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【7】
悪い子じゃないさと葛西は言った。染野がその表現から考えるに相手は子供なのだろう。彼女の家族関係は調べ上げている為に弟や妹でないことは確かだ。自由に出入りができる点を見るに相当気に入られていることが分かる。
葛西は靴を脱ぐとリビングの方へ歩き出す。靴のサイズやデザインから小学校低学年くらいの女の子が一人居ることが分かった。染野が後手に扉を閉めると彼女の後を追う。リビングの扉を開いた。
「お邪魔してます……」
「やあ、カナちゃんかあ!来てたんだね」
「……子供?」
カナちゃんと呼ばれた女の子。どういう訳かソファに浅く座ったまま二人を見ていた。その容姿から考えるに想定通り小学二年生か三年生くらいのように見える。染野のように、葛西に放って置けないと言われてここに居るのか。
葛西は足早に彼女の下へ向かう。
「カナちゃん、君のお母さんが快方に向かってるそうだ」
「快方?」
「悪い男と別れて時間が経ったから、元気になってきてるんだよ」
「本当?」
カナという少女の身辺調査も行った方が良さそうだと彼は考える。話の内容から察するに、彼女の母親のトラブルを葛西が把握しているそうだ。どういう事態なのかは分からないが、彼の葛西への印象が少し変わってきている。
少女が少し笑みを溢す。
「暫くすればまた会えるよ」
「……良かった」
「そうだ、君のお母さんから手紙を預かってるんだ」
そう言うと葛西は手紙を取りに行くのか扉の奥へ行き、自室と思われる場所に入る。日の傾いてきたリビングには初対面の子供二人が取り残され、気まずさで何も話すことができない。染野にとって子供の手合いは大人と比べ苦手だ。
空白の時間が続くと、彼女の方から話しかけてきた。
「君も葛西先生に助けてもらったの?」
「……どうだかな」
「先生……ちゃんと話聞いてくれるんだ。皆が私を無視したのに」
彼は葛西との接触を試みた際、行動パターンを調べ上げて彼女が声を掛けたくなるような仕草をした。慈善活動として子供への支援を行なっている人間の興味を引けるように、弱々しい姿で彼女から声を掛けられたのだ。
結果として葛西との良好な関係を築き、今こうして彼女の家に上がり込むまでになった。彼女に助けられたのではなく、彼女を自分という餌によって釣り上げたのだ。卑怯な手を用いてその懐に迫ったのだ。救われてはいない。
「俺はここに相応しい人間じゃない」
本当にここに居るべき子供は、彼ではなくもっと追い詰められた人間であるべき筈なのだ。組織からの給金で一人、誰にも干渉されずに生きる染野は彼女から最も遠い人間。正直、場違いでしかない。
「でも、助けて欲しそうな顔をしてるよ?」
「……俺が、か?」
それは何かの間違いではないだろうかと染野は考える。彼は基本的に誰かに助けを求める人間ではない。他人と生きることはできても他人に関わることのない人間だ。彼はただ組織に従って給金を貰えればそれでいいのだ。
「勘違いだ」
消え入りそうな声でそう呟いた。
その時、葛西が手紙を手にして部屋に戻ってくる。この少女の母親から手紙を託される辺り彼女は信用されているのか、それとも子供への愛情故に自ら買って出たのか。どちらにせよ子供達の為に精力的に活動していることは確かだ。
葛西が少女に手紙を手渡した。
「悲しいけど、親だって完璧じゃないんだ」
「……」
「だからその不足分は私達が埋めるよ。君は十分頑張ってる」
「……うん」
「好きにしていいんだからな」
その表情は慈愛に満ちている。手紙に視線を落とす少女は嬉しそうに首を縦に振り、それを葛西は優しく眺めている。意識が別の方に向いていることが一目で分かる状況。動き出すには申し分ない程にお膳立てされている。
「おっと、飲み物を出してなかったな」
葛西が飲み物を出そうと台所に向かい、少女は母親からの手紙を読んでいる。
染野は音を立てずに屈み、テレビ横にある三又プラグを高速で取り外す。そしてジャケットの中から取り出した盗聴器入りの三又プラグを差し込んだ。二人は彼の動向に全く気付いておらず、立ち上がってもなお気が付いていない。
これで今回の仕事は終了だ。後は彼女とのコミュニケーションをこなして撤退すればいい。問題はない。
「飾身君は飲みたい物あるかい?」
「どうぞお構いなく」
「若い内に遠慮する癖が付くと辛いことになるぞ」
【8】
「あはっ!もー完全に酔っちゃった」
「ゼリさんそんなにお酒に弱くて大丈夫ー?やってける?」
