擦り切れた理性
三月初旬にしては暖かな今日は、門倉と九条の結婚式だ。
式場内の教会での式典ののち、フラワーシャワーで二人の新しい門出を参列者で祝っていた。
……俺の隣の奴以外は。
「田原、そろそろ納得しろよ。お前がどうこう言ったって、もう籍入れちまったんだから」
「そうですけど、でもやっぱりヤなんです。琴美ちゃんならもっと素敵な人がいるのに、よりによってあんな変た……もごっ」
「はいはい、ちょっと黙ろうな」
新郎新婦のなれ初め(オブラートに包んでいないもの)を知らない参列者がほとんどなのだ。門倉は外面がいいので、奴への罵詈雑言がたとえ事実でも、逆に田原が悪く思われてしまう。慌てて田原の口を塞いで、言葉を遮る。
この式には両家の親族、仕事関係者以外は友人数人のみの招待になっているらしい。九条は周囲に交際を秘密にしていた手前、高校時代の友人は声を掛けづらかったようで、田原だけ呼んだみたいだ。その結果、知り合いがいなくて心細いらしく、田原はなんだかんだ言いながらも俺の側から離れようとしないのだ。役得ってやつだ。
それなのに式が終わった途端に俺から離れていこうとするのを引き留める。俺の友人がこちらに向かってきているからだろう。
今日の田原は……いや、もちろんいつもかわいいのだが、普段の三割増しでかわいいのだ。十人が十人口を揃えてかわいいと言うであろう破壊力なのだ。野放しにしていたら危険だ。
どさくさに紛れて恋人の振りをさせ、餓えたケモノ達(友人)を牽制しておく。
案の定、奴らは田原を見てかわいいを連発し、「進藤なんてやめて、俺にしない?」などと言いやがる。マジで見るな、減る。
「ちなみに小町ちゃん、進藤のことは何て呼んでるの?」
ニヤニヤ笑いながらそう話しかけられた途端、田原が見るからに狼狽え始めた。
「えっと……」
視線でSOSを送ってくる。まさかコイツ、俺の名前知らねーのか?
どうやらその通りらしく、落ち込むとともに言いようのない怒りが湧いてきた。
睨み付けると、気まずかったらしく俯きがちに口を開いた。
「……し、しーちゃん……デス」
「……なるほど。忍だから、しーちゃんか」
絶対違う。こいつは進藤だからしーちゃんとか適当に言ったに決まってる。それがまぐれで当たっただけだ。……違う名前呼ばれるよりは、はるかにマシだけどな。
「いい子捕まえたなぁ。ねぇ~、し~ちゃん!」
「うるせーよ」
捕まえてねーよ。相手にされてねーよ。片想いだよ馬鹿野郎。しーちゃん言うな。
「じゃあ俺らはお邪魔らしいから行くわ。またあとでな」
ニヤニヤ笑い、友人達は騒ぎながら去っていった。
気まずさから解放された田原は安堵している。本当にどうしてくれようか。
「先生、勘弁してくださいよ。何であんな無茶ブリするんですか」
あれから喫茶店に入り、注文を済ませた途端に苦情がきた。
「決まってるだろ。虫よけだ」
「ほう、虫よけ……。女の人なんていなかったのに?」
「馬鹿。お前の虫よけだ」
全くわかっていない。自分の姿を鏡で見てみろ。
「お前を一人にしたら危ないだろう。あいつら見境がないからな。教え子に手を出されちゃ堪らん」
たとえ教え子じゃなくても、誰にも手を出されたくない。誰の目にも触れさせたくない。……ああ、思考が段々危うい方向へ向かっているような気がする。非常に危険だ。
ここでふと気になった。田原の男のタイプ、どんな奴だろう。そんなことを思っていると、タイミングよくそっちの方向に話が進んだ。
「先生の友達、軽そうだからちょっと……」
「お前、ああいう男は苦手か?」
「悪い人ではなさそうだけど、タイプではないです。チャラい感じの人は、ちょっと……」
何と言うことだ。俺、ダメダメじゃねーか。
「そうか。……じゃあ俺も駄目だな」
「うーん。先生見た目は軽そうだけど、中身はそうでもないんで微妙です」
これはどっちだ。
「見た目かぁ……。そんなに軽そうか?」
「はい。かなり」
軽くなければアリなのか? どうなんだ、田原。
聞きたいけど聞けるはずもない。好んでしていた格好が、まさか仇となるとは。
「俺もそろそろ落ち着くべきかぁ」
「先生、いくつでしたっけ?」
「俺? 今、三十だ」
