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ガランドゥ『仮想現代戦記』  作者: 扇屋
赤の火鼠 第1話『噛み跡』

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プロローグ

プロローグ



 二千二十三年、東京郊外にて。

「きょ、今日は見学で来たんですか?」

隊長たいちょうに言われてるの。生で現場を見ろって」

 二人の女を乗せたエレベーターが最上階で止まる。廃ビル同然の荒れ具合の階に彼女らは降り、そのまま硬質な足音を響かせながら前に進む。まるで彼ら以外に誰も居ない環境のように思える静寂せいじゃくさだったが、そこにはもう一人が居た。

 窓際で少年がうずくまっている。十六歳程度の。

「来たよ、染野そめの隊長たいちょう

「シルバー7を呼んだのに、何で粳部うるべまでここに?」

「まあ、弟子でしの様子を見に来たということで……」

「……そうか」

 腕の通っていない袖を振り、粳部うるべと呼ばれた女が返事をする。眼帯がんたい隻腕せきわんという物騒な恰好でありながら話し方はフランクであった。シルバー7と呼ばれた女と粳部うるべが少年の前で止まり、同時に彼も起き上がる。

 少年の背は粳部うるべと同じ程度であった。

「現在、曽根そね大臣暗殺に失敗し逃走中の工作員を包囲した」

「敵は『司祭しさい』なのに、暗殺失敗って間抜けだなあ」

「奴らは仲間と合流するつもりだが、俺が未然に阻止する」

「そ、そういえば、シルバー7さんは司祭しさいの実戦は初ですか」

 子供の司祭しさいだとしても、有用なのだから使わなければ損なのだ。一般人を何百人と無駄にすることよりも、司祭しさい一人を戦わせることの方が圧倒的にコストパフォーマンスが上なのである。無意味な雑兵として命を消費することに意味などないのだ。

 染野そめのは横目に窓の向こうを眺める。状況に変化はない。

「そう。私はやらないけど」

「……イラクの手先を逃がすわけにはいかない。よく見とけ」

 シルバー7という名の褐色の女が窓際に立ったその時、彼の耳元のイヤホンに通信が入る。ノイズ混じりの中年の男の声を聞いた。それは戦いの合図。

『隊長、別動隊が配置に着いた』

「了解」

『外交の問題も片付いたそうだ。いけるぜ』

 命令を受け染野そめのは窓の縁に立つ。目標が移動したという連絡はなく、依然として視線の先にある路地裏に隠れている。彼らが法的な問題に悪戦苦闘して動けぬ間に、仲間と合流して逃亡するつもりだったのだろう。

「ねえ粳部うるべ、敵の詳細は?」

うで司祭しさい、国に属し要人暗殺に関与した司祭しさいです。お上が面倒そうでした」

「ああ、他国との交渉やら何やらでか」

 その時、染野そめのはビルから飛び降りる。大きく空を跳んだ後、放物線を描いて看板へと降下しそれを踏み付けた。衝撃で看板がひしゃげた瞬間に跳び、路地裏で待機していた男に踵を落とす。しかし、すんでのところで腕を使って防がれた。

 奇襲が失敗した染野そめのは敵から距離を置く。

「子供の司祭しさいか!?」

司祭しさいの相手は司祭しさいにしかできない」

 染野そめのはつま先でコツコツと地面を叩き、息を整えて敵に迫る。貫手をその腹部を狙って放つが躱され、反撃の蹴りを受けそうになると上体を逸らして躱した。連続して放たれる拳を避けつつ弾き距離を調整しようとするも、次第にその勢いに押されていく。

「(それなりに速いな……)」

 キリがない為に敵の拳を片手で受け止めて掴み、空いた手で彼の胸を突く。傷口から血が溢れると彼は途端に染野そめのから離れ、身の危険を覚え距離を置いた。彼が見た目の割に動けることに驚いたのかもしれない。

 その頃、粳部うるべとシルバー7は窓辺から観戦を続けている。

司祭しさいには『概念防御がいねんぼうぎょ』があります。これが生物と文明を拒絶するんです」

「それは知ってる。私も持ってるし」

 その時、落ちた看板が当たって傷付いていた電線が千切れる。電気が漏れ出る危険な電線が地面に落ち、暴れて敵の男にぶつかった。しかし、彼は何も気にしていないかのように立ち尽くしており、電撃は彼の体を通らない。

