日本編32 地獄の公爵
ケルベロスの能力。それは、ありとあらゆる魔法を無効化する『霊化』、たとえ首が切り落とされようとも回復する『再生』、そして自身を保存し複製することで分体つくる『保存』。
まず初見で勝てる相手ではない。適正レベルとしたら、知識も実力もある一流魔法使いが5人以上は必要だ。それが、どうして素人の少女達に倒せるだろうか。
弟子―――魔里の腕が喰われた時、マーリンは思った。
「あ、やりすぎた」
マーリンの顔が引き攣る。あちゃー、と緊張感のない声でこめかみを手で押さえる。
「ちょっとちょっとケルベロス、ステイ!ステイ!流石にそれはやりすぎじゃないか?」
すると、ケルベロスからこんな信号が送られてきた。
『死んでないからノーカンだ』
「…………………それもそうだな!!はは、大丈夫大丈夫!最悪死んでも原型が残ってりゃあなんとか出来るって!よし、続けていいぞ。けど全部食べちゃうのはなしね」
やはりマーリンはろくでなしだった。
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マズイ、この状態は非常にマズイ。切り落としたケルベロスの首はあろうことか復活してしまった。そこに加え、新たな能力で妙な分身までつくり出しやがった。
片腕は喰われ、意識は飛びそうだ。白亜は想定外の事態に慌て、冷静な判断を欠いている。ケルベロスは回復し、お怒り状態。周りは完全に包囲された。
「これは――――詰みか」
想定が甘かった。ケルベロスという神話級の化け物を舐めていたののだ。いくらあのマーリンさんに鍛えて貰ったからって、素人の私達が真正面で敵う相手じゃない。
最近は物事が上手くいってて忘れていた。私は所詮凡人で、何の取り柄もない奴なのだ。超能力も『転火』も、与えられたが使えこなせない。だからこうして、考えなしに突っ込んで片腕をまんまと喰われるのだ。
あぁ、せめて、白亜だけでも無事でいて欲しい。私なんかよりも優秀で強くて可愛くて美人で優しくて………大切な友達。
意識が消えかける。暗闇がすぐそこまで押し寄せてくる。ちきしょう………マーリンさん、恨むぞ…………。
「諦めないで!!」
「しろ、あ……?」
「まだ私がいるわ!!あの日私はあなたに命と心を救われた。あなたに憧れた。魔法使いになれば、助けてくれた魔里みたいになれるかなって思った!だから、こんなところで終わるもんですか。魔里を死なせるもんですか。今度は、私が、あなたを護る!!」
「白亜…………」
「――――だから、邪魔よ。あなた達」
ヒヤリ、と。冷たい殺気が辺り一面を覆いつくした。生物ならば、恐怖で身を震わせずにはいられない。実際私も背筋が凍った。ケルベロスヘッド達が白亜の殺気に臆した次の瞬間、ゴミが蹴散らされるように彼らは薙ぎ払れた。
「ガルルルル…………!!!」
白銀の獣が姿を現す。雪山の主の血が騒ぎ出し、闘争本能をこれでもかと刺激する。敵を引き裂き笑う姿は獰猛な化け物そのもの。
氷の剣をその手に、鋭い視線をケルベロスに向ける。
「まずは魔里から、」
「バウッ…………!?」
「離れろ!!!」
ドガッッ!!と。
文字通り瞬きの間に接近し、氷剣を脳天狙って打ち付ける。それをケルベロスは回避した。慌てたように後方へ飛び去ったのだ。
私は違和感を覚えた。あらゆる魔法を打ち消す能力を持つケルベロスか、魔法の攻撃を避ける必要はない。だがそうはならなかった。ならば、答えは一つ。
「『氷の剣』…………!!」
そもそも魔法じゃないのだ。根底から違うのだ。この世の絶対的な力を上回る神の、もしくは悪魔の力。『神秘』。そして白亜が手に握るそれは斬りつけたもの全てを腐食させ、進行し、腐り殺す悪魔の力。
これなら、この神秘の力ならいけるかもしれない。ケルベロスを倒せるかもしれない!
「ガァァァァァ…………」
「白亜、大丈夫なの……?意識ある?」
「………もちろんよ。まうあの時の私じゃないわ。でも、やっぱり獣化すると戦うことで頭がいっぱいになるから、魔里の声はすぐには聞こえないかも」
「いや、そんなの気にしなくていい。どうせ私は動けないから………。とにかく氷の剣であの犬をぶっ叩け。私のことなんか気にしないで」
「………うん、分かったわ。でも、ちょっといい?」
「ん?あびゃぁあ!?!?」
なんか傷口にぶっかけられた。めちゃくちゃしみる痛い痛い痛い痛い痛い!?ビリビリッとした激痛に氷の上をのたうち回る。
「痛い痛い痛い痛………くない?ありゃ?あら?」
「ポーションよ。あの時の作ったやつを携帯しといて良かったわ」
「おぉ、すげぇ!ポーションすげぇ!さっきまでの痛みが嘘みたい!」
「でも、それ普通のポーションだから腕一本復活出来る訳じゃないわ。傷口を塞ぐ程度。無理はしないで」
傷口を塞ぐだけでも十分。痛みが和らげばコッチのもんよ!なんか気分も高揚してきた!野郎ぶっ殺してやらぁぁぁぁ!!!
