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烙印戦記 ー破滅エルフと棄てられた箱庭の英雄ー   作者: 弌黑流人


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第7話 白銀の粛清官

 夜の静寂が、鋭利な刃物で切り裂かれた。


 洞窟の入り口付近で仮眠を取っていたカイルは、肌を刺すような強烈な殺気を感じて跳ね起きた。心臓が警鐘を鳴らし、全身の毛穴が収縮する。手元には、リメス村の守備隊から奪った鉄の剣。その隣で、如月 澪が静かに立ち上がり、森の奥を見つめている。


 彼女の白い髪が夜風にたなびき、その瞳は洞窟の外、霧が深く立ち込める森の境界線を鋭く見据えていた。


「……来たのですね。箱庭の番人が」


 澪の低い声が洞窟内に波紋のように広がった。その声に反応し、奥に身を潜めていた者たちが、互いの体を寄せ合うようにして小さく震えた。


 そこには、三人の少女たちがいた。


 年の頃は十に届くかどうか。彼女たちもまた、リメス村に打ち捨てられた廃棄物だ。飢えに耐えかね、管理者の食糧庫からパンを盗み出した罪。ただそれだけのために、この世界の残酷な理は、幼い彼女たちの背中にまで容赦なく熱鉄を押し当てた。


「……怖いよ、カイル……」


 一番小さな少女が、泣き出しそうな声でカイルの裾を掴む。彼女の細い背中には、女の否を示す「イナメ」の烙印が生々しく刻まれている。この世界において、健全な英雄を産み育てる義務を放棄した、あるいはその資格を剥奪されたと見なされた欠陥品。そんな呪いを、まだ世界の広さも知らない少女たちが背負わされている。


「大丈夫だ。お前たちは俺たちの後ろにいろ。絶対に、指一本触れさせない」


 カイルは少女の震える手を優しく解き、剣を構えた。鉄血連隊の生き残りである屈強な男たちが、少女たちを円陣の中心に据え、壁となって立ちふさがる。男たちの背中に刻まれた「アラズ」――英雄に非ずと蔑まれた証が、翠の光を放って暗闇に不気味なほど鮮烈に浮かび上がった。


 洞窟の外、霧の中から現れたのは、白銀の仮面で顔を覆った三人組の男女だった。


「イレギュラーを確認。座標、リメス村北方十五キロ地点」


 中央に立つ粛清官が、感情を排した、機械的な声で告げた。


「対象、アラズのカイル。及び、イナメの幼体三名。並びに管理外の個体、セラ。これより再定義を開始する」


「……セラ、だと?」


 カイルは隣の女を盗み見た。彼女が村に入り込んだ際に名乗っていた偽名を、管理側はそのままバグの識別名として登録しているらしい。だが、カイルだけは知っている。彼女が自ら明かした、この世界の理とは切り離された真の名前を。


「セラ、と呼ばれているようだが」


「構いません。彼らにとって私は、ただ消去すべき記号に過ぎないのですから」


 澪――セラと呼ばれた女は、冷徹な仮面の集団を見据え、静かに翠の光を凝縮させた。


「幼体だと……? ふざけるな、この鉄面皮どもが!」


 カイルの隣で、鉄血連隊の古参兵だった大男が、岩を砕かんばかりの勢いで斧を握りしめた。その目は怒りで血走っている。


「この子たちが何をしたって言うんだ! ただ腹が減ってパンを食っただけだろうが! それを一生消えない傷で縛りつけ、ゴミみたいに捨てやがって……! お前らの言う理ってのは、子供の涙も計算に入ってねえのか!」


「システムの循環を乱す行為は、すべて等しくバグと見なされる。慈悲などという曖昧な概念は、この箱庭の維持には不要だ。消去する」


 粛清官が手をかざすと、白銀の幾何学模様が夜空に展開された。直後、無数の銀光の矢が洞窟内へと降り注ぐ。


「やらせるかぁっ!」


 男たちが咆哮した。


 彼らはかつて、戦場で死ぬことを名誉だと教え込まれ、自らの命に価値を見出せなくなった壊れ物だった。だが、背中にイナメを刻まれ、震えている少女たちの存在が、彼らの中に眠っていた守るべきもののために振るう力を呼び覚ましていた。


 翠の光を放つ紋様が、男たちの肉体を爆発的に強化する。ある者は盾で矢を弾き、ある者は己の体を壁にして、降り注ぐ光の雨から少女たちを死守した。肉を焼く音がしても、彼らは一歩も退かない。


 カイルは泥を蹴り、一気に加速した。光の剣を振り上げ、中央の粛清官の防御壁を叩き割る。


「お前たちが守っているのは平和じゃない! ただの停滞だ! 命を数字でしか見られないお前らに、この子たちの未来は渡さない!」


 カイルの剣が銀の仮面をかすめ、火花が散る。その隙に、別の粛清官が少女たちを狙って、死角から白銀の細剣を突き出した。


「いやあああ!」


 少女たちの悲鳴が洞窟に響き渡る。だが、その冷徹な刃が届く直前、澪がその場に滑り込み、翠の障壁を展開した。


「……この子たちの流す涙は、あなたたちの計算式には存在しない。だから、私がすべて書き換えます」


 彼女の瞳が、これまでにないほど強く、鋭く輝く。その手のひらから放たれた衝撃波が、粛清官を森の奥へと吹き飛ばした。


 粛清官たちは、予想外の抵抗に動きを止めた。


「……理解不能。アラズとイナメの共鳴反応が、理論上の限界値を超えている。綻びの連鎖が、魂の摩耗を上書きしているのか」


 男たちは傷だらけになりながらも、少女たちの前で壁を形成し続けた。


 一人の男の背中のアラズが、真っ赤な熱を帯びるほどに燃え上がり、彼は突き出された粛清官の槍を左手で強引に掴むと、そのまま右拳で仮面を粉砕した。


「俺たちは、死ぬために戦うんじゃない……この子たちを、明日へと繋ぐために戦うんだ!」


 その圧倒的な意志の力に、ついに白銀の陣が揺らぎ、砕け散った。


 粛清官たちは数歩退がり、霧の中へと溶けるように消えていった。


「……一時撤退。大規模な修正段階への移行を申請する。この火種は、もはや局所的な処置では消せない。次は、軍勢が来る」


 敵の気配が消えると同時に、男たちはその場に崩れ落ちた。カイルもまた、剣を杖代わりにして荒い息をつく。


「カイル、おじちゃん……! みんな……!」


 三人の少女たちが、泣きながら彼らのもとへ駆け寄った。


 少女たちは自分たちのために血を流し、傷ついた男たちの姿を見て、しゃくり上げるようにして泣きじゃくった。


「泣くな。俺たちは、まだ生きている。お前たちも、生きているんだ」


 カイルは震える手で、少女の背中のイナメを覆うように、ボロボロになった自分のマントを掛けた。


 男のアラズと、女のイナメ。

 

 それはかつて、世界から見捨てられた絶望の烙印だった。だが今、この洞窟の中に灯る翠の光の下では、それは運命に抗う者同士が固く結びつくための、気高い誇りのようにさえ見えた。


 澪は、その光景を静かに見つめていた。


「カイル。世界がこの子たちの存在を拒むのなら……私が、この箱庭を覆う偽りの理をすべて、引き剥がしましょう」


 遠く帝都の方角から、大規模な戦争の開始を告げる重い鐘の音が、地を這うように響いてきた。

 しかし、今のカイルの胸にあるのは恐怖ではなかった。


 背中で泣いている少女たちの温もりが、彼の背中のアラズを、本物の英雄の輝きへと変え始めていた。


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