おじさんが好きなので、スライムは猫屋敷をつくりました
私はあんまり得意じゃないけど、スライムは変身ができる。
それが、スライムの二つもあるすごいところの一つ。
今それをフル活用して、私は水色のプルプルしたまん丸の姿から、可愛い女の人に変身中だ。
桃色の髪を肩のところで、くるんっと内巻きにするのは苦労した。
油断したら、すぐに外巻きになっちゃうんだから。
瞳は朝焼けをとかしたような色で、ちょっとだけ垂れ目。
目の隣には小さなほくろ。
この姿は、おじさんがいつも切なそうに見ている写真に写っている女の人に変身したものだ。
オークのお兄さんが「好きな人に再会したらさ。やっぱ好きになっちゃうもんだよ」って、その好きな人との子どもをあやしながら言ってたから、きっとこの告白は大成功する。
薪割り斧をかついでタバコをふかすおじさんに、私は緊張しながら想いを伝えた。
「私のつがいになってください!」
「ふっ、ダメ」
白い煙をぽわっと吐きながら、おじさんはおもしろそうに私の告白を断った。
日課の朝の薪割り中に突然現れた完璧美女に変身した私を見て、おじさんは一瞬戸惑ったみたいな表情をしていた。
だから、「これは絶対イケちゃうね!」と思ったのに、予想外だ。
ショックで大きな目をパチパチさせる私に、切り株に腰掛けていたおじさんは「よっこらしょ」と言いながら立ち上がって歩み寄ってきた。
「さすがのおじさんでも、スライムと結婚は無理っしょ」
「なんでスライムだってわかったの!? ……あ」
おじさんの言葉に驚いて、スライムであることを認めてしまった私は慌てて小さくてぽてっとした唇を押さえる。
上目にそろりとおじさんを見やると、おじさんはクツクツ笑った。
「目が水色になってやがるよ。ターニャの目は琥珀色。喋り始めるまでは、ちゃ〜んと色も再現できてたのになぁ」
からかうみたいに言うおじさんに、私は唇をとがらせる。
変身が得意じゃないスライムなんてただのへっぽこな魔物だって、他のスライムにバカにされたことを思い出した。
「それにしたって、なんで、ターニャの顔なんか知ってやがったんだ?」
「おじさんのおうちを窓から覗いてたから。好きだったんだもん」
「スライムにストーカーされてたとはな。それにしたって、なんでこんなおっさんの『つがい』になんてなりてぇんだよ?」
片方の眉を跳ね上げて、おじさんが本当に不思議そうに聞いてくる。
そんなにおじさんを好きになるのって変なことなのかと思いながら、私は答えた。
「おじさんが私のこと、『かわいい』って言ったから」
おじさんが、ふっと視線を空に向ける。
眉間にしわを寄せて思いだそうとするおじさんに、手のひらを小さく握って「思い出して〜」と念を送った。
だって、私の5年間の人生で一番素敵な思い出をおじさんが覚えていてくれなかったら、とっても悲しい。
想いが通じたのか、おじさんはハッとした顔をして私を指さした。
「おまえ、あのウルフ狩りの時のチビスライムか!」
そう。私の一番素敵な思い出は三ヶ月前。
私が、スライムの集落で人間の村におつかいに行くための変身練習中に、人間の女の子に変身したはずなのに、かわいいお尻に犬のしっぽを生やしてしまった日のこと。
スライム仲間に笑われて、へっぽこスライムとバカにされて落ち込んでいた私は、集落を離れた森で、ぷるぷるボディをぷるんぷるんさせて泣いていたときにウルフに襲われた。
ウルフは戦いが好きな魔物で、魔王が倒された後は「魔物も人間と共存して生きていくしかないね!」という雰囲気になっている魔物が多い中でも、人間に喧嘩を売りまくっている魔物だ。
この辺りには、私が生まれるちょっと前まで魔王城が近くにあったらしいから、魔王への忠誠心の強いウルフ達が多い。
そんなウルフ達は、スライムみたいに変身能力を使って人間とうまくやっていこうとする魔物が大っ嫌いだ。
特に私みたいに、他のスライムより小さくて弱そうなスライムは殺したいくらいに嫌う。
たくさんのウルフに囲まれて、もうダメだってぷるぷるボディを恐怖に震わせていたところに現れたのが、おじさんだった。
