07,悪役令嬢の父、パトリック〜リュシアン視点〜⑴
リュシアン・シャトランは、あれだけ帰りたかった我が家の前で、ため息をついた。家に入りたくない。これも、全部パトリックの親バカのせいである。
タレーラン家の書斎で、リュシアンはただ黙々と書類を片付けていった。書類内容は、タレーラン公爵領内での事件、タレーラン公爵令嬢の悪質ないじめなどに対する不満など、様々だ。それらに適切な返事や対応をするのが、リュシアンの仕事だ。
「はあ、パトリックも少しは手伝えよな。」
リュシアンは呟く。パトリック・タレーラン公爵とは、昔からの友人だ。当の本人は、いとしの愛娘が学校から帰ってきた、と、スキップしながら出迎えに行ってしまったのだ。こっちは、仕事に追われて1ヶ月も娘にも息子にも会えていないというのに。でも、パトリックは悪い人ではないのだ。かなり、親バカだが。こんな風に肯定できるのは、今晩やっと、家に帰れるからだ。
リュシアンは、なんとか書類仕事を終えると、帰り支度をする。すると、パトリックが書斎に飛び込んで来た。
「リュシアン!」
「何ですか?」
「私の可愛いティナが、弟が侮辱された事で、心配しているのだ!」
ティナとは、パトリックの娘、ヴァランティーヌの愛称だ。この公爵、おかしなことに、長女のヴァランティーヌは溺愛しているのだが、息子や次女には興味がないのだ。次女のアメリーは公爵の再婚相手の連れ子だから、おかしくはないとはいえ、息子のエリックを愛さないのは不思議である。
「はあ、それで私にどうしろと?」
「侮辱したのはお前の娘だと言っている。」
「えっ、うちの娘がエリック様を侮辱するはずがありません。何かの間違いです。」
「私のティナが嘘を付いていると!?」
「...いえ。」
やはり家族愛も友情も、権力には勝てない。
「わかりました。よく、叱っておきます。」
「いや、それだけでは生ぬるい。お前は親バカだからな、あまり強く怒らないだろう。」
親バカはお前だ。
「リュシアン、今から帰宅するだろう。私も連れて行け。直々に叱ってやる!」
「はっ?」
そして、今に至る。なぜか、ヴァランティーヌとエリックがいるし、たくさんの護衛もいる。一体、私の娘に何をしようというのだろう。
「やっぱり、お引き取り願えませんか?」
「子爵もこう言っていることですし、やめた方がいいですわ、お父様。」
ヴァランティーヌ様、ナイス!
だか、パトリックとエリックは帰るつもりは無いようだ。
「リュシアンの言うことなど、放っておけ。」
「ひどい!」
リュシアンがいくら叫んでも、何も変わらないようだ。等々、パトリックは、屋敷の扉を開けてしまった。
扉の向こうでは、沈黙が流れる。その沈黙を破ったのは、妻のナタリーだった。
「リュシアン、公爵がいらっしゃるなんて、聞いていないわ!夕食も家族分しか用意していないわよ!」
「すまない、ナタリー。」
リュシアンは一応謝る。だが、同時に自分のせいではないと思った。
「私からも謝罪しよう、ナタリー。私がリュシアンに無理を言って、ついてきたのだ。リュシアンは悪くない。」
よく言うな。さっきまで、何を言っても無視したのに。愛する子供達はというと、
「アド、『リュシアン』ってどなた?」
「父上の名前だよ。」
とヒソヒソ話している。たった1ヶ月で、父の名前を忘れるとはひどい娘だ。当然のように答える息子もどうかと思うが。
しかし、ナタリーの怒りはだいぶ静まったようで、歓迎の挨拶を始めた。
「公爵、ようこそお越しくださいました。妻のナタリー・シャトランでございます。いつも、夫がお世話になっております。」
「娘のクリステルです。」
「息子のアドリアンです。お初にお目にかかります、公爵様。」
子供達も礼儀正しく挨拶をして、一礼する。流石我が娘と息子。さっきまで、父の事を忘れていたけど。
