3話それぞれの思い
「あ〜!もう!なんなんだよ!」
『ユーグレナ対策室』に響き渡るリュウの怒号。同時に、
バリッ!
何やらを力任せに破ったような音。
「たく!朝っぱなから、こんなもん見せやがって!」
時計の針は9時20分を指している。まもなくNEVERの始業時間というところなのに、一体何があったというのだろう。
「自業自得だろ。止める間もなく読みやがって。」
トワが、自分の席に着きながら言う
「読んだわけじゃねぇ!わざわざ開いて置いてありゃ、嫌でも目に入るだろうが!しかも、こんな大きな字で見出し打ちやがって!」
リュウが床に叩きつけたのは…折り目のところできれいに縦半分にちぎれた週刊誌。誌面には『NEVERの実態〜シグマのお膳立てなしには何もできない防衛隊』なる見出しがでかでかと躍っている。読まなくたって、カラカルユーグレナの件に間違いない。メンツを潰された小堀による事実の歪曲と、それを真に受けた内容であることは、火を見るよりも明らかだ。
「おまけに、この日付!先週発売の奴じゃねぇか!誰だよ!こんなのわざわざ、俺の机に投げて行きやがったのは!」
どうやら、リュウが席に着こうとしたら、机の上にこの週刊誌が乗っていて、見出しが目に入ったということか。そりゃ、怒って当然だ。
「そんなしょうもないことする奴、ここには一人しかおらん。どうせ、あいつが隊長迎えにきた時に忘れて行ったんだろ。」
「隊長を迎え?そういや、隊長、どこ行ったんだ?」
部屋を見渡すリュウ。
「防衛省で会議だと。たく、暇人共が。朝9時からやることじゃないってんだ。」
「9時なら普通だと思うが?」
「なんでだ。ここは早くても会議は10時半以降だぞ。」
不思議そうな視線をリュウに向けるトワ。
「だから、9時半始業ってほうが珍しいんだが。」
「そうなのか?」
「そうなのかって…他は大体8時半始業だぜ。」
「知らん。私はここのことしか分からんし、決めたのは総監だしな。」
つんとするトワ。
「でも、隊長と副隊長はいっつも早く来てるじゃないか。俺には10分前の9時20分までは絶対に来るなと言っといて、初日と今日以外、俺が来た時にいなかったことがねぇぞ。」
「まだ今月入隊したばかりだからさせていないが、お前も来月からは夜勤に入ってもらう。それに、緊急の呼び出しもこれからあるだろうからな。そうそう時間外労働されてはかなわん。」
答えになっていない。管理職だから自分達はいいとでも言いたいのだろうか。忘れていた、リュウが入隊してから今日で10日である。ユーグレナの暴走が始まったといっても毎日何かしらが起きるというわけではなく、カラカルユーグレナの後は今のところ小康状態だ。
「そういや副隊長、さっき『宇宙怪獣対策室』から出てきたが、なにしに行ってたんだ?」
「なんだ、見てたのか。ちょっとした情報収集だ。」
エレベーターを降りて右手がリュウ達のユーグレナ対策室だが、反対の左手側には『宇宙怪獣対策室』がある。エレベーターを降りたリュウが、そこから出てきたトワとばったり出会い、一緒にディレクションルームに来たという次第。
「ふうん…で、俺の机に嫌がらせしたあいつって、誰のことだ?」
「補佐官だ。夜野道補佐官。あいつ、防衛省に隊長が行くときはいっつもお供するんだが、なぜかそういう時はやたらとウキウキしてやがる。」
「それでうかれて、こんなの忘れてったってのか。えらい迷惑だ。」
「あいつは意識してだろうと、無意識だろうと、人を不快にさせるからな。ある意味天才だ。」
トワの顔に嫌悪感が漂っている。かなり厄介な人物らしい。
「それで、隊長はいつ頃帰ってくるんだ?」
「多分、昼過ぎだな。会議行ったら長い。」
「やれやれ…」
「まあ、時間だ。お前はいつもの仕事しとけ。」
「ルーガスト。」
10日もすればリュウも慣れたようで、さらっと返事をすると、端末の電源を入れる。
「えっと…は…や…く…し…ろ…と。」
「ただいま。」
「ブハッ…た…隊長!?」
あまりのタイミングのよさに、思わず吹き出すリュウ。いや、パスワードが悪いとしか…
「やあ、トワ、リュウ、おはよう。」
ヒカリがにこやかに声をかけてくる。
「おはようございます…てか、隊長!もう会議終わったんですか?」
「なんだ、もう戻ったのか。」
慌てて立ち上がり、挨拶をするリュウに対し、無表情に、座ったままヒカリを一瞥するトワ。
「会議?つまらないから帰ってきた。」
リュウに座るよう促し、自分も席に着きながら、ヒカリが言う。
「いいのかよ!」
「だって、行ってみたら、今日の会議で会議してほしい議題を出してくれ、なんて言うから。」
「なんだよ、それ!」
「泥縄会議か。」
リュウも、さすがにトワも呆れた表情。正に、泥棒を捕らえて縄を綯う、だ。
「上層部が、会議したって実績が欲しいだけなんだよ。そんなものに付き合ってるほど、私も暇じゃないんでね。」
「そりゃそうだ。」
新入隊員に言われるようでは…
「それはそうと、隊長。あいつはどうした?」
トワが聞く。
「ああ、どっか行っていたから知らない。」
「おい!そんなことしたら、またネチネチ言うだろうが!」
「別に、護衛はいらないって言ってるのに、勝手について来た人の行動まで把握しないよ。気付いたら帰ってくるんじゃないの?」
これでヒカリに伝わるということは、ヒカリも…と、そこに…
「ちょっと、隊長さ〜ん!置いて帰るなんて、酷いじゃないですか!」
甲高い、いや、耳をつんざくと言ったほうがいい程のキンキン声が響き、30前後の、背の低い、ふくよかな女性がディレクションルームに飛び込んできた。といっても、女性の平均的な身長と体型なのだが、トワが165センチぐらいと高めの身長にすらっとした、どちらかというと男子寄りの体格をしているから、それに比べたら、である。
「やあ、夜野道さん。お疲れ様。」
さらっと返すヒカリ。特に嫌がっている様子は微塵も感じないが…
「お疲れ、じゃないですよ!会議の途中で抜け出すなんて!長官がおかんむりでしたよ。私、さっきまで謝り倒してきたのですから!全く!副隊長がけしかけたんですか?」
ふくれっ面をする補佐官。気持ちは分からないでもないが、最後の一言はおかしくないか?
「それはすまなかったね。でも、トワは関係ないから。」
「また!ほんと、この副隊長、どうやって隊長にとりいったのかしら!薄汚い小娘が。」
憎々しげにトワを睨む補佐官。どうやら、この補佐官、トワのことを相当嫌っているようだ。なぜなのだろう。
「補佐官。本当に私の一存だから。まあ、私の尻拭いしてもらうのも悪いし、今後はついてこなくてもいいから。」
「ダメです!これは私の業務の一環ですから。隊長さんがそうおっしゃるからといって、やめるわけにはいきません。」
「それなら、上層部にかけあうよ。毎回私の気まぐれに振り回されるのも、大変だろうからね。」
「結構です。隊長さんと二人きりになれるチャンスは、これしかないのですから!」
ん?補佐官のこのセリフは…
「そういうことか…」
何やらピンときた様子のリュウ。しかし、当のヒカリは…まるで気付いてなさそうだ。
「そう言われてもねぇ。どうせ会議の席には君はいれないわけだし。他の人もいるから、二人きりでもないでしょ。」
「ちょっと、副隊長!またあなたの入れ知恵なんでしょ!隊長から引き離そうったって、そうはいかないのよ!少しは身の程をわきまえたら?孤児のくせに!」
またトワを睨む補佐官。しかし、さっきからちょくちょくトワを貶める発言が混ざっているのはいただけない。
「だれもそんなこと思ってないが。」
「嘘おっしゃい!全く!図々しいったらありゃしない!これだから、親なし子は!」
「おい!言っていいことと悪い事の区別もつかんのか、こいつは!」
もう限界、と言わんばかりに、リュウが怒鳴りつける。
「こいつですって!?私は補佐官よ!あなた、誰よ!」
「補佐官のくせに知らねぇのかよ!隊長に夢中で、他のことは何も耳に入らないってか?そんなんでよく補佐官を名乗れるな!」
「え?あ!し…知ってるわよ!新人が入ったことぐらい!にしても口が悪いわね。副隊長!あなた、新人にどういう指導してんのよ!ほんと生まれが分かるわ!」
どうしても、トワを悪者に持っていこうとする。支離滅裂もいいところだ。
「口悪いのはあんたもだろ!たく、こいつかよ!副隊長の顔見りゃ嫌味言うババアって。」
「なんですって!?」
「本人の目の前で、口に出す奴があるか。」
トワがぼそっとつぶやいたが、幸い、補佐官の矛先は完全にリュウに向かっていたため、聞こえなかったようだ。
「あのね、私は補佐官として10年ここにいるのよ!あんたとは格が違うの!新人なら、ちゃんと私を敬いなさい!」
「あんたも小堀と同レベルかい!補佐官、補佐官うるせーわ!」
「小堀?あんなひねた男と一緒にしないでくれる?私は23の若さで補佐官になったけど、あそこまで偉ぶったりはしないわ!」
どこが?それに、若くしてとか、自分でいうことか?
