日本編16 中途半端さ
タン、タン、タン、と。『腐食』が近づく音がする。
ギー、ギー、ギー、と。『死』を引きずる音がする。
グルルルルルルルルル!
獣の吐息は冷たくて、唸り声は心臓を硬直させ、赤い眼光は恐怖をこの身に刻み込む。怖い、ただひたすらに怖い。つい昨日まであんなにたおやかで、凛々しくて、優しすぎた彼女。
そんな彼女が、四肢を獣のものにし、命を削り取る牙を鳴らし、『腐食』をもたらす死の剣を私に向けている。腹にデカイ一撃を食らったあの時から正直限界だった。もう無理、痛い、泣きたい帰りたい。けど、諦めたくなかった。そんな彼女でも救いたかった。
身の丈に似合わぬ動機で立ち向かった。氷の棘が飛んできても、多くの武器を向けられても、氷の壁にぶつかっても、腕が動かなくなっても、後ろから腹を貫かれても。
けど、無理だった。私程度の人間が出来ることなんてたかが知れてるのだ。そしてあの時、誤魔化してた感情が爆発した。暗いトンネルの中、誰もいない、助けてくれる人はまだ来ない。城明さんが死神か何かに見えた。少なくとも、私は死ぬのだと悟った。
嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!死にたくない!死にたくない!死にたくない!
あの威勢はどこに行ったのか。惨め、哀れ、情けない。ほんとに呆れる。お前如きが、何を為そうと言うのだ。寝言は寝て死ね。
白い獣がその凶器を振り下ろす。氷の剣は私の体を突き刺し削りえぐり凍らせ内臓を傷つけ溶かし腐らせぶちまけて殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し殺し――――――――。
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「っっっ」
目が覚めた。なんか頭がベタつく。汗でもかいたか?なんか、最悪な夢だったな。
むくりと起き上がって現在の時刻を確認する。スマホの画面は午前4時30分ジャストを示していた。つまり、いつものランニングの時間だ。忌々しいランニングを続けてるうちに目覚まし無しでも起きれてしまう体になったが、今回はこの習慣に救われた。あの夢を更に見続けていたら気分が悪くなるどころじゃなかっただろう。
「走らなきゃ………ふわぁ」
顔を洗いジャージに着替えいつも通りに靴をはく。そして玄関の把手に触れた時、ふと思った。
―――これ以上走っても意味なんてあるのだろうか。
このランニングは魔力増量の目的で行われている。魔法使いを目指すのなら、魔力はあればあるほどいい。けど、私は魔法は使えない体だ。魔法を代償に、超能力が使える体だ。
なら、走ったところでそれ以上の見込みなんてない。体力が増えて健康体になるだけだ。いや、それはそれでいいことなんだけども。
「…………………………………………」
10分程度、玄関前で悩みに悩んだ挙げ句、私は――――
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「弁当もったかー?」
「持ちました」
「ハンカチは?」
「持ってます」
「今日天気悪いみたいだし折りたたみ傘を………」
「持ってますって。あなたは私のお母さんですか」
「いやお母さんみたいなもんだろ。実際、ここの家の家事やってんの全部私だし」
「べ、別に私だって家事できますよ一人暮らししてたんですし。もういいです、行って来ます」
靴紐を結び、立ち上がる。リュックを背負い直してドアを開けようとするとマーリンさんが思い出したように続けて、
「あ、魔導書は持ったか?しっかりと読み込んで…………」
「………………………………」
「……ん?どうした。私何か変なこと言ったか?」
「―――別に。行って来ます」
「もしかしてなんか怒っ―――」
ガタン、とマーリンさんが言い切るまえにドアをしめた。別に怒ってなんかいませんよ、マーリンさん。誰にも伝わってない小言を言ってアパートを出る。
私の通う学校は割と近い。徒歩で行くのには遠いが、乗り物を使うと近すぎる、そんなところ。まぁ乗り物にばっか頼ってちゃ不健康になるからね、こういうときぐらい運動しなくては。
え?何?生活習慣がそもそも悪いって?知らんな。深夜に見る映画はやめられんのだよ。早く寝ろってマーリンさんにはよく言われてるけど、たまに隠れて深夜映画してるし。
何気ない、いつも通りの通学路。学校に近づくにつれ同じ制服の生徒がチラホラ見えて、あぁ日常だななんてふけってみる。
ここ最近普通じゃないことが多かったからなぁ。学生らしく登校してるだけで妙に落ち着く。まだ足や腹は痛むが、許容範囲だ。
住宅街を出て、大きめの道路をさらに抜けて、学校に到着。数日休んでいたからちょっと緊張するな……いやまぁ何か言われるような友達なんていないのだけれど。
「あ。き、如月さん……。おはよう」
「―――――あ?」
校門を通り過ぎた直後、聞き覚えのある声が。今日に限って、会いたくなかった人物の声が。恐る恐る振り向く。北海道の雪のように真っ白で綺麗な髪、誰もが振り返るその美貌。ちょっと気恥ずかしそうに視線を向けるのは、そう。
「―――城明、さん」
「おはよう、如月さん。もう怪我は大丈夫なのかしら?」
ドッグンッッ!!!と。
心臓が破裂しそうな勢いで跳ね飛ぶ。全身がブルブルと怯える幼子のように震える。
恐怖、恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖。頭がそれいっぱいで埋め尽くされた。ピントが合わさらない、手足が動かない、息が詰まる。
落ち着け、落ち着け落ち着けオチケツ落ち着け。あれは城明さんであってあの獣ではない。マーリンさんが言ってたじゃあないか、暴走の問題は解決したって。見ろ、問題のリボンは元通り。何も怖がる事はない。
ない、ないんだ………
「あの、如月さん?」
「ひっ」
急いで口を両手で塞ぐ。クソ、今日見た夢のせいだちくしょう。あんな妙に生々しくて、恐怖感を煽るような………。何がひっ、だ。まるで私が城明さんを化け物か何かと勘違いしてるみたいじゃないか。
気持ち悪い。胃が逆流して、喉まで汚物が上がってくる。体全てで拒否反応を表現する。いや、拒否するな相手は城明さんなんだ何も怖がる事はない、ないはずなんだッッ!
