親友について
「いつ見ても、現実味が湧かんな」
軽塔は五十億円と記載されている小切手を眺めながら、そう呟いた。
彼の目の前のテーブルには目が飛び出るような金額の小切手だけでなく、現金で五千万円が積み上がっていた。
これが昨日の闇オークションでの売り上げだった。
「バブル時代のオヤジ達でも、こんなカネは見たこと無いんじゃないか?」
彼がヤクザになったのは、日本のヤクザは丁度斜陽の時代になった頃だった。
法律が変わり、年々ヤクザに対して締め付けが厳しくなっていくのを彼は肌身で感じていた。
今のヤクザはクレジットカードは持てないし、賃貸契約も出来ない。生命保険さえ入れない。
世間は、もはやヤクザに人権は無いとでも言いたげだった。
昔の軽塔であれば、ふざけるなと喚いたかもしれない。
彼は現代では高齢化が進むヤクザの世界に、当時若い頃憧れて入った。
しかし、その考えは歳を取るにつれて変わって行った。
基本的に、ヤクザのシノギとは他人の上前を撥ねることだ。
彼らは社会的に生産的な活動をしないから、ヤクザと言われるのである。
自分たちで汗水垂らして働いていたら、それはもはやヤクザのシノギではない。
そう言う意味ではかつて組の運営資金調達にいろいろな事業に手を出していた軽塔組はヤクザとは言えなかったのかもしれない。
彼は子分たちに店頭に立たせたし、事務仕事もさせた。普通ヤクザはそんなことしない。
彼の子分は、誰もが帰る場所の無い子供や社会に適応できない人間ばかりだった。
そんな彼らにまっとうな人生を歩ませてやりたいと、彼はずっと考えていたのである。
「どうせ、すぐ消えて無くなる水泡のカネですよ」
召喚士はそんな巨額のお金を前にしても、いつも通りだった。
「それでも、だ。
お嬢には感謝してるよ。俺の子分たちも、表向きとはいえまっとうな食い扶持を稼げているんだからな」
怪しげな闇オークションも、軽塔にとって問題視する要素にならない。
あれは詐欺ではないし、足が付くようなことも無いと知っているからだ。
「オヤジ、例のあの方がご到着です」
「おう、通せ」
軽塔が子分の報告にそう返すと、間もなく事務所のドアが開いた。
「相変わらず、狭苦しいところね」
などと、開口一番に文句を口にする来訪者。
カタギになってもそうは見えない人相の面々が揃っているこの事務所だったが、強面の彼らの方が委縮してその来訪者の関心を買わないように存在感を出来る限り薄くしようと試みている始末だった。
軽塔がそちらを見ると、そこには黒いワンピースタイプのドレスを着たマネキンがいた。
いや、精巧なマネキンのように病的なほど白い手足をした白髪の女だった。
怜悧で、自信に満ち溢れるその表情からは知的さを覚えるのに、その女を見ていると感じるのは怖気にも似た寒気だった。
人形のように美しいのに、それが褒め言葉にならないような人を模ったとは思えないほど非人間的な美麗さを有していた。
そんな存在が、ゴシック調のメイド服を着た同じようなアルビノのメイドを従えてやってきたのだ。
「これはこれはどうも、イヴさん」
その存在を認めて、軽塔は立ち上り対応した。
が、イヴは彼を完全に無視した。もはや怒りすら湧かないほど、いつも通りの反応だった。
では当初からあきらめの境地だったかと言うと、そうではなかった。
──関わりたくない、彼の直観が全力でそう思わせるのだ。
それでも対外的に礼節を忘れないのは、目の前の相手が表向きのこの会社の大口出資者だからだろう。
「イデア、あなた本当によくこんな小汚いところに居られるわね」
今度は召喚士に向けて、イヴはそんなことを言い放った。
この僅かな合間に狭苦しいから小汚いにランクダウンしていた。
「イヴ、その嫌味は毎回聞かねばならないのですか?」
召喚士は無表情を変えることなく、彼女に向けてそう返した。
イデア、と言うのは召喚士の今生の書類上の本名だった。苗字は東雲。れっきとした日本人だ。
名前は漢字で、意出亜と書く。キラキラネームだった。
だから、という訳ではないが、召喚士は普段から本名は名乗らない。
魔術を扱う者同士は、余程のことが無い限り相手の名前を呼んだりしないからだ。
平安時代、日本において貴族たちは本名を呼び合うことは無かった。
当時、本名は家族や親類にしか知られておらず、今でも名前が残っていない人物が多いほどだ。
三国志などに代表される古代中国においても、字と呼ばれる本名を呼ばない為の通称が存在していた。
そのどちらも、本名を呼ぶのはマナー違反に当たる行為だった。
当時の人間たちも、よくわかっていたのだろう。
──誰かを呪い殺すには、本名が必要である、と。
だからこそ、この二人の関係は同業者たちから見れば異様な光景に見えるだろう。
一般人でさえ、魔法使いの本名を呼ぶのは躊躇うのだから。
「ごめんなさい、つい癖でね。
ところで、これが今回の稼ぎかしら?
