4話 手合わせ
5話書いてから4話書いたやつー
「アルス、一手ご教授願うわ!」
張翡媛はそう言うと木剣を順手に持ち替え、左手では剣指を作る。剣尖をアルスに向け、左手は後ろ斜めに突き出して構えた。
張翡媛がアルスを発見した時、その服装や装備からアルスに剣術の心得があると承知していた。そして負っていた傷を見れば、かなりの修羅場をくぐってきた事が窺える。凡庸の腕ではなさそうであった。
幸か不幸か、アルスを見つけたのは生来よりの重度の武術オタク、異国の剣術に興味が湧かないわけがない。アルスが怪我から回復した今、この機会を逃す手はなかった。どんな技が出てくるのか、どれほどの強さなのか、自分の技は通用するのか、考えれだけでも胸が躍る。
(これは困ったことになったぞ……)
一方、アルスは思いもよらね展開にかなり困惑していた。
「一手ご教授願う」の意味は分からないが、状況からどうやら張翡媛が自分の腕を試そうとしていることは理解できている。しかし、まさか見るからにお嬢様の張翡媛が剣を使うとは、アルスは意外の念に打たれた。
相手は命を助けてくればかりでなく、見ず知らずの自分を屋敷に置いて、ご丁寧にも色々世話までしてくれている大恩人。いくら木剣とは言え、流石に剣を向けるのは憚れた。
しかも相手は良家のお嬢様。今まで相手をしてきたような、屈強な剣士相手に稽古する時とは訳が違う。万が一、怪我でもさせてしまって一大事だ。
「ほら、アルス!手合わせよ!手合わせ!」
構える雰囲気の無いアルスに痺れを切らせた張翡媛が、手中の木剣をしきりにアピールしてくる。とても断れる様子ではない。
(よし、ここは手加減して少し相手をしたら、さっさとやられてお嬢様に花を持たせてあげよう)
アルスは胸算用すると、木剣を両手で持ち中段に構えた。
「よし!行くわよ!」
構えたのを見ると、張翡媛は待ってましたと言わんばかりに勢いよく一歩踏み出す。颯颯颯と素早い三連突きがアルスを襲った。慌てて後ろに下がり、間合いを開ける。
刺突を避けられた張翡媛はそのまま更に踏み出し、続けて太腿を狙う。アルスが避けようと足を退いた瞬間、突如剣先が跳ね上がり下腹部を狙った。足への攻撃はフェイントだ。驚いて腰を捻り、ギリギリのところで刺突を避ける。張翡媛はすぐに剣を引き戻し、左に踏み出しながら肩口に向かって剣を繰り出した。張翡媛が剣を引き戻した一瞬の隙に、アルスはなんとか体勢を立て直して、剣を立てて防いだ。
(まずい!これは油断していたら、すぐにやられちゃうぞ!)
アルスはこの張翡媛の一連の剣技に、度肝を抜かれた。予想よりもはるかに強い。なんとか避けれたものの、危うく一敗地に塗れるところであった。
張翡媛は相手に反撃の隙を与えまいと次々と剣を繰り出していく。アルスは下がりながらなんとか受けていき、カンカンと木剣のぶつかる音が中庭に響き渡った。2人はあっという間に数十手交わした。
張翡媛の剣はまさに千仞の谷を流れる激流の如く、激しい攻め手に切れ間がない。アルスはなかなか反撃の糸口が掴めず防戦一方。この時既に、先程の「手加減をして、花を持たせてあげよう」という余裕はすっかり消え去っていた。
本来であれば、アルスの腕前は張翡媛よりも遥かに上である。普通であれば、既にアルスが勝っているはずだ。しかし今回は、アルスが張翡媛を甘く見て油断していたこと、通常は剣と盾を持って戦うスタイルのアルスが剣のみという慣れない環境で戦っていることが相まって、アルスが不利となっているのだ。
一向に反撃の様子を見せないアルスに対して、張翡媛は攻撃に全力を注いでいだ。それでもアルスの防御を破ることができていない。アルスの防御は硬く、誘ってもなかなか破綻が見られないのだ。
しかし、反撃が出来なければ状況は悪くなる一方である。百手を超えた頃、ついにアルスは中庭の角まで追い詰められた。後ろは屋敷の壁、これ以上、後ろに退がる事はできない。横に逃げようとしても、張翡媛は目敏くアルスの逃げる方向に剣を繰り出して、抜けますことを許さなかった。こうなると、もはや袋の鼠。全て真っ正面から受けなければならない。
「異国の剣術は、その程度なのかしら!」
張翡媛が問いかける。勿論、その間も攻め手を緩めることはない。アルスにはとても返事をしている余裕はなかった。
張翡媛が顔、胸、下腹と刺突で狙う。アルスが左右に体を動かして避けながら剣で払った。横に流された剣を、余勢でそのまま振りかぶる。この時、アルスが一瞬の隙に反撃の糸口を見出した。
(今だ!)
張翡媛の剣が振り下ろす。アルスは頭上に剣を構えて一歩踏み出した。勢いがつく前に張翡媛の剣が止められる。そのまま張翡媛の剣に沿って滑らせるように、斬り込んでいった。アルスの剣が唸りを上げて、目にも留まらぬ速さで迫ってくる。張翡媛は目を見開き、固まったままジッと迫りくる剣を見つめることしかできない。首筋を冷たい風が撫でる。あっと声が上がった。触れる寸前、ピタッと剣が止まる。
(……しまった!!)
はっとなって、アルスはすぐさま剣を引いた。張翡媛に花を持たせてあげるはずが、熱くなりすぎてつい力が入ってしまったのだ。
張翡媛は呆然としながら、まるで石像のようにそのままの体勢で固まっている。
「お嬢様……えっと、その……ごめんなさい、ごめんなさい!」
もしや怪我でもしたのではと冷や汗をかきながら、しどろもどろになりながらもとにかく頭を下げて謝った。その様子を見てはっと我を取り戻した張翡媛が、慌ててアルスを助け起こす。
「すごい!すごいわ!なるほど、確かに、確かにそうね!下から支えて懐に入ってしまったら、私の剣は背後に回る。そうすれば、突くことも引くことも出来ない!」
張翡媛が双眸を爛々と輝かせて、口早に色々と話し始めた。アルスが中国語に疎い事もすっかり忘れている様子である。
怪我はなさそうだと、アルスはとりあえず胸を撫で下ろした。しかし、彼女の話はまだまだ中国語に不慣れなアルスは聞き取れず、頭をぽりぽりとか掻きながら困惑する。負けたのに大喜びなのもかなり不思議だ。
張翡媛は最初の三連突を避けた身のこなしを見た時点で、アルスが自分よりも上手だろうという事は察しがついていた。彼女にしてみれば相手は格上、勝てば僥倖、負けて当然なのである。
それにそもそもがアルスの剣技に興味があって仕掛けたので、その妙技に眼福を得られて満足といったところであった。
だがしかし、彼女は武術オタク。勿論、それだけでは終わらない。
「アルス、さっきの技、私に教えて!」
妙技をみれば、覚えたくなるのが武術家の性である。興奮しながらも、今度はアルスに伝わる様、ゆっくりと話した。
恩人の頼みとあっては断れない。日が暮れるまで、アルスは張翡媛の稽古に付き合わされることになった。
剣指:人差し指と中指を伸ばし、他の指を曲げた状態の手の形。中国武術において、剣を持って無い方の手でこの剣指を作ることが普通。点穴などにも用いる事がある。