、そこはもう不可思議な世界。


「さて、その辺を見回してみようか」


 未央が言うと、伶奈は周囲に視線を巡らせる。


「うーん、いつもの風景だね」


「伶奈はそう思うんだね。まあ、予想はできたけど」


 未央は苦笑しながら首を振った。


「じゃあ未央はどうなの?」

「私にはね、静かすぎるように感じるんだ。あるべきものがなくなってしまったような、そんな寂しさもあるかな」

「静かすぎる、か……そうなのかなあ」


 伶奈は再び周囲に目をやる。しかし新たな発見はなかったようで、首を傾げて俯いた。


「うまく言えてないかもしれないけど、もっと他の人が道を歩いているのが普通じゃないかなって思うんだ」


 その言葉に思うところがあったのか、伶奈は顔を上げて目を見開く。


「それだよ。その、他の人ってのが、あたしにはよくわからないんだ」

「そっか……私も前はそうだったから、しょうがないことだよね」


 未央は伶奈の指に触れ、そのまま手全体を包み込んだ。変わってしまった自分を、伶奈の手で繋ぎ止めてほしいと思っているのだろうか。


「でも、未央が言うんだから何かあるんだとは思うよ」


 重なった二つの手は形を崩し、指が絡まり、やがて一つに繋がった。


「うん。ありがと。それで伶奈に訊きたいことがあるんだけど……」

「なあに? なんでも答えるよ」


 すぐに戻ってくる返事から伶奈の信頼を感じ、未央は言葉を切り出す。


「伶奈の今の気持ちだけどね。私、つまり──『未央がいればそれでいい』って思ってる?」

「もちろん。未央があたしのすべてだもん」


 淀みなく愛情を表現した伶奈。未央は抱き締めたい衝動を抑えながら頭を整理する。


「私も伶奈がいてくれればいいって思ってるよ。だからこそ、伶奈はどう思ってるのか確かめたかったんだ」

「どういうこと?」

「私も前は伶奈がすべてだと信じてた。二人でずっと暮らしていければ幸せだって思い込んでた。他の人なんて考えたこともなかった。気付いたのは本当に突然で……最初は小さな粒だった疑問が、その日からどんどん大きくなって」


 心情を吐露する未央に、伶奈は問い掛ける。


「未央は今、どんな気持ちでいるの?」

「正直に言うと、今は伶奈がすべてってわけじゃないんだ。でもね、嫌いになったとかじゃないんだよ。ほんの少しだけカサブタみたいなのが居座ってる。それが今、私が抱えている違和感なんだと思う」

「未央は、あたしのこと好き?」

「好きだよ。それは絶対に嘘なんかじゃない」

「……言葉で伝えられるのって、照れるけど嬉しいね」


 はにかむ伶奈に向けて、未央は重い口を開く。何度も脳内で整理しながら導き出した、ある推測を告げるために。


「今から私なりに考えた結論を言おうと思うんだけど、それは伝えられても嬉しくないことかもしれないよ」

「いいよ。未央の考えたこと聞いてみたい」

「単なる仮定の話なんだけど、以前は私も伶奈も同じことを考えていて、この世界を信じて疑うこともなかった。その思考自体が、私たちに植え付けられたものなんじゃないかって思うの。それに加えて、今は私だけが違和感を植え付けられている状態ってわけ」


 未央の推理は当たらずとも遠からずといったところだろうか。ほんの片隅を指摘した程度であるが、部分点を加味した評価を与えるべきであろう。


「えっと……つまり、誰かがあたしたちを操ってるってこと?」

「考えにくいけど、そうしないと説明がつかないよ。なんで私がいきなりこの世界に疑問を持つようになったのかってことが」


 前提は弱いが、かなり鋭く憶測を並べているようだった。


「じゃあ、あたしが未央を好きだっていうこの気持ちも植え付けられたものなの?」


 握られた手に力が込められた。微かな震えも感じる。強さを見せてくれたはずの伶奈が怯えている。


「それは……確実にないとは言い切れない。でも、さっきも言ったように、この気持ちは嘘なんかじゃないよ。根拠はないけど、そう信じてる」


 伶奈の不安を掻き消すように、その震える手を未央は両手で包んだ。

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