日本編18 解氷 『心』
城明視点
「如月………さん?」
いるはずのない、来るはずのない彼女がそこにいた。素手で大人の男を吹っ飛ばすその威風堂々とした白い影は、地獄の灼熱を切り開く一筋の光のように輝いて見えた。
「白髪頭の小娘………?何故ここに」
「誰がして白髪頭じゃい!白髪って言え白髪って!――――あと、今すぐ城明さんから離れろぉ!」
「ッッ!?」
シュバッ!と瞬きの間に如月さんはペストマスクの懐へ近づき、アッパーカットを仕掛ける。それをペストマスクは、顎スレスレのところでバックステップ。
「なるほど………偵察部隊の報告書にあったとおり、身体能力が急激な成長を遂げたらしいな。厄介だ」
「誰もこんな形で強くなりたかぁなかったですけどね。けどそれはそれ、これはこれだ。今度こそそのマスクぶち割ってやりますよ、拳で」
「いいだろう。『災いの一族』の生き残りの疑いがある貴様のような危険因子は、これ以上強くなる前に確実に仕留める」
互いに身を引き締めて構える。数秒、周囲の炎の熱さも気にならないような緊張感が空間を包み込んだ。ジリジリと距離を詰め、そして―――
「オイオイまてぇい。何テメェがやり合うみてぇになってんだよ。あの白髪の相手は俺っチだぜ、どきな」
緊張感溢れる空気をぶち壊すように炎の男が戻ってきた。首をゴキゴキと鳴らし、表情はニヒっと笑っているものの、怒りがこみ上げてきているのが分かる。男はペストマスクの片を引っぱり、自分は前に出た。
「オイオイ、白髪野郎、オイオイオイオイオイオイオイオイ!テメェ何者だぁ?あんなスピードで俺っチをぶん殴れるやつなんざそうそういねぇぞ?もしかしてまた新手の『派閥』か?」
「『派閥』………?別に私はそこら辺にいるようなただのJKですよ。強いて言うなら、魔法使いの弟子ってことぐらいです」
「魔法使いの、弟子ぃ?…………あーもしかして、あの生き残りの夢魔の弟子か?オイオイ、なるほどな。お前も災難だなぁ、あんな夢魔に人生めちゃめちゃにされちゃって。おかげで色んな奴から命狙われてる羽目になってるとは……同情するぜ」
「別にマーリンさんはいくらでも侮辱していいですが………なんだか無性に腹立ちますねその喋り方。というか顔、いや動き、……いや全体的にお前」
「オイオイ言ってくれるじゃあねぇか。あ、ていうかテメェさっき俺っチの顔殴ったよな。オイオイもしこの美形顔が崩れちまったらどう責任とってくれるんだよぉテメェ」
「オイオイオイオイうるさい人ですねオットセイか。あんたの顔なんてどうでもいいし、女の子の顔を焼くような奴の顔なんてめちゃめちゃにされてしかるべきだ」
「んだとぉ?オイオイ、別にお前が顔を焼かれた訳じゃあるめぇしよぉ」
「同じ女子として許せないって話………そんなことも分かんねぇのかおっさん」
ピキピキピキピキと、両者の間で目に見えない火花が飛び散る。ペストマスクの時とは比べものにならない威圧感と、体を竦ませる圧迫感。そして、今度こそ―――
「よし、今すぐ死ねクソガk
「うるせぇ、テメェが死ね!!」
シュン!と如月さんの姿が一瞬にして消える。上手く見えなかったけど、さっきのペストマスクに仕掛けた動きとは何かが違う。
消えた如月さんは炎の男の背後に、パッと現れると、脚を斧のように振りかざし、
「あ?」
「フンッ!!」
「ぐがぁ!?」
「せいッ!!」
「グボォ!?」
踵降ろし、からのクルッと身を捻らせて顔の横から蹴りを入れる。あまりにも不意打ちだったせいか男は対応できず、その攻撃をまともに受けてしまった。壁に叩きつけられた男だったが、すぐに立ち上がり、
「ちっ!!これでもくらいや―――」
「―――悪いけどあんたにはさっさと退場してもらう。『念動力』最大出力!!」