「23から10年?33なら、俺の倍以上じゃん。若いってほどでもねぇわ!」
「まあ!なんて生意気な!ちょっと、副隊…」
「なんでもかんでも副隊長のせいにすんじゃねぇ!よくもまあ、次から次へと!いや、嫌みレベルじゃねぇ!人としてどうなんだよ!そんなんじゃ、ババアって言われてもしょうがねぇわ!」
「キー!どこまで馬鹿にするの!ほんと、こんなふく…」
「まだ言うか!懲りねぇ奴だな!あんたのキンキン声聞いてたら頭痛くなる!仕事になんねぇから、とっとと帰りやがれ!」
「そうですよ、補佐官。あなたの仕事は、ここでトワさんに嫌がらせすることではないでしょう。」
新たな女性の声が割って入ってくる。やってきたのは、黒いパンツスーツを着こなしたスレンダーな女性。といっても、こちらは…実物に会うのはリュウは初めてだが、顔はよく知っている相手だ。
「やあ、秦野さん、いらっしゃい。」
ヒカリが声を掛ける。
「おはようございます、隊長。トワさん。」
「おはようございます。あの、初めまして。」
「おはよう、リュウ君。かしこまらなくてもいいわよ。怪我のほうは大丈夫?入隊早々がんばってるわね。」
立ち上がったリュウをさり気なく制しながら、微笑む女性はー秦野総監代理だ。穏やかで、それでいて凛とした雰囲気がある。補佐官より10歳は年下に見えるが、人柄は桁違い、とリュウには思えたのだが…
「またうるさいの来た…」
ため息をついているところからして、トワにとってはどちらも似たり寄ったりのようだ。
「何しにきたのよ、総監代理!」
今度は総監代理にかみつく補佐官。
「何しにって、廊下中に響いてますよ、あなたの声が。ここ、一応防音室なのに、意味ないじゃありませんか。」
「あいつが悪いのよ!私を怒らせるから!」
リュウを指差し、プンスカする補佐官。
「あら。どう聞いても、あなたが原因としか言いようのない話でしたけど。」
「ほっといてよ!」
「あんまり隊長の前で醜態を晒さないほうがよろしいですよ。お子さんの悪口を聞かされて、喜ぶ親などいませんから。」
「子どもっていっても、養女じゃないの…」
ブツブツ言いながらも、トーンダウンする補佐官。
「というか、総監代理。仕事というなら、あなたもちゃんとしてくれない?」
「何がですか?」
「いつになったら総監に会えるのよ。補佐官になってからずっと面会希望してんのに、なんだかんだ先延ばしした挙げ句、5年前にいきなりあなたが代理だと言ったまま、ほったらかしじゃないの。」
「あら?まだ呼ばれてなかったのですか?」
驚く総監代理。いや、その表情…とぼけているだけとしか…
「なによ、しらじらしい!」
「10年も放置とは、総監にとっては、よっぽどあなたの優先順位が低いのですねぇ。トワさんはとっくにお会いしていらっしゃるのに。」
そんなことを言ったら火に油を注ぐようなもの…案の定…
「なんですって!?こんな、どこの馬の骨か分からないような娘より、私の優先順位が低いって言うの!?」
「あ〜もう!総監代理も煽り体質だったのか!」
またヒートアップした補佐官に、リュウが頭を抱える。そりゃ、トワがうんざりするわけだ。全く、ヒカリといい、総監代理といい、さらっと毒を吐いてくれる。
「補佐官。そういうところではありませんか?」
「何がよ!」
「総監、トワさんのことがお気に入りなんですよ。副隊長にしたのも総監ですし。そのトワさんの悪口を言う人に、会いたいと思うわけがないじゃないですか。」
「そんな個人的感情で補佐官の私を無視するなんて、職務怠慢じゃない!あなた、代理なら総監を注意しなさいよ!」
散々トワを個人的感情で攻撃しておいて、よく言うわ!呆れるリュウ。
「あとですね。あなたはNEVERの組織全体をまとめる総監の補佐をする立場ですよ。それなのに、ヒカリ隊長に関する業務だけ熱心にやっているって、もっぱらの噂ではないですか。それも総監の心象を悪くしているかもしれませんから、気を付けてください。」
「余計なお世話よ!とにかく、総監を説得して、はやく会わせてよ!」
「はいはい。ということで、補佐官は自分の職務に戻りましょうね。さ、行きますよ。」
まともに相手にせず、補佐官をドアのほうに押しやりながら、総監代理がヒカリに目配せする。
「隊長、補佐官のことは私にお任せください。」
「ああ、秦野さん、ありがとう。」
「ちょっと、隊長さ〜ん!なんでこんな女にお礼言うのよ〜!」
「あ、総監代理。待ってくれ。」
急にリュウが呼び止める。
「どうしたの?リュウ君。」
「いや、ちょっとしゃがんでくれるか?」
「え?」
「いいから。すぐすむから。」
「え…ええ…」
首をかしげながら、総監代理が体勢を低くする。
「これでいい?」
「ああ。忘れ物だ!!」
瞬間、床から真っ二つになった週刊誌を拾い上げたリュウが、それを二つ共、補佐官に投げつけた。
「キャッ!ちょっと!何すんのよ!」
顔面にまともにくらい、金切り声を上げる補佐官。まあ、20ページぐらいのペラペラな代物だから、さほどダメージはなかった様子だが。
「って、これ、私の私物!なんで破れてんのよ!」
「俺の机、物置きにしたそっちが悪いんだろ!それ持って、とっとと失せろ!」
「忘れただけじゃないの!破るなんて、最低!ほんと、ふ…」
「副隊長が何だって!?」
ギロッと睨むリュウ。
「え…えと…お…覚えときなさいよ!ほんとに、厄介なのが二人になるなんて!」
「なんか言ったか?今度は椅子ぶつけたろうか?」
「ヒッ…」
本気でやりそうなリュウの形相に、さすがに怯む補佐官。
「ほらほら、補佐官、お静かに。さ、行きますよ。それでは皆さん、失礼します。」
くすっと含み笑いをした総監代理が軽く頭を下げると、補佐官の背を押しながら出ていく。
「たく!今日は朝から気分わりいや!」
「お前なあ…なんで、喧嘩を買うんだ。しかも、私のことで。」
まだ興奮状態のリュウに、呆れたようにトワが声を掛ける。
「副隊長こそ、よく平気だな。あんなひでぇこと言われてよ!」
「私に親がいないのは事実だ。言われても仕方ない。」
別に気にしていない、と言いたげなトワ。しかし、リュウは気が収まらない。
「今はいるだろ!てか、仕方なくなんかねぇ!どんな理由だろうと、人見下していい理由になんねぇんだよ!」
「だからって、お前が怒ることないだろ。なぜそう熱くなる。」
「別に。ただ許せねぇだけだ。人には事情ってもんがあるんだよ。大体、あの補佐官、あんなこと言うってことは親揃ってんだろうが、ろくな性格に育ってないじゃねぇか!親がいりゃまともってわけじゃねぇって、自分で証明してるようなもんだ!」
「はあ…隊長。こいつ採用したのはこれが理由か。隊長そっくりだ。他人のために必死になりやがって。」
ヒカリを見るトワ。
「ハハハ、バレたか。そうなんだよ、なんか、私の若い頃を見ているようでね。」
「若い頃でもないだろ。隊長は今でもこんな感じだぞ。」
「そうかな。まあ、リュウ。気持ちは分かるが、少し落ち着いて。理不尽には真正面からぶつかるだけが方法って訳でもないからね。」
「はあ…すみません。」
今更ながら、恐縮するリュウ。
「謝ることはないよ。君はまだ若いんだ。感情のままに動くことがあっても、無理はない。」
「はあ…」
「じゃ、大嵐は去ったことだし、仕事しよっか。」
「大嵐って、迷惑だったのかよ、隊長も!」
ほんと、本心が読めない人だな、と思いつつ、リュウはとっくに立ち上がっている端末に向かおうとして…
「あ、忘れるとこだった。隊長。ちょっといいですか?」
「なに?」
「あの、来週の火曜日なんですけど…」
何やらリュウがヒカリに話し始めた。
「おい!どこが役立たずの防衛隊だ!」
今にも崩れ落ちそうな廃墟の中から、男の怒りに満ちた声が響いてくる。
「お前のせいだぞ!お前が
いい加減な情報を寄越したばっかりに!俺を騙そうとは、いい度胸だな!」
暗がりの中、怒鳴っている男の毒々しい紫色の細い目が鋭く光っている。細い目と言っても、切れ長という意味ではない。黒目の部分が糸のように細いのだ。まるで明るい光を見ている猫の目のように。
「す…すみません。で…でも、わ…私は、決して!決して騙すつもりは!」
その男に首元をつかまれ、ボロボロの廃墟の壁に押し付けられている男が、苦しそうに叫んでいる。その男の白衣だけが闇の中に眩しく浮かび上がる。医者?いや、どこかの研究員か?
