4-1
【1】
「何もそんな急に引っ越ししなくていいだろうに」
「早く仕事に慣れたいからさ。先輩に迷惑かけたくないし」
粳部は貴重品の入ったダンボールを抱え立ち上がり、父の方を向く。実家から運び出す荷物はこれで最後。何故突然引っ越しをしているかと言うと、申請が無事に通り蓮向かいの基地に住むことになったのだ。
もう床をぶち抜いた部屋も実家にも住まずに済む。父は玄関で彼女を見守る。
「好条件らしいけど……怪我はするなよ?俺みたいな体は嫌だろ」
「私がそんなのになるわけないじゃん……」
父が冗談を飛ばす。彼が片腕をなくし眼帯を付けているのは、聞いた限りでは学生時代にやんちゃしたからだという。まあ、彼女は少しも信じていないが。
不死身だから怪我しても大丈夫だ、とは言えない。
「出ていくわけか……俺は特にないが、母さんが居たら嫌がったかな」
「命日くらいは帰るよ」
「おう、じゃあな」
「じゃあねー」
彼女が片手で引き戸を引くと玄関を出る。父に見送られながらダンボールを両手で持ち直し、庭を歩いて道路に出た。するとサイドミラーで見つけたのか、運転席に居た藍川が窓から彼女に手を振る。
彼女も車に乗り込む。
「お待たせしましたーこれで最後です」
「俺が非番でよかったな粳部」
「これで引っ越せます。鈴先輩も手伝ってくれたら良かったのに」
「お前の父親に会うだろ……話すことないぞ」
怪我はするなと粳部に言った父親に、何度も怪我をさせている自分が話をするのはどうなのだろうと彼は考えていた。だが、それを口にすることはない。
藍川は車のエンジンを動かすと粳部の方にエアコンを向けた。
「さて、戻るぞ」
「先輩って、あの家に住む前はどこに住んでたんです?」
「組織が所有してる物件を点々としてた。海外の時もあった」
「ウチって海外にも飛べますもんね。原理不明ですけど……」
蓮向かいの基地は様々な国に瞬時に移動できる用意がある。これにより距離によって活動が制限されなくなり、職員はどんな場所にも駆け付けられるようになった。今では様々な国でスカウトされた職員が基地の中を往来している。
彼がハンドルを指でコツコツ鳴らす。
「まあ一応言うと、あそこに居ると気が休まらないぞ」
「えっ?そうですかね?」
「……その内分かるよ」
その言葉を理解したのは、日本時間で深夜三時頃だった。
『招集!起きてください!』
「何です急に!」
粳部がベッドから跳び上がる。頭上のスピーカーから響くラジオの声に叩き起こされ、状況を理解できずに困惑していた。蓮向かいの基地に来たばかりでやっと眠れた彼女にとって迷惑以外の何物でもない。寝つきが悪いというのに。
彼女が枕元の照明を点ける。
『緊急の招集です!お仕事ですよ』
「今何時だと思ってるんすか!やっと寝たのに!」
『すぐB七番通路に集合してください』
寝間着から着替えるかどうか悩むも、ラジオに急かされていることもありそのまま部屋を出る。部屋の扉に電子錠を掛けると駆け出し、頭上にある看板の案内に従いながら指定された通路に向かう。
何が起きているかが分かっていない粳部だが、今はとにかく集合場所に向かう。行けばラジオが説明してくれるだろう。
「全くもう!」
日本とこの基地の時差は一時間だ。様々な国から職員が出入りしているこの基地は人の往来が多かった。粳部の横を通り過ぎる人々は『ああまたスクランブルか』という表情で彼女を見送る。それは職員にとって見慣れた光景だった。
何度も通路を曲がり、看板を見て遂に目的地に辿り着く。迷宮のような構造の基地だったが、粳部は引っ越し後に散策して少しだけ慣れていた。
『ここですよ粳部さん!』
「おっ、話してた奴が来たぞ。よお粳部」
「……ふむ」
通路の奥、藍川と話をしていた女性が彼女を見る。藍川が持っていた携帯電話からはラジオの声が聞こえ、粳部は彼女の万能さを改めて思い知る。そんな彼女の案内に従って目的地に辿り着いた結果、藍川と知らない女が居たわけだが。
彼女は疑問に思いつつも二人の下に向かう。
「お、おはようございます」
「悪いな、まだ寝てただろ?こういう仕事なんだ」
「……思っていたより弱々しい奴が出て来たな」
無愛想な女は粳部を観察し、若干の警戒心を持ちながら上着のポケットに手を突っ込む。そして、尻尾のような茶色の髪を軽く揺らして彼女と向き合う。粳部の人間関係は狭く、知らない人は基本的に苦手である。
「初めまして。私はグラス、グラス・ガルグリスだ」
「ど、どうも……粳部音夏です」