「うお!?なん、体が、勝手に………?」
「吹っ飛べッッ!!!!」
「うおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!?!?」
如月さんが叫ぶと、それに呼応するように男は学校の壁を何枚もぶち破って、遙か彼方へと飛んでいった。その叫びは、一秒後には消えてなくなっていた。
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「……………かふ」
「如月さん!!」
炎の男を追いやって一安心、とはいかなかった。超人的な動きを見せた彼女が、突然吐血しその場に倒れ込む。
(やっべー、また一気に超能力使いすぎた………。千里眼や瞬間移動ならまだしも、慣れない念動力は突然一気に使うもんじゃねぇな…………)
「大丈夫!?如月さんしっかりして!」
「ぁあぁ………別に死にはしませんよ。頭がギンギンジンジンバギバギするだけなんで、安心して下さい……」
「あまり安心できるような擬音じゃなかったのだけど…………。そんなことより………如月さんは何で……ここに?」
「あ?いえ単に、あなたを助けに来たんです」
「―――は?何、言ってる、の………?」
「別に言葉通りの意味ですけど」
「嘘、嘘よ!だって、あんなに私のこと怖がってたじゃない!震えて……泣いて……吐いたりもして……しかも、私はあなたを殺しかけたのよ?みんなに酷いことしたのよ!?何で………何で助けるの?私はあなたみたいな人に助けられるようなこと、してない!」
「―――――それは」
「悪いが、お喋りはそこまでだ」
「―――ッッ!?」
カチャリと、金属音が背後から聞こえる。それは、銃口が私の後頭部へと突きつけられていることを示す音だと言うのは、振り返らずとも分かることだった。
たった数十秒の会話も、生存も許さない慈悲無き所業。いや、ほんの数秒間でも会話できただけ彼なりの慈悲だったのかもしれない。
「空気の読めないやつですねあんた………せめて最後まで喋らせてくださいよ。慈悲はないんですか?」
「ない。半獣の娘だけならまだしも、予期せぬ乱入が入り貴様も加わった………正直慈悲を送る余裕もない。偵察部隊からの報告で知ってはいたが、貴様の驚異的なその成長スピードは『厄災の一族』を疑わざるを得ない……だが、そんな貴様も今は虫の息。夢魔の邪魔も入らない、全てを始末できる絶好のチャンスというわけだ」
「それは絶対に逃したくないチャンスでしょうね………。あと、私は『厄災の一族』だなんて厨二病みたいな名前の血統じゃないですよ。全くもって、これっぽっちも、ぜーんぜん関係ないから!見た目で人を判断するなってお母さんから教わらなかったんですかー?」
「――――母から、か」
ビキリ、ビキリと。ペストマスクで見えないが、彼の額に怒りによる血管が浮き出たような気がした。彼の周辺の空気が一気にピリつく。肌で彼の静かな怒りを感じ取る。
ペストマスクは銃口を私の後頭部から離し、今度はそれを如
月さんの方へ向けた。
「―――先に貴様からだ。どっちを先に殺しても変わらん」
あぁ、駄目、駄目だ。やめてくれ、彼女まで巻き込まないで。殺される、私を助けに来た彼女が殺される。それだけは絶対に駄目だ。死んでも阻止しなければ。
―――けど、どうやって?私に何ができる?
ふつふつと、ふつふつと、こみ上げてくる。全てを凍結させる白くて冷たい怒りの炎が。私の中の白い獣がうめき声をあげる。
グルルルルルル……………!!
怒っている。憤りを覚える。憤怒が私を染め上げる。ペストマスクにじゃない、私自身にだ。何もできなくて役立ずで迷惑ばかりかける生きるに値しない私が。
―――殺せ、殺せ、悉く。殺せ、殺せ、いっそのこと。殺せ、殺せ、怒りのままに!
