日本編43 獣対獣
全てが凍てつく。南極を思わせる極寒の世界は、そこにいるだけでもジワジワと命を削っていく。猛吹雪が全身を襲い、空から降り注ぐ雪は一発一発が弾丸級だ。
厚い脂肪でそれらを受け止めながらクラウスは「ほぉ」と白い息を吐く。
「考えたね。自分に有利なフィールドを作って、直接ではなく間接的に私を叩きにきたか。やればできるじゃないか。けれども、天候を塗り替えるレベルの魔法を行使して、君は大丈夫なのかね?」
「大丈夫なわけないでしょう。もう魔力不足でヘトヘトだわ」
「ふっ、そんな状態でどうやって私を殺すというのかね。この程度の寒さなら、私の自慢の脂肪は貫けないよ」
「えぇ。―――だから、この戦いで使う魔法はこれで最後よ」
白亜は四肢を獣化させ、残った魔力で両腕から大きな氷のブレードを生やす。その切れ味は名刀に匹敵し、その硬度はダイヤモンドの如く。手を地につけ、姿勢を低くし、威嚇する猫のように腰を上げる。
そして、
「ガウッッ!!!!」
「!?」
どん!!と銀世界を走り出す。チーターのように四足歩行で、一瞬で時速数百キロまで加速し敵の寝首を捉える。突拍子のない『殺意』に驚き、クラウスは思わず後退した。
(なんだ……?突然猛烈な殺意を感じた。まるで理性のない獣のような鋭く野性味溢れる殺意……)
「ガルルルルルル………!!!」
「―――いや、獣そのものになって理性を飛ばしたか。ふふ、面白い!!」
「ガァァァァァァ!!!」
「ならば受け止めようレディ。君の殺意も、その慈愛も、全て!!」
ガゴンッ!!!と。
金属同士が打ち合ったような火花と音が生じる。白亜のブレードも鉄以上の硬度を持つが、クラウスの脂肪もまた同等の硬度を持つ。だが一つ違うのは……、
「フンッ!!」
「ギャウ―――!?」
「その殺意は十分だが、威力はまずまずだねぇ。その程度では私にダメージを………」
「グラァァァァァ!!!」
「何っ!?」
獣の化した白亜はいちいち吹っ飛ばされたことなんて気にしない。ただ敵を殺すことにのみ執着する。すぐに体制を立て直し、クラウスに特攻した。
「ガァァァァァァ!!!」
大きなブレードを振り回し、滅茶苦茶に敵を切り刻んでいく。殴って蹴って切りつけて、噛み付いてちぎってぶん投げて。あらゆる暴力の限りをぶつける。
「なんて猛攻だ……カウンターが追いつかない!いや、もはや意味もなさないか!」
「グラァァァ!!」
「―――『真・義和拳法』」
「ウガッ、ヅ!?」
途端、クラウスが動いた。猛攻の隙間を掻い潜り、つんっと積み木を崩すように白亜の腹をつつく。次の瞬間、ぐらりと白亜の身体が崩れる。
「ウ?アガッ……」
「ふふ、びっくりしたかね?ちょいと君の身体の中身を弄らせてもらったよ」
「ウググ………熱イ?苦シイ……!」
内側が煮え滾るような感覚が白亜を襲う。胃が逆転し、腸が捻じれ、肝臓が凹み、肺が潰れる。
「『真・義和拳法』は何も自分だけに作用するものではない。特殊な秘孔をつついてやれば、内臓の位置をめちゃくちゃにすることだって可能さ。どうだい?苦しいだr
「ルルルルルラァァァァァァァ!!!!」
「………おっふ」
有無も言わず白亜は敵の顔面を殴り飛ばした。いくら極限まで獣化してるとはいえ、流石に理性がなさすぎるんじゃないか?とクラウスは吹っ飛ばされながら思った。
「ウグ………が……痛イ!?」
だが、そのあまりの激痛に白亜は膝を折った。雪の大地に噴き上げた汗が落ちる。
