第46話 不湯家の断末魔
螺旋の階段を駆け抜けた先、ついに最上階の「昇天の間」へと辿り着く。
そこは、塔の外壁が剥き出しになり、吹き荒れる風と共に赤黒い雲海が眼下に広がる異界の空間であった。天蓋はなく、剥き出しの空からは時折、地上の反乱を鎮圧せんとする「神の雷」が走り、空間全体が紫電に焼かれている。
中央に鎮座する巨大な制御玉座。そこには、無数の細いコードで空中都市の基部と直結した男が座っていた。
不湯家当主。
かつてカイルを英雄失格と断じ、地上の人々を家畜のように管理してきた男だ。だが、その姿に以前の尊大さはなかった。全身の皮膚の下を黄金の回路がのたうち回り、血管のように浮き出している。眼球はシステムからの過剰な情報流入に耐えきれず真っ赤に血走り、絶え間なく痙攣していた。
「……来たか、泥に塗れた下等種族どもが。そして、我が一族が数千年管理し続けてきた聖獣を盗み出した、大罪人の女よ」
当主が歪な笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がる。彼が手をかざすと、塔の壁面から無数の光の触手が伸び、彼の背後に巨大な「光の翼」を形作った。それは美しくも、狂気に満ちた暴力の象徴。翼が羽ばたくたびに、周囲の空間が事象ごと削り取られ、チリチリと不快な音を立てて消滅していく。
「この箱庭は神聖なる実験場。我ら四聖家こそがその主であり、神の代行者だ! 貴様らのような出来損ないのサンプルが、天の理を乱すことなど、この私が、このシステムが断じて許さん!!」
当主の絶叫と共に、背後の翼から数千もの光条が放たれた。それは一本一本が騎士の鎧を紙のように貫き、肉体を分子レベルで崩壊させる純粋な破壊のエネルギー。暴風となって吹き荒れる光の雨に対し、カイルは一歩前へ踏み出した。
「……下等種族? 出来損ない? そんな言葉で、自分を誤魔化し続けてきたのか」
カイルの背負う漆黒の大剣が、背中の翠の光に呼応して重低音を鳴らす。かつて自分を縛り、絶望へと叩き落としたこの男を前にしても、今のカイルの心は驚くほど静かだった。
「あんたたちは、自分たちが神になったつもりでいたんだろうが、俺には、ただの臆病者にしか見えない。外の世界が怖くて、この小さな檻の中に閉じこもって、他人を支配することでしか自分を保てない……哀れな弱虫だ!」
「黙れッ! 失格者の分際で、我らを選別するなどとおこがましい!!」
逆上した当主が腕を振り下ろすと、光の翼が巨大な刃と化してカイルに襲いかかる。カイルは大剣を正眼に構え、真っ向からその一撃を受け止めた。
ガギィィィィィィィン!!
火花が散り、足元の石材が粉々に砕け散る。当主はシステムと直結することで無限に近い魔力を得ていたが、その動きはあまりに機械的で単調だった。それは「生きた戦い」ではなく、ただの「数値の出力」に過ぎない。
対して、カイルの隣で舞う澪――聖獣乙女の姿をした彼女は、因果の理を超越した動きを見せていた。
銀糸のような髪をなびかせ、九本の尻尾を扇状に広げる。彼女が白銀の聖槍を突き出すたび、空間そのものが翠の波紋を描いて上書きされていく。
「あなたの言う『理』は、この世界の外では通用しない。私たちが生きてきた、そして私がこれから取り戻す世界では、命は誰かに管理されるものではないの」
澪の瞳が黄金に輝く。彼女はエルフの秘儀を使い、当主の背後に伸びる光の翼そのものを「無効化」する術式を編み上げていた。
「聖獣の息吹、久遠の否定! ――墜ちなさい、偽りの翼!」
澪が放った翠の閃光が、当主の光の翼を根元から焼き払った。
接続を断たれた当主が悲鳴を上げ、玉座へと吹き飛ぶ。彼は必死に空中都市からのバックアップを受けようと制御盤を叩くが、すでにバベルの制御権は、聖獣乙女の圧倒的な魔力によって半分以上が侵食されていた。
「終わりだ、不湯家! 俺のこの『否』の文字は、あんたたちへの拒絶じゃない。あんたたちが作り上げた、この偽物の世界そのものへの『答え』だ!!」
カイルは鏡面かと思わせるほど磨き上げられた床を蹴った。
背中の烙印がかつてないほど激しく、、眩いばかりの翠の光を放つ。それは呪いの解放であり、数千年の時を超えた反撃の咆哮。
カイルは当主の眼前へと肉薄し、漆黒の大剣を渾身の力で振り下ろした。
ザシュゥゥゥッ!!
剣筋は当主の肉体ではなく、彼が命綱としていた空中都市への「接続コード」を、その魂のつながりごと断ち切った。
供給源を失った当主の肉体に、これまでシステムから流れ込んでいた膨大な情報の「重圧」が一気に逆流する。
「馬鹿な……我ら、選ばれし者が……このような、泥の中で……腐った土の上で果てるなど……が、ああ、あああああああッ!!」
断末魔の叫びと共に、当主の肉体は黄金の光の粒子となって激しく発光し、やがて内側から弾けるように霧散した。
主を失ったバベルが、巨大な悲鳴を上げて激しく震動し始める。
頭上の雲海が真っ二つに割れ、そこには重力制御を失い、ゆっくりと傾き始めた空中都市の巨大な底面が、鈍い鉄の色をしてすぐそこまで迫っていた。
「……終わったのか?」
カイルが息を切らしながら大剣を鞘に納める。だが、澪は依然として鋭い視線を空へと向けていた。
「いいえ。まだ鼓動が止まっていない。……本当の『核』は、あの空中都市の中にあるわ」
崩れゆくバベルの頂上で、二人は迫りくる巨影を見上げた。