「何とかなるって~うへへ」
夜の町。ネオン輝く不夜城で、あるキャバクラの前で従業員の女と一人の客が話をしている。酔っぱらったような調子の女は、一人でこの町を歩くには不安だった。客も酒が入っているからか調子が良さそうだ。
「でも酔ってても日本語上手だね?流石だなあ」
「んー?日本での暮らしが長いからかなあー」
「やっぱりゼリさんは真面目だねえ」
「あっ、タクシー来たねえ」
酔った女が店の前に停まったタクシーを指差す。夜も更けてキャバクラの営業は終了し、彼らに残るやらなければならないことは真っ直ぐに家に帰ることだ。タクシーの扉が開かれると、女は乗ろうと向かっていく。
「またお店に来てねー」
「うん、ゼリさんお休み!」
「お休み~バア~イ」
酔っているからかネイティブな発音になる。タクシーの扉が閉じ、運転手は特に行先を聞くこともなく走り出す。タクシーは夜の町を抜けて、車窓は走るネオンの明かりで照らされていた。
女に先程までの明るさや、酔っているような雰囲気はない。
「成果はあったか?シルバー7」
「まず、キャバクラは私に合わない。もう御免なんだけど」
「あの地域は組織の人間が居ないんだ。しょうがねーだろ」
シルバー7と呼ばれた褐色の女は気だるげな表情で答える。彼女は染野の部下であり、合わないキャバクラで任務を行っていた。仕事が終わり他人の目がない今であれば自由に話すことができる。
運転手は彼女と顔見知りのようだ。
「ったく……港で働いてる奴から聞けたよ」
「成果だな」
「ここ三か月で、港の飲み屋で見ない顔が増えたらしい」
「例の人身売買組織との関わりは?」
「そう焦んな」
染野率いる染野隊は人身売買組織を追っている。彼らの尻尾を掴む為には、潜入調査でも何でもしなければならない。その為に染野は指示を出した。十六歳の子供でしかない彼が。
合わない仕事をやらされたシルバー7は不機嫌そうに足を組む。
「積荷を管理してるらしいけど、時々羽振りが良い時があるって」
「……当てるぜ。船が出た後に派手に遊んでるんだろ」
「イエス。多分、さらった人を渡して金を貰ってるね」
「そいつらとその港を洗おう。すぐ痕跡を見つけられるぜ」
さらった人間を運ぶのに必要な乗り物は陸路であればトラック、海路であればタンカーだ。空路は厳しい検査故に人身売買に使われることはそう多くない。日本において大量の人間を一度に運ぶには海路が一番だ。
「私はまだ潜入してないと駄目なの?希代」
「染野隊長からの指示を待てよ。判断はあの人がやる」
「はあん。あの子供がねえ……隊長って何で隊長なの?」
「哲学的な問いだな。あの人は強い上にチームの管理できんだよ」
希代と呼ばれたタクシーの運転手が答える。彼はいつかに染野をタクシーで送った男と同一人物だ。彼もまた組織の一員であり、染野隊の一員でもある。
シルバー7が組む足を変えた。
「戦闘技術において最強。昔はチームに属さず上層部に忠実だとか」
「いわゆる猟犬か」
「……何であの人が『火鼠』って呼ばれるか知らねえだろ」
「当然」
希代にはまだ染野に対しての幾ばくかの敬意と知識がある一方、シルバー7の方には何もない。彼女も対面した時は上官として扱って一応の敬語を使うが、自由奔放なシルバー7に本心からの敬意はない。
「俺もあの人と同じ任務に出たが、カルテルの司祭と交戦したんだ」
「昔話かよー」
「敵は火をつける権能を持ってた。あの人は一瞬で火だるまさ」
それだけ聞けば大したことのないように思える。戦闘技術において最強と呼ばれるには、あまりにも呆気ない負け方であった。だが、希代の話はまだ続く。
「でも戦い続けた。三度熱傷のまま、燃えながら敵を追った」
「……正気か?」
「部位が焼け落ちながら一キロ追って、敵を捕らえたんだよ」
それは彼の執念か、それとも感覚の麻痺か。
「正直、あの人より強い奴は組織に何人も居るさ」
「……」
「でも、燃えながら突き進むあの狂気は……そうない」
「それで小柄だから……火鼠か」
火鼠、いくつかの逸話に登場する燃える鼠。小柄な少年である染野の特徴とも合わせ、その燃えながら戦う狂気を讃えて火鼠と人は呼んだ。彼のような人間はそう居ない。機械のような人間は。
【9】
煙草の匂いがする部屋で、ヘッドセットに耳を当て音声を確認する職員が居る。染野と粳部はそれを後ろから眺め、経過を観察していた。厚手のカーテンの隙間からは月明かりが漏れ、春の夜らしく野良猫の声が響く。
「それにしても、よく家に入って仕掛けられましたよね」
