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ガランドゥ『仮想現代戦記』  作者: 扇屋
赤の火鼠 第1話『噛み跡』

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1-1

【2】


 無音の室内に空白の時間が流れる。何も起きず何も変わらず、目の前に姉を見据えたまま状況は変わらない。互いに、こんなことをする為にここに来たのではないと分かっている。数年振りの再会で、何を話せばいいかが分からない。

 秒針が回り、次第に長針が数字を指す。現在時刻は朝の七時。何のやりとりもない時間に耐え切れず、何の捻りもない問いをする。

「何で姉さんがここに居る」

「……飾身かざみがこんな所に居る方がおかしい」

 それはそうかもしれない。学校の寮で生活している筈の彼女からすれば、二歳しか歳の離れていない弟が家具のない老朽化の進んだアパートで暮らしていることの方がおかしい。そんな一般社会からすれば当然の疑問だ。

 その時、日折ひおりは玄関の扉を開けると外に積まれていた二箱の段ボール箱を抱えて戻って来る。染野そめのは中身が何なのかもそれを持ち込んだ目的も分からない。

「それ何だ?」

「私の荷物」

「どういうことだ」

「引っ越してきたの、ここに、私が」

 急に何を言い出すのか。日折ひおりは荷物を部屋の中心に置くと彼の方へ向く。その瞳は実に堂々としており、少しも断られる可能性を考えていないことが分かった。彼女は学校の寮を飛び出してどういうわけか彼の下に来たのだ。

 長年会わなかった彼の下に。

「何でだ。学校の寮はどうした。全寮制だろ」

「家から通えるようにした」

「何の為に」

「……」

 日折ひおりは何も答えずに段ボールを開く。家から学校に通うということは今の説明で分かったが、染野そめのには自分の家に住み着く理由が分からない。日折ひおりに彼が振り込んでいる金額であればここよりも良い家に住める筈だ。

 突然、日折ひおりが元の議題に戻る。

「さっきの女、誰?」

「……だから、職場の上司だ」

「今すぐ辞めて」

「何でだ」

「その怪我と関係しているんでしょ」

 染野そめのが自分の体を見る。権能けんのうを使ったことによる出血や打撲痕で痛ましいことになっており、包帯に巻かれてボロボロだ。何も知らない他人が傍から見れば心配だろう。だが彼は司祭しさいだ。この程度の怪我はどうということはない。

 そして、日折ひおりは彼が司祭しさいだと知っている。

「自分の権能けんのうの弱点で付いた傷だ」

 自分の力で勝手に傷付くことは今に始まったことではなく、司祭しさいになった昔からずっとあったことだ。気にすることではない。とは言え、日折ひおりがそれに納得するかどうかは別の話である。

 日折ひおりが不意に彼の目と鼻の先にグッと近寄る。おでこがぶつかりそうなそんな距離へ、無表情のまま。

「それが駄目なの」

「……」

「これからは私が面倒見るから」

 それだけ言うと日折ひおり染野そめのから離れ、荷物を段ボール箱から取り出す作業を再開する。結局、彼女が何を考えているのかは分からないままだ。学校で何かあったのか何らかの事情があるのか。

 別に彼女がここに住むことに関して、染野そめのに言うことは何もない。家具のない部屋はスペースが余っており、人二人が住むにはギリギリ大丈夫だ。金を使うことが殆どない以上、増加する光熱費水道代を払えないわけではない。

「エアコンは?」

「ない」

「冷蔵庫は?」

「ない、食品はすぐ食べる」

 日折ひおりが眉をひそめる中、染野そめのは無表情を貫く。

「お布団は?」

「ない、床で寝ろ」

 削れる物は削り、欲しない。それだけで随分と節約できる。組織からの支払いは中々の高額だが、染野そめのはそれらの殆どを日折ひおりのことのみに使用しているのだ。冷水シャワーで済ませて食費も削る。体も心も慣れていった。

 日折ひおりが呆れた顔をしている。

「いつも何食べてるの?」

「麺と川端で取った野草」

「……そう」

 司祭しさいの体は不思議な作りをしている。食事を摂らなくても酸素を取らなくても暫くは生きていける上、大きく体を欠損しなければ傷も次第に治っていく。三食栄養バランスを考えた食事を摂らずとも戦っていけるのだ。