おじさんが剣を、つまんなそうな顔でブンブン振り回しただけで、ウルフはキャインキャイン鳴いて逃げていった。
取り残された私は、おじさんに殺されちゃうんじゃないかって柔らかボディを堅くしたんだけど、おじさんは私をしゃがみこんで見下ろして、じーっと見つめてから、ふんわり笑った。
「はっ。魔王城近くにこんな弱っこそうでかわいいスライムがいるのかよ。逃げな、チビスライム。良い子にしてんだったら、俺もこんな剣振り回したりしねぇからよ」
そのときのおじさんの笑顔といったら、クラクラするほど素敵だった。
スライムは5歳で成体になる。
もう立派な成体だった私は、おじさんとつがいになりたいと本能的に思った。
スライムと人間の恋愛は、スライム側からしたら「なくはない」。
得意の変身で生涯お相手を騙しきって、つがいとして生きた個体もいる。
私もそれを目指して変身を下手なりにがんばったというのに、速攻見抜かれただなんて悲しすぎる話だ。
初恋が実らなかったことに、しょんぼりしていると、おじさんは「なるほどな」と無精ひげの生えたあごを撫でた。
「まさか、魔物に惚れられるたぁな。街の女にゃ一切モテないってのに」
「……おじさんは、私を殺す?」
「なんでだよ」
顎を撫でる手を止めて、おじさんが眉を寄せて首を傾げる。
「だって、私はおじさんを騙してつがいになろうとした悪いスライムだもん」
唇をとがらせて喋る私に、おじさんは噴き出して笑った。
「そんな変身の腕前で、悪いスライムになんのは無理だろうよ。ワルになんのも大変なんだよ。おまえみたいなの殺しても一銭の足しにもなりゃしねぇのに、わざわざ無駄な殺生するわけないだろ」
「ほんとに? じゃあ、つがいにはなれなくってもいいけど、もう少しここに居てもいい?」
「んぁ?」とおじさんが咥えたたばこを揺らす。
私は言いにくさで、もじもじしながら目をそらした。
「だって、スライムの仲間には人間とつがいになるから帰ってなんて来ないんだからね! って……言ってきちゃったんだもん」
スライムの集落で、一番変身が下手だった私はいつもからかわれてきた。
スライムは根は意地悪な種族じゃないから、戻ったら戻ったで「やっぱり無理だっただろ」と言って、迎え入れてくれるというのはわかっている。
けど、あんまり帰りたくはない。
私のわがままを聞いたおじさんは、たばこの煙をぷかぷか吐いてから、うんと伸びをした。
「ま、話し相手がいるのも悪かないか。ここに居ても構わねぇよ」
「やった!」
「が、その姿はやめろ。ターニャが弱々しいと変な感じがする」
「じゃあ、どんなのがいい?」
「あ〜、人間と暮らしてると厄介な噂が立つと困る。……猫だな。猫なら一緒に暮らしてても問題ねぇ」
いい案が浮かんだことにニコニコしているおじさんに、私も嬉しくなってすぐに変身する。
とろんと蕩けて、猫の姿を想像する。
真っ白でかわいい、青い目の猫。
とろとろと形を作って、「できた!」と声をあげておじさんを見ると、おじさんはニッと口角をあげた。
「しっぽ。そりゃ、犬のだ」
*
時々しっぽが犬のになっちゃいながらも、私は猫の姿でおじさんとの暮らしを始めた。
他種族のつがいは、子どもを産み育てるためにつがいになったりするけど、スライムは分裂して仲間を増やすから、つがいになるのは本当に好きになった相手とだけだ。
スライムの寿命は大体10年くらいで、15年生きたらすっごく長生き。
「短い時を生きるから、その中でつがいになりたいくらい大好きな相手ができることは幸せなことなんだよ」って、つがいが死んじゃった長老が言っていたことを話すと、おじさんは「そんな相手が俺で良いのかよ」と困った顔をしていた。
おじさんは、私が猫より寿命が短いと知ってから、スライムについての本を街でたくさん買ってきた。
『最弱魔物スライムを倒してレベルをあげよう』だとか『未知のスライム料理』だとか、怖そうな内容の本だ。
猫に変身したままぷるぷる震えたら「長生きする方法があるかもしれんだろうが」と、おじさんはたばこをぷかぷかさせて笑った。
