二人の一日(後)
食事を終えて食器を洗うと、再び何もない時間が訪れた。
「未央、アイスってまだあったっけ?」
「確か残ってたはずだけど……」
未央が冷凍庫の奥を探る。素肌に感じる冷気は、外界の暑さをしばし打ち消してくれる。涼しさを享受し続けようか迷い始めた頃、その手が目標を捉えた。引き出した手にはミルクアイスが一つ掴まれている。
「一個だけかぁ」
伶奈はアイスを手に取り、所在なく弄んでいる。
「これだけしか残ってなかったよ」
「うーん……それならさ、二人でこのアイス食べればいいんじゃないかな?」
伶奈の提案に未央は驚いた様子もなく微笑む。
「今度は伶奈がいい考えを出したね」
「でしょー?」
伶奈はアイスの封を切り、その中身を未央に差し出す。
未央は迷わず口に含んだ。三分の一ほど含んで唇を離す。その部分は透明な輝きを放ち、透明な雫が一筋の線となって滴っている。
続いて伶奈が口を付ける。未央と同じ部分を舐め、溶けた表面を味わった。
「甘いね」
微笑む伶奈を見て、未央も再びアイスに近付く。先端の柔らかくなった部分に歯を立て、欠片を口の中に残す。舌に乗せると、とろりと溶けていくのがわかった。
「確かに甘いね」
未央が伶奈に体を寄せた。口内は冷たいのに、触れ合う腕は温かい。
伶奈は未央に見せつけるようにアイスを舐める。挑発的な流し目が、未央には艶めかしく感じられた。
そうやって交互に食べ続け、最後の一欠片が残った。
「これは未央が食べていいよ」
伶奈が促した。未央はそれに従って残ったアイスを含んだ。
それを確認して、伶奈が未央の瞳を見据える。蕩けた熱視線の応酬。
「あたしにも食べさせて」
伶奈の顔がゆっくりと未央に接近する。互いの吐息を感じられる距離。
だが、伶奈から唇を重ねることはない。これ以上ないほど目前で、未央にねだるような視線を送り続けている。
未央は口角をわずかに上げて、楽しむような表情を崩さない。その口内ではアイスが徐々に溶け始めている。
「食べたいんじゃないの? 早くしないと溶けちゃうよ」
「そうだけど……だから、お願い」
伶奈は瞳を潤ませて懇願した。
「アイスが欲しいなら、伶奈が自力で取って」
未央は唇を少しだけ開き、伶奈からの口付けを受け入れる準備を整えた。
「むーっ……わかったよぉ」
伶奈は少しだけ顔を離して目標を定めると、未央の唇に吸い付いた。
未央の歯を伶奈の舌が叩く。未央が歯の隙間から舌を差し出すと、伶奈の舌先に触れた。それを逃さず伶奈が舌を伸ばす。標的を見つけると、未央の口内でゆっくりと舐め溶かし始めた。
未央も舌を動かし、伶奈が舐めやすいようにアイスの位置を調節する。未央と伶奈、二つの舌に挟まれたアイスは急速に溶けていく。
唇の端からこぼれそうになる混ざり合った液体も、伶奈は啜り取っていく。一滴も残すまいとする意思が込められているようだ。
ここまで未央からは積極的に動かなかったが、もう抑えることはできなかった。未央からも舌を絡めて伶奈を味わい始める。舌の裏側を突けば、すぐに伶奈が唾液を溢れさせた。
混合を極め、最早原型すら留めていない液体を何度か交換して、ようやく唇が離れた。
「なんか……アイス食べたのに熱くなっちゃったね」
伶奈の頬は赤く染まっていた。荒い呼吸を正そうともしていない。
「ほんとにね」
未央も高まる胸の音を感じていた。伶奈の鼓動も感じたくなり、その胸に耳を当てる。
「んっ……」
柔らかさの奥に、跳ねるような早鐘を確認した。
夕日が西から射し始めた頃、洗濯物を入れようと未央が伶奈の手を引いた。
ベランダに出て洗濯物を回収し、衣装部屋に運ぶ。しまえる物はそのまま収納し、必要な場合は畳んでから片付ける。ここでも互いに相手の衣類を主に扱っていた。
ふと目をやると、伶奈が自分の体に未央の下着を当てている。
「あたし、未央のブラ着けられるかな?」
「どうだろう。一回り違うくらいだけど、微妙な差でも違和感があるから」
その言葉に伶奈は未央と自分の胸を交互に見る。少しだけ落胆したような表情になったが、何か思いついたのか微笑みが浮かび始める。
「でもさ、自分の物を相手が身に着けてるって興奮しない?」
その無邪気な顔を見て、未央は少し考えてから口を開く。
「奪い取る方が興奮するかな」
「そっか、ふふっ。そしたらその時は、未央もあたしの下着を着けてくれるよね?」