 彼はコップを取り、蛇口を捻って水を注ぐ。

「そんなに身を削るならもう私の学費は払わなくていい」

「……何言い出すんだ」

「貴方が無理してまでやることじゃない」

 コップから水が溢れていく。急に変なことを言い出した日折ひおりに付いて行けず、稚拙な動揺を隠せないでいる。彼は彼女が人間らしく生きる為に、入学手続きに関与し学費を支払ってきた。だというのに、それを否定されるなんて。

 慌てて蛇口を捻り水を止める。

「俺の心配はいい。学生は学生らしく生きてくれ」

「十六の弟に言われたくない」

 それもそうだ。一度も学校など行ったことのない戦うことしか知らない男が、知識として知っているだけの世間の常識を話すだなんて馬鹿げた話だ。血だらけの体で汚れない彼女の前に立っている分際で、一体何を言っているのか。

「自分の為に金を使えば続けてくれるのか?」

 しかし、どうにもならない何もない人間だからこそ、彼女だけは人間らしく生きて欲しいと願ったのだ。自分の祈りを彼女に重ねたのだ。

 コップの水を一気に呷る。

「……」

「まあ、善処するさ」

 自分の為にと言っても、彼女の為に何かをすることが彼の為になるのだ。金の使い道はそれ以外に思い付かない。強いて上げるとするならば何だろうか。新しい服でも買うべきか。

 染野そめのには分からない。

「……あまり困らせないでくれ」

 その時、部屋の中心にあった固定電話が鳴り響く。知人の居ない彼に掛かる電話は粳部からか、仕事の電話かのどちらかだけだ。つまり電話に出ない理由はない。染野そめのはやかましく鳴り響く電話へ向かい、受話器を引っ掴む。

「……そうか」

 電話口から短く聞こえた報告を確認し、受話器をソッと置く。

「……何だったの?」

「仕事だ」




【3】


「お嬢、引っ越しどうだったー?」

「……別に」

 最後のホームルーム前、席に座る日折ひおりの前に立つ友人が話しかけてくる。ただ住む場所が変わるだけだというのに、何を気にしているのだろうかと日折ひおりは疑問に思っていた。寮で同室だったよしみが関係しているのかもしれない。

 日折ひおりはやはり不器用なのだろう、弟と同様に。

「引っ越しって一度はしてみたいよね」

「寮に入った時と大して変わらない」

「あらそう……で、寮から出た理由って結局何なの?」

「……」

 彼女に話す必要はない。このことはきっと一生、事情を知らない他人に話すことはないのだろう。思うように口を動かすことのできない日折では尚更、胸の底で蠢くそれを言語化することはできない。

「にしても、よく自宅登校の許可取れたよね?」

「……別に、相応の理由があればできる」

「教員の頭って硬いのに。その理由とは?」

「……」

「いや教えてくれないんかい」

 日折ひおりは手続きをする為に多少嘘を書き込んではいたが、殆どは事実だ。『精神的な問題』と、用紙にそう書き込んで教師を動かした。理屈をこねて受け取らせれば後はお役所仕事。勝手に受領されるものだ。

朝子あさこ葛西かさい先生が来る」

「えっ、何で分かる?」

「お前達席に座れー」

 ホームルームの予定より三分ほど早く女性の教員が教室に入る。日折ひおりの前の友人は壁の時計と教師を交互に見つつ、不満気な表情で自席に戻った。引っ越しという出来事があった日だというのに、世界は変わらずに平常運行を続けている。

 教壇に立った葛西かさい先生は教室を見渡すと出欠席の記録を付け、開いていた冊子をパタンと閉じる。授業が終わるまであと少しだ。

「お前達、今日の連絡事項は何だと思う?」

「明日学校休みになるとか?」

「購買が三割引きとか」

「先生が年下彼氏と別れたとか」

「全部お前達の願望じゃないか」

 それぞれが適当なことを言って和やかな雰囲気が流れる。この楽しげな温度にも日折ひおりは段々と慣れてきていた。正体不明だった学校という存在に憧れと畏怖を覚えていた頃は遠く、今はこの雰囲気に心地良さすらも覚えている。

 それもこれも、染野そめのの犠牲がなければあり得なかった話なのだが。

「何と」

「何とー?」

「何も連絡することがない」

 前述した通り、今日も世界は変わらずに平常運行を続けている。これがいつまでも続けば良いと願ってしまうのは幸福に慣れた日折ひおりの煩悩か、それとも切な願いか。だが、その変化はきっと良いこと尽くめではないのだ。