でも、スライムのすごい能力が『変身』しか書かれていなかったから、人間って案外スライムのことを知らないんだと思う。
おじさんとの日々はとっても暖かいものだった。
街の用心棒をしているおじさんは、昔魔王城があった方角にある家でのんびりと過ごしていた。
時々隣町に行く商人さんの護衛をしたり、森に出るウルフを蹴散らしていたけど、大体おじさんは家にいた。
薪を割って、野菜を育てて、川で水をくんで、お昼寝をする。
私は人間の姿になってお手伝いをしたり、お昼寝をするときはおじさんの最高の抱き枕として大活躍していた。
「私とおじさんは、つがいじゃないの?」
お昼寝前に眠そうなおじさんに、ある日私は訊ねたことがある。
おじさんは、大あくびをしながら元の姿に戻ったぷよぷよな私を抱き締めた。
「別につがいでもいいぞ。おまえは俺と一緒に居たいからいる。俺もおまえが居ると嬉しいから一緒に居る。この関係に名前が欲しくて、おまえがそれに『つがい』って名付けたいなら、そうしろ」
優しい声で答えてくれたおじさんが言うことは正しいように思えた。
別にこの生活がずっと続くのなら、私たちの関係は『つがい』でなくたっていい。
「死ぬまでここにいるね」と言ったら、おじさんは「先に死ぬ方は気が楽でいいな、おい」と苦笑していた。
このとろんとした時間がずっと続くんだって思ってた。
さっきまでは。
「伏せろ!」
おじさんが薪割りをするのを猫の姿で、うとうと眺めていた私は鋭い声に身を跳ねさせた。
驚いている私の視界におじさんが飛び込む。
なにが起きているのかわからないままでいたら、その直後には、おじさんの腕に光る矢が突き刺さっていた。
「おじさん!? だ、大丈夫!?」
「おお、怪我ないか?」
矢が刺さった部分から、血が流れ落ちている。
あわてる私を気にもとめず、いつも通りの緩い口調で返事をしたおじさんは、矢が飛んできた方向に声をあげた。
「おい、ドルゴア。こんなんじゃ、俺は死なんだろ。勇者様が猫殺してどうするつもりだ」
おじさんが声をかけた方向にあった茂みの奥から、一瞬お姉さんかもと思うくらい綺麗なお兄さんが現れた。
ぶすっとした表情をしたお兄さんは、不満げにこちらに歩み寄ってくる。
彼が私に光の矢を射って、おじさんに怪我をさせたんだと思ったら、腹が立った。
毛を逆立たせて、フーッて猫の真似をして怒る。
スライムだってバレたら、おじさんが面倒なことになるのはわかってるから、しっぽが犬のものにならないように細心の注意を払った。
お兄さんはため息をこぼして、私をちらっと見てから、おじさんの腕から矢を引き抜いて、自分が怪我をさせたくせに治癒魔法をかけだした。
「治してくれんのか。さすがだな、勇者様は」
「嫌味ですか、ジェントさん。あなたを一撃で殺せなかったんですから、傷だけ残して噂が立ったら困るからですよ。わかってるでしょ」
「嫌みじゃねぇよ。勇者はドルゴアだよ。俺を旅に誘ったのはおまえだし、俺はたまたま魔王にとどめをさせただけだ」
「馬鹿にしてます?」
「だぁから、してねぇって。めんどくせぇな、おまえは。そんなだから、俺を殺そうって発想になんだよ、バァカ」
仏頂面のお兄さんに、おじさんが呆れた調子で返す。
勇者とか魔王とか、よくわからないけど、おじさんが魔王を倒したということだけは理解できた。
それが、とってもすごいことだということも。
この世界には私が生まれる五年前より少し前に、魔王がいた。
魔王は、とっても強くて賢い魔物だったから、たくさんの魔物が魔王に従った。
魔王がそんな忠誠心の厚い魔物たちと城を作り上げて、人間相手に戦争をしかけたのが十年前。
いろんな人間が魔王に戦いを挑んだけど、魔王を倒せたのは、ある三人組の旅人達だけだったそうだ。
そして、その一人は魔王を倒した勇者、一人はそのつがいになった支援魔法が得意な賢者と呼ばれるようになったけど、最後の一人は死んじゃったからよくわからないらしい。
スライム族は、その戦争中は戦いに巻き込まれないようびくびくしながら過ごしてたこともあって詳しくは知らないけど、確かその勇者の名前は……ドルゴア!