大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫だい―――
「うぷ――――ぉうえ」
「如月さん!?」
周囲がざわつき始めた。それも当然、学校一の美少女がいるだけでも目立つのにそこに吐き出すやつもいたら大騒ぎだ。
城明さんは急いで私の傍に駆け寄り、背中をさすろうとしてくる。だが私は、恐怖感に耐えられなくなり、
パン、とその手を払いのけた。そして―――
「―――近づくなぁ!!」
「え」
私は逃げるようにその場から駆けだした。リュックも置きっぱなしで、人々を全員強引に払いのけて逃げた。私が出しうる最高速度で走った。
振り向いても、彼女はいない。いるはずがない。なのに私はまるでそこに彼女がいて追い掛けてる幻覚が見えた。30分くらいかかった通学路をたった5分程度で逆走する。
家のアパートについた時にはもう涙と汗で顔面がクシャクシャで、人に見せられるようなものではなかった。
「あーやべーゴミ出し忘れてたっス。まだ間に合うかなーって、アレ先輩?どうし、どうしたんスか!?ちょ、あ、え!?」
「………………鏡史郎」
「ど、どうしたんスか先輩そんな泣き顔で。その泣き顔も可愛いですけどとりあえずマーリンさん呼んできますね」
「………………………」
タッタッタと、珍しく慌ててマーリンさんを呼びに行く鏡史郎。振り返っても、城明さんはいない。幻覚も見えない。家に来たことで安堵したのか、はたまた頭が冷静さを取り戻したのか。
そして、理由はどうあれ、安堵してしまったことに私は自分に心底呆れた。
「………………はぁ、クソ、クソ」
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その日から数日、学校に行かなかった。というか、行けなかった。行こうと思ってドアの把手を握るも、その瞬間に城明さん―――『獣』が頭に過ぎって身が竦んでしまう。
城明さんに謝らなきゃ、みんなの誤解を解かなきゃ。
そう思っても体は正直で、学校の方向にはピクリとも動かない。今までこんなこと無かった、一個人にここまで恐怖の感情を覚えるなんて。未知の体験すぎて、どう対処するのかちっとも分からない。
私にできることは、ただ安心を求める為に家に籠もるしか無かった。
そのことについて、マーリンさんは始めはアレコレと言って来たが、3日目を過ぎたあたりで諦めたらしい。今日はマーリンさんはいない。少し遠出してくると言っていたが、どこへ行ったのだろうか。
チク、タク、チク、タクと壁に掛けた時計の秒針が鳴る。―――静かだ。マーリンさんが来てからと言うもの、毎日騒がしくてせわしなかった。それに慣れてしまったのか、彼女がいないと言うだけでやけ静かに感じる。
―――寂しく、感じる。
「はぁ…………やめだ、やめ。もっと楽しいこと考えよう。そうだ、買ったはいいものの読んでなかった本とか読もう。えーとどこにしまったかな………ん?」
本棚を漁っていると、ゴトっと一冊の本が落ちる。手に取ると、重くてザラザラした感触が伝わる。それはマーリンさんからもらった魔導書だった。
あぁ、そういえば最近読んでいなかった。前回はどこまで読んだかなーとペラペラページをめくる。
本の内容はほぼ全て英語で書かれており、読んでられないと文句を言うと『それも勉強だ』と叱られたっけ。そのおかげか、最初に比べると読めるようにはなってきたし英語の成績も良くなった。やっぱ英語は読めるといいですよええ。
「勉強………勉強か………」
私は魔導書をそのまま、ペンとノートを持ってテーブルに向かった。マーリンさんから出されている課題を終わらせなければ。えーと確か『白』の魔力と『紫』の魔力を合わせると他人に空間を通して干渉できるんだったか?
