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ガランドゥ『仮想現代戦記』  作者: 扇屋
赤の火鼠 第2話『銀の歌は故郷に』

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2-1

【1】


 狭い部屋に二つの布団が並んでいる。早朝、まだ藍色で染まった部屋に夜明けは遠い。音らしい音は日折ひおりのかすかな寝息のみで、染野そめのはと言うと窓の下で体育座りをしたまま周囲の音に耳を傾けている。

 組織の人間らしく、こんな時でも監視を緩めない。

「……」

 司祭しさいの体は便利だ。経験の多い司祭しさいは徐々に人間らしさを喪失していくが、代わりに睡眠や食事といったものが不要となる。自身の個を守る為に概念防御がいねんぼうぎょが強まった結果、彼らは大切なものを切り捨てるのだ。趣味や趣向までも。

 彼は日折ひおりの穏やかな寝顔を眺める。

「(こんな風に寝てたのは……いつ頃だったか)」

 彼はもう昔のことを思い出せない。人間らしく、寝込みを襲われることを恐れていなかった時代。無防備に安らかに眠れていたのは遥か昔、具体的な日付は思い出せないが彼にもそんな時期があった。

 アパートの薄い壁の奥。郵便配達のバイクのエンジン音が低く響いた後、外廊下を誰かが歩き染野の部屋の前に立つ。そして、扉のポスト部分から封筒が出てきた。

「……」

 染野そめの日折ひおりを起こさないように静かに歩き出すと、無音で封筒を拾い上げて開封した。入っていたのは暗号文の書かれた書類で、彼はそれを片っ端から目に入れると封筒の方を捨て、ライターで暗号文を燃やした。炎が紙全体に広がっていき、燃えカスが台所の流しに落ちる。

 伝達事項は正しく彼に伝わった。染野そめのが音を立てずに自分の部屋を出る。扉がかすかな音を立てて閉ざされ施錠されるも、日折ひおりがそれに反応することはない。今日も仕事が始まろうとしていた。

 染野そめのがアパートの階段を降りる頃、日折ひおりが布団から起き上がる。

「……噓つき」

 一人きりの静寂がその場に残る。彼女の呟きがこの場に居ない誰かさんに届くことはなく、言葉は藍色の部屋の隅に消えていく。染野そめのはこうして何も言わずに仕事に出て、何も言わずに帰ってくる。殆どの日がこの繰り返しだ。

 彼女は何も知らない。




【2】


「……緊張してきた」

「なに、ビビッてんの希代きだい?」

「ガキみてえなこと言うなよ……」

 トラックのコンテナ内でじゃれ合うシルバー7と希代きだい。その傍では壮年の男がパソコンと周辺の機器の調整をしており、染野そめのはコンテナの入り口付近で腕を組みながらただ時間が過ぎるのを待っていた。

 暇そうなシルバー7はなおも希代きだいに絡む。

「敵は司祭複数人だろ?下手すりゃ死人が出る」

「死ぬか死なないかなんて五分五分でしょ」

「何で一番新人のお前が偉そうなんだ!?」

「よせよきよし、すぐ死ぬ奴なら隊長は引き抜かねえさ」

 機材を調整していた黄月こうげつが口を挟む。人生経験の豊富そうな五十代の男は口ひげを蓄えており、彼らの方を見ることなく機材の調整を終えた。見るからに強者の黄月こうげつではあるが、彼は司祭ではなくただの人間だ。

「おじき……このモンスターに何か言ってやってください」

「真面目さは警察官時代の名残か?不真面目でいいんだよ」

「イラク軍でサイバー攻撃してた黄月こうげつが言うと説得力があるね」

「おっと、ありゃ上層部の指示だぜ?俺は知らねえなあ」

 黄月こうげつがすっとぼける。彼は日本人ではあるものの元はイラク軍の所属であり、引き抜きという形で蓮向はすむかいに移っていた。過去にした行為も取引によって抹消されており、彼がその責任を負うことはない。真面目なようで真面目でないのが黄月こうげつだ。仕事はするが。

 黙っていた染野が口を開く。

黄月こうげつ、セッティングの方は?」

「バッチリだ隊長」

「良し……そろそろか」



 それは半日以上前に遡る。

 真っ白で無機質なオフィスにデスクが並べられ、端には冷蔵庫や電子レンジが置かれている。染野そめの黄月こうげつはパソコンに向き合って何かを操作しており、室内は打鍵音だけが響く。

 そんな中、自動ドアが開くと希代とシルバー7がオフィスに入った。

『おはようございます!』

『うーっす』

『よお、ようやくオフィスに全員集合だな』

『ああ……これでフルメンバーだ』

 染野そめの隊はまだ組織されてからそこまで時間が経っていない部隊だ。最後の加入者であるシルバー7を足して四人が構成員。全員が別の場所で任務を行っていた為に会っていなかったが、これで全員が揃った。