「嘘つけ!お前、やっぱり内心では人間の味方なんだろ!」
「そ…そんなことはありません!私はいつでも、あなたがたの味方ですから!」
「信じられるか!口先だけならどうとでも言えるわ!」
「本当なんです!あの防衛隊に関しては、本当に悪評以外聞いたことがないんです!それが、あんな武器を所有していたなんて!本当に知らなかったんです!信じてください!」
泣きそうな声で、繰り返し懇願する、白衣の男。
「どうだか。所詮お前も人間だからな。結局は俺達ユーグレナを道具としか思ってないのさ!」
「違いますって!」
「これじゃ、人間を滅ぼしたとしても、お前の命は助けてやるという約束も、考え直さないといけないな。」
「そ…そんな…」
「やめろ。そう疑ってばかりでは、それこそ人間の術中にはまるぞ。」
低い、静かな声が割って入ってくる。抑揚のない、冷たい男の声。
「そうよ。そもそもそいつをどうするかは、頭領が決めることなんだから。勝手なことをしたら、あんたが罰をくらうわよ。少し落ち着きなさい。」
今度は甲高い、これまた機械的な声ではあるが紛れもない女性の声が同意する。この女の目も、色は違うが、怒鳴っている男同様、黒目が細い。どうやら話の流れ的に、細目の男二人と女はユーグレナ、白衣の男は人間のようだ。
「これが落ち着いてられるか!こいつのせいで、せっかく改造したカマキリとカラカルが!」
「多少の犠牲は想定内だ。人間を滅ぼして、この世界を我々ユーグレナが手中に収めようというのだぞ。あっさり事が進んでも面白くはないだろう。少しは抵抗してくれないとな。」
「そうそう。まだ手駒は残っているし、心配しなくても人間がユーグレナを使い捨てし続ける限り、駒は増え続けるもの。少々の犠牲に目くじらを立てることはないわ。」
「フン!悠長なことを!こっちの苦労も知らないで!」
渋々ながら、紫目の男が白衣の男の首から手を離す。ほっと息をつく白衣の男。
「まあ、あの防衛隊連中の手の内は見えたんだ。そいつのことは、それで良しとしようではないか。」
「ケッ!お前、命拾いしたな。今度はちゃんとした情報を寄越せよ。」
「は…はい!」
ギロッと睨まれ、震えながらもうなずく白衣の男。
「もういい。下がれ!」
「は…失礼します。」
ぺこりと頭をさげた白衣の男が、そそくさと廃墟を出ていく。一気に闇が濃くなる廃墟の中。
「たく。忌々しい!人間が滅び、俺達ユーグレナが支配者となったこの世界が、見えているというのに、無駄な抵抗しやがって!」
赤い目の男が、どかっと瓦礫の山に腰掛け、何やらを顔の前で揺らしながらつぶやく。金色の長い鎖の先に、これまた金色の円形の物体がついている。この形状は、懐中時計であろうか。
「お前、先の先を読むのはいいが、もっと目先のことを読んだらどうだ?」
静かな声で話しかける、青い目の男。声からして、3番目に出てきた男だ。
「どういう意味だ?」
「もう少し頭を使えということだ。」
「なに!俺が能無しだと言うのか!」
食って掛かる、紫目の男。
「そうは言っていない。しかし、カマキリでやられたのに、なぜまた同じ手を使った。そんなことをすれば倒されるのも当然だろう。少しは策を練ったらどうだ。」
「策を練ろだと?あんな人間ごときに?」
「その油断がまずいのだ。確かに俺達は教えられたことを基に教えられていないことも推測することができる。それによって、今や人間を超える存在になりつつある。しかし元々、我らは人間が生み出したものだ。あなどってはいけない。」
「ちっ!そこまで言うのなら、お前にはその策とやらがあるのだろうな。」
椅子に座ったまま、紫目の男がじろりと青い目の男を睨む。
「ああ。あるさ。」
「なんだ。」
「押すばかりが手ではない。いざと言う時の逃げ場を用意すればいい。」
「逃げるだと!?そんな弱腰でどうする!」
「よく聞け。本当に逃げるわけではない。分が悪くなればいったん退避するのも一つの手だと言っている。犠牲を出したくなければ、それぐらいはしてやれ。」
「うっ…」
つまる男。痛いところを突かれたらしい。
「なら、その逃げ場とは?」
「我々はデータだ。だったらいい場所があるではないか。なあ、お前もそう思うだろ。」
「あれね。確かに、あれに入り込めば、人間は手も足も出ないわ。」
最後に出てきた、黄色い目の女がうなずく。どうもこの女は、青い目の男に同調する向きがあるようだ。
「そうだろ。あれがある場所なら、攻撃も退避も自由自在だ。」
「でも、あの防衛隊は私たちのコアを破壊できる武器を持っているのよ。それも想定している可能性あるわ。だとしたらそううまくいかないかも。」
初めて反論する黄色い目の女。
「だったら、人間の弱点をつけばいい。」
「弱点?」
「あの防衛隊も人間の集まりだ。だから、奴らは生身では飛べない。このあいだカラカルを斬ったやつがジャンプはしていたが、せいぜい1メートル弱だ。斧や剣をいくら振りかざしても、空中戦には対処できまい。」
「つまり…次はあれがある場所に駒を出現させ、それが突破されたら空中戦に切り替えろって?二段構えで行けと言いたいの?」
「そういうことだ。どうだね、先読み君。相手の情報からあらゆる可能性を考えて策を練る。これが成功の鍵であり、我らユーグレナの能力だろう。」
「フン。まあ、確かにそれだとうまくいきそうではあるな。」
鼻を鳴らしたものの、また懐中時計を揺らしながら、紫目の男が言う。
「いいだろう。お前の策とやらに乗ってやる。ちょうどその策に使えそうな駒を改造中だ。数日中には仕上がるだろう。その間に、あれがたくさんある場所を探っておくとしよう。」
「そうか。なら、実行はお前に任せる。」
「ああ。今度こそ、人間共も終わりだ。」
ニヤリと笑い、男が椅子から立ち上がった。
週が明けて、火曜日午前10時。いかにも学校の体育館という外観の建物内にある一室に、スポーツウェアを着た、体育教師らしい30代ぐらいの男性と、これまた生徒らしい少年が向かい合って椅子に座っている。室内にいるのは、この二人だけだ。
「そうか。NEVERに入隊していたのか。」
教師らしき男がうなずく。首から下げている名札には『松本』とある。
「はい。この間の電話では言いませんでしたが。」
「無事でよかった…元気そうでなによりだ。心配していたんだ、退学するという連絡を最後に、行方知れずになっていたから。先週君から電話がきて、ほっとしたよ。」
言葉通り、ほっとした表情を見せる教師に、黙ってうなずく生徒。じゃなかった、そこに座っていたのは、焔狐リュウだ。一見制服に見えなくもない、白のカッターシャツに黒ズボンの私服姿だから、見間違えた。尤も、松本の言い方からして、リュウはここの生徒だったようではある。この部屋はさしずめ、高校の体育教師用の研究室といったところか。
「しかし、他に手がなかったといっても…しかも、ユーグレナの反乱が始まった時に、よりによってその対策部隊にとは…一言相談してほしかったな。」
「すみません。けど…どうしても…奴らに行方を知られたくなかったので…」
「奴ら…まあ、気持ちは分かるよ…あれではな…」
うつむくリュウ。松本の表情も曇っている。
「…あの…奴らは…」
「怒鳴り込んではきたよ。知らぬ存ぜぬで通したけどね。実際知らなかったし。」
「そうですか…すみません…先生にはいっつも迷惑をかけて…」
「気にするな。これでも君の担任なんだから。生徒を守るのも仕事の一つだ。」
松本が優しく微笑む。
「ありがとうございます。それで、あの、電話でお願いした件は。」
「履修証明ね。用意してるよ。」
机の上から封筒を取り、リュウに手渡す松本。
「はい、これ。これで手続きするといい。NEVERに併設校があるとはな。しっかりした職場でよかった。」
「はい。」
「尤も、あと1年で卒業だから、このままうちに籍を置いていてもいいんだが…」
15歳のリュウが来年高校を卒業?と思われるかも知れないが…この世界には、保育園幼稚園の類がなく、4歳で小学校入学となる。そこから小学校6年間、中学校3年間の義務教育を経て、高校に、社会にと道が分かれていく。高校には進学校、専門校、普通校の3通りがあり…と、この辺りの説明はまたいずれ。ちなみに、リュウが通っていたこの高校は普通校で、退学していなければ、リュウは最終学年の3年生だった、というわけだ。
「しかし、そこは君の意志を尊重するよ。」
「はい、ありがとうございます。あと…先生、お願いが…」
リュウが松本の顔を見る。
「どうした?」
「あの…奴らにもですが、俺の行方は、クラスの連中や他の先生方にも…」
「分かっている。どこから情報が漏れるか分からないからな。君のことは私の胸だけに留めておくよ。」
「ありがとうございます。先生。」
封筒を手に席を立ったリュウが、松本に深々と頭を下げる。
「先生、今まで色々とお世話になりました。」
「よせ、リュウ。私は君の担任でいることまで、辞めるつもりはないぞ。君は今でも、私の生徒だ。何かあったらいつでも相談に乗る。遠慮するな。」
