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認識対象  作者: 虹月映
第一章 未央
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温泉旅行(後)

 いくつかある露天風呂をすべて制覇した二人は脱衣所に戻った。体を拭き、扇風機の風で体を冷ましてから温泉を後にする。暖簾をくぐると、目前には中程度の広さを持つスペースがあった。先ほども少しだけ目にした休憩所である。

 ここは周囲の山から湧き出る天然水を飲みながらくつろげる場となっている。

 二つのドリンクサーバーがあり、一つは常温の水を、もう一つは結露が付着するほどに冷えた水を提供していた。透明なガラス容器の内部では撹拌装置が休みなく動いており、鮮度を一定に保ち続けている。

 二人は冷えた天然水を飲みながらソファーに座り、窓から見える自然を眺めながら体を休めた。

 一息ついた二人はエレベーターの近くにある土産物屋に立ち寄った。旅館の顔ということもあり、地域の特産物や土産として人気の定番商品など様々な品が揃っている。


「これ、おいしそうじゃない?」


 伶奈が指差したのは、かつてこの地方で活躍した戦国武将の名を冠した栗餅だった。栗粒入りの餅が粒餡を包む串餅で、八本入りと十五本入りが並んでいる。伶奈は八本入りを手に取った。


「少ない方でいいの?」

「まずは試食ってことで。未央の意見も聴かせてね。あとこれも」


 続いて伶奈が手に取ったのは饅頭だった。人気ランキング第一位と大きく書かれたポップの文字が目立っている。この旅館オリジナルの味わいが楽しめるとあるが、他の饅頭との違いがそれほどに大きいのだろうか。

 以上の二点を持って部屋に戻ると、布団が二つ敷かれていた。隙間なく並べられたそれを見ていると、ますます未央の神経が焼かれていく。

 客室の冷蔵庫から備え付けの梅酒とライムサワーを取り出す。先ほどの菓子を机に広げ、ささやかな飲み会が開かれた。栗餅は独特の食感があり、饅頭は無理なく体に染み込むような甘さが癖になりそうだった。伶奈も気に入ったようで、両方ともすぐに完食した。

 伶奈の姿に目を奪われつつも、未央の意識は布団に引き寄せられていた。互いに一缶開けたところで終わりにして歯を磨く。

 飲んだ後に動いたせいで全身に酔いが回ったのだろうか。伶奈の表情が緩んでいる。未央も体内を駆け巡るアルコールと、それを運ぶ脈動を認識していた。天然水では本能を冷やしきれなかったらしい。


「そろそろ布団に行こっか」


 体を寄せた未央に、伶奈は頷いて手を預けた。冷たく滑らかなその手は、未央によってすぐに温められる。

 部屋の端にある行灯だけを残して他の照明を消せば、仄かな光が二人を包む。体が熱くなっているのは、当然ながら飲酒や温泉のせいだけではない。

 布団に寝転び、未央は今まで溜め続けた感情の蓋を解放した。


「私ね、ずっと我慢してたんだから」

「やっぱり。未央ってわかりやすいからなあ」

「わかってやってたんだね……そんな悪い子には、お仕置きしちゃうよ?」

「未央がしてくれるなら、なんでも嬉しいよ」


 会話しながら未央は起き上がり、伶奈の浴衣をはだけさせた。帯を手に取り、それを未央は伶奈の目前にかざす。


「ねえ、伶奈。これなーんだ?」

「帯、でしょ?」

「正解。賢い伶奈には、ご褒美をあげないとね」


 言いながら未央は伶奈の腕を取り、伶奈の頭上で交差させた。そこに帯を巻き、手首を縛っていく。

 伶奈は視線を上にやってはいるが、抵抗する素振りは見せていない。縛り終えた未央は自分の帯を取り、拘束された伶奈の手首と机の脚を結びつけた。


「きつくない?」

「うん。でも手、動かせない」


 伶奈は身をよじるが、結び目が解ける様子はない。

 未央は再び寝転がり、自由を奪われた伶奈の体を観察する。縛られた手首から、わずかに開かれた足の先まで。白いシーツと浴衣の裏地、そこに乗る伶奈の素肌が作り出すグラデーションが未央の酔いを加速させる。

