不機嫌のワケ1
そうして相葉さんは、呪文のような言葉を叫びつつ買い物に出掛けて行った。
「……相葉、さん?」
「止めとけ、考えるな。智恵さんがあぁなったらもう止まんないんだ。……料理中が一番インスピレーションが湧くらしいから近付くな。というか妄想の餌食にされたくなかったらちょっと時間置いた方がいい」
「は…?」
もう何が何だか。
そんな気持ちが顔に出ていたらしい。芳野さんが、聞きたい?と意味深に問うから、最早億劫だけど、ここまできて聞かないのもモヤモヤする。それでも気怠さが先に立って、自分で意識したよりも若干投げやりな返答になってしまったけれど、彼は気にしてないようだった。
「実はさ、智恵さんっていわゆる、腐女子なんだよ。なんかよくわかんないけど、男同士とか、男っぽい女とか、女っぽい男とか、女同士とか、背徳感がくすぐられるのがいいんだって」
「…………はぁ。それで、僕と芳野さんが、なぜ?」
「さぁ。まぁ実害はないし、相葉さんもそこんとこはちゃんとしてるから、気にしないでやって?」
「はぁ」
僕が言えた義理ではないけど、このマンションは変人が多いかもしれない。相葉さんの秘密に動揺してしまったけれど、趣味は人それぞれだと割り切ることにしよう。
気を取り直して芳野さんとの雑談に興じていると、相葉さんが帰ってきた。
出迎えようと席を立てば、芳野さんに首を振られた。ついでに腕も取られていたから、仕方なく声をかけるだけに留めた。
そうして椅子に座り直すと、何処かの部屋の扉が開く音と人の動く気配が伝わってきて、隣から声が聞こえてきた。リビングの窓が換気の為か開けられているらしい。少しくぐもっていて話の内容までは分からないけど、女性特有の和やかな声や雰囲気が耳に心地いい。
しばらくの間、そうしてボーッとしていると、肝心なことを思い出した。
相葉さんの手伝いに行かなきゃ。
さっきは止められたけど、いつまでもこうしてはいられない。相葉さんが帰ってきた時に行かなくていいと言われたけど、僕には約束があるし。
僕は中座しようと芳野さんに声を掛ける。
芳野さんは、始めは機嫌が良かった。が、本題に入った途端に今までの和やかな雰囲気が一変した。
急に怖い顔をされて若干腰が引けつつも相葉さんの手伝いに行きたいという旨を再度伝える。
そうしている間もどんどんと不機嫌になっていく芳野さん。
別に彼女を奪おうとか考えているわけではないのだから、そこまで怒らなくてもいいと思うのだが。
動物的本能が一刻も早くここから逃げろという訴えを理性で抑えて高遠さんとの約束を説明する。が、僕の懇切丁寧な説明は、彼になにか勘違いをさせてしまったらしい。彼の口調から察するに、どうやら僕がリビングに行きたいと言ったのは芳野さんと一緒に居たくないからだと思ったらしい。
勿論そんなことは全然ないし、第一、今までの会話の流れの中でどうしてそうなるのか。
僕の予想した会話の流れとは大きく斜め上を進む話の展開でよって、2人の間に嫌~な空気が流れ出した頃。
芳野さんがとうとう切れた。
「なんなの、俺が何した?」
「何って……。芳野さんこそ、どうしてそんなに苛ついているんですか」
「俺は苛ついてなんかないよ。瑞樹こそ、なんでそんなに俺の傍から離れたがる?」
「別に、芳野さんの傍から離れようとしている訳ではなくて、相葉さんのところに行きたいと言っているだけで」
「それってつまり、おなじことじゃねぇの?」
「ですから………。もう、なんでもいいです。僕は高遠さんとの約束に従います」
「……智恵さんの妄想に捕まると危険だ」
「危険て、実害はないって言ってましたよね」
「……っ、とにかくダメだ!安全が確認出来るまでお前はこの部屋から出さない」
「はあ!?」
結論から言うと、彼は有言実行した。
見るからに気分を害している人間と楽しくおしゃべりなんで出来るわけもなく。かといって逃げようにも腕を掴まれていて動けなくて。
芳野さんは芳野さんで、たまに僕と目が合うとあからさまに逸らす癖にしばらくするとまた視線を向けてきて、その繰り返し。何をしたいのか全く分からない。
それでもなんとか状況を打破できないかと思って、何度か彼に呼びかけもしたが、一向に彼の態度は変わらず。傍を離れないくせに、一言も話さない。
そうして日野さんが呼びに来てくれるまでの間、ただただ気まずい時間を過ごした。
部屋に入ってきた時の日野さんの動揺ぶりに胸を痛め、どうにか弁解できないか考えをめぐらせたが、僕が何か言う前に彼は日野さんを連れだって部屋を出て行った。