 それが『司祭しさい』ということだ。

「あんな風に、兵器じゃ彼らを殺せない……」

 染野そめのは男へと距離を詰め、殴り掛かった拳を躱されるも足払いで姿勢を崩す。しかし、敵は不意を突くと左肩を貫手で貫いた。染野そめのも痛みを感じているが顔には出ず、伸ばされていた彼の腕へ拳を打ち込む。今のところ、大人との体格差はあれど互角だ。

「自分を襲う概念がいねん拒絶きょぜつし、受け入れない……」

「まあ……核兵器より上って評価は妥当だわなあ」

司祭しさいを守る概念防御がいねんぼうぎょを破れるのは、同じ概念防御がいねんぼうぎょだけですから」

 司祭しさいには司祭しさいの攻撃しか通用しない。概念防御がいねんぼうぎょは全てを弱め、これを前にすれば拳銃も毒物も無用の長物。この状況下では染野そめのの判断に全てが掛かっている。

 敵の胸へ向かって進んだ貫手が弾かれ、敵が染野そめのから距離を置く。彼はこの感じと、経験から相手が何をしようとしているのかが分かった。まともに戦っていれば埒が開かないと判断したのだろう。確実に奥の手を使うつもりだ。

祭具奉納さいぐほうのう、握り潰すはきぬ巫女みこ

祝詞のりとうたうか……」

 廃ビルの窓からシルバー7が身を乗り出す。これが見逃すことのできない、司祭しさいの本気の戦いだ。染野そめのが見せたかったものである。

「『祭具さいぐ』のお出ましか!」

「(まさか、彼はこれを見せる為にわざと……!?)」

 司祭しさいが持つ最大の切り札。人にもよるが状況をひっくり返しかねない神様の道具。司祭しさいそれぞれに与えられた祭りの道具、それが祭具さいぐ権能けんのうを司る為の道具を遂に出したということは、それを使えば彼を倒せるという自信があるのだろう。

 染野そめのが身構える。

肢身幻獣ししげんじゅう

 敵の手に黒光りする万年筆が握られ、彼はそれを勢いよく壁に突き刺す。その瞬間、壁や染野そめのの足下から無数の大きな腕が現れて全身を掴む。彼の祭具さいぐはあの万年筆で、それが司る権能けんのうは影から腕を無数に伸ばす力なのだろう。

 染野そめのは身動きを取らない。

「ん?隊長が動かないぞ」

「あの万年筆の祭具さいぐ、事前に聞いてたよりも強いですね」

「いいの?」

 粳部うるべが手を貸すことはない。きっと、彼がこの程度では負けないと信じているのだろう。とは言えここまで冷静な反応では、いつか成長を見守るという名目で見殺しにされるのではないだろうか。シルバー7はそんなことを考えていた。

染野そめのさん、強いですから」

 染野そめのの全身を掴み押し潰す腕が、今度は彼を四方八方に引き千切ろうとする。司祭しさいの身体能力でもこのままでは流石に死んでしまう。

 死にたくないのだから、やるに決まっている。

祭具奉納さいぐほうのうすすささぐはつゆさかずき

 染野そめの祝詞のりとを歌う。敵が権能けんのうで彼を殺そうとしてきているのだから、こちらも祭具さいぐを解放しなければフェアではない。一発逆転の切り札がそちらにあるように、最後の手段はこちらにもあるのだ。

 祭具さいぐ染野そめのの手に現れる。


削身噛身切そぎみかみきり


 祭具さいぐの手袋が両手に現れた瞬間、権能けんのうを発動し全身を掴む腕の肉を削ぎ落とす。骨だけになった腕は彼の体を離し、着地した染野そめのは再び権能けんのうを使おうとしていた敵の脚の肉を権能けんのうで噛み千切る。彼が自立できずに倒れた。

「なっ……この……」

 瞬間、染野そめのの体のいくつかの部位が裂けて出血する。裂けた一部の肉が剝がれ落ち、よろけた染野そめのは壁に手を着く。彼は権能けんのうを使う度にこの怪我を負うことが唯一の難点だ。司祭しさいに必ずある弱点からは逃れられず、付きまとい続ける。

