第44話 聖獣乙女
北の果て、雲を突き抜け天へと至る漆黒の巨塔――「昇降の塔」の麓。
カイルたちが辿り着いたそこは、もはや物理的な建造物というよりは、巨大な「負の魔力」の渦だった。塔の扉は固く閉ざされ、空中都市から供給される膨大な因果の結界が、地上のいかなる攻撃も拒絶している。
「……これだけの結界、ただの魔術じゃ傷一つ付かないわ」
澪は、塔を見上げて静かに呟いた。彼女の隣で、聖獣フェンリスが低く唸る。
ヨルが殿で稼いでくれている時間は僅かだ。空からはさらなる粛清の光が迫り、地上の軍勢は疲弊しきっている。今、この門をこじ開け、塔を起動させるには、この世界の理を物理的に上書きするほどの、圧倒的な「外部の魔力」が必要だった。
「カイル、下がっていて。……私にしかできないことがあるの」
澪は決意の瞳でカイルを見つめた。彼女がこの姿になる理由は二つ。一つは、塔を再起動させるための規格外の魔力源となること。そしてもう一つは、この箱庭のシステムが「人間」と認識できない高次の存在になることで、塔に仕掛けられた「人族立ち入り禁止」の因果律を欺くためだった。
澪がフェンリスの首に手を触れると、銀色の閃光が周囲を包み込んだ。
「――久遠の理を喰らい、真白き魂をここに。聖獣契約・全魂融合!!」
閃光が収まった中心に、彼女はいた。
それは、地上に降臨した戦いと知恵の女神の如き姿。
澪の銀髪はさらに長く、光り輝く絹糸のように足元まで伸び、その頭上にはフェンリスの象徴である白銀の獣耳が凛々しく直立している。耳の縁には、エルフ特有の長い耳の意匠と重なるように、神秘的なルーンが刻まれていた。
身に纏うのは、神話の時代を彷彿とさせる、純白の薄衣と黄金の軽装甲。だがその装甲の隙間からは、聖獣の力の象徴である柔らかな毛並みが覗き、彼女の背後には、凍てつく冬の嵐を内包したような巨大な九本の尻尾が、まるで後光のように揺らめいている。
その瞳は黄金に輝き、手にはフェンリスの牙から削り出された、因果を断つ白銀の聖槍が握られていた。
「これが……聖獣乙女……」
カイルは息を呑んだ。彼女が放つ魔力は、もはや箱庭の計算盤が処理できる限界を超え、周囲の空間がガラスのようにひび割れ始めている。
「カイル、私が門を抉じ開ける。その後は……あなたが道を切り拓いて」
澪……聖獣乙女となった彼女が槍を突き出すと、門を封じていた黒い結界が、悲鳴を上げるように翠の炎に包まれ、崩壊を始めた。