「はい。ありがとうございます。」
「頑張れよ。しっかり、やるんだぞ。」
「はい!」
元気に返事をしたリュウが、また会釈する。
「では、失礼します。」
「ああ。また来いよ。待ってるからな。」
「はい。」
リュウがドアの方に歩いて行くと振り返る。
「失礼しました。」
もう一度頭を下げ、部屋を出ていくリュウの姿をじっと目で追いながら、松本が本当はリュウに一番言いたかった言葉を呟いた。
「死ぬなよ、リュウ…」
リュウが研究室を出ると、辺りはしんと静まりかえっていた。誰一人館内にはおらず、がらんとしている。勝手知ったるとばかりに、さっさと体育館を後にするリュウ。出たところは運動場だが、そこにも生徒や先生の姿はない。時間的に2校時目だが、どの学年も体育の授業はないようだ。運動場の隅を歩きながら、リュウがチラリと校舎に視線をやるも、やはり授業の真っ最中らしく、窓から覗いている者はいない。してみると、リュウが念を押すまでもなく、松本はそれを見越して、今日のこの時間を指定したようだ。
「マッピー先生らしいや。」
フッと軽く笑うと、リュウは足を早め、正門へと向かう。と、門にもたれて立っている人影が。足首まである赤と白のグラデーションをした長い髪を垂らし、赤いマントをつけた女性…言うまでもなく、トワだ。
「副隊長、おまたせしました。」
「終わったか。」
相変わらず、感情のこもらない目でじろりとリュウを見るトワ。入隊当初と違うのは、リュウがさほどその目を気にしなくなったことであろうか。
「ああ。ちゃんともらってきた。」
「たく。なんでお前に護衛がいるんだよ。」
ムスッとしているトワ。組んだ腕の隙間から、トワの左手人差し指にはまっている指輪が、日の光を浴びてキラリと光る。
「知らねぇよ。俺が頼んだんじゃねぇもん。隊長のことだから、なんか考えがあったんだろ。」
「あるわけないだろ、隊長に。どうせ、たまには外に出て気晴らししろって程度だ。」
「辛辣だな。娘のくせに。」
「で、それは何だ。」
何やらを顎で指すトワ。リュウが持っている封筒のことか。
「NEVERの高校に編入するための必要書類だよ。これもらうために、元の高校に行くって言っただろ。」
「それは分かっているが、そのおまけはなんだ。」
「おまけ?」
きょとんとするリュウ。
「お前の後ろにくっついてるのは何だ。」
「は?後ろ?何もくっつけちゃいねぇけど…ギャー!!」
首をかしげながら後ろを振り返ったリュウが、悲鳴を上げる。
「なによ、リュウ。人をお化けか何かみたいに!」
「うるせー!急に現れたら、誰だって驚くだろうが!」
「あんたが気付かなかっただけでしょ。体育館出た時から、後ろにいたっていうのにさ。」
紺のブレザーに水色のスカート、こちらはいかにも制服といった格好の少女が立っていたのだ。ここの生徒のようだ。そして、どうやらリュウとは顔見知りらしい。
「何してんだよ!犬飼!」
「あんたがマッピー先生のとこ行くのが見えたから。気になって当然でしょ。」
「見えたって…授業はどうしたんだよ!」
「私、単位ほぼ取ってるから、今年度はあんま授業ないのよ。今日は1限と5限だけだから、暇なの。」
犬飼と呼ばれた、ポニーテールの少女が、すまして答える。
「暇だからって、ついてくんじゃねぇよ。全く、おせっかいなんだから!」
「失礼ね!心配してたってのに!」
「だから、それが余計なお世話だと言うんだよ!」
「なんでよ。春休み終わって来てみたら、あんたの姿が消えてて、どこ行ったかも誰も知らないとなったら、心配して当たり前でしょうが。」
プッと頬をふくらませる犬飼。
「というか、あんた、NEVERに入ったの?さっきNEVERの高校がどうとか言ってたから。」
「あ…いや…ちょっ…おい!犬飼!他の連中には絶対に言うなよ!」
犬飼にズバリと言われ、焦るリュウ。
「分かったわよ。何で隠すのか知らないけど。あんたがそう言うなら、誰にも言わないわ。」
「なんだ。リュウの知り合いか。」
トワもチラリと犬飼を見る。
「ああ…まあ…そんなとこだ。」
「いわゆる幼馴染か。」
「いや…高校入った時からだが…なにかと俺につきまとって世話焼いてくるんだよ。」
渋い顔をするリュウ。
「ふーん。お前にも、そんな子がいたのか。」
「どういう意味だよ。」
「エヘヘ。あ、私、犬飼ナナミです。リュウがお世話になってます。」
トワに自己紹介をして、丁寧に礼をする少女。
「なんだよ、その言い方は!」
「イヌカイナナミ…犬飼ナナミ…リュウと同じ高校…お前、NEVERの適性試験合格者だな。」
「あら!知ってたんですか!リュウと同じ日に受けたんですけど。」
少女が目を丸くする。
「ああ。受験者は全て把握しているからな。」
「すごい記憶力!リュウ、大丈夫?ちゃんと仕事できてる?」
「バカにすんな!」
「心配するな。リュウは私がちゃんとしつける。」
トワがうなずく。
「よかった。リュウのこと、よろしくお願いします。」
「ああ。任せろ。」
「なんなんだよ、二人して!」
「リュウ。帰るぞ。」
リュウの抗議を無視して、トワがスタスタ歩き出す。
「あ…ああ。おい、犬飼!絶対に、俺のこと、誰にも言うなよ!」
「そんな念押さなくても大丈夫よ。こう見えて、口は硬いんだから。」
少女がくすっと笑う。
「どうだか。怪しいもんだ。」
「そんなこと言ってる間に、あの人帰っちゃうわよ。」
「え…あ…ちょっと、副隊長!待ってください!」
駆けていくリュウ。
「リュウったら…いっつも一人で突っ走って。苦しんでるの分かってるってのに…理由が分からないんじゃ私、何にもできないじゃない。ほんと危なっかしいんだから。」
なんとなく寂しそうに呟き、少女は校舎のほうへと戻って行った。
「おかえり。手続きすんだ?」
ディレクションルームに入ってきたリュウとトワに、ヒカリが声をかける。
「はい。先程。色々ありがとうございます。」
隊服に着替えたリュウが頭を下げる。トワは特に返事もせず、さっさと席に着く。
「お疲れ様。リュウ、コーヒーでも飲む?」
「あ、はい。あの…隊長。なんでわざわざ副隊長を護衛に?」
「ん?たまには気晴らしに出かけるのもいいかと思って。」
「ほんとにそれが理由…」
「ほら、言っただろうが。」
フン、と鼻を鳴らすトワ。
「ま、お前同様、見込みありそうな子はいたから、無駄ではなかったがな。」
チラリとリュウを見て、トワが言葉を続ける。
「は?」
「ふーん。トワがそう言うとは、珍しいね。」
コーヒーを入れながら、ヒカリが興味津々といった表情をする。
「ああ。あれはなかなかしっかりしている。肝も据わっているしな。スカウトしてもいいぐらいだ。」
「おい…まさか…犬飼のこと、言ってんじゃねぇだろうな。」
ぎょっとするリュウ。
「そうだが。なにか。」
「勘弁してくれ!あんなお節介な奴!」
「どこがだ。いい子ではないか。あの子はお前のこと、本当に気にかけているぞ。」
「それが迷惑なんだよ!頼んでもねぇんだから。」
「お節介ねぇ。」
微妙なニュアンスでつぶやくヒカリ。
「それがどうした。NEVERはお節介連中のたまり場だが。」
「どういう意味だよ、副隊長!とにかく、あいつはやめてくれ!まあ、あいつ、今あの学校の生徒会長だから、入隊する気はないと思うけどな。」
「そうか。それは残念だね。はい、コーヒー。」
「ありがとうございます。」
ヒカリがコーヒーカップをリュウの机に置き、トワにも渡す。
「分からんぞ。お前が誘えば。」
まだ未練がましいトワ。よっぽど気に入ったらしい。
「絶・対に誘わねぇ。そもそも、隊長は3人で行くって言ってたじゃねぇか。」
「隊長は『当面は』と言っただろう。」
「うん。今は3人でもなんとかなりそうだけど、先を考えるとね。」
ヒカリも、コーヒーを飲みながらうなずく。
「先って…ユーグレナが一体ずつじゃなくて集団で襲ってくる可能性があるとでも…ちょっと!シャーペン投げないで!」
「ちっ。なんでそういう勘は鋭いんだ。さっきの子についてこられてたのは気付かなかったくせに。」
手にしたシャーペンを机に置くヒカリとトワ…
「関係ねぇだろ!」
「まあまあ。今すぐどうこうってわけじゃないから。ただ、リュウの言う可能性は否定できないから、隊員募集はしていくよ。それでいいかな。」
「分かりました。でも、犬飼だけは、ほんとに!」
「まあいい。リュウ。もうコーヒー飲んだだろ。行くぞ。」
トワが立ち上がる。
「え?どこへ?」
「決まってるだろ!訓練!あれから練習しているようだが、昨日見た限りでは、お前の剣の振り方じゃ、まだ威力が弱い。」
「仕方ねぇだろ。俺、剣なんて習ったことねぇし。」
「だから特訓するんだろ!早くしろ!」
「ワッ!ちょっと!副隊長!何すんだよ!」
リュウの襟首を掴み、引きずってディレクションルームを出ていくトワ。