このお兄さん、勇者なんだ!
びっくりして、目をまん丸にしてお兄さんを見ていたら、彼は罰が悪そうに「悪かったよ。おまえは絶対ジェントさんが庇うと思ったんだ」と謝罪してきた。
なんで、勇者のお兄さんがおじさんを殺しにくるんだろう。
こてんと首を傾げると、お兄さんは唇をつんととがらせて「かわいいな、この毛玉……」と小さくうなった。
「うちの猫のことは、いいんだよ。それより、なんでまた俺を殺しにくるんだよ」
おじさんもお兄さんに殺されかけた理由はわからないようで、不満そうに眉を寄せている。
腕の怪我をすっかりふさいでから、お兄さんはおじさんがいつも腰にさげている剣を指さした。
「それが欲しかったからです」
「剣か? いいもんじゃねぇぞ。旅立つ前に適当に見繕ったもんだ」
「でも、それが魔王を斬った剣です。勇者は魔王を斬った剣を振るわなければならない」
「くだらねぇことにこだわんじゃねぇよ、おめぇは。剣なんてなんだっていいんだ。言われりゃ、殺されなくたってやるよ」
呆れた調子で言いながら、おじさんは剣を腰から抜いて、お兄さんに差し出す。
「ほれ」と言われて差し出された剣をおずおずと受け取ったお兄さんは、辛そうな表情をしていた。
「あなたが、勇者だと今後バレては困ります。僕は、勇者でなければいけないんです」
重々しい口調で言うお兄さんは、おじさんが適当に手入れしている剣を宝物みたいに握りしめる。
おじさんはその震える手を見て、スッと真剣な表情になった。
「……魔王を倒したもんが勇者ってわけでもねぇだろ。俺みたいなおっさんが勇者名乗るより、おまえみたいな爽やかで未来ある奴が名乗った方がいいに決まってる。前もそう言ったろ」
「もう勇者になって五年以上経ちました。自分が魔王を倒したと嘘を吐くことにも慣れました。……それでも、自分だけはうまく騙せずにいますよ」
悲しそうな目をしたまま、へたくそに笑ったお兄さんは「本気で殺せるなんて思っていませんでした。怪我をさせて、申し訳ありませんでした」と頭を下げる。
その姿を見下ろしたおじさんは、静かな声でお兄さんに問いかけた。
「ターニャ、元気か?」
お兄さんがゆっくり顔を上げる。
もうお兄さんの表情にはとげはなかったけど、影は残ったままだった。
それでもお兄さんは幸せそうに笑った。
「ええ。今、おなかに子がいます」
「ッ、ほんとか!?」
「はい。仕事で近くにきたので、それを伝えにくるつもりでもあったんです。手紙より早くつきそうでしたので」
「とっとと帰ってやれ。つわりもあるんじゃねぇのか?」
「ターニャは、それほどでもなさそうですよ。それに彼女は治癒術で、そういう症状もすべて緩和させてしまうんですよ」
「賢者様はさすがだな、おい。それでも、とっとと帰ってやれよ」
「ええ。明日には帰ります。ターニャが落ち着いたら、会いに来てくださいね」
「気が向きゃな」
どっかりと切り株に腰掛けて、たばこに火をつけたおじさんに、お兄さんはふっと笑って去っていく。
その背中は、とってもくたびれているように見えた。
「あのお兄さんは、勇者なの?」
猫の姿のまま、おじさんが座った切り株の横にちょこんと座った私は問いかけた。
「ああ、そうだ。人々を苦しませる魔王を倒してやるって立ち上がった勇気ある奴だ」
「ターニャは賢者なんだよね。勇者とつがいになった」
「ああ、そうだ。あいつぁ、賢者なんて柄じゃねぇがなぁ」
「おじさん、かわいそう……」
「あ?」
きっと強がってるんだろう。
不思議そうな表情をしているおじさんを哀れんで、うるうるした目で、その顔を見上げた。
「だって、おじさんはターニャが好きだったんでしょ?」
「ターニャが? まあ、好きっちゃ好きだが」