「ホームルームは終わりだ。各自、明日に備えるように。以上」

 全ての授業から解放された生徒達がそれぞれの場所へと移動を始める。部活のある生徒達は教室を勢いよく飛び出し、用事もなく寮に戻るだけの生徒は談笑を再開した。

 日折ひおりが立ち上がって鞄を掴もうとすると、不意に教室を出ようとした葛西かさい先生が何かを思い出したかのように喋り始める。

「そうだ、私はこれから諸事情ですぐに帰る。連絡事項は山田先生に」

 連絡することがあったじゃないかと思いつつ、教室をそそくさと出て行った葛西かさい先生の背中を見届ける。日折ひおりも鞄を掴み取ると迷いなく教室を出て、葛西かさいとは反対方向の階段へ向かう。

 その後ろを朝子あさこが付いて行く。

「(早く飾身かざみの家に帰らなきゃ……)」

 楽しそうに騒ぎながら横を通り過ぎる部活動中の生徒を脇目に、階段を降りて昇降口へと向かった。日折ひおりも彼らと同様にやるべきことがある。

 その時、朝子あさこ日折ひおりが昇降口へと向かっていることに気が付く。彼女がかつて暮らし、朝子あさこが今も暮らしている寮へ行くことはない。彼女の感覚からすればピンと来ないだろう。

「どこ行くお嬢……って、もう寮に住んでないのか」

 朝子あさこに呼び止められるが途中で理由が消える。いつもの感覚で寮に戻ろうとしたようだが、生憎なことに日折ひおりはこれから下校するのだ。ここを出て弟の待つ自宅に戻らなければならない。あのボロアパートに。

「……帰る」

「お嬢が寮から出たら、静か過ぎて耐えられないよ」

「元々私は喋らない」

「ははは、そりゃそうだ。私がずっと喋ってるからね」

 人通りの少ない昇降口で、日折ひおり朝子あさこの二人だけが会話をしている。こんなことは普段にはなかった。今日が初めての出来事だ。それぞれが勝手に過ごす寮の二人の部屋には、こんな寂しげな雰囲気はなかったのだから。

「また明日な!」

 朝子あさこを背に校舎を出る。誰も居ない夕日の中を一人で歩き、そのまま真っ直ぐに校門を潜って外に出た。前を歩く者も並ぶ者も居ない、当然後ろを歩く者も居ない寂しい道。日折ひおりのように寮に住まない生徒は居ない。

 そんな無理を通したのはきっと彼女だけなのだ。

「(……取り敢えず、中古の冷蔵庫探さなきゃ)」

 コツコツと靴音だけが響く道路。不意に、聞き慣れた声と見慣れた姿の情報が日折ひおりの脳に届く。

「ま、待たせたね飾身かざみくん」

葛西かさい先生、呼び出す場所おかしいですよ」

「あー……すまない、ちょっと我慢できなかったんだ」

 ボブくらいの髪型の女は日折ひおりも知っている。いつも学校で会っている担任の葛西かさいだ。年齢は確か今年で二十八歳、年下の恋人が居る。忘れる筈のない人の姿ともう一人、絶対に忘れる筈のない人の姿。彼女の弟、飾身かざみがそこに居るのだ。

 見つからぬ為に建物の影に隠れて様子を伺うと、これが現実だと肯定するようにいくつもの事実が日折ひおりを乱打し始める。

「人目に付きますよここ」

「す、すまない!行けると思ったんだ……」

「機嫌直して欲しいならさっさと行きますよ」

 そう言って二人は道の先へと進んでいき、次第に声と足音は遠ざかっていく。ここで二人の背を追うこともできたのだろうが、結局のところ日折ひおりは立ち尽くすことしかできなかった。

 小さく口を開けて、直視できないような現実を理解したくないと必死に思考を遅延させる。どうしようもないことはどうにもならない。

「……何で」

 あの二人にどのような接点があるのか。一体どこで繋がったのか。もし二人が離れていたこの三年間に、染野そめのがあの葛西かさいと関係を持ち続けていたとしたならば。葛西かさいは、一人で過ごす日折ひおりを見ながら三年も誑かしていたのだ。

 金銭的な問題があってこうなったのか。それとも染野そめのの仕事関係の人間なのか。どちらにせよ、あの鮮やかな声色の説明にはならない。今までの人生で聞いたことのないような明るい声は、一度だって日折ひおりに向けられたことはない。

 彼女は拳を強く握る。

「どうして」

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