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久しぶり。あの時命を助けて貰った美少女です

作者: 墨江夢

 それは、俺・中村友哉(なかむらゆうや)が大学一年生の時の話だった。

 

 バイトを終えた俺は、家に帰るべく深夜の街中を一人歩いている。

 元々人口の多い街でないこともあってか、この時間になると人とすれ違うことはまずない。だから人と会うという何気ない出来事が、珍しいことのように思えて。

 

 ましてやそれが自殺しようとしている女の子ならば、尚のことだった。


 カンカンカンカン……。

 踏切の音が鳴り、ゆっくりと遮断機が閉まり始める。

 普通の人なら、この音を聞いて立ち止まる。しかしこの少女は違った。


 まるで警報音に反発するように、少女は一歩足を踏み出す。


「おいおい、マジかよ」


 これまで人が死ぬ瞬間なんて見たことがないし、これから先見たいとも思わない。

 俺は反射的に少女の腕を掴むと、グイッと自分の方に引っ張った。


 俺たちの目の前を、電車が通過する。冗談抜きで、間一髪だった。


「危ねえ。おい、お前。怪我はないか?」


 尋ねると、少女はキッと俺を睨み付けた。


「何で助けたんですか!? どうして死なせてくれなかったんですか!?」


 半ば叫ぶような少女の口調に、俺はカチンとくる。

 だって、そうだろう? 俺は何も間違ったことをしていない筈だ。

 

「自殺なんてしちゃいけない。そんなの、小学生でも知っていることだろうが」

「知っているのと納得するのは別問題です! いけないとわかっていても、死にたくなる時はあります! どうせあなたにはわからないでしょうけどね!」

「だったら、死にたいと思う理由を話してみろよ。仮に死ぬんだとしたら、誰かに話したところで何ら問題ないだろ?」

「それは……」


 反論が思い浮かばなかったのか、少女はそれまでの勢いを失う。

 俺はこの好機を逃すまいと、少女に畳み掛ける。


「もしお前が俺を説き伏せることが出来たのなら、もう止めない。好きに死ねば良い」

「……言いましたね。男に二言はありませんよ」


 それから少女・藤野香奈(ふじのかな)は自身の境遇について語り始めた。


 彼女は早くに父親を亡くし、母子家庭で育ってきたらしい。

 しかしこの母親というのがどうにもクソ野郎のようで。家事全般を彼女に任せて、自分は毎晩男遊びに興じる始末。

 辛うじて生活費を入れてくれるものの、その額は本当に必要最低限で、高校入学以降は彼女自身バイトをして食費諸々を補填しているらしい。


 最悪な家庭環境に見切りをつけた彼女は、高校生活に救いを求めた。

 恋人、友人、そして仲間。沢山の人に囲まれて、色々な思い出を作り上げて。

 彼女はそんな青春を、思い描いていた。


 しかし、現実はそう都合良くいかない。

 内気な性格が災いしたのか、彼女に恋人はおろか、友人すら出来なかった。


「私には、本当の家族なんていないの! 恋人もいないし、友達だっていない! 仲間? 何それ、美味しいの? ……このままひとりぼっちで生きていくくらいなら、いっそ死んだ方がマシに決まってるじゃん!」