ここまであからさまに不機嫌になられると、こちらもどうにもできない。だから僕は、日野さんの為に、できる限り明るく接しながら先を行く2人の後に付いてりビングに向かった。
僕たちがリビングに入ると、昼食の準備をしてくれていた相葉さんと田所さんも芳野さんの様子に一瞬手を止めた。でもすぐに動揺するでもなくスルーした。芳野さんが怒るのは日常茶飯事で見慣れている、って訳ではないことは昨日や今朝の彼の様子から窺う限り明らかだ。きっと付き合いの長そうな2人には芳野さんの琴線がおおよそ分かっていて、それに触れたのが自分自身では無いとも承知しているからそういう態度でいられるのだろう。
障らぬ神になんとやら、と。
流石というかなんというか、2人の判断は正しかった。現に僕以外には普通に優しい態度で接している。
…………この状況、全くもってぞっとしない。
僕だって何もしていないのに。
確かにさっきは感情に流されて失礼をしたかもしれないけど、それだって一方的に責められたら堪らない。僕はどうにもやりきれない思いで席に着く。
相葉さんと田所さんが作ってくれた昼食は野菜たっぷりのナポリタンだった。
以前にナポリタンを自分で作った時は、冷蔵庫のなかの適当なものを適当に刻んでフライパンで炒めて、茹でたスパゲッチィも合わせてケチャップで炒めたような本当に適当なものだったから、目の前のナポリタンがまるでお店で食べるみたいに美味しく感じる。
一口大に切り揃えられた野菜とベーコン、それにホール缶のトマトの欠片や塊のチーズまで入っていて、見た目もとても綺麗で食欲がそそられる。今は旬じゃないけど夏になれば茄子やズッキーニなんかを入れた夏野菜ナポリタンも美味しそうだ。
たかがナポリタン。
されどナポリタン。
と、まぁ、何故1人寂しく新人グルメレポーターの真似事もどきをしているかというと、向かいの芳野さんが怖い顔でこちらを睨んでくるからだ。
別に凝視されているわけではないけど、他の人たちとの楽しげな会話の切れ目なんかにふとこちらを向いたかと思うと物凄い形相で睨んでくる。
レポーターごっこでもして集中してないとせっかくの美味しい料理が味気なくなってしまいそうだ。
目に見えてあからさまな態度に、隣の日野さんはその度にオロオロしてくれているけど日野さん以外の2人のスルーっぷりは見事なものだった。
一切合切、全くもって動じていない。
心配してくれている日野さんには悪いけど、ここは大人の2人に習うべく僕も大きな反応を返さずにいたが、いい加減疲れてくる。
僕の口からは、無意識にため息がでた。するといきなり芳野さんが立ち上がった。
何事かと見上げると、どこか寂しそうな目と目が合った。
「え……」
それがどういう意味なのか考えあぐねていると、いつの間にか空になっていた皿をキッチンのシンクに入れてリビングを出て行ってしまった。
「……」
まるで僕が彼を苛めたような罪悪感に襲われてしまった。
「もう!ごちそう様はみんなで一緒に、でしょ!槇ちゃんには後でお仕置きが必要ね!
……それに、瑞樹ちゃんも瑞樹ちゃんよ?槇ちゃんをからかうのが楽しいのは分かるけど、悲しませては駄目よ。ちゃんと謝って仲直りしておくこと!」
あぁ、どうやら本当に僕が悪者らしい。
「相葉さんには、芳野さんが怒った理由が分かりますか?」
「「え?」」
相葉さんと田所さんが同時に弾かれた様に勢いよく顔を上げて僕を見る。まるで有り得ないモノでも見るような目で。
「それ、本気で言ってんの」
田所さんが目を細めている。
本当に理解出来ないっていう顔だ。
「…冗談を言ったつもりはありませんが」
更に眉をひそめられた。
端から見ると非があるのは僕らしいのだが、全くピンとこない。
そもそも芳野さんが不機嫌になったのって、僕がリビングに行きたいって言った時からだった。僕としてはその段階から付いていけてないのですが。
分からないから教えてくれと3人に助けを求めると、大人の2人は自分で考えて答えを出さないと意味がないというし、日野さんは真顔で
「あたしたちに聞くよりも、槇にぃに聞いた方がいいと思う」
と言う。
自力では分からないし、みんなに聞いても教えてくれないし、嫌な雰囲気にしてしまったしで、どうにもリビングに居づらくてみんなで食事の片づけをして解散になったらすぐに部屋に戻って出掛ける支度をした。
槇の予想以上の幼い言動に驚きです(笑)
さてさて。
問題を先延ばしにした主人公。
次回はあの人が喋ります。