 粳部うるべとシルバー7が窓から飛び降り、彼の下へ歩いて行く。

「あっ?今の何?」

司祭しさいには権能けんのう弱点じゃくてんが一つずつあります。彼の場合は……」

権能けんのうを使って肉を削ぐ度、自分の身も削がれるわけだ」

 倒れた司祭しさいの後頭部を染野そめのが殴る。敵は完全に意識を失い、戦いは終わった。

 司祭しさいは通常の人間よりも優れている。『何か』から与えられた祭具さいぐ権能けんのう、そして概念防御がいねんぼうぎょはこの世の全てを凌駕りょうがする。だが、完璧な存在などない。人によって様々だが、足を失う弱点だったり言葉を失う弱点だったりと種類は豊富だ。

 使う度に肉体を消耗してしまう『削身噛身切そぎみかみきり』は使い勝手が悪い。

「……痛そうですね」

「それより早く奴を捕縛しろ」

「もうやってますよ」

 染野そめのが敵の方を振り向くと、既に彼は光の鎖で封印されていた。このまま更迭するのだろう。粳部うるべのあり得ない速度と技術は人間の域を超えているが、彼女は司祭しさいではなくただの人間だ。魔法染みた力が使えるだけで。

 シルバー7もその速度に目を見開く。

「いつやったの……!?」

「さて、いつでしょう?」

「……これで、ただの人間か」




【1】


 少年は全身に包帯を巻き帰路に着く。施術は終わっているとはいえ、現状は傷口を無理に糸で塞いだだけであり、派手に動けば大量出血は避けられない。だがその少年は、染野そめのは特に表情に出さずに歩き続ける。

 彼が人気のない朝方の路地を抜ける。朝露で濡れたツツジを横切って道路を歩いていくと、不意に誰かが塀の上に飛び降りてくる。

「いっ痛そうですけど、よく歩けますね」

「一応、血が出ないようにはしてある。粳部うるべ

 粳部うるべが塀から飛び降りた。一体どこからどうやって飛んできたのか、その速度は司祭しさいの彼でも捉えられない。彼女が組織内で重要人物である理由がこれだけで分かる。司祭しさいではないただの人間が、この動きをするのだから。

 彼女が染野そめのに並んで歩き出す。

司祭しさいって、麻酔や薬が効かないから大変ですよね」

「……自分の治癒力に任せるわけだ」

司祭しさいは親知らずを麻酔抜きで抜くわけですか……嫌だあ」

「ああ……?」

 親知らずが生えていない彼は、それについては同意できない。

 染野そめのが先導し角を曲がると自宅のアパートを目指す。古めかしい錆びた外観のアパートの一室が彼の住む部屋だ。寝泊まりと仕事が来るまでの待機をするだけならばその程度の簡素な部屋で問題ない。

「さっきの司祭しさいは、もう封印したか」

「ええ、取り敢えずは。量刑はこれからですね」

「そうか」

「……今回、結構ボーナスを貰えたんじゃないですか?」

 染野そめのはまだ確認していないが相当な金額がボーナスとして振り込まれている。命を賭けて戦っているのだから、高額な支払いになるのは当然だ。しかし、大金を支払うから死ねと言われて死ぬ人間は存在しない。

 司祭しさいですら致死率の高いこの仕事は、ボーナスを含めてもまだ安い。

「そうだな」

「……昔、聞いたことがありましたね。何で働いてるのか」

「……金の為だ。とにかく金が要る」

「子供にあっちゃいけない動機……ですよ」

 染野そめのは金を求めている。命を賭して組織に尽くす理由も、全ては金を得る為だ。痛みを感じていても何も言わず、少年は軋む体を酷使して帰路に就く。

 彼らはアパートの階段を登り二階を目指す。

「ところで、本当に怪我治さなくていいんですか?」

「……この方が都合が良いんだ」

「私なら……一瞬で治せるのに」

 染野そめのが鍵を開けて室内に入ると、何故か粳部うるべも着いてくる。狭い殺風景な室内に家具など殆どない。布団どころか布一枚もなく、ちゃぶ台すらも置かれていない。部屋の中心には固定電話が一台だけ鎮座しており、コンセントからはPHSの充電コードが伸びている。

