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烙印戦記 ー破滅エルフと棄てられた箱庭の英雄ー   作者: 弌黑流人


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第13話 理を穿つ知略

 ドラゴニアの謁見の間に、重苦しい沈黙が降りていた。

 中央に鎮座する「火龍の浴場」は、単なる溶岩の池ではない。それは活火山の心臓部から直接引き込まれた、摂氏千百度を超える魔力的流体である。周囲に控える竜人の将軍たちでさえ、その縁に立つには強靭な鱗による防護を必要とした。


「さて、エルフの娘よ。覚悟は決まったか。魔法という杖を奪われた貴様が、どうやってその熱の海を渡るというのだ」


 イグニールの声が、マグマの爆ぜる音と共に響く。

 王の宣言通り、この空間には強力な魔力中和の結界が張られており、通常の精霊魔法や防御壁は発動した瞬間に霧散してしまう。生身の強度が生存の唯一の基準。それが竜人の論理であった。

 セラは静かに池の縁に立った。

 灼熱の輻射熱が肌を焼こうとするが、彼女は眉一つ動かさない。


(魔法が封じられているからこそ、世界の素顔が見える。熱力学の第二法則……エントロピーの増大は避けられないけれど、その伝導経路を書き換えることはできる)


 彼女は背中の翠の紋章を微かに明滅させた。これは魔法ではない。世界を飛び越えてきた因子が持つ、事象の定義を一時的に変更する「特権」である。

 セラはゆっくりと右足を溶岩の表面へと踏み出した。

 見守る竜人たちが悲鳴にも似た溜息を漏らす。エルフの細い足が、溶岩に触れた瞬間に炭化し、消え失せると誰もが確信したからだ。

 だが、現実は彼らの予想を無慈悲に裏切った。

 溶岩に触れたセラの足元から、パキパキという硬質な音が響く。


「何だと……? 溶岩が、固まっているのか?」


 一人の将軍が驚愕に目を見開いた。

 セラは溶岩を冷やしたのではない。自身の足裏が触れる瞬間の熱量を、因子を介して「位置エネルギー」へと変換し、周囲の流体を瞬間的に圧縮、硬化させたのだ。彼女が進む一歩ごとに、煮え繰り返る赤黒い液体は瞬時に黒い岩へと姿を変え、強固な足場を形成していく。

 まるで氷の上を滑るように、セラは優雅に「火龍の浴場」を歩き抜けた。対岸に辿り着いた時、彼女の白いブーツの底には、焦げ跡一つ付いていなかった。


「……熱交換の効率を最大化し、熱を運動に変えただけよ。溶岩そのものの温度を下げるより、ずっと合理的でしょう?」


 呆然とする竜人たちを背に、セラは歩みを止めない。

 次に彼女の前に立ちはだかったのは、山頂へと続く回廊を埋め尽くす「白銀の暴風壁シルバー・ゲイル」であった。

 そこは、地形の妙と魔力の干渉によって生み出された、永劫に止まぬ竜巻の檻である。風速は音速を超え、空気の分子は鋭利な刃となって襲いかかる。竜人の硬い鱗でさえ、数分も晒されれば削り取られ、肉が露出するほどの破壊的な気流。


「……待て。まだ終わりではないぞ」


 イグニールが玉座から立ち上がり、彼女の背中を追う。

 暴風壁は物理的な盾を無効化する。重厚な鎧を纏えば風の抵抗が増し、逆に引き裂かれる。全裸で挑めば皮膚が剥がれる。まさに「通ること叶わぬ壁」であった。

 セラは嵐の入り口で、指を一本立てた。


(流体力学におけるカルマン渦。この風の荒ぶりには一定の周期がある。それを因果律のレベルで『逆位相』に固定してあげれば……)


 彼女が足を踏み入れた瞬間、凄まじい風切り音が周囲を圧した。

 だが、奇跡が起きた。

 セラが歩く道筋に沿って、猛り狂っていた暴風が、まるでモーゼが割った海のようにピタリと左右に分かたれたのである。彼女の周囲数センチメートルだけが、完全なる無風の真空地帯。彼女の長い髪も、薄い衣服も、そよ風にさえ揺れることはない。

 セラは風を解析していた。

 押し寄せる風の波形を因子で読み取り、その振動を完全に打ち消す「静寂の波」を、自身の歩行に合わせて空間に刻みつけていたのだ。音速の刃は彼女に触れる直前で互いに相殺し合い、心地よい微風にさえ変わることなく消滅していく。

 竜人たちが何世代もかけて「耐えること」でしか越えられなかった壁を、セラは「理解すること」で無力化したのである。

 わずか数分。

 エルフには到底無理だと思われていた二つの死の試練を、彼女は汗一つかかずに、散歩でもするかのような足取りで完遂した。

 暴風壁を抜けた先、澄み渡った山頂の広場へ辿り着いたセラは、ゆっくりと振り返った。

 そこには、これまで経験したことのない衝撃に打ち震える、竜王イグニールと将軍たちの姿があった。

 彼らが数千年にわたって築き上げてきた「力」という名の理が、一人のエルフの知略によって、根底から覆された瞬間だった。


「……信じられん。我らが誇る竜の試練が、子供の遊びのように……。エルフよ、貴様は一体、何を見たというのだ」


 イグニールの声には、もはや侮蔑の色など微塵もなかった。そこにあるのは、人知を超えた現象に対する純粋な畏怖。


「私は理を見ただけよ、イグニール。定めの書に書かれた運命なんて、法則を知ればただの計算式に過ぎないわ」


 セラは翠の瞳を輝かせ、自信に満ちた笑みを浮かべた。


「さて、三つ目の試練……王の前へ戻ってきました。最後の問いを教えてもらえるかしら?」


 イグニールは大きく息を吐き出し、黄金の翼を広げた。

 その全身から放たれる熱量が、先ほどまでの試練とは比較にならないほどに膨れ上がる。


「よかろう。だが三つ目は、知略だけでは通さぬ。貴様の魂の強度が、真にこの盤面を穿つに足るものか……我ら竜の誇りにかけて、直接見極めてやろう!」


 ドラゴニアの山頂に、灼熱の闘気が渦巻く。

 いよいよ、竜王イグニールとセラの、理を超えた一騎打ちが始まろうとしていた。


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