「ふうん…自分以外の犠牲者は出したくないってわけか…リュウもトワも似た者同士だな。まあ、どうなることやら。」
ヒカリが意味ありげに独りごちた。
「ここだな。」
高いフェンスに囲まれた広い敷地に建つ、4階建ての大きな白い横長の建物を見上げる男。
「あいつらも考えが浅い。ただあれがある場所と言うだけでは足りぬわ。」
紫色の目を光らせ、せせら笑う男。この顔は…あの時、白衣の男を怒鳴りつけていたユーグレナだ。
「ここにはあれが100はある。あの防衛隊連中がたとえ対策していたとしても、探し当てるだけで手こずるだろうよ。そこまで考えて、初めて策と言えるのさ。」
キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン
何やらチャイムの音が聞こえてくる。しばらくすると、ワイワイと賑やかな声が響いてくる。何やらボールが跳ねているような音も混ざっている。
「じゃ、そろそろ。」
男が右手を上げ、手の平を空に向けた。と、その手からサーッと赤い光が上空に向かって伸びて行き、水の波紋のような模様が空に浮かんだ。その波紋から、大きな白い影が飛び出してきた。
「なに?あの光…」
折しも、その学校の運動場では、体育の授業が行われていた。二人一組で、サッカーのパス練習をしている生徒達。
「ちょっと、ボールいったよ!」
「あ!ごめん!」
かろうじて転がってきたサッカーボールを足で止めたものの、その女子生徒の視線は上空に注がれている。当然、ボールを蹴ろうともしない。
「どうしたの?」
ペアの女子生徒が声を掛ける。
「え?あ…ねぇ、あの光、なんだろう。」
「え?…さあ…」
同じく空を振り仰いだその女子生徒も首をかしげる。
「なんだろ…ねぇ、分かる?」
「知らない。なんか、気味悪い。」
「ほんと…あんなの、見たことない。」
「なんだなんだ。どうした?」
「見てよ、あれ。」
「変な光だな。なんか反射してんのか?」
「さあ…」
「そんな感じでもないけど…」
他の生徒達にも、ざわめきが広がっていく。
「おい、何サボってる!」
男性教師の声が飛んでくる。
「先生、あれ、なんですか?」
「なにが?――なんだ?あれ…」
生徒が指差した方を見た教師も、眉をひそめる。
「先生も知らないの?」
「ああ…今まで見たことがないな。」
授業どころではない。皆の顔に不安気な色が浮かぶ。
「なんか分からんが…とりあえず…」
教師が何かを言いかけた時だった。
ドガン!!
「!!」
その赤い波紋の様な円の中心から何かが矢のごとく一直線に運動場に突っ込んできた。地面が大きく揺れ、近くにいた生徒達がよろめき、尻もちをつく
「何!?」
「何だ!?鳥!?」
運動場のど真ん中に、大きく羽を広げた真っ白な鳥が立っていた。3メートル、いや、羽を広げた横幅は5メートルはありそうな巨大な鳥。アラビアンナイトの『シンドバッドの冒険』に出てくるロック鳥の挿絵にどことなく似ている。黄色い目がらんらんと光っている。
「なんで…鳥が…あんなとこから…」
その鳥がパッと飛び上がると、呆然と固まって立っている生徒達の集団に突っ込んできた。
「ワッ!」
鋭いクチバシを生徒達に突き立てようとした鳥だったが…そこにいた生徒達がパッと散らばったために…
ステーン……
目標を見失った鳥が地面に降りたと同時に、転がっていたサッカーボールを踏んづけて、背中からひっくり返った。
「なんだ?ドジ?」
「大した事ないな。」
「脅かしやがって!これでもくらえ!」
「おい!やめろ!」
教師が止めようとした時には既に遅く…勇敢なのか無鉄砲なのか、数人の生徒がサッカーボールを蹴り上げていた。いくつかのボールが、ひっくり返った鳥にぶち当たった。
ピギャー!!
跳ね起きた鳥が、ギロリと生徒達を睨んだ。その目がオレンジ色に光り、カッと口を大きく開く。その途端、
ドーン!ドーン!
「キャー!!」
続けざまにその鳥の口から火球が吐き出された。火球は地面に落ち、土煙が上がる。煽りで倒れた生徒達から、悲鳴が上がる。その倒れた生徒達に、再び鳥がクチバシを…
「やめて〜!!」
「逃げろ!!」
「みんな!下がるんだ!」
先程の教師が、刺股を持ってくると、鳥の首めがけて突き出した。
バサッ!
再び羽を広げて飛び立った鳥が、今度はそのまま滑空して…校舎の方に…
ガッシャーン!!
「キャー!!」
窓ガラスが割れる音。校舎内からも悲鳴が響いてくる。
「先生!」
「とりあえず、体育館に避難だ!急げ!」
「はい!先生は?」
「これからどうするか、校長や他の先生と検討する!みんなは体育館から絶対に出るな!いいな!」
「はい!」
校舎内からも、続々と生徒達が飛び出してくる。刺股を持ったまま、教師は校舎の方に駆けて行った。
「星丘高等学校がユーグレナに襲われました。」
「ブーッ!!」
訓練から戻ってきて、コーヒー片手に一息ついていたリュウが、盛大に吹き出す。端末にかからなかったのが不幸中の幸いだ。
「江野川?昨日行った、リュウの元高校か。」
トワがリュウを見る。どうしたのかと思えば、そういうことか…全く、カラカルの時といい、今回といい、総監代理からの通信にはろくなものがない。
「確かですか?」
「はい、間違いありません。今度は鳥のユーグレナです。」
ヒカリに問われて、モニターの向こうでうなずく総監代理。
「なんで、あの高校に!?」
リュウが机や床を雑巾で拭きながら総監代理に聞く。
「分かりませんが、白い大きな鳥が運動場で体育の授業をしていた生徒達を襲い、その後校舎内に突入して暴れているとのことです。至急現場に向かってください。」
「分かりました。トワ。リュウ。出動だ。」
ヒカリが立ち上がり、二人に声をかける。
「ルーガスト。」
「あの…隊長。俺、あの高校に行くのは、ちょっと…今回は…」
「なんだ、あの娘に会うのがそんなに嫌なのか?」
及び腰になったリュウに、不思議そうな視線を投げるトワ。
「ち…違うって!そんな理由じゃない!」
「だったらいいだろ。」
「それが、よくないんだって!」
「なぜだ。」
「なぜって…俺、NEVERに入隊したこと、元担任以外に言ってない…」
「別に隠すことでもないだろ。」
「いや…知られたくないんだよ…」
「だから、なぜだ。」
「それは…」
「いいよ。なら、今回は私が行こう。」
ヒカリがうなずく。まるで気にも止めていない。
「隊長…」
「誰しも事情というものはある。話したくないこと、話せないことはあって当然だ。それを無理に聞き出すこともない。トワも分かるだろう。」
「それはそうだが。」
「隊長…すみません…」
「構わないよ、リュウ。君はここで…」
「そうはいかないわよ!」
キンキン声とともに飛び込んできたのは…
「やっぱりだったわ!油断も隙もないわね、このみなしごは!隊長さんと二人きりになろうなんて、許さないわよ!」
「またか…」
相変わらずな補佐官の襲来に、ため息をつくトワ。
「こいつ!まだ懲りないのかよ!なんでそれまで副隊長のせいになるんだ!」
のっけからかみつくリュウ。
「そのだらしない小娘が新人教育を怠るから、あんたみたいな隊長に楯突く部下になるのよ!」
「いつ俺が隊長に楯突いた!」
「隊長さんの指示に従わなかったじゃない!上司の命令に『はい』以外の返事をするんじゃないわよ!」
「夜野道さん。そんな横暴を口にするものではない。上司と言えど万能ではないのだから、間違えることもある。それにすら部下が何も言えない組織などもってのほかだ。NEVERは上司に絶対服従の組織であってはならない。」
さすがにヒカリがたしなめるも、
「だから、隊長さんは間違ったこと言ってないんだから、逆らうことは許されないの!全部その小娘が悪いんだから、責任とって、小娘1人で行きなさいよ!」
もう、支離滅裂もいいところだ。
「いい加減にしろ!大体なんであんたが副隊長に命令する!関係ねぇだろ!」
「私はNEVER全体の上司!命令権はあるの!あんたもね、自分の都合で隊長さんを煩わすんじゃないわよ!隊長さんも、こいつに付き合う必要ないの!ちょっと、なにボーッとしてるのよ、そのバカ娘は!とっとと行きなさいよ!」
「うるせぇ〜!分かったよ、行きゃいいんだろ、行きゃ!」
「リュウ。いいのか?本当に。」
トワがリュウを見る。
「ああ。ここで、こいつの訳わからん屁理屈聞いてるよりゃ、そのほうがましだ!」
「あら、あんたも行くの?よかった〜!」
とたんに、ニコニコし始める補佐官。いや、リュウには不快な笑いでしかない。
「よかった?」
「じゃ、私はここで、隊長さんと見守ってるからね〜。」
「は?」
「それは、あなたの業務ではないですよね。」
ドアが開いて入ってきたのは…
「総監代理!?さっきまであそこ…あれ?」
まだ映っているモニターには…確かに総監代理の姿はない。
「あそこは総監室横の私の部屋で、別棟ではありますが、こことは渡り廊下でつながっていますので、すぐ来れます。」
「だったら、いちいち通信する必要あんのか?」