くくっと、おじさんが肩を揺らして笑う。
悲しくて、心が不安定になっちゃったのかなと思っていたら、おじさんは「おまえが思ってる『好き』とはちげぇよ」と顔の前で、パタパタ手を振った。
「姪なんだよ。両親は居なかったから俺が育てた。ターニャとゴルドアは幼なじみでな。ゴルドアが、魔王を倒すための旅に出るときに必死に説得されたから、俺とターニャも一緒に旅に出たんだよ。まさか、マジで倒せるたぁ思ってなかったがな」
懐かしむように空を見ながら、おじさんが煙を吐き出す。
白い煙がぼんやり消えていくのを眺めて、私は浮かんだ疑問をぽつりと口にした。
「おじさんが魔王を倒したんだったら、おじさんが勇者なんじゃないの?」
おじさんの話をつなげて考えたら、おじさんはどう考えても、死んじゃったことにされてる勇者の仲間だ。
私は勇者ゴルドアが、魔王にとどめを刺したんだと思っていたのに、そうじゃなかったらしい。
とどめをさしたのがおじさんなんだったら、勇者はおじさんのはずだ。
お兄さんが勇者を名乗っていることに、だんだん腹が立ってきた。
私をなだめるように、ぽんぽんと猫のまあるい頭をおじさんが撫でた。
「そうじゃねぇよ。言ったろ? 魔王を倒すって決めたのは、あいつだ。あいつが誘ってなかったら、俺は魔王退治になんか出てねぇ。勇気ある者が勇者なんだ。魔王にたまたまとどめ刺した奴が勇者なんじゃねぇよ。あいつは、剣も魔法も得意だしな。第一、俺は勇者なんてキラキラした名前も勇者一味なんてめんどくせぇ称号もいらねぇよ」
くあっと大あくびをしたおじさんをじっと見る。
無精ひげとちょっとだけ泥がついた顎。
眠そうなたれ目。
私は大好きだけど、確かに勇者も勇者一味という呼ばれ方も、おじさんに似合うとは思えなかった。
「さっきのお兄さんの方が、確かに勇者っぽいから、まあいっか」
「だろ? あいつぁ、立派な勇者なのになぁ。時々自信がなくなって、俺を殺しに来やがる」
「時々殺されかけてるの!?」
「あいつぁ、勇者であることを期待されて、勇者になることを決めたんだ。だが、自分が自分のことを勇者だと思ってない。だから、周りに嘘を吐いている気に勝手になって、自分を騙しきれねぇでいる」
「なんだか、面倒なお兄さんなんだね」
「ターニャが言うには、そういう繊細で優しいところがいいんだとよ」
なるほど。ターニャと私は気が合いそうにないなぁ。
「怒られそうな発言だが、いっそのこと魔王が弱々しい感じで復活してくれりゃいいのにな。そんで、なんの被害も出る前にゴルドアが倒してくれりゃ、一番いい」
「そしたら、お兄さんは本当の勇者になれるの?」
「今だってマジの勇者なんだが、そうすりゃ自分に自信が持てるかもしれんよな。『復活して力は弱まっていたが、俺もちゃんと魔王を倒した』ってな」
「ま、ありえちゃ困る話だが」と、締めくくっておじさんは、「よっこらしょ」と重い腰をあげる。
それから、うんと伸びをした。
「そろそろ昼寝の時間だわな。帰るぞ。抱き枕モードになってくれよ」
「もうっ。あれは抱き枕モードじゃなくって、私の本当の姿なの! 一番キュートでプリティな姿なんだから」
「一番ぷるんぷるんで抱き心地はいいわな」
からかうみたいに笑うおじさんに「もお」とプリプリしながらも、私はおうちに帰ったらすぐにおじさんの大好きな『抱き枕モード』に変身してあげた。
おじさんが私を抱えて、すぐにぐーすか眠りだしても、今日は私は眠れなかった。
明日、お兄さんは帰る。
でも、お兄さんが勇者として自信が持てない限り、彼は今後もおじさんを殺しに来るかもしれない。
おじさんは強いから大丈夫だろうけど、もし万が一があったら?
