5-4
【7】
「ない物は配れないですから、命を削って分けられるなら本望でした」
粳部は、高潔な精神だと遠い目をしながら思っていた。彼女は善人でも悪人でもないが、雨田とは遠くにある存在だった。根っから隣人を思う雨田の善性は常人が真似しようと思ってできることではない。
常に誰かの為を思う男の生き様は、彼女には少し眩し過ぎる。
「私にとって苦痛は、誰かに手を差し伸べられないことと祈れないこと」
「司祭は祈れない……教会の人間のあんたにはキツイか」
「元ですよ。でも、祈りも懺悔もできないのはキツイ……ですね」
誰かの為を想って生きる雨田にとって、誰かの為に祈りを捧げることができないのは悲しいことだった。今はもう教会の人間ではない彼ではあるが、誰かの為に生きることをやめたわけではない。
「誰かを選べば誰かを見捨ててしまう。それに対する懺悔もできない」
「……」
「組織に入っても保護観察の身でも、どちらにせよ誰かを切り捨ててしまう」
蓮向かいの職員になれば司祭でなければ救えないような人々を助けられる。無敵の概念防御はどんな爆撃の雨でも耐え忍ぶ。だが、蓮向かいの職員になれば彼がやっていた分の仕事を誰かに押し付けることになる。
そして、保護観察になれば権能を使うことができなくなり、ボランティア活動が不十分になってしまう。あちらを立てればこちらが立たずとはよく言ったもので、雨田は究極の選択を突き付けられていた。
「……組織に入れば危害を加えない限り権能の発動は自由だ」
「とは言え、私が不在になれば穴を埋める職員が必要です」
「うちの給料があれば雇えないこともないかも……しれませんが」
司祭は基本的に多忙だ。法術使いの職員数十人よりも一人の司祭の方が優秀な時代なのだ。あらゆる場所で引っ張りだこになり、ラジオのように仕事の虫になって過酷な業務にのめり込む者も居る。藍川はそれを嫌って仕事の数を減らしているが、それでも組織内で彼の需要は高かった。
雨田が組織に加入すれば、子供と接する時間は減少するだろう。
「皮肉な話です。救えなかった者へ祈りと懺悔を捧げてきた私ですが」
「……」
「祈りも懺悔もできないこの体では、ただ苦しく無力だ」
無力感の苦しさは粳部もよく知っている。息ができない、窒息するような状態で吹雪の中をさまよう、そんな辛さ。もがいて何か変わるのであれば無様だろうが彼女はやってみせるだろう。だが、そんな奇跡は滅多に起きない。
神に見放された雨田を、一体誰が救うのか。
「……それで、あんたはどっちをえら」
「先輩、一ついいですか」
「……何だ?」
粳部が手を挙げて藍川を止めると、振り返って雨田の方を見る。その表情はまるで何かを決意したような表情だった。主導権は藍川から粳部に渡る。
「組織に入るか保護観察になるかは明日聞きます」
「おい粳部」
「報告書は私が書きますから。一日だけ時間をください」
粳部は振り返らずに強気な声でそう言った。責任を全て自分で取ってでも彼女は時間が欲しかったのだ。雨田に自分で答えを出してもらう為の時間を、悔いのない選択をしてもらう為の猶予を粳部は切に願っている。
「明日、もう一度訪問しますから。答えはその時です」
誰もが自分のように選択できるわけではないと、彼女は知っていた。少し驚いたように目を開く雨田と、強気な表情の粳部を見て苦笑気味に笑う藍川。
「お前、報告書の書き方まだ知らねーだろうが」
「……しまった!」
「まあいいか。後で書き方教えてやるよ」
「す、すいません」
自分から行動する粳部の姿を見て少し喜ぶ藍川。彼女のことが気が気でない彼からすればそれは少しだけ負担が減った証拠。ずっと付きっきりとはいかない以上、粳部の成長は藍川にとって喜ばしいことだった。
「……申し訳ないです。わざわざお時間を取らせるとは」
「いいですよ。決意のない回答に意味はないですから」
【8】
「なあー店長居ないの?」
「……藍川か?奴なら仕事だ」
強烈に強い日差しの中、それらを少しも気にしない少年たちが駄菓子屋に入店する。店主不在により店番を任せられた谷口は、不服そうに椅子に深く座りながら出迎えた。接客は彼の専門ではないが子供の面倒を見るのは得意分野である。
不本意ではあったが。
「えー居ないのかよ。つまんねー」
「仕事って何だよここが職場でしょ」
「大人には色々あるんだよ」
藍川は二日連続で店を開けている。雨田のスカウトに予想外の時間がかかり、追加で一日任されることになった。たまたま休暇を消費しているタイミングだった為に手空きで、ほぼ押し付けられる形で店番を任されたのだ。不満だらけではあるが、今谷口にできることは子供相手に駄菓子を売ることだけ。
