糾弾される教師
お待たせしました。
門倉と九条の交際を田原が知ったと聞かされてから、二週間ほど経った。
どうしても門倉に急ぎの用事があり、放課後、俺は保健室へ向かっていた。九条との時間を邪魔されるのが嫌いらしいが、最近は田原も一緒にいるそうなので露骨なことはやっていないだろう。
保健室に入るとまず目に飛び込んできたのは、机に突っ伏して眠る九条の姿だった。
相変わらず一服盛っているのか。本当にあの男はどうしようもない男だと呆れていた。
だが奥へ進むと、とんでもない光景が目に飛び込んできた。門倉が田原の首を絞めていたのだ。田原の身体が床から浮いている。
「おい! 何してんだ門倉!!」
俺は慌てて二人に割って入った。門倉が手を離した途端、力なく崩れ落ちる田原を抱き留めた。意識はなく、顔面蒼白だった。
「おい、田原! しっかりしろ!」
乱暴に揺さぶるが、反応はない。田原にかかりきりになっていると、俺の頭上から恐ろしく低い声がかかる。
「……邪魔するな、進藤」
顔を上げれば、昔を彷彿させる門倉の様子。これは非常にマズイ。
俺は田原を床に寝かせ、立ち上がる。それから一瞬の隙をついて、門倉の鳩尾に膝で一撃を喰らわす。上手く入ったようで、門倉は床に倒れた。
よかった。この男は一撃で仕留めなければ、こっちがやられる。
俺はすぐに田原に駆け寄り、必死に呼びかけた。
「田原! 目を開けろ!」
首筋に手を当てる。脈はある――――だが、呼吸はしていない。
顎を上げて気道を確保し、鼻を摘み、唇を重ね空気を送り込む。何度か繰り返し、乱暴に身体を揺さぶり、軽く頬を叩く。
「おい、田原! しっかりしろ! 田原っ!」
強く呼び掛けると、田原の目がゆっくり開いた。口をパクパクさせているが、まだ自発呼吸ができていないようだ。
「田原、息しろ! ちゃんと息を吸え!」
慌てて叫ぶとようやく呼吸できたようで、涙を浮かべながら激しく咳き込んだ。
意識を取り戻し、荒いながらもちゃんと呼吸できている田原の様子に、緊張していた身体から力が抜けた。
「よかった……。マジで焦った……」
垂れてきた髪を掻き上げ、田原を抱える腕に少しだけ力を込めた。
本当によかった。こんなところで殺人事件なんて冗談じゃないぞ。一体全体、どうしたらこんな展開になるんだ。
田原の呼吸が落ち着いた頃、まだ少し混乱している彼女に事情を聞き出そうとするが、なかなかそれを口にしない。そうこうしているうちに門倉が目を覚ました。
その途端、彼女が異常なまでに怯えだした。俺の背に身を隠し、服をギュッと掴んでいる。当然と言えば当然かもしれない。自分を殺そうとした人間が怖くないはずないのだ。
それでも彼女は胆が据わっていた。昔を知っている俺ですら恐怖を感じる今の門倉に、震えながらも睨み付けている。普通の女子なら、泣きじゃくってもおかしくないというのに。
こうなった経緯を聞けば、門倉が作った菓子への疑念をぶつけたらしい。馬鹿な男だ。どうせ毎日懲りもせず薬を盛っていたのだろう。この男、欲望に忠実過ぎる。例え九条にバレなくても、田原に知られた時点でやめるべきだったのだ。
俺の服を握りしめる彼女は、俺を味方だと思っているのだろう。
だが違う。俺はこの男の行動を黙認しているのだから。それを知られるのが怖い半面、すべてをぶちまけてしまいたいという気持ちもある。
そして、とうとうそのときが来た。
「田原さん、その男に何を訴えても無駄ですよ」
「え?」
「その男は全部知っていて黙っている。あなたの味方にはなりえませんよ。残念でしたね」
門倉が言い切るのと同時に、田原の手が服から離れた。
振り返ると、彼女は驚愕しながら後退り、俺から距離を取っていた。
「先生も……共犯、なの……?」
俺は返答できなかった。田原の顔が見られなくて、顔を背ける。
「……最低」
ガツンと、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。ストレートな糾弾。
だけど俺はその言葉を受け入れなくてはならない。事実そうなのだから。
門倉は田原の非難にも動じることなく、それどころか楽しげだった。自分のしたことを九条に言うつもりなら危害を加えると、この男は生徒を脅迫したのだ。 こんな男が学校を職場にしているなんて……と思い、すぐに自嘲する。俺に門倉を非難する資格などあるはずがないのに。