「ふふ、効いてきたかな。位置がバラバラになった内臓は、元の位置に戻ろうとして動き始める。そして動く度に、尋常じゃない痛みが君を何度も何度も襲うだろう。いくら獣とはいえ、……いやむしろ獣だからこそ、痛みには敏感なんじゃあないか?」
「フー、フー、フー、グルルルルル………!」
「ああ、獣のように睨み付ける美女も実に素晴らしい………私、獣っ娘好きだったのかな?」
「ラァァァァ!!」
「おっと、動きがさっきより鈍いよレディ」
「フグっ―――!?」
華麗に回避され、裏拳を顔面に打ち込まれる。攻撃を喰らおうともブレードを振るい脚を振るう白亜だったが、今はそれも叶わず呆気なく背を雪につけた。
それでも立ち上がろうとするが、上半身を上げたところでバタンと崩れる。肺が潰れ呼吸が困難になり、ぐちゃぐちゃになった内臓は正しい位置に戻ろうとして、絶えず激痛を与える。
何より、内臓は既に修正不可能な位置にあり、戻ろうとしても戻れず、永遠に苦しみを与えるのだ。
「フー、フー、フー…………が、アッ、う」
「痛ましい嘆かわしい素晴らしい………麗しい少女が
、血を流し嗚咽を漏らし殺意に震え、なお藻掻くその姿……これぞ紳士の嗜み」
「そんな嗜み聞いたことねぇな。私が知ってる英国紳士はもっといい奴らだった気がするが?」
「!?」
「そう驚くなよってか最初からいただろ」
空飛ぶ箒に両足をつけたマーリンが話し掛けてきた。気配を全く感じなかったことに不気味さを抱きつつも、紳士としての振る舞いを忘れまいとクラウスは深呼吸。
「一つお聞きしたい美しきレディよ。貴方の弟子はあんなに苦しんでいるというのに、手助け一つないのですか?目的は我々の撃破、及び玉藻の前の素材回収。利子文を軽く倒してしまう貴方ならば、私を倒すことも容易かろうに」
「ん?お望みなら私が直々にぶっ潰してやるけど?」
「いえ、結構。そういうわけではなくてですね………」
「そりゃあお前、可愛い弟子がやる気と殺る気になってるんだ、後ろからその姿を見守ってやるのが師匠の務めってやつじゃねぇの?」
「なるほど………。ふふ、納得です。私達の兄弟愛にも似たような物を感じます。愛、素晴らしいです。紳士が求める終着点は、他愛を重んじる心ですからね」
「………あのさぁ、お前の言う紳士ってちょっとズレてると思うぞ?女に優しくして愛を語って、あと上品に紅茶を飲めればいいって話じゃねぇからな?女口説くのも下手くそだしよ………。ランスロットを見習え?あいつマジヤバかったからな、嫌悪と憎悪の対象である私でさえ、女と分かれば速攻口説いてきたからな。ふぅー、思い出したら寒気が……」
「……………え……………」
マーリンが別の意味で身体を震わせ、クラウスが己の紳士道を否定されたショックで固まっているその時だった。
―――ビジグヂィ!!!と。
肉を引き千切るような音がした。場違いの異様な音に、クラウスは我に返って振り返る。ピチ、ぴち、ピチ、ぴち。白亜の大地が鮮血で血塗られる。
「―――うぐ、ゲェぇぇぇ!!!??」
「…………なんてことだ。何なんだ君は!?」
美しい毛並みを持つ獣の腕が真っ赤に染まる。口からも血を吐き出し、「うがぁぁ!!」と悶える。だが彼女は手を止めなかった。誰もが正気を疑うようなその狂行、とても知的生命体とは思えない所業。
―――問、グチャグチャになった内臓を元の位置に戻すにはどうすればいいか?
