第23話 因果の質量
空間を圧する重力は、単なる物理的な重みではなかった。それは、この世界の管理者たちが編み上げた「正史」という名の巨大な質量そのものだ。管理者の意図に沿わぬ者は、存在することさえ許されない。その理不尽な圧力が、カイルたちの肩に、膝に、容赦なくのしかかる。
カイル、アルヴァス、ボルグ、そして名もなき少女。四人の周囲に、白銀の観測者たちが放つ電子の粒子が渦を巻き、やがてそれは棄却されたデータの海から、最悪の形を編み上げていった。
「力量測定、フェーズ1。仮想敵展開」
機械的な響きが空間に満ちると同時に、カイルの前には、あの忌まわしきリメス村を焼き払った不湯家の執行官たちの幻影が立ち上がった。アルヴァスの前には、かつて己を慕い、そして己が裏切ることとなった銀装の騎士団員たちが。ボルグの前には、彼がかつて戦場で屠ってきた無数の魔物の群れが、生々しい血の匂いさえ伴って具現化する。
「……っ、ふざけるな! 偽物なんかに、二度も屈してやるかよ!」
カイルが叫び、丸腰に近い状態で幻影へと飛び込んだ。だが、観測者の無機質な解析が追い打ちをかける。
「無意味な突撃。身体能力、反射速度、共に規定値以下。君の攻撃が仮想敵に到達する確率は零・二パーセント。……だが、因子の変異率のみ異常値を計測。憎悪を純粋なエネルギーへと変換する回路を確認」
アルヴァスもまた、折れた剣を振るい、かつての部下たちの幻影と対峙していた。
「くっ……! 私の剣が、通じないのか!」
どれほど完璧な太刀筋を繰り出そうとも、幻影は物理法則を無視した挙動でそれを回避する。
「個体名アルヴァス。技術体系は箱庭の規格内に限定。予測演算が容易であり、既存の理を超越できていない。……しかし、自己否定を糧とした精神の再構成能力を検知。守護の意志による空間固定の素養あり」
ボルグは、少女をその背に隠し、傷だらけの拳で迫り来る魔物の幻影を殴り飛ばしていた。
「ガァァァッ!」
「個体名ボルグ。生命維持能力、極めて高水準。痛覚遮断による継戦能力を評価。その肉体を強固な障壁へと転換する物理因子の適合者と断定」
そして、恐怖に震えながらボルグの背に縋り付いていた少女。彼女の前には敵は現れなかった。ただ、彼女が流す涙の一粒一粒を、観測者のレンズが執拗に追い続けていた。
「個体名不明。……驚異的な空白を検知。あらゆる事象を受け入れる、極彩色の虚無。名前という定義を失ったことで、事象の上書きに対する耐性が最大値に到達。……未覚醒の巫女適性」
激しい戦闘の末、仮想敵は霧のように霧散した。
三人は肩で激しく息をし、泥と脂汗に塗れて金属の床に崩れ落ちた。全力を出し尽くし、辛うじて幻影を退けたという自負が彼らにはあった。例え偽物であっても、過去のトラウマを打ち破ったという確かな実感が、彼らの胸にはあったのだ。
だが、中央に立つ観測者は、明滅する単眼で、あまりにも残酷な結論を下した。
「測定完了。総合戦闘効率、目標値の三パーセント。……格付け、下の下。現行の管理システムに対して有効な打撃を与える可能性は皆無。ゴミ山に積み上げられた残骸以下の、無価値な存在と判定する」
「……下の、下だと?」
カイルが拳を床に叩きつけた。これほどの死線を越え、全てを懸けて戦った結果が、ただの「無価値」という言葉で片付けられた。腹の底から煮えくり返るような屈辱が突き上げる。自分たちが命を削って掴み取った勝利さえも、彼らにとっては「非効率な泥仕合」ですらなく、ただの「無益な運動」に過ぎないのだ。
その時、静かに見守っていた澪が一歩前に出た。
「それで十分です。……数値化できない素養を、あなたたちも認めたのでしょう?」
澪の問いに、観測者はしばしの沈黙を置いた。
「……肯定する。彼らの魂には、不湯家の定めの書では記述しきれないノイズが存在する。我々が保管する異世界の兵装……その適合条件を満たす、唯一の候補者であると認定する」
観測者の言葉と共に、床の金属板が左右に割れ、そこから眩い光を放つ「何か」がせり上がってきた。
それは、地上のどんな鍛冶師も打つことができない、理の外側から来た兵装であった。
不湯家が支配するこの箱庭を、根底から覆すための「牙」。下の下と蔑まれた者たちが、その牙を手にし、箱庭の世界という巨大な嘘を、粉々に打ち砕くための物語が動き始めた。