男の脅迫にも、田原は屈しなかった。親の仇のごとく門倉を睨み続けている。
俺はこれ以上彼女を門倉と一緒にいさせたくなくて、有無を言わせずその場から連れ出した。
空き教室に連れて行き、田原と対峙する。俺はこれ以上門倉の逆鱗に触れないよう、彼女を説得しなければならない。彼女自身と、その友人のために。
しかし、そう簡単に納得してもらえるはずがなかった。
「先生、あなたの言うことなんて聞きません。生徒が酷い目に遭ってるのに、見て見ぬ振りするような人が教師やってるなんて最悪。あんな変態、琴美ちゃんには似合わない。即刻別れるべきです」
彼女の言うことは正論だった。それを俺は黙って受け止める。いつかこうなる日が来るとは思っていた。田原の濁りのない真っ直ぐな視線は、俺がいかに愚かなことをしていたかを糾弾するようだった。
「……お前の言うことは正しい。確かに俺は教師失格だ」
そう切り出し、俺は門倉がいかに危険な男かを彼女に説明した。教え子、それも女子にあれだけ病んでいる人間のしそうなことを言うのはどうかとも思うが、これを言わなければ彼女を説得できないだろう。
言えば言うほど田原は表情を強張らせ、やはり九条は門倉と別れるべきだと主張した。
俺はそれを遮るように、彼女に頭を下げた。
「九条が何も知らずにそばにいれば、門倉は絶対そんなことをしない。俺が保証する。だから頼む。あいつのことは黙っておいてくれないか」
こんなことを頼むのは筋違いだということは承知。だがこれ以外の解決法が思いつかない。情けない話だ。
結局田原は返答をしないまま、逃げるように教室から出ていった。
彼女が立ち去ってから少しして、俺は保健室へ戻った。部屋へ入ると九条はまだ眠っていて、そんな彼女の傍らで愛しげに寝顔を見つめる門倉がいた。俺に気付くと、平然と訊いてきた。
「田原さんはどうしましたか?」
「帰った。一応黙ってくれるように頼んだが、返答はなかった」
「そうですか」
それからすぐに九条へ視線を戻す男に、俺は問いかけた。
「……なぁ門倉。もし田原が九条に言ったらどうするんだ?」
すると門倉は間髪入れず、答えた。
「琴美さんは僕から離れるでしょうね。そのときはそのときです。僕はどんなことがあろうとも彼女を離しません。たとえ彼女が壊れてしまっても……」
そう言う男の表情が狂気に染まっているようで、寒気がした。
絶対駄目だ。この男を狂気に走らせるわけにはいかない。大事な生徒のために……。
翌日から俺は、田原の動向に過敏に反応するようになった。彼女が九条と話しているのを目撃するたび、門倉のことを告げるのではないかと戦々恐々していた。
おのずと彼女の姿を探し、観察する。俺の視線に気づいた彼女は、目を合わせないようにしているようだ。たまに視線が合うと、あからさまに逸らされる。その態度にショックを受けるが仕方がない。彼女にそうさせてしまうのは俺なのだから。
俺の頼みのせいで、彼女は相当苦悩しているようだった。テスト週間だというのに、そんな時期に厄介なことを話した自分を呪ってやりたい。ただでさえ成績に不安があるというのに。もちろん、後悔しても後の祭りだが。
そしてテスト前日。田原が俺の元を訪ねて来た。
「進藤先生、お話があります。お時間いただけますか」
俺はその申し出を了承し、例の空き教室へ彼女を連れて行った。
田原の返答次第では門倉を対処しなければならない。それは危険と隣り合わせだ。だが覚悟はできていた。万が一の場合は身体を張って門倉を止める。田原や九条に手出しはさせない。それは俺がするべき罪滅ぼしだ。緊張しながら彼女を見据えた。
彼女は俺から視線を逸らすことなく、決意した目で切り出した。
「先生、結論から言います」
固唾を呑んで、言葉の続きを待った。
「門倉先生が琴美ちゃんにしたことは……言いません」
俺は心底安堵し、大きく息を吐いた。
よかった、本当によかった。覚悟をしていたものの、あの男の相手は正直言ってキツイ。助かったと心から思った。
それから田原は堰を切ったように門倉への罵詈雑言を言い連ね(途中、噴き出しそうになったが)、最後にこう言った。