「て、あら?上手く立てな……」
「出血した血液が戻ってくるわけじゃないわ。すぐには動けないわよ。――――大丈夫、全部 私に任せて」
白亜の後ろ姿を見た。とても大きく見える、頼もしい背中だ。私はちょっと勘違いをしてたみたいだ、傲慢と言ってもいい。白亜のことは、私が護んなきゃと思っていた。だが彼女は決して護るだけ対象ではなく、共に戦い、共に歩む仲間で、友達だ。
使い物にならない今の私が出来ることは一つ。彼女のことを信じ抜くことだけ。
「――――分かった、任せる」
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白亜と魔里の絆が更に深まっていく中、ケルベロスは決して空気を読んで黙っていた訳ではない。彼らも彼らもで非常に困惑していたのだ。
『何だあれ!?』『何なんだあれ!?』『何なのさあれ!?』
『『『マスター!!』』』
「んだよ、急に話し掛けてきやがって」
『あの白い……デカイ方の白娘!』『あれ何!』『なんか身に覚えのあるもん混じってない!?』
「あー白亜のクロケルの話か?」
『『『クロケル!?』』』
地獄の公爵でありソロモン七十二柱が一柱、クロケルは地獄の中でもかなり上の地位にある。ケルベロスにとっては主人の冥神ハデスとはいかなくとも、それなりに敬わなければならない存在だ。
と、いうかケルベロスは個人的にはクロケルのことが苦手であった。門を出入りする度にウザ絡みするし、仕事サボってどっか行くクロケルを捕まえられないと、ハデスや弟のオルトロスに叱られるし。
ここ数年はどうやらどこかへ行ったらしいし、当分は会うことはないなと思っていた矢先にこれである。
『もうだめだ、おしまいだ……』『殺される………みんな、殺される』『逃げるんだぁ、勝てるわけがないよ……』
「えぇ……なんかトラウマでも植え付けられてんのか?大丈夫だ、安心しろ。クロケルは確かに白亜の中にいるが、それは魔力暴発を防ぐ為の装置の役割でしかない。故にクロケルはアイツを守ったりする必要はないから、お前達が白亜を傷つけたとしても怒ったりはしないんじゃないかな」
『な、なるほど』『それなら……』『大丈夫?』
「なんなら本人が目の前にいるんだし、聞いてみればいいだろ」
『『『え』』』
『――――ザザ――――聞こ―――ザザ――る?あーテステス、聞こえる?』
「お、どうやらあっちの方から通信してきてくれたッぽいぞ」
『『『ぎゃぁぁぁぁぁぁ!?!?』』』
聞き覚えのある、聞きたくもなかった通信にケルベロスの体がビクッと震える。三つの脳が舎弟モードへと切り替わる。
『ケーローちゃーんー?なんだよ、ぎゃぁぁぁって』
『いや、別に!?』『んなことぉ!』『言ってないっすよ!?』
『えーホントー?』
『『『…………………………』』』
『たははは!悪かった悪かったって。あーで、なんで吾輩がこの娘の中にいるのかって話だっけ?そんなの契約だからに決まってるゾ。そこの夢魔が言った通り別に怒ったりはしねぇさ。あくまで契約内容は魔力暴発を防ぐ為だからな』
『そ、そうすか……』『なら』『よかったっす………』
『あーでもー、吾輩けっこうこの人間気に入ってるからー、下手なことしたら、もしかしたらぷっつんしちゃうかもだゾ☆』
『『『えぇ…………』』』
『んじゃあそういうことで頑張れよケロちゃん。この娘めちゃくちゃ殺る気満々だから油断してっとやられるぞ。あと地獄に帰ったらハデスの旦那に、この娘が死ぬまでは帰らないからって伝えといてねー!』
プツリ、と。言うだけ言って通信が切れた。いつも通りのめちゃくちゃさに、ケルベロスは唖然とする。そして、絞り出すように、愚痴を溢した。
『『『もうやだあの悪魔………』』』
横でマーリンが爆笑してることは、ケルベロスは気にも留めなかった。
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白亜視点。
「ガァァァァァ!!!」
雄叫び上げて突撃する。獣化した私の、特に脚力は従来の私とは比にならないくらい向上する。雪山を疾走するオオカミの如く駆け抜け、まず狙うは脚だ。