 正直な意見を言おう。

「死にたい」と願う彼女の気持ちが、わからないわけじゃない。

 もし同じ境遇に立たされたとしたら、俺も死のうと考えたかもしれないな。


 でも、俺は彼女じゃない。

 家族もいるし、友達も仲間もいる。残念なことに、恋人はいないけど。


 違う立場にいるからこそ、断言出来る。やっぱり自殺はいけないことだ。


 彼女を救いたい。俺は心の底から、そう思った。


「……ひとりぼっちにならなくなったら、死のうと思うのをやめるんだな?」

「え?」


 予想外の質問だったのか、少女は反応に詰まる。


「どうなんだ?」

「それは……誰かと一緒に生きていけるのなら、もう死ぬ理由はなくなりますね」

「だったら、俺がお前の友達になってやる。仲間になってやる。だから、もう二度とこんなバカな真似するんじゃねぇ」

「……家族にはなってくれないの?」


 恋人ではなく敢えて家族を選択した彼女の意図が、わからない俺ではなかった。

 交際経験ゼロの俺がプロポーズされるなんて、数時間前には思ってもいなかった。


 俺は彼女のことをまだ知らないわけだし、勿論そんな求婚はお断りである。


「……高校生は守備範囲外だ。お前が大学生になって、もしその時まだ俺と家族になりたいと思ってくれていたのなら、考えてやるよ」


 なにも今日明日の話じゃない。年単位で先の話だ。

 きっとその頃には、彼女の気持ちも変わっているだろう。


 それから2年後、俺は大学三年生になった。


 自宅でレポートを書いていると、ピンポーンと玄関チャイムが鳴る。


「はーい」


 玄関を開けると、そこには――


「久しぶり」

「えーと……どちら様?」

「もしかして、忘れちゃった? あの時助けて貰った、美少女です」


 ――大学生になった藤野香奈が、俺と家族になりにやって来ていた。





 全く知らない仲というわけでもないので、俺は一先ず彼女を部屋に上げた。


 粗茶の一杯くらい出そうと思ってお湯を沸かすものの、ぶっちゃけ今の状況を完全に把握し切れてはいない。

 2年前一度だけ会った時に、売り言葉に買い言葉みたいな感覚で交わした「家族になろう」という約束を、本気で履行しに来るとは微塵も思っていなかった。


「藤野さん……だったっけ?」

「はい。だけどもうすぐ藤野じゃなくなるので、香奈って呼んて下さい」


 それはどういう意味だ? いや、そういう意味だよな!

 俺が発言の意図を尋ねるまでもなく、香奈は婚姻届を取り出した。


 婚姻届の「妻になる人」欄は、既に埋まっている。

 驚くことに、証人欄までばっちりだ。


「因みにこの証人っていうのは?」

「お母さんです。私が「結婚したい」って言ったら、快く了承してくれました。きっと今頃、若い男を連れ込んでいると思います」


「やったー! これで子育てから開放されるー!」ってか? ……つくづく、最低な母親だな。


「見ての通り、私は高校を卒業しました。そして私は今でもあなたのことを想っています。……約束、果たしてくれますよね?」


 安易に約束なんてしちゃいけないな。香奈の圧に、俺はたじろぐ。


 同期や学生時代からの友人が次々と結婚していき、焦りや羨望がないわけじゃない。

 彼女欲しいよ! 結婚してぇよ! でも、こうしていざ婚姻届を突きつけられると、躊躇ってしまう部分もあって。


 ていうか、こういうイベントってもっと段階踏んで起こるものじゃない? 2回目の邂逅でプロポーズとか、どこのラブコメだよ?


 俺は香奈の目を見る。

 彼女の目に、偽りはない。本気で俺と結婚したいと思っている。


 ……あぁ、そうか。その瞬間、俺は理解した。

 俺と家族になれる。それだけを希望にして、香奈はこれまで生きてきたのだ。


 俺は、香奈に対して、責任を取らなければならない。彼女の命を救い、彼女の生きる希望となった責任を、だ。


「約束は守りたい。その前提で、話を聞いてくれ」

「はい」

「正直に言うと、俺もまだ心の準備が出来ていない。嫌なわけじゃないんだ。ただ、結婚するまでの猶予が欲しいというか」


 結婚は人生を左右する契約だ。俺も香奈も、互いをよく理解した上で決断するべきである。


「わかりました。でしたらこの婚姻届は、一旦保留にして。婚約者として、同棲するとしますか」

「まぁ、それが妥当なところだな」


 一緒に生活すれば、自ずと俺のダメなところを目にすることになる。朝に弱いところとか、掃除が苦手なところとか。


 きちんと欠点を知って貰って、その上で俺と本当に結婚したいのか決めて欲しい。

 もしかしたら、香奈の気持ちも変わるかもしれないからな。

 




