第28話 白銀の守護者
血の海に沈む静寂の中で、カイルは絶望の淵にいた。
抱き寄せた澪の体は冷たく、ボルグもアルヴァスも、そしてシュラインも動かない。勝ったという実感など微塵もなかった。あるのは、すべてを失ったという、焼け付くような空虚だけだ。
(……これで、終わりなのか。結局、何も守れなかったのか……)
『――否。終わりではない、反逆の徒よ』
突如として、カイルの脳内に直接、重厚で鈴の音のように澄んだ声が響いた。
カイルは弾かれたように顔を上げ、周囲を見渡す。だが、そこには首のない男の死体と、傷ついた仲間たちが転がっているだけだ。観測者たちも転移して消え、動く者は一人としていない。
「誰だ……! どこにいる!」
『案ずるな。我は汝の意志に、その魂の咆哮に呼応せし者』
再び脳内に声が響くと同時に、数メートル先の空間が陽炎のように歪み始めた。
光の屈折が乱れ、虚空から銀色の粒子が溢れ出す。次第に形を成していくその輪郭は、巨大な獣のそれだった。
ステルスを解除し、そこに現れたのは、白銀の毛並みを湛えた伝説上の狼に似た「神獣」であった。
その体躯は馬よりも大きく、その瞳は夜空の星を映したかのように深い蒼色をしている。神獣は音もなく歩を進め、カイルの目の前まで来ると、その気高い頭を垂れた。
「……神獣、なのか……?」
『我が名はフェンリス。この領域の深淵にて、理を食い破る牙を待ち続けていた』
フェンリスは横たわる五人を一瞥すると、その前肢を軽く床に打ちつけた。
その瞬間、五人の足元に、澪が放つ魔法と同じ「翠の紋様」が巨大な円となって展開される。それは箱庭の理屈を超えた、純粋な生命の氾濫だった。
カイルの体から激痛が消え、折れた骨が瞬時に接合されていく。アルヴァスの腹の傷は塞がり、ボルグの呼吸は深く安定したものへと変わった。シュラインの首の痣も消え、彼女たちは安らかな眠りへと移行していく。
「……傷が、治ってる……。みんな、生きてるんだな……」
カイルは安堵のあまり、その場に崩れ落ちそうになった。そして、フェンリスを真っ直ぐに見据え、深々と頭を下げる。
「ありがとう、フェンリス。あんたがいなきゃ、俺たちは……」
『礼には及ばぬ。汝が絶望の中でも牙を折らなかった、その因果が我を呼んだのだ』
カイルは立ち上がると、まずは全裸のまま横たわる澪の元へ駆け寄った。治療によって肌の傷こそ消えたが、服が戻るわけではない。カイルは躊躇うことなく、自分の上着を脱ぎ、その白い体を丁寧に包み込んだ。
「……すまない、澪。不甲斐ない英雄で……」
カイルが呟いたその時、フェンリスの瞳が鋭く光った。
『カイルよ、安堵する時間は短い。汝らが抹殺者を屠ったことで、管理システムはさらに過激な修正を試みる。……ここを離れるぞ』
白銀の神獣は、まるで主を守る騎士のように、傷を癒した反逆者たちの傍らに静かに佇んだ。




