芸能界
契約満了、そうマネージャーから言われた時、私は思いのほか動揺しない自分に気が付いた。
もともと入りたくてこの業界に入ったわけではなかった。中学からクラスに馴染めなかった私は、周りの女子からイジメにあっていた。イジメと言っても、陰口をたたかれたり無視されたり、そんなところだ。直接手を出されたことは無かったので、イジメというと大げさかもしれない。
高校進学と共に中でも一番仲の悪かった子と一緒のクラスなった私は、その子たちに無断で芸能事務所へ履歴書を出されてしまった。スカウトに落ちた私を裏で笑いものにしようという魂胆だったんだろうが、何をとち狂ったか事務所は私に合格を出してきた。
合格通知の電話をとった母親の口からそれを知った私は、二つ返事で了承した。環境を変えたかったのだ。
背水の陣ということで、親の反対を押し切り入ったばかりの高校を止め、私は一人で上京した。
右も左も分からなかった私は毎日必死だった。中でも業界のしきりたりには四苦八苦した。何をしているのか分らない人間に頭を下げる毎日に、私のプライドはズタズタに削られていった。だがそのかいあってか、段々とメディアへの露出は増え、気がつくと少年誌のグラビアを飾る程になっていた。
その頃になると多少の無理は通るようになり、まっさきに寮を出ることにした。誰かに管理される毎日に耐えられなかった。事務所との話し合いの結果、事務所の系列会社が管理するマンションへ引っ越すこととなった。完全な自由とはいかなかったが、私は満足した。
そしてここに引っ越してはや二年、苦楽を共にした部屋とも別れの時が近づいている。
私は伸びをすると、そのまま大きなゲップをした。隣の部屋からかすかな物音がした。今日も盗み聞きしているなと鼻で笑った私は、おおよそ年頃の女子が出してはいけない生活音を響かせた。
この隣人が引っ越してきたのは、私がここにきて三か月ほど経った頃だった。徹夜明けの撮影のあと、疲れ切ってベッドでうとうとしていた私は、外がやけに騒がしいので起きてしまった。目を三角にして表に顔をだすと、家具が運び込まれている最中だった。
このストーカーの所業に気が付いたのはいつ頃だったかは詳しくは憶えていない。ただ、なんとなく監視されている気配はしていた。私の立てる生活音に、やけに反応してくるのだ。
私が確信を得たのは、お腹の調子が悪い日だった。トイレにいこうと立ち上がった拍子に大きな屁をこいてしまった。すると隣室でキャッという悲鳴が上がったのだ。それで私は確信した。こいつは盗み聞きしていると。
事務所へ報告することも考えたが、今のところ実害はない。他人にバレて困る秘密もなかった私は、このまま大人しくしているのならそれでいいさと放置することにした。
だが、性根の曲がった私は個人的な楽しみを見つけだした。幻想をもてやってきたこのストーカーに、現実を叩きつけてやるのだ。具体的には、とことん生臭い人間の臭いを嗅がせてやった。そんな事をやってるうちに幻滅して居なくなってくれればいいなという算段もあったが、この男は耐え抜いてしまった。見事なものである。
私は今日も下品な音をたて、ストーカーをおちょくって遊んだ。
流行り廃りの早い業界で、有難いことに徐々に飽きられていった私は、今ではテレビの仕事はめっきり減り、雑誌に取り上げられる機会も少なくなった。水着を着てひな壇に座らないかと言われたが、私は断固として断った。そんな下らないことをするためにこの業界に入ったわけではないのだ。勿論どんな目的があって入ったのかと問われたら、分らないと胸を張って答える私ではあるが、それだけは違うと言えた。
そんなこんなを繰り返した結果の契約満了だった。それ自体には不満はなかった。だが私の気に障ったのはその後だった。
マネージャーに別室に連れていかれた私は、見知らぬ男と面会させられた。見るからに脂ぎった壮年の男は、一目で嫌悪感を抱かせるものがあった。
じゃらじゃらとつけた指輪をちらつかせたあと、男は言った。
「脱がないか」
単刀直入だった。あ、も、お、もない。年頃の女の子にぶつけるにはあまりにも乱暴すぎる言葉に、さすがの私も固まった。
そうすれば今よりもっと稼げるし、もっとモテるし、もっといい生活が出来る。そんなことを言っていた。そしてゆくゆくは……というわけである。
私は目の前にあった湯呑のお茶を男の顔に掛けると、そのまま席を立った。
騒がしい部屋を背中に残し、久しぶりにワクワクした。
マンションに帰った私は腹を抱えて笑った。隣のストーカーも驚いたのか、その日は静かだった。
あれからやり残した仕事を片付けた。珍しく入ったテレビの現場に行くと、普段だったらおせじの一つも言ってくれるプロデューサーが私を無視した。他のスタッフもよそよそしく、針の筵、といいたいが、私はそんな状況をあんがい楽しんでいた。出演者の私に対する仏頂面も、汚物扱いとはこういうものだなと実感させてくれただけで、私の心を傷つけることはなかった。
数日後に引退会見を控えたある日、週刊誌に私の醜聞が出た。あることないこと(ワガママだという記述はあっている)書いてあり、それは酷い物であった。私はそれを読みながら追放とはこういうものかと感心した。それと同時にネットへの書き込みも始まったようで、SNSや匿名掲示板では私の悪口が溢れていた。