ふむふむ、まあまあね。じゃあ、これが今回の分ね」
テーブルに置かれた巨額の小切手や現金を見たイヴは背後に控えるメイドに目くばせすると、彼女は頷き事務所から出て行った。
「あ、俺手伝います」
何をするのか分かっている召喚士の徒弟の一人が、メイドの後を追う。
そしてメイドと徒弟が荷物を抱えて戻ってくる。
その荷物とは、大きなゴルフケースだった。
「検めます」
召喚士が、二人の持ってきたゴルフケースのチャックを開ける。
と同時に室内の男たちが視線を逸らした。
ゴルフケースの中身は、──召喚士だった。
いや、召喚士と瓜二つの姿をしたホムンクルスだった。
それが産まれたままの姿で中に押し込まれていたのだ。
それを彼女は確認すると、ぱちん、と指を鳴らした。
その直後、虚空から巨大な黒い手がゴルフケースごとそのホムンクルスを奪い去り、消えた。
「それの維持、やっぱり割に合わないと思うのだけど」
苦笑気味に、イヴは召喚士の非合理的な行動を指摘した。
「私は必要だと思っています。ただそれだけのことですよ」
対して、召喚士はいつものようにそう返した。
今のホムンクルスは、彼女が悪魔を従えている為の生け贄なのだ。
彼女を知る同業者の誰もが、正気の沙汰ではないと言う悪魔の使役方法の秘密がそれだった。
「じゃあ、残りの素材とかも搬入させておくわね」
「わかりました」
両者の間には、不思議で奇妙な気安さがあった。
それも当然だった。
二人は、特に召喚士は、前世からの知己なのだから。
否、それだけではない。
────二人は、お互いに認め合う、親友同士なのだ。
§§§
近代ヨーロッパの社交界には、とある伝説が存在していた。
曰く、いつまでも若く、永遠に生きる人間がいる、と。
その伝説の人物の従者である女も、老いることさえなかったと言う。
数多の知識に精通し、王侯貴族と交流を持つその優れた錬金術師は古来より続く魔術という文化の存続に一役買っていた。
その資金繰りに、地位を持つ人間との交流は不可欠だったのである。
彼は陰ながら、魔術の担い手を支援し、次の世代に移行する様子を見守っていた。
彼の従者をしていたイヴも、彼がいったいどれくらい昔からそれを続けているのかは分からなかった。
彼女が知る最も古い魔女よりも、ともすれば長生きしていたかもしれない。
なにせ彼は、現代では誰にも伝わっていない魔術の伝承を知っていた。
尤も、イヴがその激情に駆られて彼を殺してしまうまで、それを気にしたことさえなかったが。
主人亡き後、イヴは主人が己に課していた役割を引き継いだ。
それは一時の激情で主人を殺してしまった償いなのか、はたまたただやることが無かっただけなのか。
とにかく、彼女も魔術の存続の為に陰ながら錬金術師として支援をするようになった。
彼女とその主人との違いは、彼があくまで個人として活動していたのに対し、イヴは組織を作り効率化を図ろうとしたところだった。
実のところ、イヴは特別製だった。
本来、ホムンクルスは短命で、用途に応じて使い捨てるのが当然だった。
ホムンクルスは伝承においてフラスコの中でしか生きられない小人として語られるように、人間の等身大にした上で外気に触れても平気な個体を作成できるようにした彼女の主人の凄まじさは語るに及ばないだろう。
その天才をもってして、完璧と称して作成されたイヴはホムンクルスの域を完全に超越していた。
主人の才気さえ上回る彼女は、やろうと思えば自己複製すら可能だった。
要するに、人手に関して幾らでも彼女は解消できた。人間を見下す彼女なら尚更である。
でも、彼女はそれをしなかった。その理由を、彼女は未だに説明できない。
とにかく彼女は、のちに魔術結社として名を馳せる黄金の夜明け団よりも百年以上早く、魔法使いたちを束ね、組織を作り上げた。
召喚士の前世は、前世でさえも召喚士と呼ばれていた。