「それでそれで……『白』の特徴は……」
記憶するためにノートにペンを走らせる。そして、ふと思ってしまった。またしても、だ。
―――これ以上勉強しても意味なんてあるのだろうか。
悔しいことに私は魔法を使えないのだ。知識だけ貯めても、実践で使えないんじゃ頭に入る量には限界がある。確かに知識こそ力という考え方も否定できないが、そもそも魔法を使う以外に魔法の知識なんか使わない。
なんかもう色々と嫌になって、カキカキと音を鳴らすペンの歩みを止め、指から離そうとする。
「………………………」
しかしながら、ペンが重力のままに倒れようとした瞬間、グッ!と力を込めてそれを防いだ。なんでこんなことしたのか自分でもはっきりは分からなかった。明らかにさっきまでの言葉と矛盾している。
やっても意味ないのに、続けてみたい。役に立つことなんてないのに、知っていたい。できっこないのに、やってみたい。
プラス思考とマイナス思考の境界線で理性が反復横跳びする。何だかふつふつと怒りが湧き上がってきた。誰でもない、何もかも諦めてしまいがちの自分に。そのくせ、無駄に足掻こうとする愚かな自分に。
「…………チッ!クソ、あぁもう!」
ヤケになってペンを走らせた。悔しいのだ、諦めたくないのだ。初めてなんだ、こんなに何かを続けられたのは。きっと魔法の道すら諦めてしまったら、もう私は何かを最後までやりきることができなくなってしまう。
人生は長いから、これから先もっと熱中できるものはあるかもしれない。けど私はこれが人生最後のチャンスなのだと、踏ん張り時なんだと錯覚していた。
諦めたいのに、諦めきれない。この感情が私の言う『中途半端さ』の全てを物語っていた。
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「………………今何時だ」
むくりと額をテーブルから引き離す。どうやら気付かぬうちに寝落ちしてしまっていたようだ。スマホをつけるとどうやら現在の時刻は午後6時前と言ったところか。
どのくらい勉強してて、どのくらい寝てたのかが分からん。そのくらい夢中でやってたってことか。夢中というか、ヤケクソというか………
よっこいしょ、と重い腰を上げ背中を伸ばす。マーリンさんはまだ帰ってきてないようだ。窓ガラスから外を覗けば、制服を着た生徒がチラホラ帰宅してるのが見える。こんな時間帯でも部活動に勤しんでいるなんて偉いなー。
なんて思っていると、
「先輩先輩先輩先輩先輩!!大変っス大変っス!」
「だぁぁぁぁ!?鏡史郎!?お前どっから入ってきた………!?」
「自分の侵入経路なんてどうでもいいっスよ先輩!さっきまで暇だったんで占いしてたら、こんな未来が見えちゃったっス。これ!」
「あぁん………?」
鏡史郎が水晶玉をグイと寄せてくる。目を細めて水晶玉に映った景色を見てみると――――
「―――――学校が、燃えてる?」
赤い赤い炎で包まれてる、我らが学校の姿が映っていたのだ。しかもかなり燃えている。まるでどこかで爆発でもあったみたいに。
「おい!これ、今からどんくらい先で起こる!?」
「そ、それは分からないっス。分からないってことは少なくとも今日どこかで起こる可能性があるってことっス!一時間後かもしれないし、三時間後かもしれないし、もしかしたら、一秒後なんてことも………」
「一秒後…………」
なんだか嫌な予感がした私は急いでテレビのリモコンをとり、テレビをつける。ちょうどニュースがやっており、アナウンサーが淡々と喋っていた。
『速報です。先程、北海道札幌市の―――高等学校で、大規模な火災が発生しました』
「「あ」」
「つまり………もう手遅れじゃあねぇか!!」
マズイぞ、非常にマズイ。誰もいない時間帯に燃えるならまだしもこの時間帯なら人によってはまだ残ってる生徒や教師がいるはずだ。さっきの鏡史郎の映像だと、かなり燃えている。あんな中に人が残されていたら間違いなく死ぬ。
「『千里眼』……ッ!」
『千里眼』を発動させ、学校に誰か残っていないか探す。もう既に学校内部にかなりの火の手が回っており、急いで避難しなければマズイ状況だ。
そして私は、見てしまった。とある教室―――私のクラスの教室で、どこかで見覚えのある白いペストマスクをつけた男。その背後に立つ3人ほどの男達。
そして――――、
「――――城明、さん?」
彼女が男達に銃に向けられている光景を。