 女の子と一緒に住み始めたからといって、生活習慣を大きく変えるつもりはない。

 そりゃあ同居する以上最低限の気遣いはするが、格好付けて毎日洗濯したり部屋の掃除をしたりはしない。

 

 ありのままの俺を、受け入れて貰えるかどうか。結婚とは、そういうものだ。


 俺はどちらかと言うと、ズボラな方である。だから一週間くらい生活を共にすれば、愛想を尽かせて出て行くとばかり思っていたんだけど……香奈は俺の苦手な洗濯や掃除を、率先してやってくれた。

 だけど香奈さんや、パンツの匂いを嗅ぐのはやめてくれませんかね?


 流石に家事の一切を任せるのは気が引けたので、朝食くらいは早起きして作ってみることにした。

 いつもはコンビニ弁当やカップ麺ばかりなので、料理なんてほとんど初めての試みである。


 ……余計なことはするものじゃないな。目玉焼きを、見事に焦がしてしまった。


「すまん。何か手伝えればと思ったんだが……卵を無駄にしただけだったな」

「いいえ、そんなことありません。私の為にという気持ちが何よりも嬉しいです」


 パクッと、香奈は目玉焼きをひと口食べる。


「……美味しくはないですね」

「……言われなくても、わかっている」

「だからこれから練習して、美味しい目玉焼きを作れるようにしましょう。すぐに出来るようになる必要はありませんよ? なにせ時間は、たっぷりあるのですから」


 家事の出来ない、ダメ人間。醜態を晒しても、香奈は俺と一緒にいてくれるらしい。

 

 俺が香奈を救い、香奈は俺に救われた。結果今の生活がある。

 その関係はいつの間にか逆転していて、気付けば俺の方がこの生活に多幸感を抱くようになっていた。


 香奈と同棲を始めて半年が経過した、ある夜のこと。

 夕食を取りながら、俺は彼女に尋ねた。


「なぁ。あの時見せてくれた婚姻届、あるか?」

「もしかして、とうとう名前を書いてくれる気になったんですか!? 結婚してくれるんですか!?」


 俺の返事を聞く前に、香奈は自室に婚姻届を取りに行く。

 次の瞬間、聞こえてきたのは彼女の悲鳴だった。


「どうした、香奈!?」

「……ないんです」

「ない? それって、もしかして……」

 

 香奈は頷く。


「婚姻届、なくしちゃいました……」


 香奈にとって婚姻届がただの紙切れじゃないことは、言うまでもない。大袈裟な表現かもしれないけれど、生きる希望そのものだ。


「なくさないように、きちんとしまっておいた筈なのに……」


 えぐっえぐっ。

 嗚咽を上げながら、香奈は涙を流す。そんな彼女の肩に、俺はそっと手を置いた。


「動揺せずに聞いてくれ。……俺はその婚姻届を、破り捨てるつもりだった」

「……えっ?」


 仮に婚姻届が出てきたとしても、俺は名前を書くつもりはない。そう決めている。


「それは……私と結婚する気がない。そういうことですか?」

「香奈は相変わらずネガティブに考えるな。……こういうことだよ」


 言いながら、俺は婚姻届を差し出す。

 しかしそれは、香奈のなくした婚姻届じゃない。俺が自分で取得して、俺の名前だけ書かれた婚姻届だ。


「約束したからじゃない。命を助けたことに対する責任感でもない。香奈のことが好きだから、結婚したいと思っている」


 半年前に差し出された婚姻届に名前を書いては、どうしても約束を履行した形になってしまう。

 だけど、今更約束なんてどうでも良い。

 2年前のあの日、彼女と出会わなかったとしても。全く違う出会い方をしていたとしても、きっと俺は香奈に惚れていたんだと思う。


 だから今度は俺の方から、香奈にプロポーズをする。


「……私が断ると思いますか?」

「万が一ってこともあるからな」

「万が一なんて、ありませんよ。天地がひっくり返っても、あなたと一緒にいます」


 救った救われたの関係は、もう終わりだ。

 これからは二人助け合って、幸せな未来を掴んでいくこととしよう。

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