3話 妖術
前書きは
ふざける場所と
心得たり
(絶対違う)
美野辺の心の川柳
頭の上に振りかぶった斧をブンッと勢いよく振り下ろした。バキッと音を立てて真っ二つに薪が割れる。すぐに次の薪を作業台の上に置き、また斧を振り下ろして次々と薪を割っていく。
目が覚めてから3週間、既に8割り方傷も癒えて動けるようになったアルスは、陳吉に教えてもらいながら使用人の仕事を手伝っていた。
この傷の回復の早さには誰もが驚いた。これには理由があり、アルスが自身に回復魔法をかけていたのだ。この辺りは流石は勇者と言ったところで、魔法使いや賢者には及ばないもののある程度魔法は使え、回復魔法は彼の得意とするところであった。勿論、張翡媛や陳吉は、まさか魔法を使っていたなんて夢にも思っていない。
最初に感じていた孤独感や絶望感は、今はもう殆ど無い。自分を助けてくれた張翡媛と陳吉。この2人と接するうちに段々と薄れていったのだ。親身になって接してくれたおかげである。体が動くなるようになるまではこの2人から中国語を学び、なんとかある程度の意思は伝えられるようになっていた。
雑用の仕事を手伝うといい出したのはアルス自身で、命を助けてくれた2人にはなんとか恩返しをしたい、という思いから出たものだった。その意思を伝えるのはかなり苦労したがなんとか察してくれたようで、今日から使用人の仕事を手伝う事になり薪割りをしていたのだ。
服も元々着ていたものではなく、使用人の服を着ている。伝説の勇者が、すっかり屋敷の使用人となっていた。
「陳さん!」
最後の薪を割り終わったアルスは、少し離れたところで作業をしていた陳吉を呼んだ。陳吉が作業を中断して、駆け寄ってくる。
「薪、割る、終わった」
「え、もう終わったのかい?早いなぁ」
ジェスチャーをしながら覚えたての中国語で薪割りが終わったことを伝えると、陳吉は手際の良さに驚いた。
アルスは今でこそ世界を旅する勇者様だが以前はなんら変哲もない村の若者で、畑仕事を生業としていた。この手の作業は慣れたものである。
「えーと、それじゃあ薪を持って、こっち」
「はい」
陳吉に習って薪を持ち、厨房へと薪を運ぶ。指示された場所に薪を下ろすと、今度はかまどの方へと呼ばれた。
「えーと、これはかまど。かまどはわかる?」
「かまど、はい」
「ここに薪を入れて、火をつける。着け方は、分かる?」
「はい」
「じゃあ、やってみて」
アルスはまず燃えやすい細かい薪を炉の中に放り込み、呪文を唱えた。掌に小さな火球が現れ、ポイッと炉の中に火球を放り込む。たちまち細かい火は燃え上がり、細かい薪が燃え始めた。ある程度燃え出したのを見て、今度は大きめの薪を詰めすぎないように調節しながら入れていった。
「陳さん……陳さん?」
「お、お前……それ……」
火を起こし終わりアルスが振り返ると、陳吉は目を丸くしてアルスを指差し、何かを言いかけていた。
「よ、妖術だ!!妖術だ!!」
突然、陳吉が声を上げて大慌てでバタバタと厨房から出ていった。取り残されたアルスはビックリして呼び止める余裕も無く、ただただ戸口の方を見ながら呆然と立ち尽くすばかりである。
陳吉が驚くのも無理はない。何せ初めて目の前で魔法を見たのだ。勿論、アルスにとって魔法は至って普通のこと。彼の世界ではかまどに火をつける程度の魔法であれば、訓練すれば普通の人でもやって出来ないことはない。
どうしていいか分からずにいると、すぐに陳吉は張翡媛を連れて戻ってきた。
「もう、一体なによ。そんなに慌てて。別に変なところなんてないじゃ無い」
「ち、違うんです!とにかく見て下さい!アルス、さっきのやつ!」
「さっきのやつ……?」
「ほら、これ!これ!」
言葉の意味が分からずアルスが小首を傾げると、陳吉が自分の掌を指で差し、拳を上に乗せて閉じたり開いたりを繰り返した。アルスはなんとなく意味を理解し、先ほど同様呪文を唱える。再びアルスは事もなさげに掌の上に火球を出して見せた。
「これ?」
アルスの魔法を見た瞬間、えっという言葉と共に張翡媛は目を見開いて固まった。
「ほら、お嬢様!あれですよ!おかしいでしょう?!掌から火の玉を出すなんて!」
「もう一回、もう一回やって見せて!」
さも不思議そうな顔でアルスが頷いた。何か仕掛けでもあるのではないかと、今度は2人ともアルスの掌を凝視する。再び呪文を唱えると、やはり掌の上に火球が現れた。勿論、これは奇術なんかではない。正真正銘、本物の魔法。いくら目を凝らしても種も仕掛けも見つかるはずは無い。
「嘘でしょ。まさか、本当に妖術が使えるって言うの……?」
2人とも魅入られるように火球を見つめ、押し黙ってしまった。アルスはこの2人の様子を見てハッとした。
(もしかして、この世界には魔法が存在しないのか?)
