”田原小町”という生徒
進藤視点開始です。
報われない恋をした
これまでも、そしてこれからも、この恋を胸の奥底にしまい込み
自分を誤魔化す人生を送るのだと思っていた
それなのに、どうしてしまったのだろう
まさか生徒にこんな想いを抱くなんて……
俺はつくづく“禁断の恋”が好きなようだ――――
新卒で教師になり、六年目の春。
俺は新入生の担任を受け持つことになった。この年の新入生で、ひと際目を引いた人物が二人いた。
一人目は九条琴美。非の打ちどころのない美少女だった。スタイルが良く、目鼻立ちがくっきりしている。ふんわりとした栗色の髪がそれを際立たせている。
もう一人は田原小町。九条とは正反対の小柄な美少女。黒く艶やかな長い髪で、見た目は儚げ。それは庇護欲をそそるような雰囲気だ。
二人とも入学試験の成績は上位。超進学校であるこの学園としては、目を掛けたい生徒だった。
このときの俺はまだ、この二人とあんなに深く関わることになるとは思ってもいなかった。
入学式の夜。友人で保険医の門倉から、思いもよらぬことを告げられた。
「保健室に運ばれてきた九条さんに惚れました。協力してください」
まさかと思った。あの無気力で他人に無関心な男が、少し前まで中学生だった少女に本気になるなんて。
「おいおい、マジかよ。お前ってロリコンだったんだな」
からかうように言えば、心外だと言わんばかりに顔を歪める。
「ロリコンではありません。彼女が彼女だから好きになったのです。失礼なことを言わないでください」
今日初めて会ったにしては、すでに異常な執着だった。若干引いたが、この男がこんなにも活き活きしているのは友人としても喜ばしい。俺は友人への協力は惜しまぬことにした。
担任を受け持つ九条には少々気のあるふりをして接し、聞き出した情報を門倉に横流しした。彼女はかなり人気があるようで、他の男と一緒のときはわざと邪魔してみたりもした。
田原は隣のクラスの生徒だったため、週二回の社会科科目でしか接することがなかったからあまりよく知らなかった。
だが中間試験が終わってすぐのある日。放課後の職員室で、ある騒動が起きた。
「田原。お前、真面目に試験を受けたのか」
田原に鬼の形相で問い詰めるのは彼女の担任。一方、彼女は担任の怒りもどこ吹く風で、平然とその場に立っていた。
「入学試験で全教科八十点以上取ったお前が、なぜ今回の試験でどの教科も平均点が取れないんだ。それに赤点も四つ……。これはどういうことだ」
驚いた。この学園の入学試験はかなり難解だ。六割取れれば合格できるのに、まさか八割も取れたとは。
そういうことなら担任の怒りもわかる。俺の担当である現代社会も平均を下回っていた。それはたまたま不調だったのかもと気にも留めていなかったが、まさか全教科とは。
しかしここで、彼女は思いもよらぬことを口にした。
「先生、これがあたしの実力です。むしろよく頑張ったほうです」
「……何だと?」
田原の発言に、職員室にいる全員が注目した。その視線をものともせず、彼女は淡々と自分の意見を述べた。
「そもそもあたしの合格、何かの間違いだと思うんです。裏口入学でもしない限り、あたしの頭ではこの学校に入れっこありません。あ、いや、決して裏口ではないんですよ。うん、絶対ない。むしろ入りたくな……いやいや、金積まれても誰が……違う、違う」
……今、「むしろ入りたくない」「金積まれても誰が入るか」と言おうとしただろう。
田原の言うことは、世間一般ではありえないことだ。県下でも、この学園の偏差値は最高。それに付属の大学も全国的に見ても非常に優秀で、大金を積んででも入学したいと思っている生徒やその保護者は数多い。
それなのに、入りたくなかった……?
「とにかく、ちょっと調べてもらえませんか。誰か別の人の解答用紙と間違えちゃったとか、機械のミスとか」
「待て、待て。お前は入試の結果が間違いだと言い張るのか? その根拠は?」
担任が青筋を立てながら訊けば、田原はまたとんでもないことを口にする。
「だって入試の解答あてずっぽだし、大半の時間寝てましたから。だから調べてください。もし合格が間違いなら、喜んで……あ、いやいや、泣く泣く学校辞めますから。真面目に勉強した人を合格にしてあげてください」
「田原―っ!!」
担任が絶叫しながら白目をむいて卒倒した。不憫だ。あの人、血圧高いのに……。
その後、完全に頭に血が上った担任が、彼女の言い分があまりに酷いので親を呼び出すと言い始めた。
しかし急に顔色を悪くした彼女が「親呼び出しだけはご勘弁を!」と懇願したため、とりあえず同じくこの学園に通う彼女の兄を呼び出したようだ。彼はすぐ職員室に現れた。
「田原。お前の妹が入試の合格が間違いだと言っているんだが、お前はどう思う」
額に濡れたタオルの乗せながら、彼女の担任は田原光に訊いた。すると彼は担任に力強く断言した。
「先生、間違いなんてありえません。小町は僕が家庭教師をしたんです。合格するに決まっています」
「しかしな、入試解答はあてずっぽうだとか、大半寝ていたとか、裏口入学でもしない限り入れないとか……」
「小町! 何でそんなこと言うの!? お兄ちゃんが教えたんだから、そんなことありえないでしょう!?」