「緊急事態だから駆けつけたまでです。」
すましてそう言った総監代理が、やおら補佐官の襟首をつかむ。
「なにすんのよ!」
「越権行為は控えてください。」
「離してよ!私は隊長さんの補佐をしにきただけ!」
「だから、あなたの業務に、神楽隊長の指揮の補佐はありません。余計な口出しはお控えください。」
ズルズルと補佐官を引きずる総監代理。
「いやよ!隊長さんと二人きりになれるチャンスなんだから!」
「やっぱそれが目的かよ!副隊長はダメで自分はいいってか!どっちが油断も隙もないだ!」
ぶち切れるリュウ。まあ、ここまであからさまにヒカリへの感情を隠そうとしないのは、ある意味ご立派というものだ。言っておくが、当然褒めてはいない。
「あんた、私にそんなこと言ったら、どうなるか分かってんの!?」
「そっちこそ隊長が言ってることの意味、まるで分かってないんだな!間違ったこと言ってる上司に従う筋合ねぇ!お前がここにいると思ったら、やる気が失せるわ!とっとと出てけー!」
「な…なによ、部下のくせに!」
「補佐官。部下の士気を低下させるのは、上司失格ですよ。」
さらっと補佐官の痛いところをついた総監代理が、ヒカリに目配せする。
「神楽隊長。補佐官のことはお任せください。」
「ああ、秦野さん、ありがとう。」
「ちょっと、隊長さん!またこの女にお礼を!」
「今度は何ぶつけてほしいんだ?」
「ひっ…」
引き出しを開けたリュウが、なにやら分厚い冊子を取り出したのを見た補佐官が、小さく悲鳴をあげる。どうやらそれだけは懲りている様子。
「ほら、行きますよ。それでは、失礼します。トワさん、リュウ君、健闘を祈ります。」
軽く微笑みつつ会釈した総監代理が、そのまま補佐官を引きずって出ていく。総監代理は結構力があるようだ。
「たく…あいつが来ると、ほんと気分悪いわ。」
「お前、何引き出しに入れてるんだ。」
トワが聞く。
「ああ、雑誌だよ、マンガの。あいつ撃退用に、一冊仕込んどいた。」
用意のいいことで…
「相変わらずだな、リュウも。まあ、いい。行くぞ。」
「へ?どこへ?」
「ユーグレナが出たと言われただろ!」
「え?あ!あの…俺…」
「自分が行くと言ったじゃないか。武士に二言はないだろ!」
「俺、武士じゃない!」
「返事はルーガストだ。間違えんな。」
「だから!あ〜もう!ルーガスト!」
半ば投げやりに言ったリュウが、トワより先にディレクションルームを飛び出した…
「あそこに逃げ込みました。」
刺股を持った三人の教師のうちの一人が指差す。『第1情報処理室』とある。
「分かった。あんたらは避難してろ。あとはこっちが引き受ける。」
トワがうなずく。ここは現場となっている江野川高校の校舎4階。生徒たちは既に避難しているようで、他に人影はない。
「よろしくお願いします。」
教師達の姿が見えなくなるのを待ち、トワが声を掛ける。
「おい、リュウ。行ったぞ。」
「ああ…」
廊下の床パネルが一枚持ち上がり、リュウが顔を出す。
「お前、どっから出てくるんだ。」
「校舎内ってのは、結構隠れ場所があるのさ。」
床下から上がってきたリュウが、隊服についた埃を払いながら言う。
「この学校、何年か前に4階部分増築したらしくてさ。その関係か知らねぇが、3階の天井と4階の床下の間に空洞があるんだよ。授業サボりたい時とかのために、他にも色々発掘しといたんだ。」
「威張っていうことか。それに、隠れ場所知ってんなら、なんであんなに嫌がった。」
「それが、一人だけ絶対に探し当てる先生いるんだ。」
「マッピー先生とかいうやつか?」
「ちょっ!なんでそれを?俺なんも言ってないぞ。」
ギクッとするリュウ。
「あの娘が言っていたではないか。」
「犬飼のやつ…」
「だが、そいつは知ってんだろ、お前がNEVERにいること。なら大丈夫だろ。」
「そうだけどさ…念の為だ。」
「まあ、いい。行くぞ。」
「ルーガスト。」
第1情報処理室に向かいながら、リュウがつぶやく。
「なんで情報処理室になんか…」
「端末があるからだろ。考えやがったな。」
「端末?」
怪訝な顔でトワを見るリュウ。
「ユーグレナは人型にしろ怪獣型にしろ、その生物のデータをプログラミングして作られている。逆に言えば、自分をデータ化すれば、ネットワーク内に逃げ込めるということだ。」
「そんな能力があるのかよ…」
「カマキリとカラカルは街の中心の広いところで暴れさせて失敗したからだろう。あれじゃ逃げ場はないからな。」
バンッと、トワが情報処理室の引き戸を開け放つ。各机にずらりと、端末が一台ずつ置かれて並んでいる。
「この中に?どうするんだ?」
「想定内だ。ちゃんと対策はしている。」
通信機を取り出すトワ。
「それも、通信機に組み込まれてるのかよ。」
「ああ。このアイコンだ。これを押して端末に…電源全部落としやがったか!」
どの端末も、モニターは真っ黒。
「誰が?」
「当然ユーグレナだ。まだ熱いから、奴が襲ってきた時は授業やってたようだからな。」
「ふ〜ん…」
「まあ、立ち上げれば済む話だが。立ち上がったら通信機を画面にかざして…セキュリティかかってるのか!」
電源ボタンを押したトワが渋い表情になる。
「セキュリティ?」
「解除しないと引っ張り出せないじゃないか!」
「解除?どうやって?」
「それも知らないのか!というか、この高校にも情報処理室あるんなら、なんで習ってないんだ!」
「しょうがねぇだろ。情報処理は、課題出すから個人用の端末も必要と言われたから、俺の家じゃ無理。」
むくれるリュウ。
「たく…パスワードと一緒だ。セキュリティコードがそこに貼ってあるだろ。」
モニターの縁を指差すトワ。数字とアルファベットを組み合わせた、10桁の文字列が書かれた小さな紙が貼ってある。
「これを?」
「そうだ。電源入れて、コード入力画面になったら、それを入力しろ。」
「はあ、どの端末を?」
「全部に決まってんだろ!」
「全部!?」
目を丸くするリュウ。
「そうだ。端末に入ったユーグレナは、ネットワークを伝ってあちこち移動できる能力もある。最初に入ったとこにとどまっているはずがないから、全部だ!コードも端末ごとに違うから、間違えんなよ!」
「げ…めんどくさ…」
「立ち上がったら、さっき言った通り、通信機をかざせ。その端末にいれば奴はでてくるし、いなくても、チェックした端末には戻れなくする機能を搭載している。それで追い込む!急げ!」
「ルーガスト!」
とはいえ、リュウはまだブラインドタッチができない。おまけに、アルファベットまであっての10桁。一つ入力するだけでも数分かかってしまう。
「もう…全然すすまねぇ…一体どんだけあるんだ…」
「この教室だけでざっと50はあるだろ。」
「50!?」
ぎょっとして、トワの方を見るリュウ。そのトワは、教室内をあちらこちら移動している。どうやら1台立ち上がるまでの時間にも他の端末にコードを入力、と、かなり効率よくやっているようだ。動きを止めることなく、トワが言葉を続ける。
「それに、ここは第一だから、第二もあるんだろ。ここで出てこなきゃ、そっちもだ。100は覚悟だ。」
「100…あ〜!!もう!!」
バン!!
うんざり顔になったリュウが、何を思ったのか、隣の列の手近な端末モニターの背面に、平手を叩きつけた。と…
バサッ!
「ワッ!!」
突然、何かがモニターから飛び出し、リュウがひっくり返る。
ガッシャーン!!
「な…なんだ!?」
「バ〜〜カ〜〜!!」
そのまま床に座り込んで呆然としているリュウを、怒鳴りつけるトワ。言い方からして、完全に呆れている。
「物理的に引っ張り出すやつがあるか〜!!しかも、ピンポイントでやりやがって!!」
「んなこと知らね〜よ!」
「たく!なんでこう、勘は鋭いんだ!」
「そう言われても…」
「まあいい!それより奴だ!」
「あ…ああ!」
運動場に面した窓の1枚が割れている。そこに駆け寄る二人。と…
「何やってんだ?」
サッカーボールが点々と転がっている運動場に、白い鳥ユーグレナが仰向けにひっくり返ってバタバタしている…
「ボール踏んづけやがったな。」
「ボールを?」
「まあいい。追うぞ!」
「ルーガスト!」
「おい!どこに行く!」
ドアのほうに行こうとするリュウの襟首を掴むトワ。
「どこって…階段…」
「そんな手間かけて、奴が飛んでったらどうする!奴がジタバタしているうちに追い詰めないと危険だ!そっから飛び降りろ!」
「窓から!?無茶言うな!ここ4階…」
「シールドあるから平気だ!」
やにわに、トワがリュウを窓の外に押しやる。
「ワッ!まだシールド押してな…」
「落ちながら押せ!」
「ワー!!」
悲鳴を上げて落ちながら、地面すれすれでなんとかシールドのボタンを押し、降り立ったリュウ。何の衝撃もない。
「すげ…」
「行くぞ!!」
「え?は!?」
リュウが顔を上げた時には既に…斧を振りかざしたトワが、ようやく起き上がった鳥ユーグレナに飛びかかっていた。
グワー!