「―――自分ど自分の体に穴を開けて、自力で位置を戻している!?!?!?」
「フー、フー、フー、ガァァァァァァ……………!!!!」
「ば、馬鹿な……あり得ない。化け物か、君は!?!?」
「くはははははは!!!やりやがったあいつ!たははははははは!!」
馬鹿を通り越してもはや狂気。生命維持を脅かす苦痛を自ら受けに行くスタイル。内臓が元に戻る際に発生するスリップダメージよりも激痛を伴いそうな行動。
普通の人間ならば、他の方法でこの問題を解決するだろう。しかし今の白亜にそんな常識は通用しない。正真正銘の化け物、獣。
『チクチクチクチク、邪魔クセェ!!』
ただ、目障りだった。邪魔くさかった。それだけ。たったそれだけでこの行動に出たのだ。
「ウガァァァァ!!!」
「―――レディ、完敗だよ。私は君を見誤っていた。肉体では勝っていても、精神では到底敵わないようだね」
「グルルルルル………!」
「あぁ、素晴らしい眼光だ。その紅い瞳は、私の心の奥底の『何か』を刺激するようだ。ふふ、はっはっはっは!!ならば応えようその覚悟!私も本気を出すとしよう!目には目を、歯に歯を、獣には獣だ!!」
クラウスは懐から一枚の呪符を取り出し、ヌンヌンヌン!と呪力を籠める。オレンジ色に発光し、燃え上がる。それを自慢のお腹に貼り付けると―――
「―――『真・義和拳法』、『永炎祝融』」
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祝融。
中国代表の火の神であり、炎帝の子孫でもある。火を司る為の、火災にあうことを『祝融の遭う』と言う場合もある。『山海経』の『海外南経』によれば、祝融は南の神であり、その姿は獣身人面である。
そして、『真・義和拳法』を極めたクラウスは盤古を降ろした利子文のように、祝融をその身に宿すことができる。
「あのチビ筋肉マンも凄かったが、こっちもこっちですげーなー」
「グルルルルル………!!!」
クラウスの身体はみるみる変貌し、肉体は膨張、皮膚は赤くなり毛皮が生え、額からは二本の角が飛び出し、でっぷりお腹がチャームポイント。その形相は、ブチギレた鬼のようだ。
「というか、これは獣身ってよりかは毛の生えた鬼じゃね?いやゴリラか?ん?」
「ふっふっふ、驚いたかね。これが『真・義和拳法』の極地、最強にして究極の技。炎を司る祝融の力をとくと味わうがいい!!」
「ッッ!?!?」
「――――!!!」
瞬間、ボォォーーーーーッッ!!!!と。
ドラゴンもびっくりな熱光線がクラウスの口から放たれる。白亜は咄嗟に横へ飛んだ。熱光線はもはや氷山と化した岩柱に激突。
大爆発!!
粉微塵に吹き飛んだ。
「グゥア………!!ウグ!?」
「そんなボロボロの身体で避けきれるかな?言っておくが、まだまだこんなもんじゃないぞぉ!!――――ッッ!!!」
「ラァァァァ!!!」
クラウスの口から熱光線が放たれる。白亜は白兎のように雪原を駆け抜けて避けた。だがまだ終わらない。フー!!フー!!フー!!と立て続けに連射する。
岩柱を伝い、跳んで走って距離を詰める。そしてその首を捉えた!!
「―――ガウッ!?」
「無駄だよ、レディ」
ジュワッ!!と。白亜が丹精込めて作ったブレードはクラウスの皮膚に触れた途端一瞬で蒸発した。今のクラウスの体温は摂氏900度。近づくだけで大火傷だ。
それをすぐに察した白亜は急いで距離を離す。それでも熱波による火傷は避けられなかった。
「フー、フー、フー!!」
「おやおや?今までどんな攻撃を喰らおうとも引かなかった君が距離を離した。まさか、熱が弱点なのかな?ふふ、それはいい。なら、こんなのはどうかな!!」
クラウスが天を仰ぐ。すると彼の頭上に巨大な火の玉が生成される。
「喰らえ!!」
「ガァァァァァァ!!」
白亜は残った魔力で、こちらも巨大な火の玉で応戦する。しかしパワーの差は歴然。残った魔力で作った火の玉と、火の神の力を使った火の玉。勝敗は火を見るよりも明らかだ。押し留めることも叶わず、呆気なく押し返された。
急いで横に跳ぶ。だがその圧倒的爆発範囲と、疲弊した白亜の速度では避けきれるわけも無かった。
「ウガァァァァァァァァァァァァァ!?!?!?」
「そろそろ諦めたまえ。勝敗は既に分かり切っているだろう。君の覚悟に敬意を評して、一瞬で楽にしてやる」
「…………フー、フー、グルルルルル…………」
「………まだ諦めないのかい?腸に穴が空いて、火傷でボロボロで、魔力も残っていないのに………まったく、呆れるほど素晴らしいな」
「ラァァァァア!!―――がっ、あ」
がくり、と白亜は膝をついた。そのまま上半身も地面にへばりつく。とっくのとうに限界は超えていた。理性を払拭し、本能に従い、魂で抗いつづけても勝てなかった。
獣化は解け、雄叫び一つ上げることもできない。
(冷たい………寒い……)
自ら喜んで寒地に飛び込む白亜だが、この時だけは早くこの場から離れたかった。
寒い、冷たい、苦しい、熱い、熱い、痛い、寒い。
自分で作り上げた極寒の世界と、抉れた腸から滴る血液の熱さで、感覚がバグっていく。視界はぐにゃぐにゃと歪曲し、暗くなっていく。思考は回らず、次何をすべきかの判断も追いつかない。
「もう立ち上がる力も残ってないか。レディ、貴女はよくやったよ。君のことは一生忘れないさ………だから、さっさと終わらせよう!!とうっ!」
クラウスは高く、高く高く跳んだ。そのままスカイダイビングのように、自慢のでっぷりお腹を地に向け空高くから落下する。摂氏900度を超える肉体は、文字通り火の玉だ。
白亜は狂い始めた頭でも、あれを喰らえば一撃で消し飛ぶと理解した。消えゆく視界で自分の師の姿をみる。特に手助けするでもなく、ただこちらを見ている。
「―――――――」
「し、しょ………う」
だがその眼は、失望も諦めも憐れみも無かった。私の弟子は、まだやれる。そう信じてやまない眼であった。
「――――ッ!!」
(まだ、まだよ。まだ負けちゃあいないわ。魔里なら、きっと諦めない!!!)