『さて、今回の仕事について確認しますよ』
藍川の携帯電話を通して話すラジオ。彼女も違う基地とは言え、蓮向かいの基地に住んでいるのだから別の基地まで移動して顔を出せばいいのにと思う粳部だったが、彼女は基本的に自分のデスクから離れない。
『『広陵団』の拠点を特定しました。制圧が今回の任務です』
「構成員の一人が国内に戻ったおかげだな」
「あー聞き覚えあるような……ないような」
「……広陵団は、十年前に東南アジアで爆破テロをやったテロリストだ」
グラスが彼女に説明を始める。今まで概怪とだけ戦ってきた粳部にとって、ただの人間の相手をしなければならないのは覚悟の要る話だ。組織の任務は概怪の対処だけでなく、治安維持やその他にもあることは流石に粳部も分かっていた。
それでも怖い。
「構成員は三十一名、高精度の爆弾を製造。海外で資本家を標的にしている」
「あっ、あー思い出しました……テレビ観ないんで」
「解説どうも。ところで、何でここまで捜査が遅れたんだ?」
ラジオの権能をもってすれば、テロリストの会話をスピーカーから聞き取って位置を特定するだけでなく計画の阻止までできる。だが彼らは未だ逮捕されておらず、今になってようやく本拠地を特定したというのはいささか遅い。
『藍川、四国に私の権能が届くわけないでしょ。連中は連絡手段が原始的だし』
「手紙に暗号という原始的な手法だ。森にこもっていたのも理由だな」
「え、えっと、グラスさん……連中にくっ、詳しいんですか?」
ラジオの発言を特に気にすることもなく、グラスはテロリストについて淡々と話す。全て把握しているような反応の彼女を見て粳部はそう思った。そもそも、粳部はこの人選が分からなかった。藍川と彼女は同じ部隊なので何も問題がないが、グラスは一体どこから出てきたのか。
「私はこの事件の担当だ。手空きの職員を連れて突入する為に君達を呼んだ」
「あっ、そですか……私につとっ、務まりますかね……」
「藍川から話は聞いた。今は人手があればそれでいい」
「……はい」
あまり期待されていなさそうな声色に粳部が委縮する。慣れた相手でなければ緊張してしまう彼女にとって、無自覚に圧を出して人を遠ざけるグラスは相性が悪い。実際、ただの爆弾しか手札がないテロリスト相手ならば司祭は無傷で制圧できる。しかし、バラバラに逃げる数の多い相手を捕まえるのは一苦労だ。
『五分後にJ三十二番ゲートまでどうぞ。三人で敵拠点を制圧します』
「承知した。現地に二人、監視用の職員が欲しい」
『手配します。あと私、今から別の国に行くので権能で援護できません』
「おう、何かあったら別の担当者に連絡しとくな」
『お願いします』
電話が切れると周囲は無音になり、現場には三人が残される。まだ最低限の情報しか把握していない粳部だったが、この事件の担当者であるグラスが居れば問題はなさそうだと感じていた。司祭と概怪でなければ概念防御を破れない以上、テロリストには対抗手段がない。
粳部が考えるのは相手に手加減することと、グラスが何者なのかということ。
「あの……よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
「悪いな粳部、こいつ無愛想に見えるが悪気はないんだ」
ギラついた目と無愛想な口調に委縮していた粳部だったが、彼にそんな補足をされても変わらない。未だ少しも人となりが見えてこないグラスを警戒するのは当然だ。ただ、やせ我慢をしているように見えたこと以外は何も分からない。
その時、グラスがジャケットの内ポケットに手を突っ込むと、栄養バーを取り出して包装を破りかじり始める。粳部の開いた口は塞がらない。
「んむ……一応、敵が司祭を雇おうとした話もある。司祭は多い方が良い」
「あんま期待するなよ?俺は怪我でスペックガタ落ちだ」
「司祭が居れば私が対処する。問題ない」
グラスはバーを食べ終えるとゴミをポケットにしまい、再び内ポケットからバーを取り出して袋を破る。まだ食べる気だった。
「何個持ってるんですかそれ……」
「あと四本持ってる。悪いがやらないぞ」
「要りませんよ……仕事前なんですから」
グラスはふん、と納得したような声を上げつつ食べ続ける。食べ続ける彼女の表情からは、空腹だからや好きだからという理由が見えてこない。無表情でつまらなそうにただただ食事を摂る姿は、粳部にはあまりにも不自然だった。
「司祭が食事をしているのは……んっ……確かに珍しいかもな」
「……えっ、この人司祭なんですか?」