「結構オッサンですね」
オッサン……初めて言われた。
ショックやら腹立たしいやらで、つい睨みつけてしまう。
「オッサンだと?」
「だって一回り年上って、結構上ですよ。干支が一周するわけですし」
干支……。そうか、こいつと俺、干支が同じなのか……。
「すみません。先生は十分若いです。よっ、イケメン!」
「今さら持ち上げても遅いんだよ」
デコピンして茶化してみたが、内心では酷く落ち込んだ。
披露宴が始まり、しばし田原とは離れた。同じテーブルには先程別れた友人が揃っていた。食事をしてスピーチに半分耳を傾けながらも、話題は先程のことだった。
「さっきの進藤、めっちゃウケたな。なんか番犬って感じ~」
「言えてる。あの子、門倉の嫁さんの友達だろ? いくら俺らが女の子大好きなイケナイ大人でも、未成年に手を出すほど餓えてないっつーの」
「だな。本当に焼きもち妬き屋さんだな、しーちゃんは」
「しーちゃん言うな」
こいつらに言われると気持ち悪い。
「あの子、お前の教え子なんだろ? やだー、不良教師よー。しーちゃん不潔~」
「しーちゃんロリコン~」
「しーちゃんハゲツルピン~」
「ハゲてねーっつーの」
「っていうのは全部冗談。本当はお前の片想いで、さっきのは口裏合わせて彼女のフリさせて、俺らから守ろうとしてんだろ?」
ばれてる。俺の片想いだってことも全部。そんなにわかりやすかっただろうか。
「お前は門倉と違って、馬鹿真面目だから生徒に手なんて出せねーだろ」
「そうそう。門倉と違って、本命には奥手だからな」
「うんうん。門倉と違って、いざというとき何もできないヘタレだからな」
「おい、最後悪口」
「でももう教え子じゃないわけだし、淫行条例も無事クリア。何の問題もないわけだ」
「そう、無問題」
「めざせ、ヘタレチキン返上」
「簡単に言うなよ。俺はあいつに男として見られてねーっつーの」
田原にとって、俺はただの教師だ。それ以上でも以下でもない。
「わかんねーぞ。プライベートで親交を深めれば、男として見てくれるかも」
「お前、結構色気駄々漏れのときあるし」
「大人の魅力で小町ちゃん落とせるかも。告白しちゃえよ」
「告白してどうなる。拒絶されて終わりだ」
教師なのに生徒を邪な目で見ていたなんて知られたら、潔癖な田原のことだ。「あたしのこと、そんな目で見てたんですか。マジ気持ち悪い」と侮蔑の視線を向けられるに決まってる。
「拒絶されたら、もう……立ち直れない。そうなるくらいなら、このまま一教師のままでいるほうがマシだ」
「本当にそう思ってんのか?」
さっきまでからかっていたのに、友人たちは皆、急に真顔になった。
「ちょっとはマシになったかと思ったが、結局大学の頃と何も変わってねーな、お前」
「お前が何も言わないからあえて触れなかったけど、しんどそうに典子のことを想うお前を見て、俺らも結構辛かったんだぜ」
「早く告って区切りつけろよって何度も思ったさ。自分の気持ちにケリつけずに他に女作ったと思ったら、いつも典子と比べて幻滅してただろ。自分で自分を苦しめて、お前ドMかと思った」
そんな風に思われてたのか。全然知らなかった。
「今度は気持ち閉じ込めずに吐き出せよ。駄目なら駄目で、すっきりした気持ちで次に行けるだろ」
「そうそう。フラれたら、ヤケ酒に付き合ってやるからさ」
「合コンもセッティングするし」
「……サンキュ」
俺って人に恵まれているのかもしれない。友人たちの励ましがとても嬉しかった。
しかし告白する覚悟はなかなか決まらず、あっという間に二次会へ突入した。
ビンゴ大会やら出し物やらでそこそこ楽しんでいると、今日の主役の一人が近寄ってきた。
「進藤先生」
「おお、九条……っと、もう九条じゃなかったな」
「いいですよ、九条で」
クスクス笑う彼女はとても幸せそうだ。このまま門倉の本性を生涯知ることなく、笑顔で過ごして欲しいものだ。
「で、どうした」
「せんせーがいないんですけど、どこへ行ったか知ってます?」
会場をざっと見渡すが、確かに門倉の姿はどこにもなかった。
「いや」
「小町ちゃんとどこか行ったみたいなんですけど」
「何?」