 視線を伶奈の顔に戻す。恥じらいつつも視線を逸らそうとしない意志の強さが感じられる。いつも見せてくれる強がった表情。未央は伶奈のそんなところも好きだった。

 そして、その表情を自分の手で変容させることも。


 頭を撫でると、伶奈は心地良さそうに目を細めた。体を寄せ、軽く開かれた唇に吸い付く。重ね合って数秒、一旦離れる。その間隔も一瞬。今度は少しだけ長い口付け。再び離れ、伶奈の表情を確認する。薄目を開き、半開きの唇を物欲しそうに動かしている。

 未央は頭を撫でていた手をゆっくりと動かし、伶奈の右耳とその周囲に指を這わせる。ここが弱いことを未央は把握していた。伶奈は艶のある声を出し、頭を震わせた。

 未央は動きを休ませることなく、三度目の口付けをした。今回はすぐには離れず、伶奈の唇と舌を望むだけ堪能している。

 唇を離し、耳を愛撫していた手を滑らせる。二の腕から腋までを撫でると、伶奈は甲高い声を短く上げて身をよじった。未央が触れれば、伶奈は場所によって異なる反応をしてくれる。

 その姿をもっと見たくて、未央はいつもより時間をかけて伶奈を愛で続けた。





 閉じられたカーテンを透過して朝日が差し込んでいる。体を包む暖かさに未央が目を覚ますと、体に抱きついている伶奈の姿が目に入った。その白い素肌を見ながら昨夜の情事を思い出す。

 事が終わった後、拘束を解かれた伶奈は未央に抱きついて離れなかった。縛られていて未央に触れることができなかったので、その分を取り戻すということらしい。

 乱れた布団を離れ、もう一つ敷かれた綺麗なままの布団に移動すると、精根を使い果たした二人は、すぐに暗い水の底へと沈むように眠りこんだ。

 体の自由が奪われているので、これからどうしようかと考えつつ頭を動かして周囲を確認する。後方を見ると、放置された布団の乱れ具合が目に入り、昨夜の行為を思い出してしまう。

 甘い声、震える体、懇願する伶奈の表情。そのすべてが粘り付くように反響し、伶奈から離れるという思考が霧散する。

 半覚醒状態の未央は伶奈の胸に顔をうずめ、頬で感触を楽しみながら惰眠を貪った。





 数時間の二度寝を経て、朝食を済ませた二人は帰宅の準備をしていた。


「こんなとこかな。伶奈は大丈夫?」

「待って。残ったお菓子と冷蔵庫のジュースとか持ってくから」


 言いながら伶奈は和菓子を鞄に入れ、冷蔵庫の中を物色していた。

 伶奈が満足するのを待ってから部屋を出て、一階の土産物屋に入る。昨日食べた栗餅と饅頭を備え付けの紙袋に入るだけ入れて、満足顔で旅館を後にした。

 都合良くホームに停まっていた電車に乗り、座って一息つく。


「ふう、楽しかったー」

「またいつか来ようね」

「今度はここと違う温泉にも入りたいな」


 電車が動き、景色が流れる。速度の上昇に比例して、耐えがたい眠気が襲ってきた。覚醒と睡眠の境界が不明瞭になり、意識を暗黒が支配していく。

 こちらへ来た時と同じように、二人は数分とかからず深い眠りに落ちた。



          *



 この世界では、それぞれの地域が独立している。それらの往来は可能だが、そのためには一度意識を切らなければならない。そのための手段が睡眠である。眠っている間に、本人の認識世界を切り替えているのである。

 イメージとしては、切り取られた都道府県を想像すると良いだろう。県境を成していた枠の外側は、虚無しか存在しない領域である。そこに近付くにつれて眠気は強まり、やがて意識は途切れる。その間に世界の再構成が行われ、気付いた時には目的地に到着しているという寸法である。


 ちなみに、日常生活の範囲内で境界線に接近しても眠気は訪れない。移動するという確かな目的意識がなければ世界が切り替わることはない。

 なお、普段生活している地域自体が生活者の理想の世界であるために、別の地域へ行くということは頻繁にあることではない。それでも未央と伶奈のような例外は存在する。今回の出来事は貴重な前例となるであろう。

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