「ご夕食は、食べて行かれますか?」
「ああ、いただきたい。」
「申し訳ありませんが、わたくし達の分も、お願いいたしますわ。」
「かしこまりました。」
ナタリーは、使用人達に夕食の用意を頼むと、パトリックとホールに向かう。リュシアン達も付いて行った。皆が椅子に着席すると、ナタリーはパトリックに向き直った。
「それで、どのようなご用件でしょうか?」
「ああ、シャトラン夫人には用がない。用があるのはあなたの娘だ。」
「私ですか。」
なぜ疑問形ではないのだろうか。まあ、当然でしょうね、とでもいうような言い振りだ。
「ああ、クリステル嬢、あなただ。私の息子を侮辱したそうだが。」
「きっと何かの間違いですよ。」
「では、私の娘が言っていることが、間違っているとでも言うのか?」
「ヴァランティーヌ様のお話を、公爵が早とちりなさったのではありませんか?」
どうしてしまったんだい、私の可愛いクリステル。1ヶ月前までは、私に似て、公爵相手に反論したりしなかったのに。
クリステルは、リュシアンの悲しみも知らずに話し続ける。
「ヴァランティーヌ様は、公爵に何と言ったのですか?」
「クリステルが、エリックを侮辱していたとお話ししましたわ。」
リュシアンは青ざめる。パトリックは間違っていないではないか。
「申し訳ありません、公爵様。たしかにヴァランティーヌ様が間違っていました。」
「クリステル・シャトラン!お前は自分が何をしたのかわかっているのか!?私の娘を侮辱しているのだぞ!」
「いいえ、私は真実しか言っておりません。」
「やめてくれ、クリステル。パトリックに謝りなさい。」
「お断りします、えっと...」
横からアドリアンが囁く。
「お父様。」
「...そう、お父様!」
名前どころか存在を忘れられているとは。リュシアンは机に突っ伏す。
そこで、料理が運ばれてきた。皆に均等に、魚のムニエル一切れと、付け合わせの野菜が少し、拳くらいの丸パンが一つと、野菜とベーコンがたっぷりと入ったスープが一杯ずつだ。どれも、出来立てで美味しそうだった。
しかし、パトリック達公爵家のものは面食らったような顔をした。
「これは、本当に夕食ですか?」
エリックが尋ねてきた。
「はい、そうですよ、エリック様。」
「リュシアン!私の可愛いティナに、こんな物しか出さない気なのか?夕食は、少ない量を何皿も、食べ終わったときを見計らって出すのが常識だろう?それをスープを除いて、一皿でだすなんて、非常識が過ぎないか!」
「しょうがないでしょう。急な来客だったのですから。」
本当は、何皿も用意するには、食材費と労力が多くかかる為、シャトラン家では、いつも1皿で済ましている。非常識なのは承知の上だ。先代からの借金があるから、年中節約しているのだ。ちなみに、急な来客なのに全員分用意できたのは、使用人たちも同じ食事をするからである。
リュシアンがパトリックに怒鳴られている横では、ヴァランティーヌとアドリアンが話していた。
「えっ、ヴァランティーヌ様は、ご自分の図書室を持っていらっしゃるのですか!?」
「ええ、お父様に、春休み中に作っていただいたの。いつも、そこで勉強しているのよ。」
「素敵ですね。うちにも図書室があったら良いのに。」
横からクリステルが口を挟む。
「アド、図書館よりも必要なものがあるでしょう。服とか、服とか、服とか...。制服や寝巻きを含んでも、10着もないんだから。」
「確かに。この服も、何回も裾下げしていて、3・4年は着てるしね。」
「せめて、制服入れずに10着は行って欲しいよね。」
「うん、うん。」
ま、まあ、仲が良さそうで何よりだ。リュシアンはどんどん惨めになっているが...。
ナタリーが、久しぶりに口を開いた。
「そろそろ、本題に入っていただけませんか?」