「とにかくあたしはあの男が大嫌いだし、これからもその気持ちが変わることは絶対にないでしょう。本当はあいつがやったこと全部ぶちまけて、社会的に抹殺してやりたい。でも……琴美ちゃんが酷い目に遭うかもしれないって思ったら言えない。あいつの本性を知って傷つく琴美ちゃんを見たくない」
彼女は俺をまっすぐに見て、訊いてきた。
「隠し通せば、あいつは琴美ちゃんに酷いことをしないんですよね?」
「ああ。俺が保証する」
「だったらあいつに伝えてください。絶対に本性をばらすなって。一生隠し通せないなら今すぐ別れろって。この先ずっと本当の自分を出せなくて、せいぜい苦しめばいい」
田原は本当に友達思いだ。九条も彼女がそばにいる限り、きっと大丈夫だろう。そう確信した。
しかし真面目なこの場面で、後に続いた言葉にとうとう限界が来た。
「琴美ちゃんを幸せにしなかったら――――バリカン持って襲い掛かってやる」
「プッ……」
吹き出し、笑い始めた俺を見て、彼女は怒り出した。
「……笑うとこじゃないんですけど」
「悪い。……わかった。門倉には一言一句違えることなく伝える」
「先生」
「何だ?」
「助けてくれてありがとうございました。それから……最低、なんて言ってすみませんでした」
その言葉を聞いた瞬間、俺は顔から笑みを消す。
彼女が謝ることなど何もない。事実、俺が見て見ぬ振りをしてきたことは非難されて当然のことなのだから。
「いや。……俺が教師失格なのも、最低な人間なのも事実だ」
「でも先生、あたしのこと助けてくれたし」
「そりゃそうだ。誰でもそうする」
「あいつを殴ってまで?」
「反撃されるのも覚悟したけどな」
だが、されなかった。年を取って、反応が鈍くなったのだろうか?
「先生とあいつ、どういう感じの友達なんですか?」
「俺とあいつは同級生で夜遊び仲間だ。あいつ、一時期すごく荒れててな。地元じゃ有名だった」
あの頃の門倉は暗黒期だった。そばで見ていた俺も震え上がるほど、周囲を恐怖で支配していた。今のあいつとはまるで別人だ。
「先生も荒れてたんですか?」
「俺はそこまでじゃない。あいつに付き合っていただけだ」
「ふーん……」
訝しげな田原の態度に少し傷つく。あの男と一緒にしないでほしい。俺は犯罪一歩手前までのことをした記憶は全くない。
すると唐突に質問を投げかけられた。
「どうしてそんなにあの男を庇うんですか?」
「庇う?」
「だって犯罪まがいなことをしているあの男のことを黙っていてほしいって、頭まで下げたじゃないですか。普通そこまでしないと思いますよ」
まぁ妥当な質問だ。俺は大きく息を吐く。
「本当はこんなことしたら駄目だってことはわかっているんだ。昔のあいつは何に対しても無気力だった。それが九条に会った途端、変わったんだ。人間らしくなった。そんな生き生きとしたあいつを見たら、もう何も言えなくなった……」
どうやら納得したような彼女の表情を確認し、俺はおもむろに立ち上がった。
「さ、話はここまで。明日からテストなんだから、早く帰って勉強しろ」
「期待はしないでください。このこと考えてて、勉強どころじゃなかったんで」
きっぱり言い切る態度に、思わず苦笑する。
「俺のせいでもあるが、できるだけ頑張れよ、受験生。試験の結果は内部進学に関わるからな」
「はーい……」
やる気があるのか疑わしい返事だったが、田原はどこか軽い足取りで帰っていった。
その日の夜、俺は門倉に田原の返答を電話で伝えた。
「田原に感謝しろよ。そうじゃなきゃお前、あっという間にガチで犯罪者だからな」
『僕が捕まるようなヘマをするとでも? 心外ですね』
「なら俺がお前を警察に売ってやるよ」
『進藤も言うようになりましたね』
クスクスとおかしそうに笑う門倉の様子にカチンときたが、何を言っても無駄なので耐える。
『それにしても田原さんは意外に物わかりがいいようですね。ああいうタイプは後先考えずに行動して墓穴を掘るかと思ったのですが』
「散々脅したくせに、よく言うぜ」
『とりあえず、これで僕と琴美さんに立ち塞がる障害はなくなったということですね。喜ばしいことです』
すべてがこの男の思う通りに進み、少しだけムカついた。天罰下れ!
と思っていたら、田原は彼女なりに門倉へ仕返しをしたようだ。九条からお菓子を拒否されたらしい。ははっ、ざまあみろ!
人工呼吸は正しいのか謎なんで、スルー推奨。
小町の知らぬところで、サラッと初チューを奪った進藤。