「仰せのままに」
伶奈の頭を抱き寄せ、未央はその耳元で囁いた。
洗濯物を片付けたあとは、夕食の準備の時間となる。今まで繋いでいた手を離し、L字型キッチンに二人で並ぶ。
未央と伶奈は共に料理の腕は人並程度に持っている。そのため一人で作ることも可能なのだが、常に離れず行動している二人には考えられないことだった。毎回このように協力して作っている。
まず米を水に浸す。米に水が浸透するのを待つ間、調理の下ごしらえを済ませておく。時間があれば調理を開始しても構わない。一時間ほど経過したら炊飯器のスイッチを押して、調理を続ける。頃合を見計らって浴室の給湯ボタンを押すのも忘れない。
分担と協力の成果は大きい。米が炊けた香りが漂い始めた頃には、調理の方も完了していた。
「伶奈、そっちはどんな感じ?」
「もう終わってるよー」
まるで計算されたかのような絶妙さで、湯沸かしの完了を告げる音声が響く。
「それじゃ、お風呂行こうか」
「うん! 一緒に準備しよ?」
伶奈は未央の手を取って二階に上がった。衣装部屋に入り、着替えやタオルを取り出しながら会話を始める。
「食事前だから、あまり長くは入らないよ?」
「えー? 時間忘れるくらい半身浴してたいよ」
「伶奈のお腹が耐えられるならね」
「未央を見てるだけでお腹いっぱいだから大丈夫!」
「まったく……口達者になっちゃって」
「愛の成せるワザってやつだよ」
準備を終えた伶奈が未央に背中から抱きついた。
「言葉だけじゃなくて行動で示して欲しいな」
「いいよ。でも、お風呂でね?」
「ふふ、期待しとく」
未央は腰に回された伶奈の手を、そっと両手で包んだ。
浴室は二人で入ってもまだ余裕があるほどの大きさである。湯船は縦長で広くなっており、横幅は並んで入ると少し窮屈に感じる程度である。だが、その分だけ体が密着するので二人にとって問題はなかった。
伶奈は前に立つ未央の頭でシャンプーを泡立てていた。頭皮と髪の感触を味わうかのような指の動きを感じ、未央はくすぐったさに耐える。
レバーを上げてシャワーから湯を出す。未央の頭へ降りかかるように位置を調節し、伶奈は未央の頭を洗い始める。泡を流し、肌に張り付く髪にしばし見惚れた。
頭を洗い終えると、伶奈はスポンジで石鹸を泡立てた。それを未央の体に這わせていく。首から背中、両腕の次は手を前に回して胸を撫でてくる。柔らかさと、その頂点にある独特の硬さを支配される。
されるがままになっている未央であるが、その表情には余裕さが窺えた。それでも肌の温もりに浸ってしまい、何も言うことができない。次に伶奈は何をしてくれるのか。それを考えると、こんなにも熱いのに身震いしてしまいそうになる。
「未央、もう少し足開いて」
下腹部を経由して、伶奈の手が足へと至る。体を屈めながら伶奈は右手でスポンジを動かし、その近くに左手を添えながら肌の滑らかさを堪能している。
単調な動きを繰り返す指に、未央の体は正直な反応を見せる。それでも拒否などは一切せずに、相変わらず伶奈の好きにさせていた。
いつしか伶奈の息が自然と上がっていた。声混じりのそれは浴室の狭い空間内で響き、未央の耳にも届いていた。今すぐ伶奈を抱き締めたい衝動に駆られるが、今はその時ではないと抑え込む。
未央の全身に泡を塗り終え、役目を終えた伶奈は立ち上がる。左手はそのまま未央を抱きながら、右手を伸ばしてシャワーを取った。
流れる湯と共に滑り落ちていく泡。未央の全身は、たちまち輝くほどの白さに包まれた。伶奈の指は、瑞々しいほどの弾力で押し返されている。
「ありがとう、伶奈。今度は私が洗ってあげる番だね」
火照った頬に手を当てると、それだけで伶奈は俯いてしまう。顎を上げさせると、今にも泣き出してしまいそうな目を向けられた。
理性が決壊しそうになる。もっと伶奈を弄びたい。
未央はシャンプーを取って伶奈の頭に触れた。そこから伶奈がやったのと同じように体を洗っていく。すぐに終わらせたりはせずに、緩慢な動きで。
背中や脇腹といった敏感な部分に触れるたびに伶奈の体が小さく震え、その呼吸も少しずつ艶めかしいものに変わりつつあった。
「くすぐったい?」
「ううん、大丈夫……」
強がりを言う伶奈から目を離さずに、未央はスポンジを走らせる。ついに伶奈は目を閉じてしまい、未央にされるがままとなっている。時折零れる嬌声もそのままだ。