店内は三人の子供で騒がしくなる。
「店長いっつも遊んでるけど。つーかその仮面ナニ?」
「まともな大人じゃないじゃーん」
「あいつ何て言われ様を……」
「これくださーい」
カウンターに載せられた硬貨とキャラメル。谷口はそれを掴んで乱暴にレジに入れると、お釣りを少女の手に優しく手渡す。ため息を吐く彼の表情は仮面で隠され、その奥の素顔を知る者は一人も居ない。受け取った少女は嬉しそうにしながら店を出ていく。
「ありがとー」
「おう」
「店長居ないと暇だな」
「そうだなー店荒らすか」
「おう帰れ!」
蝉がけたたましく鳴く中、騒がしい子供の相手をしつつ店番は続く。谷口が腕時計をしきりに確認するが、閉店時間まであと六時間弱。時間にうるさい男は時計の秒針を細かく確認し、残り時間を心の中でカウントし続ける。個人的な頼みであることと休暇中である為に給料は出ないが、一応お礼は出るのだ。売れ残りの駄菓子ではあるが。
「残り五時間四十三分四秒三二か……」
「えっ、何て?」
「……何でもないさ。それより、買いたい物を探してきな」
「うーい」
店内の品を物色する少年たち。平和で、怖いものなど何も知らない子供達は幸福だ。谷口は諜報員として活動し戦闘員に転向、政争から血生臭い現場まで経験した男の心は荒みきっている。
機械のようなメンタリティーではあるが、秘めた激情は常人どころか狂人に近い。無邪気な子供を見て懐かしさを覚えても、彼の在り方は変わらなかった。
少年たちが駄菓子を掴むと小銭と共にカウンターに置く。
「お願いしまーす」
「あっ、やばい金足りないかも。前に使っちゃってたわ」
「マジ?ダメだこりゃ」
「悲しい……」
ため息を吐く谷口。もたれ掛かっていた彼はポケットから小銭を取り出すと、カウンターに置く。
「これで足りたな。さっ、行けよ」
「あっありがとうございます!」
「変な仮面だけどいい奴じゃん!サンキュー」
「変な仮面は余計だ」
商品を掴み取ると外へ駆けて行く三人の子供たち。影から光の中に駆け出すその背を見つめながら、谷口はがら空きになった店内でカウンターに足を掛ける。閉店時間は果てしなく遠い。途方もない退屈さに耐えることは苦痛ではあるが、訓練された彼にとって張り込みはお手の物。耐えきって見せるだろう。
少年たちが外に出た途端に足を止める。
「……あれ、見ない顔だな。知ってるか?」
「こんな奴居たら話題沸騰だって」
また来客かと顔を上げる谷口。だが、その人物を見て彼は足を下ろして前のめりになった。自分の意思で来ないであろう人物がここに来たということはそうするだけの事態ということ。この先の展開が何となく想像できた。
日の中で佇む一人の少年。三人はいつの間にかどこかに消え、その場に谷口と染野飾身だけが残されていた。
「何しに来た。飾身」
「藍川に報告事項があり探したが見つからない。なのでここに来た」
「あいつ……連絡先くらい教えてやれよ。無責任だぞ」
店が開店してからは谷口が店番を務め、藍川は特に何も言わずに粳部との待ち合わせ場所へ向かった。飾身から報告が来るかもしれないという話は一度も谷口にしておらず、それどころか飾身に居場所も連絡先も教えない始末。
藍川はかなり天然気味だが、ここまで適当とは思わず頭を抱える谷口。
「スカウト中の雨田圭について。周辺で南アフリカ諜報部の活動を確認」
「南アフリカの諜報部?ターゲットの周辺でか」
「恐らく雨田圭の拉致が目的。大方、司祭の人手が欲しいのか」
どこの国も司祭を欲している。それは諜報部だけに限らず、軍部や民間の組織も司祭の人手を欲しがっている。引く手あまたな司祭ではあるが、蓮向かいと軍隊以外の司祭の運用は認められていない。特に国連に属していない国が力を持とうと司祭を拉致することはままある話だ。
店内に入った飾身が懐から証拠資料を取り出してカウンターに載せる。そこには外国人のパスポートや写真があり、雨田の後を追う者の姿も収められていた。
「国連未所属の国か……迷惑な話だな」
「また、司祭の可能性があるエージェントが付近に潜伏中。敵はやる気だ」
「よく調べた。後は俺が担当する」
資料を懐にしまいながら立ち上がる谷口。今日は休暇であったが、目の前で犯罪の話をされて見て見ぬふりをすることは彼にはできない。谷口が首を回し腕を伸ばす。長い店番で凝り固まった体を動かして整え、ようやく動き出す。
「藍川には……」
「別にいい、お前は早く休んでおけ。どうせ張り込んでたんだろ」
「承知した」
「おい待て」
即座に命令に従おうとした飾身を呼び止める。まだ連絡事項があるのかと思い振り返ると、丁度そこに投げられた駄菓子の飴をキャッチする。飾身はこれは何かと困惑し、飴と谷口を交互に見る。