「そりゃな。等級はΩ-、別格だな」
彼に紹介される中、彼女は何も気にせず食事を摂り続ける。Ωとγの間には大きな隔たりがあり、殆どの司祭はγ+で行き詰る為にそこが最高の等級だとこだわる者も居る。しかし、γの壁を乗り越えてΩに到達した者達は格が違う。
粳部は震えた。この正体の分からない女は染野やラジオよりも強いのだと。
「私は絶食の司祭グラス・ガルグリス。グラスと呼んでくれ」
その食い意地で絶食なのかと、粳部は思った。
【2】
「目標に動きはない。予定通りだ」
「……段取り通りに行けますかね」
古いビルの前、ブロック塀の陰で動きを見守るグラスと粳部。裏から侵入する藍川は既に移動しており、馴染みのない二人がぎこちない距離感で作戦開始を待っている。共通の知人である藍川が居ないと会話がなく、作戦前なこともあり粳部は緊張し続けていた。
「想定外がなければ上手くいくだろう」
「……す、鈴先輩とは付き合いなっ、長いんですか?」
「二回程会ったことがある。その程度の付き合いだ」
「そうっすか……」
あまり深い付き合いでなかったことに粳部が安堵する。自分の知らない藍川の人間関係にやきもきしていたが、これでようやく安心できた。だが、依然としてグラスが何者なのかが粳部には分からない。グラスは自分から喋ろうとしない。
作戦開始時刻まであと少し。
「……あの」
「無理に喋ろうとしなくていい。これでも協調性はある」
「ええ……本当なんですそれ」
「司祭様、買ってきました」
彼女の指示で買い物に行っていた蓮向かいの職員が戻って来た。職員はグラスに駆け寄るとハンバーガー店の紙袋を渡し、彼女は何も言わずに袋を開けると包みを解いてハンバーガーをむさぼる。それは食事というよりも押し込むという感じで、見つめる粳部は違和感を覚える。作戦開始が近い為に急いでいるのか。
「しょっちゅう食べてますねグラスさん……余裕が凄いというか」
「人は食べなきゃ死ぬだろう。誰だってそうだ」
「それはそうですけど……この状況でよく食べれるというか」
人間相手の簡単な仕事とはいえ、直前で食事が摂れるというのは余裕の証明だ。例え運悪く司祭が居ようと、対処できるだけの実力を持っているということ。並みの司祭とは一線を画す、Ω-の等級のグラスが居れば問題ない。
ハンバーガーを全て口に詰め込み、碌に咀嚼せず飲み込むグラス。作戦時間がやってくると、彼女は紙袋のゴミを職員に手渡した。
「作戦開始、裏口の藍川も動き出すぞ」
「りょ、了解です!」
その瞬間、ビルの照明が落ちて真っ暗になる。予定通りに停電が始まり、走り出したグラスの背中を追って粳部が走り出す。グラスは扉を静かに開けると蛇のような動きでその隙間に入り、音もなく廊下を駆けて行く。
まだ停電が始まって数秒しか経っておらず、敵はまだ異常を察知できていない。この隙に全て捕縛することが今回の目的だった。
「藍川が地下に行く。私達は上階を探すぞ」
「はいっ!」
グラスが階段を一瞬で飛び越える。粳部が後を追って上階に向かうと、既にグラスは敵を軽く叩いて脳震盪にしていた。停電で混乱している三人の人間を一瞬で仕留めたのだ。分かっていたが圧倒的だと思う粳部。
粳部は止まらない彼女を追いかける。
「何だおまっ!?」
「粳部、敵を拘束しておけ」
「早いですって!」
曲がり角に居た敵の腹に肘を叩き込むグラス。早業に抵抗できず気絶した敵だったが、よろめきながら壁に倒れた途端に警報ベルを押してしまう。警報が辺りに鳴り響き驚く粳部だが、グラスは特に反応せず警報ベルを粉々に蹴り壊す。
あっという間の対応だったが、これで敵に気が付かれてしまった。
「海坊主!」
粳部が叫ぶと近くの陰から海坊主が現れ、その体から無数の腕を出して敵を縛り上げる。縄のように長く細い腕で縛られた敵は身動きが取れず、仕事を終えた海坊主は地中に潜って消えていく。粳部は戦闘時の経験を活かし、海坊主を変化させる方法を我が物にしていた。
「それが切り札か。便利だな」
「まだ慣れてないっすよ。それより敵は……!」
「どうやら、司祭を雇えていたようだぞ。敵は」
彼女は遅れて敵に気が付き、グラスと同じ方向を向く。その廊下の先では一人の大男が堂々と佇んでおり、逃げることも進むこともせず彼らの動向を見つめている。正に一触即発の状況、思わぬ敵の襲来に緊張が高まる。
その時ふと、敵の司祭は一人だけなのかという疑いが粳部の脳裏に浮かぶ。
「俺は逃げない……逃げない……逃がさない」
「撃破する。粳部、援護を」
「やります!」