非常に嫌な予感がするので、探すことにした。何も起きていなければいいんだが……。
会場の死角になったところで、門倉を見つけ、背に声を掛ける。
「おい、門倉。何してる。花嫁放置すんな……っと、田原?」
「せ、先生っ!!」
半泣き顔の田原が駆け寄ってきて、俺の胸に飛び込んできた。
ヤバイ。心臓が壊れそうなほどドキドキする。ギューッと抱きついてくる様がたまらなくかわいい。顔がにやけそうになるが、門倉の魔王顔を見ると甘い雰囲気も吹っ飛ぶ。
予感は的中していたようだ。あんな魔王とサシになって可哀想に……と、ギュッと抱きしめ返して頭を撫でてやる。
「あー、よしよし。……門倉、田原を怖がらせるな」
「失敬な。田原さんから喧嘩を売って来たのですよ」
そうだろうなとは思った。こうなるとわかっていながら、なぜ門倉に喧嘩を売るのだろうか。田原も大概学習能力がない。
「田原も、もう本当にいい加減にしろ。ちゃんと門倉と九条を祝ってやれ」
叱っても無言を返される。頑固だな。
「ほら。こいつには言わなくてもいいから、九条にだけちゃんと『おめでとう』って言って来い。お前がいつまでもそんな態度だと、九条が傷つくぞ」
そこまで言って、ようやく折れてくれた。
「……はーい」
「よし、いい子だ。……じゃあ祝いの言葉を言ったら帰るか。送ってやるぞ」
「……もう帰るんですか?」
「お前、未成年だろ。ここで待ってるから、行って来い」
田原を九条のもとへ送り出すと、門倉がすぐそばまで寄って来た。
「いい感じではありませんか」
「そんなことない」
「無意識ですか。なんだか見せつけられているような気がしましたけど」
「……どうしたらいいんだろうな」
「好きにしてください」
「自分は結婚したからって、冷たい奴」
「先程も随分焚きつけられていたようですが、結局どうするかは自分で決める以外ありませんからね」
「おっしゃる通り……」
いまだ決心はつかず、田原と二人、会場を出た。
どうする……どうするよ、俺……。
隣には鼻を啜りながら泣き続ける、惚れた女がいる。
九条とともに号泣したらしく、泣き止む素振りはない。どうにかしようにも、何と声を掛ければいいのかわからない。
手でゴシゴシと目元をこするので、見かねてハンカチを差し出す。
「田原ぁ。そろそろ泣き止め」
しかし涙は止まるどころか、より酷くなったような気さえする。
困った。自分が泣かせているみたいで、酷く落ち着かない。
……冗談でも言えば、笑って泣き止むだろうか?
「泣き止まないと、キスするぞ?」
冗談で言ったはずだった。
本当にする気はなかった。
そう言い訳したものの、後から考えると、あのときの俺はおかしかったんだろうと思う。
気が付くと、田原の唇に自分のそれが触れていた。
何だ、この柔らかさ。貪りそうになるが、耐えてすぐ離す。
田原は驚いて泣き止んだようだ。俺を上目づかいで窺う。
あ……そんな目で見るな。ヤバい……。
プツンと、何かが切れた音がした。
「田原……」
唇を合わせ、身体を密着させる。腰に腕を回し、逃げられないように囲い込む。
どう呼吸したらいいのかわからないのか、田原がすこし苦しそうに身を捩る。
「んっ……」
このとき、相手が初心者(予想)だとか、倫理がとか、世間体がとか、ここは路上だとか、全部吹っ飛んでいた。
少し開いた唇からするりと舌を差し入れ、絡め、歯列をなぞる。
深く、長く、ずっとこのままでいたいぐらい、キスに溺れた。
気が付けば、田原は俺に縋りつき、応えるようにたどたどしく舌を絡めてきた。
一度唇を離せば、互いから熱い吐息が漏れる。
潤んだ瞳、上気した頬が、なお俺を煽る。
「っ、小町……」
二人の間に隙間がなくなるほど腰を引き寄せ、後頭部を掴んで深く口づける。
熱い……、堪らない……。
薄目を開けると、視線が交差する。そこにいるのは、色香を纏った女だった。
夢中で唇を貪っていると、不意に突き離された。
荒く呼吸しながら、彼女を見下ろす。が、サッと視線を逸らされた。
「……田原?」
「あ、あの……ご、ごめんなさ――――い!!」
「えっ!?」
俺に背を向け、ものすごい速さで走り去る田原を呆然と見送った。
「俺、もしかして……フラれた?」