 希代きだいは冷蔵庫に向かうと牛乳を取り出し、片手で持っていたコーヒーに注ぐ。

『シルバー7、お前が書いた申請書に修正依頼が来たぞ』

『えっ?ああ、あれか。よく分かってないんだよね』

『もう俺が直して出した。次からはそれを参考にしてくれ』

『了解、隊長』

 そう言ってシルバー7が自分のデスクに向かう。染野そめのはまだ若いが組織に属していた時間の長さでは彼らの中で一番長い。こういった手続きのやり方も熟知しており、チームのリーダーとして新人を鍛えることも忘れない。

 希代がカフェラテに口を付けると、そのマズさから顔をしかめる。

『うえっ!何だこの牛乳……クソマズい』

『ん?牛乳がどうかしたか?』

『あーそれなら量が減ってたから水でかさ増ししたけど』

『てめえ論外だろ!?』

 シルバー7に常識は通用しない。褐色の肌をしたその女は何も気にせずに自分の席でふんぞり返っていた。

『薄くたって牛乳でしょ』

『その理屈でいくなら成分調整牛乳との違いがねえよ!』

『そんな細かいから結婚できないんだよ』

『てめえは二十五の癖にガキみたいだな!』

 真面目で常識人の希代きだいに対して、自由奔放なシルバー7は水と油。ある意味、このチームで一番仲の良い存在かもしれない。ちなみに、希代きだいの年齢は三十二歳である。まだ結婚のチャンスはいくらでもある。

『元気だなおめえら』

『おじきも何か言ってやってください……』

『海外じゃ食い物の味なんか気にする奴居ねえよ』

『日本人がうるさ過ぎるだけだね』

『……おじきも日本人じゃないっすか』

 実際、世界の大半の人間が食事の味を気にしていない。それは味覚が備わっていないのか、食事の味が優先順位として低いからか。どちらにせよ食事とはどうでもいいことなのである。

 染野そめのがプロジェクターの電源を入れた。

『任務の概要を確認する……』

『私まだ見てないや』

『おいおい……』

『日本の、帝国海軍の情報が無許可で持ち出された』

 プロジェクターに資料が表示される。そこには帝国海軍の兵士の顔写真が載せられており、他にも様々な軍事機密がでかでかと表示されていた。こういった情報を即時にアクセスできるのも彼ら『蓮向はすむかい』の特権だ。

 黄月こうげつが女の写真を表示する。

『女スパイが色仕掛けで情報を盗んで、諜報部に渡ったらしいぜ』

『その女は口封じに殺されたようだが……敵の諜報部はまだ居る』

『やっこさんは何が目当てなの?』

『仮想敵国の海上封鎖への対応シミュレーション……の情報』

 資源が潤沢とは言えない日本からすれば、そういった問題を早期に対処する為にシナリオを練るのは当然だ。とはいえ、他国からすれば面白くない。情報を事前に抜き取って対策を打ち砕けば面白くもなるだろう。

『……そいつはバレるとマズいですね』

『んで、どこの国の諜報部が狙ってるの?』

『ベネズエラだ』

 背もたれに身を預けていたシルバー7の動きが止まる。そのまま彼女は黙ってしまい、いつものように騒ぐこともしない。染野そめのは不自然な彼女の様子を見ているが、黙り込んでいるその理由が分からない。

『奴らはペルシャ湾行きのフェリーに乗る可能性が高い……』

『……遠回りで南米に帰還かあ』

『その前に叩くってことだが、一つ懸念がある』

『懸念と言うと?』

『……護衛に司祭しさいを雇っているかもしれん』



 そして、時計の針は現在に戻る。

 染野そめの達はトラックのコンテナの中で作戦開始の時刻を待つだけだ。予定時刻の前でも後でもなく丁度でなければならず、それまではミスのないように確認をするだけ。とはいえ、その確認ももう終わっている。

 希代きだいが木箱に腰掛けた。

「でも、相手は何でこんな割に合わない仕事をするんですかね」

「……こういう場合、それなりに払いが良いんだろう」

 その時、黙っていたシルバー7が口を開く。

「それしか生きる道がなかったんでしょ」

「分からないな。大概、リスクに見合ってないだろ?」

「……追い詰められてマトモな奴なんてそう居ないよ」

 シルバー7が冷たく言い切る。常に自由気ままで不機嫌にならない彼女が珍しく、らしくないことを言っている。任務の開始前だからピりついているとも言えなくないが、彼女はそういう女ではない。

 ふと、染野そめのが関心を持つ。

「確か……シルバー7はベネズエラ出身だったか」

「えっ?そうなのか」

「見ての通りでしょ」

「分かるかよ!」

「俺は知ってたぞ。データが専門だしな」

 驚く希代きだいに対し染野そめの黄月こうげつは特に反応していない。シルバー7は南米ベネズエラの出身であり、今回の相手は祖国の側の人間ということになる。しかし、彼女はそんなことで躊躇をする人物ではなく、思い悩みもしない。

「別に同郷つっても、あんな国なんてどうでもいいよ」

「はあ、そういうもんなのか……」

「まあ、サクッと捕まえようよ」

 黄月こうげつを除いた三人がコンテナの扉を開けて外に出る。これにて待ち時間は終了、命を賭けたお仕事の始まり。黄月こうげつは遠隔地からのサポートが専門で、残りの三人は前線で戦うのだ。

「時間だ」

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