「こういうことだって」

 彼女が壁に手をかざした瞬間、壁を青い光が伝って台所の蛇口に辿り着く。途端に歪んでいた蛇口が元の形に戻っていき、亀裂も謎の力で修復されていった。これが、粳部うるべが最強である由縁だ。

 青い光が消える。

法術ほうじゅつ……修理までできるのか」

「まあ、このレベルは私くらいなものですけどね」

「……人類最強なだけはある」

 法術ほうじゅつ、それは人間に使える秘術の一つ。彼女が以前に披露したように鎖を展開して敵の身動きを封じる他、身体や物の修復までも可能とする。彼女のあり得ない高速移動もこの力を用いているのだろう。

 ただの人間がここまでめちゃくちゃをやろうと、染野そめのやシルバー7のような司祭しさいの重要性は下がらない。粳部うるべはとんでもない法術ほうじゅつの才能の持ち主であり、他の一般職員とは一線を画す超人的な存在だ。それでも組織は彼らを飼っている。

「ところでこの部屋、殺風景ですね」

「……置いた方が良いのか?」

「ふっ普通の人は置きますよ」

「……そうなのか」

 無表情の染野そめのは何かを考え込んだ後、玄関から居間に向かうと古びたダウンジャケットを脱ぎ捨てる。昭和のような部屋に似つかわしくない少年は、血の染みた包帯を巻いたままだ。粳部うるべは彼のボロボロの体を眉をひそめて見つめる。

「何を……置けばいい?」

「えっ?置きたい物を置けばいいんじゃ」

「……言われた物を置く」

 何も分かっていないような反応をする染野そめのに、粳部うるべは更に眉をひそめていく。その時だった。突然、室内にインターホンが鳴り響く。普段来客が訪れることがないからか彼は驚き、誰が来たのか確認しようと動く。

 だが、扉に近かった粳部うるべが先に動いた。

「私が」

 そう言って彼女が何も確認せずに扉を開く。ゆっくりと、古く軋んだ扉を開いていく。扉の隙間からシルエットが見えた時、彼はそれが誰なのかを理解してしまった。彼の目は大きく見開き、動きは硬直する。

 ふと、染野そめのはいつかの出来事を思い出す。



『何て馬鹿なことを……お前はいつか、それを後悔するんだぞ』

『……稼ぐことを?』

 始まりは六年前、染野そめのに悲しく語りかける男の顔を、声色までも彼は覚えている。それはどうやっても彼の考えが変わらないことを悟ったからなのか。自ら苦痛に飛び込もうとする、幼さ故の愚かさを憐れんだからか。どちらだろうと彼が止まらないことには変わりない。

『違う!何の為にもならないことに、時間を使うことだ!』

『……いや、あの人の為になる』

 彼女の為に染野そめのはこの組織に入ったのだ。



「はーい」

「……誰?」

 粳部うるべが開けた扉の先には、姉が居た。もう六年も顔を合わせず口座に送金するだけの関係だったというのに、何故かどういうわけか唐突にここへ来たのだ。PHSの番号どころか住所すら教えていなかったというのに。

 昔と変わらない、無口な女がそこに居る。

「えっえーと、その……仕事の上司で……粳部音夏うるべおとかです」

「……姉の日折ひおり

「あー……染野そめのさんお願いします」

 口下手な女が音を上げて玄関から離れる。

 染野そめのには意味が分からない。どうして彼女がこんな場所に居るのか。どうやってここに来たのかよりも何故来たのかの方が重要だ。一体、その氷のような表情の奥で何を考えているのだろう。

 日折ひおりが彼を見る。

飾身かざみ、どういうこと?」

「……粳部うるべ、もう帰ってくれ」

「はっ話ややこしくなりますもんね」

 粳部うるべがそそくさと部屋を出ると後ろ手に扉を閉め、空間は完全に無音になる。気まずい雰囲気の中、二人は硬直したまま動こうとしない。そして、彼らが六年ぶりに交わす言葉は大した言葉ではなかった。

「あの女何?」

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