アルスはここに至ってようやく気がついたのだ。魔法が存在しない世界で魔法を使ったら騒ぎになる、それくらいはアルスも理解している。
「あの、これは……えーっと、その……」
事の重大さに気がついて弁明しようとしたものの、なんと言っていいか分からない。ましてや、不慣れな中国語である。言葉が出てくるわけもなかった。
アルスがしどろもどろになっていると、張翡媛が声を上げた。
「アルス、これは使っちゃダメよ!」
アルスが頷いくのを確認すると、次は陳吉に向かって
「陳さん、この事は絶対に他の人に話しちゃダメ。もし役人に知れたら、厄介な事になるわ。父上や母上、他の使用人にもよ」
と言った。陳吉も無言でコクコクと頷く。
「いい?絶対よ。2人とも分かったわね?」
張翡媛が更に念を押す。2人ともまた無言で頷いた。
魔法の件の後、馬の世話に掃除の手伝いとひと通り仕事を終えたアルスが部屋に戻ろうとすると「アルス!」と張翡媛に呼び止められた。振り向いて見ると、手招きしている。
誘われるがままついて行くと、屋敷の玄関に連れて行かれた。ふとあるものが目に留まり、あっと声が上がる。
「これ、あなたのでしょ?」
張翡媛がニコニコしながら言った。そこにあったのは、アルスが身につけていた鎧兜、それと愛用の盾と剣である。魔王との激闘の果てにボロボロであったはずなのだが、どれもこれも綺麗に塗り直され修理されていた。
実はアルスを助け出した後、張翡媛は悪いとは思いながらも好奇心にそそられて、彼の剣を勝手に見ていたのだ。じっくり観察してみると、これが思いの外なかなかの名剣。血や泥だらけで多少刃こぼれはしているものの、剣刃は鋭利で歪みもなく、陽の光に当てれば淡く青色に光り、その輝きは晴れ渡る蒼空の如く、曇り一つない。やはり彼女も武術家、これほどの名剣を放って置けず、すぐさま他の装備と一緒に腕の良い鍛冶屋に修理を依頼したのだった。
アルスが剣を試しに抜いてみると、すっかり元通りだ。
「いい剣ね。大事にしなきゃ」
「お嬢様、ありがとう、ありがとう」
アルスは大喜びで何度もお礼を言った。その様子を見て、張翡媛も満足気である。
「それじゃあ、運びましょう」
アルスは鎧兜を、張翡媛は剣と盾を持ち、2人で装備をアルスの部屋へ運び込んだ。改めて見ると、まるで新品同様だ。修理にはきっとかなりの金額がかかっただろう。お返しに何か出来ればいいが、情けない事に今の自分にはお礼も満足に言えない。嬉しい反面、申し訳ない気持ちもしてきた。
「お嬢様、ありがとう。私は……えーっと……」
自分に何か出来ることがあれば、そう伝えたくてもやはり言葉が分からない。その様子を見て、察した張翡媛はニコニコしながら
「それじゃあ、ちょっと付いてきて」
と声を掛けた。もちろん、はいはいと二つ返事でアルスはついて行く。
連れてこられたのは中庭だった。
「アルスはここにいて」
指示された場所に止まると、張翡媛は隅の方へ行って、何かを両手に戻ってきた。
「はい、これ」
差し出されたものを見れば、木剣である。張翡媛は反対の手にも同じ木剣を持っている。アルスは訳もわからず、とりあえず受け取った。張翡媛がつかつかと後ろに振り向いて歩き、アルスと距離を取る。
張翡媛は振り向いて、右手に木剣を逆手で持ち左手を開いて、胸の前あたりで両手を合わせると、アルスに向かって言った。
「アルス、一手ご教授願うわ!」