私はそういったものを純粋に楽しんだ。世論工作への抜け目なさに、芸能界という村社会の闇を見た。
そうやって楽しめたのは、メディアで作られた自分と素の自分とのギャップが激しすぎたからかもしれない。フレームの中では笑い続けていたが、ひとたび外れれば私は口もきかないのだ。その差違のお陰で、架空の自分が傷つけられていく光景が面白く感じられた。
ただ一つだけ気に入らなかったのは、中堅芸人へのインタビュー記事だ。中年の中堅芸人は、付き合いで一回だけ同席した食事会(とネットの記事には書いてあるが、実際は飲み会)を引き合いに出し、私の悪口を言っていた。芸能界の先輩に対して気遣いが一切ない生意気な奴だというのだ。
私に言わせれば、ヤクザ紛いの人間は先輩じゃないし、反社と付き合いのある人間はそもそも芸能人ではない。それは、テレビに出ているだけのアナキストである。そんな奴に気遣いもへったくれも無い。
そういえば、あの時も私は滅茶苦茶やったものだ。あてがわれたやたら歯の白いデブ男の頬に、一発張ってやったのだ。デブ男は目を白黒させていた。そんなことをやられたことが無かったのだろう。
あの頃の私はまだ人気があった。事務所も必死に庇ってくれたお陰で事なきを得た。
そう考えると、あの『脱がないか』もその意趣返しなのかもしれない。溜まりに溜まったものがポイントバックされたのだ。
スマホが鳴った。見慣れない番号からだった。
私は訝しみ、やつらの仲間からかと警戒した。無視してしまおうかとも思ったが、最後くらい文句を言ってやろうと考え直して取ることにした。脅迫されようが何されようが怖くはない。すでに私の芸能生活は終わっているのだ。
そう意気込んで出たものの、電話の相手はうんともすんとも言わなかった。こちら怒鳴ると、スマホの向こうから息の飲む音が聞こえたので、電話の前にいないというわけではないらしい。とすると、単なるいたずら電話のようで、出鼻をくじかれた私はそのまま切ろうした。
「あの……」
と相手は言った。女の声だった。
「誰よ、あんた」
「わたし、中学校の時一緒だった」
そういう声に聞き覚えがあった。私をイジメていたあのグループの女だ。
「どうやってこの番号を調べたのよ」
「家に電話したら、アケミのお母さんが教えてくれて……」
余計なことをと私は思った。それでも母親の気持ちは分らないではない。友達のいない私のもとへ掛かってきた電話が嬉しくて、つい教えてしまったのだろう。
「それで、用は何なのよ。こっちも忙しいんだけど」
「あの、なんていうか、この前のネットのニュースを見て……あんなのって、酷すぎるじゃん」
「どうってことないわよ。私以外の子もやられてることだし、順番がまわってきただけね」
「それだって、あんな出鱈目書かれたら腹立つでしょ」
「出鱈目って、どうしてあんたが分かるのよ。全部真実かもしれないわよ」
それに、と私は心の中で付け足す。こういう事になるを望んでいたのではないのかと。しかしそれを言ったところで何にもならないのは分かりきっていた。皮肉をいうには、私とこの子の関係では距離が遠すぎた。
「分かるわよ。だってアケミは、卑怯者じゃなかったもの。ニュースに書かれているようなことをするような人間じゃなかった」
「そりゃどうも。わざわざそんなことを言うために電話を掛けてきてくれたの?」
「違う……ただ一言、謝りたくて。私が履歴書なんて送らなければ、こんな目にあうこともなかったのに」
私はスマホのマイクを指で押さえ、相手に聞こえないよう小さくため息をついた。
そんなことは言ってほしくなかった。入りがどうだろうと、結局のところ、この道を選んだのは私自身だし、すべて私自身の責任なのだ。
喋っていて感情的になりすぎたのか、相手はすすり泣きを始めた。私は落ち着くまで何も言わずに待っていた。
「ねえ、あんたがそう言ってくれたから、私も正直に話すわ。私は、今までのあんたの言葉なんてなんにも信じてないわ。そんなの、罪悪感から生じた気まぐれにすぎない。だけどね、あんたのその気持ちは本物だと思うの。例えそれが、今この瞬間にしか存在しないものだとしても。私も近いうちにそっちに帰るから、もし今の気持ちが一ミリでも残っていたらね、一緒にご飯でも食べにいきましょうよ。それにたまにでいいから私に勉強を教えて。復学したいんだけど、今の私じゃ掛け算も怪しいんだ」
電話を切った私は、煙草をもってベランダに出た。芸能界に入って様々な悪習を憶えたが、その最たるものが喫煙と飲酒だった。ただ、と私は一つだけ誇りに思う事がある。誰にも私の体には触らせなかった。この綺麗な体だけが、私の勲章だ。
周りもマンションだらけのこの場所からでは、情景もへったくれも無かったが、それでも近くに感じれる新宿の喧騒が気に入っていた。この場所ともお別れである。
隣室で物音がした。
「ねえ」
私は手すりに掴まって身を乗り出し、隣のベランダの仕切り越しにいった。
「ずっと聞いてるんでしょ。あなたも知っての通り、私はもう終わりなの。だからさ、最後くらい顔を見せなさいよ」
少しの沈黙のあと、カーテンが開いて男が出てきた。ぼさぼさの眉毛の下には、自信なさげな瞳がついていた。いかにも女を知らない顔である。
「今まで応援してくれてありがとうね。あなたも早く良い人見つけなさいよ」
何かを言いたそうな男を残して、私は部屋へ戻った。
新しい季節の予感に、私は伸びをした。