それなら、魔王が弱くても復活してくれて、お兄さんが倒してくれた方が、私にも都合がいい気がした。
私とおじさんの、この幸せな生活を続けるためにも、この生活を変えなければならない時がきたのかもしれない。
「おじさん。ごめんね」
おじさんの腕の中でぷるぷるしながら、私はある覚悟を決めた。
*
次の日の空は、どんより曇っていた。
いつもなら、こんなお天気じゃお散歩はやめてるけど、今日は行くしかない。
「雨降るかもしれねぇぞ」と言うおじさんに「大丈夫大丈夫」と軽やかに返事をした私は、街へと向かった。
出かけ際におじさんに「また犬のしっぽになってんぞ」とふかふかのしっぽを捕まれたので、あわててしなやかな猫のしっぽを再現した。
頭のてっぺんからしっぽの先まで変身し続けるのって、とっても疲れる。
けど、今日の私は完璧に変身しなければいけなかった。
路地裏から、こっそりと広場を見る。
広場に面した宿屋がこの街で一番すてきな宿屋だ。
お兄さんは、きっとここに泊まってる。
あの綺麗なお兄さんに、町外れのちょっとボロい宿は似合わないし、何より宿の周りにちょっとだけ人だかりができてるのだから間違いない。
勇者様が魔王城跡地に一番近い街に来てくれたら、みんな嬉しくって一目見たいって思って当然だもんね。
人だかりがざわめいて、宿の中からお兄さんが出てくる。
昨日おじさんに会いに来たときとは別人みたいだった。
キラキラ光ってるみたいな笑顔をみんなに振りまいて、愛想良く挨拶しているお兄さんは、どこからどう見ても誰もが思い描く理想の勇者だ。
彼が昨日みたいに周りも自分も騙していると思いこんで苦しんでいるだなんて、想像もできない。
「あいつはいい奴だから苦しむんだ。たまたま俺に手柄をとられちまっただけで、あいつは心の真ん中まで、ずっと勇者様だよ」
昨夜、眠る前に魔王と勇者の話を聞きたいとせがんだ私に、おじさんはそう言った。
魔王はとても強くて、おじさんとターニャは諦めて逃げ出しかけたけど、お兄さんはどんなにボロボロになっても諦めなかった。
その姿に勇気づけられたから、おじさんもターニャも最後まで戦い続けることができたんだと、おじさんは懐かしそうに言っていた。
おじさんの命を狙うお兄さんが、私は嫌いだ。
けど、おじさんはお兄さんが好きだ。
だから、私はお兄さんを救って、おじさんとの幸せで安心安全な生活を守ることにした。
猫の姿に変身していた体をとろけさせる。
魔王の姿は見たことがないけど、おじさんに詳しく聞いておいた。
「そんなに聞いて変身でもするつもりかよ」と鋭いことを言ってくるおじさんに、「怖い魔物に会ったときに、魔王に変身して『がお〜』って言えば見逃してくれるかもしれないでしょ」とおちゃめに答えておいた。
体はおじさん二人分くらい大きく、頭にはねじった太い角が二本。
目はギラギラしている赤色で、ウルフなんか触っただけで貫きそうな怖い爪。
おじさんに披露して「がお〜」って言ったら「なかなかうまいじゃねぇか。でもしっぽが犬だぞ」と言われてしまったから、しっぽはちゃんと鱗をまとったドラゴンみたいなのに変えておく。
世界一弱い魔王に変身した私は、大きな体をなんとか動かして広場に現れた。
お兄さんに夢中だった人たちのひとりが私に気付いて「きゃー!」と悲鳴をあげる。
転がるように逃げていったその人を追いかけるみたいに、私を見つけた人たちがパニックになって逃げていくと、そこに残ったのはお兄さんだけになった。
呆然と私を見るお兄さんは、腰におじさんからもらっていった剣をさげていた。
なにか言おうかと思ったけど、おじさんからは魔王の声を教わっていなかったからやめた。
「ッた、たす、たすけて!」
歯がかみ合っていないみたいな声が聞こえて、お兄さんから視線をはずす。
足下で転がっていたのは、男の子だった。
腰が抜けたみたいでガタガタ震えている。
こっちに走ってくるお兄さんを確認してから、私は怖い爪を振り上げた。