鳥が口をカッと開いた。その瞬間、
ドーン!
「うわっ!」
火球がリュウの近くで爆発し、思わず声を上げるリュウ。シールドがなかったら、危ないところだった。
「リュウ!」
「大丈夫だ!それより、副隊長!」
トワの視線が一瞬リュウに流れた隙をついて、鳥ユーグレナが上空に舞い上がっていた。
ドーン!ドーン!
空からも火球がバラバラと降ってくる。運動場のあちこちの土が、真っ黒に焦げる。
「副隊長!」
「心配いらん!」
火球の一つを、トワが斧で受け止め、跳ね返した。カラカルの時同様、火球は真っ直ぐに上空のユーグレナにぶち当たる。
ギャー!!
凄まじい声を上げ、背中から真っ逆さまに落ちてくる鳥ユーグレナ。
「リュウ!早くしろ!」
「ルーガスト!」
剣を出したリュウが、ユーグレナに向かおうとしたのだが…
「やった!落ちたぞ!」
「やーい!お返しだ―!」
「いけー!」
なんと…避難していたはずの、体操服や制服姿の生徒達がバラバラと運動場に出てくると、その辺に転がっているサッカーボールやら、体育館から持ち出したと思われるバレーボールやらバスケットボールやらを、ユーグレナめがけてぶつけ始めたのだ。
「あいつら!何考えてんだ!」
グアー!!
鳥ユーグレナの目の色がオレンジ色から青色に変わった。生徒達の方向に顔を向けたユーグレナが口を大きく開いた。次から次に火が集まり、大きくなっていく。
「まずい!」
猛然と駆け出すリュウ。直後ユーグレナが、今までの数倍はありそうなその火球を勢いよく吐き出した。
「やべ……」
猛スピードで迫ってくる巨大な火球に、恐怖で立ち尽くす生徒達。
バーン!
火球と生徒達の間に飛び込んだリュウが、無言で剣を振り下ろした。木っ端微塵に飛び散る火の塊。
「あれ?え?」
「なにがあった?」
「なんか、あいつが…急に現れて…」
生徒達のざわめきに背を向け、リュウは飛び立とうとするユーグレナと、それを阻止しようとするトワの攻防が繰り広げられている中に走っていき、ユーグレナが次々と吐き出す火球を斬り伏せていく。
「すげ…」
「なあ、あの二人、NEVERの隊員だよな。マスコミに散々ダメ出しされてるとこ。」
「にしちゃ、結構やるじゃん!あの髪の長いやつの動きなんか、すごいぞ。」
「さっきの奴も、あの火の中、よく平気だな。怖くないんか?」
(いいから、とっととどっか行ってくれー!)
そう怒鳴りたいのを必死にこらえるリュウ。何人か見知った顔があったから気が気でない。なんとかユーグレナの視線が生徒達に向かないようにするだけでも一苦労なのに、これで顔がバレたら…
「こらー!お前ら!」
大人の声が響く。リュウの目の端に、教師が三人ほど駆けて来たのがちらっと映った。
「何やってんだ!体育館に戻れ!」
「えー?二人しかいないから、手助けしようと思っただけだって。」
「そうだよ。あの二人、あんな近くで戦ってるしさ。大丈夫だって。」
「大した事ないよ。あの鳥だって、ボール踏んづけて転ぶようなドジだしさ。」
嘘ばっかり。さっき火球でやられかけたのに…楽観的にもほどがある…
「ふざけるんじゃない!あれはユーグレナだぞ!今月だけでも街が二つ壊滅したのを知ってるだろう!」
「なにが大丈夫だ。見てたからな!さっき、あの隊員がお前ら助けたとこ!」
「二人と言っても、向こうはプロの防衛隊だ。お前らみたいな高校生じゃ、勝負にならん!見くびるんじゃない!」
褒めちぎるのはいいが…その隊員の一人は先月までそちらの生徒だったわけで…
「え〜!」
「いいから、行くぞ!」
「ちぇっ。これから面白くなりそうなのに。」
「まだ言うか!なら、反省文100枚書いてもらおうか!」
「げ…」
不服そうな生徒達を体育館に追い立てていく教師達。
「やれやれ…」
ほっと、息をついたリュウだったが…その隙をついたように、ユーグレナの火球が体育館の方向に…
「また!」
なんとか追いつき、食い止めたリュウの背に、新たな火球がせまってきて…
「リュウ!危ない!」
「うわっ!何すんだ!」
吹っ飛びかけたのをギリギリ踏みとどまったリュウが、剣を投げ出すと同時に、ぶつかってきた少女の腕をつかんで引き寄せると、抱えるように地面に転がる。直後、少女が立っていた所に落ちて爆発する火球…
「なにやってんだ!犬飼!」
「だ…だって…火球がリュウに!」
「見えねぇだけで、俺の周りにはシールドかかってんだ!あんぐらい、どってことねぇ!」
「シールドが?でも!」
「リュウ!大丈夫か!」
トワの声が飛んでくる。
「ああ!すぐ行く!」
「火球がどこに飛ぶか、予想がつかん!油断するな!」
「ルーガスト!」
剣を拾い上げるリュウ。
「リュウ!」
「早く逃げろ!」
また飛んできた火球を剣で払ったリュウが、少女を振り返ることなくユーグレナに向かっていく。
「犬飼!」
運動場に座り込む少女に駆け寄ってきたのは…教師の松本。
「先生…」
「大丈夫か!?けがは!」
「大丈夫…リュウが…助けてくれた…」
「そうか。」
「でも…リュウが!シールドあるからって、あんな近くで!」
「私たちには見守ることしかできないんだ。」
リュウを見つめながら言う松本。少女を諭すように、それでいて自分を納得させるかのように…
「そんな…リュウはまだ15よ!こないだまで、クラスメイトだったのに!このまま見てるだけなんて!」
「分かっている。しかし。それがリュウの選んだ道なんだ。もう、誰にも止めることはできない。私たちができることは、遠くから見守ることだけだ。」
「先生…」
「近くで手をかけることだけが、リュウを助けることではない。ここにいて、犬飼の身に何かあることのほうが、リュウにとっては迷惑だ。行こう。」
「…はい…」
松本が少女に肩を貸し、支えながら、二人が去っていく。
「行くぞ!」
リュウがユーグレナの懐に飛び込むと、その胸の辺りを剣で突いた。すかさずトワが、よろめく鳥ユーグレナの背面から襲いかかる。
グワー!!
一声上げた鳥ユーグレナが、次の瞬間、大きく羽を広げたかと思うと、さっきより空高く舞い上がった。一気に小さくなるその姿。
「また空に…」
「隊長!」
「ファタージ解禁!」
通信機から、トワの呼びかけに応じたヒカリの声。
「ルーガスト!」
トワの斧が金色に輝く。同時に、トワが右足で軽くトンと地面を蹴った。と、トワの体がスッと浮き上がり、猛スピードで上空にいるユーグレナに迫って行く…
「え!?」
サーッと、金色の光が空に走った。次の瞬間、
ドーン!