耳元で白い獣が囁く。心臓が脈打つ、能が沸騰する、意識が飛んでいく。獣を縛る鎖が解き放たれる。
「―――さらばだ、白髪女」
「くッ!!『瞬間移d
「ガァァァァァァァァァァァ!!!!」
「何!?」
「うぎゃあ!?」
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如月視点
オイオイ、こりゃあ一体どういうこった。
ペストマスクが引き金を引こうとした瞬間、強烈な冷気に襲われた。周囲を焼き尽くしていた炎は一瞬にしてもみ消され、氷の膜がそこら中に張り巡らされている。
ペストマスクは凍り付けにされて、銃を向けたポーズのまま固まっている。そんな私も髪の毛とか腕とかがカチコチに凍ってしまってるわけだが、今はそんな些細なことはどうでもいい。
この異常現象の原因、それは火を見るより明らかだ。
「グルルルルルル………………」
「城明、さん…………」
城明さんがまた獣になっている。リボン、リボンだ。ほんの少しの魔力の乱れで体調を崩してしまう彼女の体を制御していたあのリボンが、さっきの火炎で顔と一緒に焼かれてしまったのだろう。
そして度重なるストレス………原因はリボンよりむしろ、こっちの方が重大そうだ。
あんなに綺麗だった指先は命を刈り取る凶器となり、その矛先を私に向ける。背筋がゾッとするような殺意が押し寄せる。カチッカチッと牙を鳴らし、私を肉片に変えるその瞬間を今か今かと待ち望んでいる。
だが――――
「そういう顔は、泣きながらするものじゃありませんよ。城明さん」
「ガァッ、グゥゥゥゥゥ………!!!」
片手で凍り付いた腕を抱きながら、ノロノロと立ち上がる。一歩、また一歩と彼女の元へ歩き出す。はっきり言って、めちゃくちゃ怖い。あの恐怖が、絶望が、『死』がまた目の前にいることがとんでもなく恐ろしい。
心臓はバクバク言ってて、肺は潰れそうで、無意識に後ろに下がってしまう。
けど、それ以上に私はやらなきゃいけないことがある。たとえ命に代えても、城明さんを救う。矛盾だらけでくだらない、たった一つの理由だけど―――
「―――それで十分だ」
「グゥゥゥゥゥガァァァァァァ!!!――――――あ、っ?」
「城明さん、聞いて下さい。あなたに意識が残ってるか分かりませんけど、頑張って聞いて下さい」
彼女が爪を振り下ろそうとした瞬間、私は城明さんに優しく抱きついた。それはもう、優しく、やさしーく。父親が子どもに抱きしめるように。
「実は、『念動会話』であなたの心を覗いてました。その時、聞こえたんです。あなたの心の叫びが…………。はっきり言ってやります、馬鹿じゃねぇの?」
「――――うぐ、ぁ」
「存在するだけで迷惑だとか、自分が死ねば全てを円満に終わるとか。前も言いましたがね、思い上がるのも甚だしいですよ。だいたい、生きてたら誰かに迷惑をかけるなんて当たり前です。考えすぎ何ですよ」
「………………………」
「あなたは周りを見なさすぎです。些細な変化には気付いて気遣いができるのに、何で私達の気持ちは分かってくれないんですか」
「………ドウイウ、こ、と?」
「答えは簡単です。私達はあなたに生きてて欲しいと思っている、それだけです。確かに、たまには『何やってんだ……』ってなることもあります。当たり前です。けど、そんなことであなたを見限るほど人は薄情じゃない。あなたのお母さんも、見たこともない父親も、お世話になった看護師さんや医者さんも、手伝ってあげた他の患者の皆さんも。――――何より、私も。あなたに生きてて欲しい………そう思っています」
「でモ、ワタシは………あなたヲ……」
「確かにあなたは私を殺しかけました。ぶっちゃけ、こうしてる今も今度こそ殺されるんじゃないかってビクビクしてます。チビリそうです。今でもアレは恨んでるからな…………けど、私はあなたを助けたい。ただ、生きてて欲しい。そうじゃなかったら、ここまで来たりなんかしない」
「――――――ぅうっ、ぁあ―――ぐっ…………!」
「人間は罪深いです。業だらけの醜い生き物です。………けど、存在することだけは罪にならない。別に迷惑なんてかけていいんですよ、むしろそっちの方が頼りにされてる感あって上がります」
「ぅぐ、ひぐ、うぇぇぇぇ…………!!!」
「まだあなたの口から聞いてません。あなたが望むなら、私は必ずそれに応える。絶対に助ける。だから―――言ってください、まずは練習と思って、ね?」
「―――如月さん、私を、――――――」
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『ねぇ、お父さん』
『なんだい?』
『お父さんはお母さんと、どうやって出会ったの?』
『それは真白………お母さんから聞いたんじゃなかったのかい?』
『今度はお父さんの口から聞きたいのよ。それぐらいいいじゃない、ケチ』
『ははは、まぁ分かったよ』
ここは決して吹雪の止むことのない、白くて寒い雪山。日の光はなく、太陽の温もりもなく、生命の営みもない。私の心の中。
私の横に一緒に座る毛むくじゃらの白い獣は、照れくさそうに頬を掻いて、