仕事のことしか頭にない彼には谷口の気遣いが分からない。
「おまけだよ」
【9】
「うわ、集まってますね」
「タダより安い物はないと言うからな。ホームレスにはありがたいか」
広場に集まり列になったホームレスと、彼らに食事を配るボランティア達。こういうボランティアを見たことがない粳部にとっては新鮮な光景だ。やつれた顔で食事を持って行く彼らの表情を彼女は眺め、彼らにとってそれは本当にありがたいものであることが伝わる。彼らにとってそれを貰わない選択肢はない。
イベント用テントの下で二人は忙しそうにする雨田を見る。
「にしてもよく働く奴だな。体力がある……って司祭だからか」
「司祭じゃなくてもこうしたと思いますよ。慈悲深い人ですから」
「……信仰が良心を産むのか、良心が信仰を産むのか」
「誰の言葉ですか?」
「俺の言葉だ」
そう言うと藍川は忙しそうな雨田の下へ向かい、粳部はその後を追う。すれ違うホームレスの中には嬉しそうな顔をする者もおり、イベントの進行は好調なようだ。誰かに手を差し伸べられる人が集まって、その優しさを惜しむこともなく分けている。人が多い場所が苦手な粳部でもここはそれほど緊張しなかった。
食事を配るテントに近付くとその活気がより分かる。
「全員分ありますから大丈夫ですよー」
「はいどうぞ」
「雨田さん追加分できましたか?」
「ええ、準備できましたよ」
ボランティアの参加者がテキパキと作業を行い、ホームレスの列を捌いていく。滞りなく進めることができるのは経験の力によるものが大きい。その過酷さと面倒さを知る藍川からすれば、よくここまで順当に進められるものだと感心する程だった。善意で集まったボランティアにしては統制が取れている。
二人がテントの隣に立って見ていると雨田がそれに気が付き、周囲の人に何かを話すと二人の下へ近寄って来る。
「こんにちは。まさかこちらにいらっしゃるとは」
「行くとは言ったので、一応見ておこうかと」
「忙しそうだが抜けて良かったのか?」
「ピークは過ぎましたし、少し働き過ぎたので休憩を貰えました」
会場内の人だかりは多いが、列に並ぶ人自体は少なくなってきている。順調に捌けたことでもう残り少ないのだろう。雨田が被っていた帽子とマスクを取る。少し気疲れしていたのか彼は一つため息を吐いた。
「ここは人が多いので、少し離れた場所で話しましょうか」
そう言って歩き出す三人。話のできそうな場所を探して進んで行くと、階段に座っていた二人のホームレスが雨田に話しかける。
「ああ、雨田さん休憩ですか?」
「ええ、そんなところです」
「いつもありがたいよ。ホント無理しないでくださいね」
「でも後で相談乗ってくれませんかね?例の手続きが分からなくて」
「構いませんよ」
年配のホームレスからも丁寧な口調で話しかけられ、雨田は笑顔で対応し手を振りながら去っていく。ボランティア活動の長さからか、彼はホームレスからの信頼を得ていた。穏やかな雨田を見て、粳部はふと彼がどうしてこの活動をしているのかを考える。教会の司祭を何故辞めてしまったのか。
会場を離れ、三人は自動販売機のあるスペースへと向かう。自販機に小銭を入れてお茶のボタンを押す粳部。ベンチに腰掛ける雨田はようやく休めたからか安らかな表情を浮かべ、藍川は離れた壁に寄りかかって二人を観察していた。
彼女がお茶を雨田に差し出す。
「飲みます?」
「いえ、お気持ちだけで。司祭は喉が渇くのが遅いですから」
「あーそういえばそういうものでしたね……」
「果てには食事も睡眠も不要になるぞ」
「そ、それは……良いような悪いような」
彼女はペットボトルの蓋を開けて少しだけ中身を飲むと、蓋を閉めて話を始める。お茶はあまり苦くなかった。
「えーっと……凄い盛況でしたね」
「もう三年はやってますから。遠方からも人が来てるんですよ」
「この調子だと来年には会場いっぱいになりそうだな」
「……本当は、集まらない方がいいんです」
会場に人が増えるというのは、ボランティアが増えるのであれば願ったり叶ったりだろうが、ホームレスが増えるのであれば問題だ。それは問題の解決には繋がらない。言い方は悪いが、それでは状況が悪化しているだけなのだ。
彼はそれを望んでいるわけではない。
「私は彼らの自立支援もやってます。できることをしたいので」
「やること多いですね……気疲れしません?」
「しますが、体は疲れないので」
「……何でそんなに手を差し伸べようとするんです?」
信じて来た教会を辞めてまで彼がそうした理由、粳部が気になっていた理由。
「そうですね……少し長話をしましょうか」