凄まじい音が響き渡った。しばらくして、白い細かい粒子がハラハラと舞い始めた。この色は…ユーグレナの残骸か…
「副隊長…」
「大丈夫だったか?」
静かに地上に降り立ったトワが、何事もなかったように聞く。
「あ…ああ…えと…副隊長って…空飛べるのか…」
「なにバカなことを言ってる!お前にだって、できるわ!」
夢でも見ていたかのような顔で聞くリュウに、ムッとして言うトワ。
「え?」
「適性試験の筆記問題に出てただろう!NEVERの靴のことが!」
「靴?」
と、またリュウへの説明が始まる流れだったのだが…
「わー!」
「やったー!」
「あ、やべ!」
体育館の方向から聞こえてきた声に、リュウが剣をしまうと、さっと走り出す。
「あ!おい!どこへ行く!」
トワが呼びかけた時には既に…
「やったやった!」
「ざまあみろってんだ!」
「NEVERって、結構やるじゃん!全然噂と違う!かっこい~!」
「あれ?髪が長い…てことは、あなた、女の人だったの?すご〜い!」
「ありがとう!助けてくれて!」
「あ!ねぇ、なんか降ってる。すごくきれいよ!」
「キラキラしてる!ほら見て、こんなに取れた!」
自分の手柄であるかのように喜ぶ生徒、トワを取り囲んで褒め称える生徒、降ってくる粒子を集めてはしゃぐ生徒で、あっという間に一杯になる運動場。
「あいつ…それで逃げやがったのか…」
「どうもありがとうございます!助かりました!」
生徒達をかき分けてやって来た年配の男性が、トワの手を握り、ペコペコと頭を下げてくる。
「あ…ああ…」
「いや、すごいものを見せてもらいました!お陰で生徒達も教師達も全員無事でした。本当に、どうお礼を申し上げればよいか…あれ?もうお一方はどちらに?」
「え…えと…」
「そうだ!お疲れでしょうから、コーヒーでもさしあげましょう。どうぞ、校長室に。」
「いや…まだ勤務中…」
どうやらここの校長のようだ。こんな事態に慣れていないらしいトワが、困り果てている。
「あいつ…分かってんなら、一言言ってけよ…」
その頃、リュウは、既に正門を出ようとして…
「待って!」
リュウが足を止める。しかし、振り向くまでもない。誰かは分かっている。
「……」
「リュウ…あの…」
おずおずとした少女の声。犬飼ナナミが立っている。リュウを追いかけて来たようだ。少女のやや後ろには、松本の姿も。
「…あの…さっきは…」
「心配の仕方を間違えるんじゃねぇ!」
厳しい声で叱りつけたリュウに、少女が凍りつく。
「……」
「無鉄砲なことしやがって!お前の身になんかあったら、どうするつもりだったんだよ!それが俺のためになんねぇこと、いい加減に気付け!とんだ迷惑だ!」
うなだれる少女。
「お前が俺を心配するのは勝手だが、手を出しゃいいってもんじゃないんだよ!お前の自己満足に付き合ってられるか!」
「……」
「俺は俺の意志でNEVERに入ったんだ。それなりの覚悟はとっくに決めてんだ!二度と余計な同情すんな!」
「リュウ…」
少女が顔を上げ、じっと、リュウの背を見つめる。涙で一杯のその目…
「ごめん…私…リュウの気持ち、何も考えてなかった…ほんと、私って、お節介なだけだね。自分の気持ちだけで突っ走って…」
少女が声をつまらせる。何も言わず、背を向けたまま下を向くリュウ。
「……」
「今までも…嫌な気持ちにばっかりさせて…もうしないから…もう…リュウの前には…出ないから…」
「……」
「もう…会わない…本当に…ごめんなさい…」
「今までありがとな…」
「え?」
さっきと打って変わった、どこか寂しげな静かなリュウの声。戸惑った表情になる少女。
「お前が優しい奴だってことは、十分分かってる。これまでのことだって、感謝はしてる。けど…これからは…遠くから見守っててくれ。」
「リュウ…」
「おまえには…怪我してほしくないんだ…だから、もう…俺のことはもう…心配しなくていいから…」
「……」
「フン。そういうことか。お前が拒否する理由は。」
ふいにトワの声が入ってきた。いつの間にか、腕組みしたトワが横に立っている。何とか振り切った様子。
「副隊長?」
「意地張ることもないだろうが。」
「なんのことだよ。」
「まあいい。犬飼ナナミといったな。」
トワの左右違う色の目が、少女に向けられる。
「はい…」
「お前、NEVERに入らないか? 」
「え?」
まだ涙が浮かんでいる目を、パチクリさせる少女。
「ちょっと!副隊長!」
「お前なら十分だ。度胸もあるし、しっかりしている。リュウよりな。」
「おい!」
「いいよな、隊長。」
止めようとするリュウを無視して、トワが通信機に呼びかける。
「ああ。本人に入隊の意志があるなら、かまわないよ。」
通信機の向こうの、あっさりとしたヒカリの返答。
「隊長まで!」
「聞いてのとおりだ、ナナミ。あとはお前の気持ち次第だ。どうする?」
「私が…NEVERに…」
つぶやく少女。
「だから、副隊長!だめだって!」
「ナナミ。これなら、ずっとリュウといれるぞ。」
「無理だって!昨日も言っただろ。犬飼はここの生徒会長…」
「やる。」
「え?」
ポカンとなるリュウ。聞き間違えたのかとでも言いたげだ。
「犬飼?」
「わたし、入隊する!」
「は?おい!犬飼!」
「だって、遠くから見守るのも、近くで見守るのも、見守るってことには変わりないじゃな〜い!私は近くで見守るほうが、性に合ってるし〜!」
さっきまでの沈んだ様子はどこへやら、あっけらかんと言う少女。
「お前!俺の言う事、聞いてたのか!?」
「ねぇ、いいでしょ〜、せ〜んせい!」
少女が松本の方に行って腕にしなだれかかり、甘えた調子でねだる。
「そうだなあ。ま、犬飼がそれでいいなら。」
「おい!先生、止めろよ!」
「う〜ん。でもなあ、リュウには君の意志を尊重すると言った手前、犬飼の意志も尊重しないとなあ。」
大人らしくない、いたずらっぽい表情で、顎を撫でながら言う松本。
「先生!てか、副隊長!なんでここの生徒で間に合わそうとすんだよ!」
「心配せんでも、お前ら二人だけだ。」
トワが二人を顎で指すような仕草をする。
「なんで?」
「この高校のライセンス保持生徒はお前らだけだからな。」
「は!?んなわけねぇ!俺と犬飼と同じ日に受けた奴が他にも!」
「確かに、この高校から15人が受けている。」
頷くトワ。
「で、全員合格したはず!受かったって、皆騒いでたから!」
「リュウ。そんなの、嘘に決まってるじゃん。あいつら、しょっちゅうほら吹いてんの、知らなかったの?」
少女が呆れたと言わんばかりの表情。すっかりいつもの調子を取り戻している。
「え?嘘?」
「リュウ。言っておくが、NEVERの適性試験の合格率は10%だ。年3回やっているが、場合によっては該当者なしの時もある。そんなに通るものか。」
トワの口から衝撃的な話が飛び出す。
「なんだって!?じゃあ…」
「あいつらがつるんでる時は、大抵嘘話で盛り上がってんだから、本気にしちゃだめじゃん。ま、騒ぐだけならいいんだけど、リュウ。あんたが黙って消えたもんだから、あんたは落ちたから恥ずかしくて退学したんだとか、酷いこと言いふらしてたわよ、あいつら。」
「犬飼。それは本当なのか?」
聞きつけた松本が、不機嫌な表情になる。
「本当よ。先生にはいつ言おうかと。ま、実際は逆なのはいい気味だけどさ。」
「全く、あの連中はいっつも!少しお灸を据えとかんといけんな。」
もったいぶったように、腕を組む松本。
「先生!俺のことは別にいいから!」
「そうはいかないよ。」
「でも!」
「大丈夫だ。君のことは言わないよ。他にもあの連中の悪行は多いからね。そっちを理由にやるから心配するな。」
リュウを安心させるようにうなづいた松本だったが…
「なにする気だ?」
「そうだなあ…1ヶ月間、NEVER周辺の掃除でもしてもらおうか。」
「先生!それじゃ、俺達のことバレるじゃないか!」
「冗談だよ。というか、その言い方だと、リュウも犬飼の入隊は認めるってことだね。」
「あ!」
しまった、という顔をするリュウだが…もう遅い…
「お前、なかなかやるな。」
「これでも、リュウの担任ですからね。リュウのことはよく分かってますので。」
ニヤリと笑った松本が、トワに目配せする。
「もう…勝手にしろ〜!」
「副隊長さん、二人のこと、よろしくお願いします。」
ふてくされるリュウを尻目に、松本が表情を改めると、丁重にトワに頭を下げる。
「ああ。任せとけ。ナナミは明日、暇な時に来い。隊長に紹介する。」
「了解!じゃなかった、ルーガスト!」
「えっ?」
「さっき、リュウがそう言ってたじゃない。NEVERでは返事はルーガストなんでしょ。」
もう、すっかりその気になっている少女。
「回転が速いな。リュウは慣れるまで1週間かかったというのにな。」
「悪かったな。」
「じゃあ、帰るぞ、リュウ。今回は怪我してないだろうな。」
「してない!」
ここで抱えられちゃ、かなわん!とばかりにリュウが走り出す。
「リュウ。また明日ね〜!」
「うるせ〜!」
手を振る少女に、声だけが飛んでくる。
「副隊長さん、よろしくお願いします。」
「『さん』はいらん。これから頼むぞ。」
「ルーガスト!」
少女が元気よく答える。
「これで失礼する。隊長。今から帰る。リュウはとっくに帰ったが。」
再び通信機に呼びかけるトワ。
「ご苦労様。ナナミ君によろしく伝えてくれ。」
「自分で言え。というか、ずっと聞いていただろ、隊長。笑い声が漏れてたぞ。」
「トワが切り忘れてたんでしょ。」
「そっちが切りゃいいだろ!というか、リュウのも勝手につなげてなかっただろうな。」
「おや、気付いてたの?」
「なっ!どっから聞いてた!」
「さあね。」
「人が悪いぞ!隊長!」
通信機越しにヒカリと言い争いながら、トワが正門を出て行く。
「なんか、いい雰囲気だな。隊長も気さくな人のようだ。」
「ほんと。防衛隊って、もっと厳格で、ピリピリしてると思ってた。」
「そうだな。NEVERか。あれならリュウを任せても安心だ。もちろん、犬飼もな。」
松本と少女の、二人の明るい笑い声が響いた。