「講習は受けている。入ればこちらのものだ」
染野が葛西の家に盗聴器を仕掛けた甲斐があり、ようやくこの事件も終わりが見えてきた。作戦は概ね予定通りに進行している。職員が睨んでいるパソコンの画面には音波波形が表示されており、葛西の家への盗聴は成功していた。
「今回に関しては……子供に頼らざるを得ないんすよね」
「特に問題ない」
「い、いや……そういう話じゃなくて」
「部下から報告があった。連中には別の人身売買ルートがあるそうだ」
不器用な染野は粳部の言いたいことを察することはできない。彼女の申し訳なさそうな表情を見ても、それがそういった感情によるものかが分からない。それよりも、人身売買組織のことばかり考えていた。
「そっちの人間を捕らえて、葛西との関係性を洗う」
「……人身売買との関与、本当にありますかね?」
「まだ何とも」
粳部のような大人からすれば嫌な話だ。慎重な動きを必要とされる今回の場合、安全策を取らなければ被害者達の命がない。表向きは平和だが、水面下では消え入りそうな命がいくつもある。だが、その為に子供である染野を使わなければならない。
「あの教師、どう思いましたか?」
「……どうって何だ?」
「危ない人でしたか?私は報告を受けているだけなので」
染野隊は情報提供を受けて、人身売買組織の拠点に突入し検挙に成功していた。だが、組織の被害者の行方が掴めていない。売買の記録がない為にまだ売られていないと考えられていたが、被害者は見つかっていないのだ。
葛西はその鍵となる人物である。
「葛西弓、二十七歳。職業は教師、実家は新潟県」
「そういう話じゃなくて……」
「……話した限りでは……善人であろうとしているように思える」
染野なりの分析、所感である。悪い環境で生きる子供を救おうと積極的に活動する葛西は、自分なりにできることをやろうとしていた。どうしようもない状況で、せめて自分だけは善人であろうと努力していた。
きっと、そこに嘘はないのだろう。
「できることを探して、最善を尽くそうとしてる」
「……良い人ってことですね」
「どうだろう……俺には断言できない」
「あなたの前では……そうありたいと思ってたんでしょうね」
その時、職員の見ていたモニターの音波波形に変化が現れる。何やら葛西の部屋で何か進展があったようだ。染野が意識を切り替える。
「どうした?」
「どこかに電話するみたいだ。ボスも聞くか?」
「ああ」
そう言うと染野もヘッドセットを手に取り、盗聴器からの音声を確認する。どういう状況にあるのか、葛西から何らかの映像を得ようとして盗聴を行う。
聞こえる音は電話のコール音であった。
『……私だ。送金についてだが、予定通りに?……そうか』
送金という単語は穏やかではない。教師というものは副業が禁止されている。両親や親族に金の都合をしているのかもしれないが、その声色からは親しい人のように聞こえない。
『……残念だが、私はここで手を引く。お前らのやり方は合わない』
「手を引く……何らかの組織か?」
「とは言え、これだけじゃハッキリしないな」
葛西は電話の人物と何らかのトラブルを起こしている。そして、彼女は関わっている何かから離れようとしている。しかし、これだけではまだ何もハッキリしない。彼女が黒なのかどうかが。
『片方の販売ルートは潰れただろ?報酬だけ貰って消えるぞ』
「……ボス、確かに葛西の海外口座に動きがあるぞ」
「よく調べた」
『……返せ?彼らは私が集めたんだ。お前達にやるもんか!』
葛西が声を荒げる。職員からの情報によれば葛西の海外口座には動きがあった。そして、片方の販売ルートは潰れたという発言。彼らは私が集めたという発言。これらは彼女の関与をほのめかしていた。
『分かるか?手のひらの上だ……で、どうする?』
「何かうっかり漏らしてくんねえもんか……」
『直江津港の方も長くは持たないぞ。よく考えるんだな』
葛西の口から遂に具体的な地名が出る。今まではぼかした話ばかりをしていた彼女だったが、うっかり事件との繋がりが見えてきた。葛西が通話を切ったのか携帯電話を畳む音が聞こえ、染野はヘッドセットを取り外す。
「聞いたか?」
「ああボス、直江津港だ!そこを洗えば何か出る筈だ」
「すぐに希代を向かわせろ。俺も打って出る」
「打って出るというと……どういうことだ?」
部屋の出口へと向かう染野が立ち止まり、小さい背中を見せた後に部下の方へ振り向く。その小柄でみすぼらしい容姿の少年は、どう見てもこの場に相応しくない。
「……少し、賭けてみるんだ」