「ねえ、立っていられる? 座った方がいいんじゃない?」
俯いて何も言わない伶奈の体を導いて、椅子に座らせる。未央もその後ろに椅子を置いて座った。
「これでじっくり足が洗えるね」
覗きこむようにして未央が囁くと、伶奈は膝を合わせて足を閉じた。
「あったまるね」
「うん、生き返るって感じ」
二人は湯船に浸かっていた。体を寄せ合い、足を伸ばしている。浴槽も決して狭くはないのだが、ここでも当然のように寄り添っているのだった。
全身を包む湯から、繋いだ手から、種類の違う熱が体内に浸透していく。それは着実に未央の全身を支配しつつあった。
これ以上は意識が保てない。そう判断した未央は体を起こし、上半身を湯船から出した。半身浴の体勢になり、少しでも熱を発散させようとする。
追いかけるように体を起こしてきた伶奈と、湯船の縁に寄り掛かった。密着する肌は容赦なく熱を交換し、未央の衝動を後押しする。
「ねえ、まだ入ってていいよね? もっとこうしてたい」
「伶奈がのぼせない程度に付き合うよ」
「ありがと。優しいね」
「どういたしまして」
答えた未央の体に、伶奈が伸ばして密着した。伶奈の吐息が耳元にかかる。わざとやっているに違いないのだが、それでも未央は伶奈の思うままにさせようとする姿勢を崩さない。
伶奈は未央の肩に頭を預けながら、その肌にゆっくりと手を滑らせている。指先で体を撫でるように、時に力を込めて感触を楽しんでいた。その刺激もまた、未央の中に欲望を蓄積させていく。
未央は首を傾け、伶奈の頭に自分のそれを軽く乗せた。艶のある呼吸が下から聞こえてくる。
伶奈はいつもそうだった。未央の体に触れると、もちろん未央も幸せを感じるのだが、それ以上に伶奈が快楽に溺れてしまうのだ。
既に伶奈は手の動きを止め、肩で息をしている。顔が赤い理由は湯船に浸かっているからだけではないだろう。
肩を抱くと、伶奈は一度だけ肩を震わせてから、徐々に脱力していった。それでも未央の腕は離すまいと、しっかりと抱き締めている。
「未央……あのね」
奥底に眠る情欲を呼び起こすような甘い声。しかし、未央は冷静にそれを律する。
「ここじゃダメだよ」
「……まだ何も言ってないのに」
「伶奈はわかりやすいからね。お湯が入ったら大変でしょ?」
「うん……でも」
「今はこれで我慢してね」
未央は預けていた頭を離し、伶奈の顎に手を当てて軽く撫でた。
「あっ……」
吐息が漏れ、開いた唇を未央が優しく塞ぐ。伶奈の上唇と下唇を交互にゆっくりと挟み、最後に上唇を一舐めしてから離れた。
「もう……逆効果だよ」
俯いた伶奈を、未央は胸元に抱き寄せた。
夕食を終えて歯を磨いた二人は寝室に移動した。寝る前の時間は寝室で過ごすことにしている。ここでも、何をするかはその時々によって異なる。
音楽を流したり、眠くなるまで話し合ったり、愛を確かめ合ったりと様々である。
「なんだか今日、ちょっと暑くなかった?」
「そうだね。もう少し涼しくなれば過ごしやすいんだけど」
言いながら、未央は右隣に座る伶奈の頭を抱き寄せた。そのまま自分の太腿へと導き、伶奈を膝枕する格好になる。
場の雰囲気を一変させるには、それだけで十分だった。
伶奈は仰向けになって未央を見上げてくる。投げられる視線は、熱だけでなく期待さえも帯びているようだ。
「……あたしね、お風呂の時からずっと我慢してたんだよ」
「うん。わかってる。私も同じだから」
そう囁いて、右手を伶奈の腹部に伸ばした。薄いパジャマ越しに肌を撫でながら、そこに乗せられた両手を握る。そのまま伶奈の頭の上へと手を導き、左手で細い両手首を重ねて掴んだ。
未央は伶奈の顔を見下ろして、表情を観察する。拘束された不安と、これからされることへの期待が見て取れた。瞳の奥に秘められた恥じらいと、それでも視線を逸らすまいという意思が滲んでいる。
「……いいよ」
薄く開かれた唇から漏れた言葉に従い、未央は右手を動かす。
伶奈の頬に触れ、弾力を指で確かめる。撫でながら首へ滑らせると、伶奈の体がわずかに強張った。喉の奥では、切ない声がちらついている。
未央はその様子を見守りながら、自らの興奮を高めていく。たとえ敏感な箇所を触れられていなくても、伶奈の反応を見れば自身も導かれてしまうのである。