白亜は天に手を掲げた。残った魔力をすべて使い、作り出した極寒の世界を収束し始める。積もった雪が、降り注ぐ雪が、氷が、熱を奪うすべての力をたった一つの点に収束する。
魔法の効果というものは、『密度』と『量』と『質』によって大きく左右される。仮に、魔力の密度が低く量が多いものと密度が高く量が少ないものは、どちらもほぼ同じ効果を得る。
魔力の密度が高く量も多く、何より魔力の質が良ければ言うことなし。大きな効果が期待できる。
そして白亜の魔力は獣人の血による濃密な魔力と、悪魔の神秘の力を内包している。即ち、密度量質どれもが最高峰。今、この一瞬だけならばあのマーリンだって超えている。
「喰らえ、炎帝スターーーーンプ!!!!」
「『極寒轟砲』―――!!」
その一撃はまさに獣の咆哮。大音量を轟かせ敵を穿つ。一瞬で落下する火炎玉と激突する。
「ぐぬぬぬ……!!」
「ガァァァァァァ!!!!」
最後の力を振り絞って吠える。お互いの火力の差はそこまでなく、押したり、押し返されたりの拮抗戦。しかしこれまでの疲労が邪魔をし、白亜の出力がどんどん落ちていく。
その一瞬の隙をクラウスを見逃さなかった。ジェットエンジンのように背中から炎を噴射する。勢いが更に増し、白亜の渾身の一撃をも跳ね除けていく。
「死ねぇぇぇぇい!!『永炎祝融』フルパワー!!」
「ルルラァァァァァァァァァァッッ!!!!」
クラウスと地上の距離、実に15メートル。出力の落ち始めた『極寒轟砲』は勢いを落とし、更に落下を加速させたクラウスによってぐんぐん距離は縮まっていく。
残り10メートル。あの攻撃に当たれば確実に吹っ飛ぶ。身体が塵一つ残さずパァン!だろう。死にたくない。まだ死ねない。死ぬくらいなら殺してやる!そしてその後に助ける!!
「ガァァァァァァァァァァ!!!!!」
「な、何っ!?」
全身全霊フルパワーなんてものじゃない。自分に残った残りカスも使い切り、叫び、吠え、咆哮する。脳がはち切れ、筋肉が摩耗し、喉が潰れ、視界が焼き切れようとも。魔力の全てを使い切る。
そして―――
「うわぁぁっ―――!?!?」
遂にクラウスを弾き返した。明後日の方向へ吹っ飛ばされ、何度も地面をバウンドしてクレーターを作り出す。
「な、なんて力だ……私のフルパワーを真正面から押し返すなんて……!」
「………………………」
「……………?」
「………………………………………………」
バタン、と。
白亜電源を切った機械のように倒れた。魔力も体力も何もかも使い切り、遂に倒れたのだ。
「………驚いたな。この状態でまだ息があるとは。………辛いだろう、もはや生命活動を維持するだけでも苦痛だろうに。君は素晴らしい戦士だったよ、レディ。君のことは決して忘れない。その勇姿、兄弟達や友人にも必ず伝えてやる。―――だから、安らかに」
「―――おっと、そうはさせないぜ」
「!?」
クラウスが腕を振り下ろした瞬間、バギンッ!!と見えない何かに阻まれた。その見えない何かの内側には、白い化身がとんがり帽子のつばを抑えながらニヤリと笑っていた。
クラウスはその姿に、酷く恐怖を覚えた。魅せられる、圧倒される、そのオーラに。
あぁ、利子文が彼女を悪魔と呼んだ理由が少しわかった気がするのよ。
「よく頑張ったな、白亜。本当は倒すところまでいけば百点満点だったんだがな。帰ったら鍛え直しだぞ?」
「―――貴様は、いった、い」
「私か?なーに、私はただの魔法使いさ」
白い化身は、真っ黒な笑みを浮かべた。