『氷の剣』を胸から抜刀し、大きく振る。だが、相手は氷の剣に当たればマズイということを完全に理解してるのか、横に跳んで避けられた。
相手はただの犬畜生じゃない、知性を持った化け物だ。そう簡単にはいかない。
「けど、それも想定済みよ。―――氷山」
ケルベロスの胸を貫くように、巨大な氷山を作り上げる。魔里は言っていた。ケルベロスは魔法を打ち消すが、魔法が当たってからじゃないと打ち消さない。
ほんの一瞬でも、この氷山がケルベロスを固定してくれるのならばそれでいい。今の私なら、その一瞬は十分なアタックチャンス成り得る。
「ガァァァァァ!!」
「バウッバウッ、ババババウッ!!」
「邪魔よ!!」
ケルベロスも私の策略に気付いたのか、慌てて牙弾を発射し応戦する。だが、今更その程度の攻撃は無意味だ。氷の剣で牙弾を弾いて進み、ケルベロスの脚を斬り付ける。
「「「ガウッ!?」」」
「まだよ!」
そのままケルベロスの股下を潜り込み、腹を切り裂きながら駆け抜ける。そこを潜り抜けた後は、後ろ脚も『氷の剣斬りつけた。
「「「ガァァァァァ!?!?」」」
ケルベロスが悲鳴をあげる。斬り付けた箇所は猛スピードで肉を腐食していき、筋肉の機能を亡き者にしていく。『神秘』の力は絶大だ。それは実際に『神秘』の力を宿す私が、本能的に理解している。いくらケルベロスの再生の力を持ってしても、そう簡単には癒やせやしない。
私はケルベロスの背中に跳び乗って、剣を脳天に突きつける。
「大人しく負けを認めるならこれ以上は戦うのはやめましょう。今ならまだその腐食は、師匠がなんとかしてくれるかもしれない。けど、要求を呑まないのなら……!」
殺す、と言いかけた瞬間。世界が真っ赤に染まった。同時に、地獄の業火が私の身を焼き尽くす。
「うがっ!なに、これ!?」
「「「ガルルルルルルル…………!!!!」」」
下を見ると、ケルベロスの下には巨大な魔法陣が展開していた。赤く、よく紋様は見えないけれど、炎系の魔法であることは間違いなかった。
瞳が乾く、獣毛が燃える、肌が焦げ付く。寒さに耐性はあっても、逆に熱にはとっても弱い。もう目を開けていられない、鼻は利かない、灼熱は私をその場から逃がさない。
「う、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!!」
あまりの熱さに叫ぶ。目を閉じていても映る赤黒い景色に、私は一ヶ月前の出来事を思い出した。
自分の命を狙う謎の男達、燃える校内、何がなんだか分からず怯えて、諦めようとする私。あの時は全てが駄目だと思った。私のせいで、人が、学校が、命が、終わりを迎えてしまう。絶望だった。
けど、その中に初めての光を見た。小っちゃくて、頼りなくて、けれどもとっても温かい光。
「っつ、まだ………よ」
あの時の私とは違う。あの光が今も私の心を照らし続けている。溶けるとことなかった氷を溶かしてくれたあの光が!それがある限り、私は決して諦めない!
「爆ぜなさい、『氷の剣』!!!」
「「「ガァァァ!?!?」」」
剣を背中にブスッと突き刺して、内側で炸裂させる。体の中で枝のように伸びていき、刺を生やしていく。ケルベロスが鼓膜を潰す程の悲鳴をあげた。それもそうだろう、一撃食らうだけでも致命傷の攻撃を、内側から爆発させられたのだから。
けどそれは私だって同じ。ほんの少しでも気を緩めたら焼け死んでしまう。だから、これで条件は同じだ。ここからは、根気勝負!!
「ガァァァァァァ!!!!」
「「「ガオォォォォォォォォン!!!」」」
「ラァァァァァァァァァァァァ!!!」
「「「―――――――――――――――!!!!」」」
互いに咆哮する。夜の海に叫びが木霊する。
一瞬のようで、永遠とも思える時間だった。耐え難い苦痛、文字通り地獄の業火に焼かれ続けて、そして―――
『―――クロケルさん』『いや、人間の娘よ』『貴様の勝ちだ』
「え?」
声が、聞こえた。気付けばケルベロスは倒れていた。真っ赤な景色も、今は静な夜の海だ。そうか、勝ったのか。
「か、勝っ――――た」
初めての大きな戦いの勝利の美酒に酔うこともなく、何もせずに、意識は闇へと落ちていった。