田原光のキャラが急に変わった。この学園での彼は、爽やかな水泳部のエース。成績も優秀だし、教師からの信頼も厚い。それなのに今は……。
「でも事実だもん。兄貴が教えようがなんだろうが、きっと間違いだもん。だからあたし、この学校にいられないと思う」
「駄目――!! 小町がいない学校になんて何の価値もないよ。先生! 小町が辞めるなら、僕もこの学校辞めます!」
「何馬鹿なこと言ってんの? 兄貴は自力で入ったんだから、辞める必要ないじゃん」
「おい、お前ら落ち着け……」
「やだやだ! お兄ちゃんは小町と一緒がいいの。言ったでしょう。小町がいなきゃお兄ちゃん、登校拒否になる――!」
「おい、騒ぐな落ち着……」
「黙れ、クソ兄貴! このシスコンが!」
「いやぁああ!! 小町が……お兄ちゃんのかわいい小町が、グレたぁあああ!!」
「うるっせーぞ!! 誰がテメーのもんだ、誰が!!」
どんどんヒートアップする兄妹喧嘩。もう誰も止められない。
おい、田原兄。一体何のスイッチが入ったんだ。
そして妹。お前、いろいろ残念だぞ。
俺のそばにたまたま田原光の友人、沢村昭二がいたので尋ねた。
「おい、沢村。あの二人はいつもああなのか?」
俺に突然話しかけられて驚いたようだったが、沢村は二人を一瞥して頷いた。
「ええ。小町の前での光は、残念なシスコンですから。学校での光とは全く違います」
残念なシスコン……。田原妹の彼氏、きっと苦労するだろうな。頑張れ。
そんなことを話している間も、二人の勢いは衰えない。
「小町! 兄貴なんて呼んじゃダメ! かわいい声で『お兄ちゃん』でしょ?」
「はぁ!? キモいんだよ、クソ兄貴! どのツラさげて言ってんだよ!」
「誰か、医者を呼んで――! 小町に謎の病原菌が――!!」
「お前ら! いい加減黙れ!! 喧嘩は家でやれ!!」
担任が顔を真っ赤にしながら怒鳴るも結局収拾がつかず、親呼び出しとなった。
母親が姿を見せた途端、借りてきた猫のように大人しくなった二人。母親は担任に謝罪した後、二人に言い聞かせていた。
「小町。あなたが難癖付けようが、たとえ解答が適当だろうが、合格は合格。それは変えられないの。受け入れなさい」
「お母さん、まさか本当に金積んだんじゃ……」
「馬鹿なことは言わないで。うちにそんなお金はないし、あってもしません。そんなお金があるなら仕事を辞めて、お父さんと二人きりで世界一周旅行にでも行っているわ」
この母親、まともかと思ったが少しずれているのかもしれない。
それから母親は二人にきっぱりと言った。
「とにかく職員室で兄妹喧嘩なんて、お母さんは恥ずかしいです。今度こんな風に親呼び出しなんてされるようなことをしたら、絶対許しませんよ。いいわね?」
「「……はい」」
二人はシュンとして、非常に大人しかった。お見事。
後程、入試で監督官を務めていた教師に訊いたところ。
「解答適当? 大半昼寝? ……ああ、いたいた! すごいよ、あの子。だって問題見ずにマークを埋めていって、本気で爆睡していたから。……え、あの子、受かったの? そりゃすごい。相当勘がいいね」
どうやら田原の合格はたとえ驚異の勘の良さのおかげだとしても、動かしようのない事実だということになった。念のため解答用紙も確認したが、何の問題もなかった。
三日後の職員会議で、入学試験をマーク方式から記述式に変更するべきではないかと熱い討論が繰り広げられたのは、余談である。
この一件から俺の中での田原小町は、「優秀で儚げな美少女」から「見た目とギャップがあり過ぎる問題児、もしくは珍獣」になった。
それからは担当科目でしか、田原と接することはなかった。
授業中によく寝て、試験では赤点のボーダーラインを行ったり来たりだが、特に問題はなかった(いや、問題と言えば問題ありだが)。
三年になり、田原の担任を受け持つことになった。受験生なのに勉強面にかなりの不安があるので、どう指導するべきか本気で悩んだ。
同じく、俺は九条の担任でもある。彼女は半年ぐらい前から、門倉と極秘に交際している。
よく付き合えたなと感心するが、門倉が放課後の保健室であるまじき行為をしているとあって、素直に喜べないのが現状だ。
教師として、大人として、見て見ぬ振りをするのは心苦しいが、門倉を見ていると何も言えなくなった。あんなに毎日充実していますというオーラを発している悪友は、これまで見たことがないからだ。
九条には申し訳ないが、彼女の卒業と同時に結婚するのだし、どうやら一線は超えていないようなので大目に見よう。そう自分を納得させていた。
ところがあるとき、門倉が報告してきた。
「あなたのクラスの田原さんに、琴美さんとのことがばれました」
「マジで? で、田原は何て?」
「黙っていてくれるそうです。彼女は琴美さんの友人らしいので。琴美さんにも田原さんには惚気ていいと言いました」
この年頃の女子は恋愛話したいだろうな。聞かされる田原はたまったものではないだろうが。
「そういや、お前は俺に惚気ねーよな?」
「当り前です。琴美さんのことを、どうしてあなたに言わなければならないのですか。減ります」
「減らねーよ」
リア充な悪友が羨ましくもあり、小憎たらしかった。
このときはまだ気楽に聞き流していた。
それがまさか、あんなことが起きるなんて思いもしなかった。
小町、残念劇場でした。