だって、子どもを襲う魔王を倒す方が、勇者らしくて良いんじゃないかと思ったから。
「やめろおおおおお!!」
お兄さんが、叫びながらおじさんからもらった剣を私に振り下ろす。
肩から胸、おなかを通った剣は、私の体をまっぷたつにした。
ぐしゃっと地面に倒れると、様子を窺っていた人達の山の中に、おじさんが見えた。
人の壁を乗り越えて前に出ようともがいていたおじさんは、私が地面にべしょりと崩れたのを見て真っ青になっていた。
おじさんに、スライムは変身できることの他に、もう一つすごいところがあることを伝えてなかったなと後悔したけど、もう遅い。
魔王が倒されるのをドキドキしながら見ていた人たちが、わっと声をあげて駆け寄ってきたところで、私はまっぷたつになった体の片割れと一緒に透明になって路地裏へと逃げ込んだ。
「うう、痛い……」
斬られたら、スライムでもやっぱり痛い。
「すごい」「さすが」「ありがとう」とほめられるお兄さんが、微笑んで嬉しそうにしているのを見ながら、私は痛みにうめきながら変身を解いた。
「おい、おい、バカ! 何してんだ!」
私の視界におじさんの膝が入る。
どろどろの液体になったまま見上げると、ひざまずいたおじさんが、どうしたらいいのかわからない様子で手を私の方に伸ばしては引っ込めていた。
「治癒術で治るのか……? どうしたらいいんだよ、クソ」
「おじさん。お兄さんは勇者になれたかな? これで、もうおじさんを殺しにきたりなんかしない?」
何より不安だったことを一番に聞くと、おじさんは目を見開いて、それから辛そうにぎゅっと眉毛を寄せた。
「もうあいつは大丈夫だろ。おまえの変身がうまかったからだ」
いつも下手だと笑われていた変身をほめられたのは、初めてのことだった。
上手にできたんだとほっとしていると、おじさんが私の半分になった体をそうっと掬い取ってくれる。
おじさんの手のひらの上は、とっても暖かかった。
「よかったぁ。これで、今まで通りのんびり暮らせるね」
「おまえが死んだら、のんびりなんか暮らせるかよ」
胸の奥が痛むみたいな声を出すおじさんに、スライムのもう一つのすごいところを伝えていなかったことを思い出す。
悲しそうにしているおじさんに申し訳なく思いながら、私はどろどろに溶けた体をぷるぷるの体に戻した。
「ごめんね、おじさん。今までよりは、ちょっと騒がしくなるかもしれない」
「は?」
片眉を跳ね上げて、おじさんが首を傾げる。
その時、私のまっぷたつにされた体の片割れがぷるんと丸くなった。
「はっじめましてぇ! あなたがおじさんね。よろしくぅ」
私の片割れは元気な性格らしい。
ぷるぷると体を震わせた片割れは、真っ白な猫に変身して「にゃ〜ん」と可愛く鳴いた。
私より変身がうまい。
「なっ、は? どういうことだ?」
戸惑っているおじさんに、私の片割れがしなやかなしっぽを絡ませる。
私も笑いながら猫に変身して、おじさんの胸に頬をすり寄せた。
「スライムのすごいところは変身だけじゃないんだよ。体がバラバラになったら、片方は分裂して他の個体になるの。すっごく痛いのが嫌なんだけど、すごいでしょ?」
最後に「にゃぁん」と片割れに対抗して可愛く鳴いたら、おじさんは脱力した様子で座り込む。
私と片割れの額をこしょこしょ撫でながら、おじさんはため息混じりに言った。
「先に言っとけよ」
こうして、私とおじさんとおまけに片割れとの生活がはじまった。
私から生まれた片割れは、おじさんが大好きで、私はヤキモチを妬いてしまうことも多かったけど、生涯幸せに過ごせた。
寿命の短いスライムである私たちは、おじさんを置いて逝くことになるのが心配で、自分たちの意思でとっても痛い思いをして分裂して、おじさんの最期まで傍にいた。
そんな生活を最期まで送ったおじさんの家は、街の人々からは『用心棒の猫屋敷』と呼ばれるようになっていた。
【作者からのお願い】
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