『あれはもう20年以上前のことさ。当時の私はエベレストを拠点にしていてね。涼しいし、標高の高いところまではあまり人間も来なくて住み心地がよかったんだ。それである日、食糧を取りに行った帰りに、雪に埋もれてる人間の女の子を見つけたんだ』
『それが、お母さん?』
『そう。最初はそれはもうびっくりしたさ。ぎゃぁぁ人間んん!?なんてね。さすがにほっとけなくて、拠点まで連れて帰ったんだよ。そして、驚かないでくれよ。彼女が目を覚まして第一声が「お腹空いた」だったんだよ』
『それは………お母さんらしいわね』
『うん。始めは彼女も私の存在にびっくりしてたけど、たった数十分で打ち解けちゃって。紅茶が美味しいって褒めてくれたよ』
『私も飲んでみたかったな、お父さんの紅茶』
『……………すまんな』
『ううん、いいの。それで、その後はどうなったの?』
『そうだね………初めての出会いは、そのあと談笑して最寄りの街まで送ったくらいだよ。別れの時に「また来年にでも来る」って言って、冗談かと思ったんだけどその次の年本当に来たんだよ。また雪に埋まって』
『…………また埋まってたの?』
『あぁ。どうしてまた雪に埋まってるんだって尋ねるとさ、ニッコリして「あなたがきっと助けてくれると思って」って言ったんだよ。その時かな、胸がズキュュュン!ってなったのは。お母さんはね、たった一度しか会っていない正体不明の毛むくじゃらをとても信頼してたんだ。白亜はそんな大人になっちゃ駄目だぞ?』
『少なくともあんな変人にはならないつもり。…………信頼、か』
もしかしたら、私には誰かを信頼する心が無かったのかもしれない。どんな事を言ってもしてもされても心の底から信じれる、そんな誰かが一人もいなかった。
そのせいか、実の母親さえ疑うような人間になってしまった。そのせいで、身近な誰かの気持ちに気付けなかった。
「ただ、生きてて欲しい」
こんな私に、それが許されるのか。
『それでそれで、その後は?』
『えっとね、また紅茶飲んだりとか、雪合戦したりとか、雪だるまつくったりとか、お母さんが温かいスープ料理つくってくれたりとか。それと、偶然拾ったっていう宝石とかを見せてくれたよ。綺麗だった………』
『…………なるほどぉ』
『次の年にはまた来て、二人で近くの街まで降りたりしたよ。すっごくヒヤヒヤして、けどとっても楽しくて………夢のようだった。――――本当に、楽しかった』
『………………』
『その後は………もう言わなくても分かるか。そうやって、白亜は生まれてきたんだ。白亜は、私と真白………お父さんとお母さんの愛情から生まれた大事な大事な娘さ。私は白亜の為に死んだことに、悔いはない』
『お父さん………』
『強いて言うなら、娘の晴れ舞台が見れないことかな。ウェディングドレス姿の白亜、見てみたかった………』
『…………それは保障しかねるなぁ』
『え?』
獣の気の抜けた声にクスクスと笑う。それにつられて、獣もははははと笑った。
『――――私、生きててもいいのね』
『ああ』
『誰かが私に生きてて欲しいって、願ってるのね』
『もちろん』
『お父さんやお母さんから愛されて、看護師さんやお医者さんから心配して貰えて、みんなから親切にして貰って―――如月さんに助けられても、罪じゃないのよね』
『その通りだ』
『ずっと思ってた。私は生きてちゃ駄目なんだって。存在してるだけで、周りに迷惑をかける災いなんだって。けど、それは少し違った。他人に迷惑をかけるなんて当たり前だ。大切なのは迷惑をかけない方法じゃなくて、迷惑をかけても一緒にいてくれる信頼できる人と、その人に報いるための覚悟なんだ』
―――吹雪が止む。夜のように暗かった空は、眩しいくらいに綺麗な日射しが切り開いていく。空から降り注ぐ光が、階段のような道を形成していく。
私は立ち上がって、その空を見た。
『それじゃあ、行ってくるよ』
『あぁ、行って来なさい』
『――――お父さん』
『なんだい』
『―――ありがとう、愛してる』
お父さんは何も言わずに、ふっと笑った。私は振り返らずに、走りながら空へ向かって駆けだして行った。
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「私を――――」
と、次の瞬間だった。
バリィンッッ!!と。氷付けにされたペストマスクの氷にヒビが入り、そこから割れていく。
「――――ぅぅぅううあがっ!!はぁ、はぁ、死ぬかと思ったぞ………獣人の娘ぇ!!貴様は必ず今ここで殺すッッッ!!!」
不格好な体勢でこっちに走ってくるペストマスク。だがそんなものは私の眼中にはない。今はただ、たった一つの言葉を聞き届ける為に全ての意識を注いでいる。
そして――――
「―――助けて、如月さん」
「分かった、助ける」
ギュッと彼女を強く抱きしめた。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!」
「うるせぇぇ!!!」
「はぐあっ!?!?」
凍った腕でペストマスクを殴り飛ばす。この腕で殴るのには便利かもなぁ…………。にしても全く、なんて空気の読めない奴なんだ。普通ここで襲いかかってくるかね。
「ぐっ、貴様ぁ………邪魔をするな!」
「邪魔をするなと言われてしない奴がどこにいるんですかばーか。さぁ、第二ラウンドの始まりだぜ!!」