左耳の後ろを撫でると、伶奈の吐息が明らかに変化した。不意に鋭い声を上げたかと思うと、開いた口から喘ぐように艶めかしい息を断続的に吐き出し始めた。瞼は閉じられ、与えられる刺激に神経を集中させているようだ。
耳の後ろを撫でる手を止め、首から喉へと移動する。鎖骨をなぞり、右耳へと指を滑らせる。左耳と同じように愛撫すると、伶奈はより一層悩ましい声を上げ、体を震わせて反応した。
しばらく伶奈の様子を楽しんで、未央は再び指を滑らせる。先ほど通った道筋を逆走し、左耳へ帰着した。同じように撫でながら、人差し指で耳の形をなぞるように動かす。伶奈は頭を動かして抵抗しようとするが、それが形だけのものだということは未央も理解していた。それを示すように、伶奈は左耳を上にしたまま逃げようとしない。
未央が鎖骨を撫でると、伶奈は顎と喉を突き出すようにする。右耳に移動すると、顔の右側を未央に差し出す。曝け出された敏感な場所を、未央は潤んだ瞳で見つめながら愛撫し続けた。
既に何度も繰り返された営み。回数などは記録の上だけで存在する概念であり、二人の記憶には正確な数字など刻まれていないであろう。
しかし、そこから得られる経験は確実に二人の肉体を変容させている。一度や二度の交わり程度では、このように乱れることはないであろう。余計な記憶は抹消し、都合の良い物事だけを選別して糧にする。誰もが夢に描く理想像ではないだろうか。
「──伶奈、もう蕩けちゃった?」
数分後、部屋には二人の荒い呼吸が響いていた。伶奈は首から上しか触れられていないのにも関わらず頬は赤く染まり、瞳には涙が滲み出ている。肩は小刻みに震え、太腿を重ねて艶めかしく動かしていた。
それを見下ろす未央の中に、右手だけでなく全身で触れ合いたい欲望が湧き上がる。入浴時から蓄積され続けたそれは、とても抑えられるものではない。
「ねえ……未央」
呼吸の合間に囁かれた言葉に、未央は耳を傾けた。
「……キス、してほしい」
続けて鼓膜を震わせた甘い声。言われなくても、これから奪うつもりだった。拘束を解き、伶奈の体を抱き起こす。俯く顎に手を当てて上を向かせると、荒げた呼吸をそのままに唇を重ねた。
それを待っていたかのように、伶奈の瞳に溜まっていた涙が一筋の軌跡を残しながら流れ落ちた。
日によって違いこそあるものの、二人の一日はこのような流れで繰り返されている。これからも同じことを続けていくのだろう。二人以外に誰もいない世界──文字通り、二人だけの世界で。
だが、もしも変化が起こった場合、果たして二人はどのような行動を見せるのか。それは現段階でわかることではない。
結果を得るためには、何事も原因が必要なのである。
*
二人が暮らすこの世界について先ほど「二人以外に誰もいない」と記したが、厳密に言えばそれは間違いである。
正しくは「この世界では自分が望む生物や物質以外の存在を認識することができない」である。この世界には未央と伶奈以外にも数多くの住人が存在しているのだが、その全員に例外なくこの条件が適用されている。そして誰も不自然だとは考えていない。それが当然の世界なのである。
今日の出来事を思い返してみよう。二人が外を歩いていた時、実際には数々の通行人とすれ違っていた。大通りでは何台もの車が速度を上げて走っていた。それら全てが二人には関係も興味も必要もなかったので、周囲に何もなく静かだと感じていただけである。存在を認識できなければ、衝突事故が起こることもない。
ちなみに建物や道路などの不動産や、樹木や海などの自然地形的な物に関しては例外が存在し、これらを不要だと考えても存在を消すことはできない。その理由としては、それらがこの世界の付属物として扱われているためである。よって、この世界を不要だと考えても効果はない。そのような考えを持つこと自体がないとは思うが。
単純に説明すれば、特定の対象以外との関係を断絶させた生活をしているのである。つまり、「二人以外に誰もいない」というのは正確ではないが、そう考えても問題はない。
自分に必要なものだけを認識し、不要なものは除外する。自分が思うままの世界で生活できる。それがこの世界最大の特徴であり、誰もが望む魅力である。
それが不変で揺るぎないものであるかどうか、確かめないことには興味すら持てないであろう。不慮の事故に対処できなければ、魅力どころの話ではない。
それならばどうするべきか。
答えは簡単。予想外の事態を故意に起こしてみれば良いのである。