より正確に言えば、襲名制だった。その異名は、師から引き継いだ称号だった。
イヴの作った組織は、そうした称号を持った魔法使いたちをトップに据え運営されていた。
彼女は創設者ではあったが、組織のまとめ役であっただけで、他の魔術の継承者たちと自らを同等としていた。
彼女は人間のように、トップが下の者を支配する構図に魅力を感じなかったのである。
組織と言っても、やることは魔術の探究以外無かった。
秘密結社ではあったが、野望も無ければ目標も無い。
魔術と言う文化を存続させるという目的なのだから当然だった。
少し前に流行った薔薇十字団の教義のように、人々の為に魔術を使うと言うような馬鹿げたことも無い。
思想の違いから、後の魔術結社のように分裂したりもしない。
事実上のトップであるイヴも、老いを知らず思想の劣化もしない。
ある種の、完璧な組織が存在していた。そのように作った組織だった。
だからこそ、そんな完璧な組織が崩れ去るとしたら、……それは創始者が自らそう望んだ時だったのだろう。
「ねぇ、やっぱりあんなゴミ同然な商品じゃなくて、私の作った代物を売りましょうよ」
事務所の応接間にて、二人は静かにお茶を飲んでいた。
取引の後は、こうしてお茶を飲んで雑談するのがいつもの光景だった。
「それは終わった話でしょう。
大体あなたが作った物は、出来が良すぎる」
イヴの話題は大抵の場合、いつも変わらない。
人間の世俗に興味の無い彼女の話題が増えることはあまりないからだ。
それでも、毎回同じような会話をすることをイヴは楽しんでいるし、召喚士は嫌っていなかった。
「この会社で作っているのがアロマのリラックス効果程度の効能の代物なら、あなたの作品は劇薬に過ぎる。
うちがいきなり万能の秘薬なんて売り出したらどう思われると思ってるんです?」
「違うわよ、裏の取引でに決まってるじゃない」
「それに関しては言うに及ばず。あなたから買って売っても大した利益にならない」
イヴは自他共に認める世界最高の錬金術師だ。
だから彼女は決して自分の仕事を安く売らない。値段もそれ相応だ。
そもそも、最初から召喚士は表の仕事で細々と稼ぐつもりだった。
裏での闇オークションの開催するようになったのは、大口出資者である彼女の意向だ。
そこで商品となったユニコーンの角の秘薬を調合するのも彼女である。
昔から、錬金術師と召喚術の使い手は密接な関係で結ばれていた。
少なくとも彼女たちの組織はそうだった。錬金術は奥義に近くなればなるほど、地球上の素材だけでは作成不可能なレシピが増えていく。
だからイヴは召喚術の使い手を血筋から手厚く保護していた。
彼女と召喚士は、前世の子供の頃からの付き合いだ。
類まれなる資質と才能を持って生まれた前世の召喚士は、それまでの歴代召喚士に対しての失望を引っ繰り返すほど優れた召喚術の使い手となった。
それこそ、あの傲慢極まりないイヴが対等だと彼女を認めるほどに。
「もっとお金を落としそうな人間を、紹介しましょうか」
そして、闇オークションの客は主にイヴの紹介だった。
その誰しもが、魔術の世界に傾倒し始めた金持ちや権力者だ。
召喚士の会社は、大した物は売ってはいないとはいえ、魔術品の作成販売という公安に目を付けられてもおかしくは無いことを平然と行っているのは、それら金持ちや権力者たちの圧力であり、ひいてはイヴが裏から隠蔽を行っているからだ。
イヴは資金稼ぎができ、召喚士は彼女の絶大な庇護を受ける。
相変わらず仕組みの構築だけは上手い、と召喚士は思うのだ。
「ああそうだ。ねえ、イデア。あなたは今生をどう思う?」
「どう思う、とは?」
「この世界の醜さよ、産業革命以来人間は増えすぎたわ。
冬のテントウムシみたいに、気持ち悪くて仕方がない」
吐き捨てるように、イヴはそう言った。
「またその話ですか」
「こうなることぐらい、私はあの時代の時点で分かってたわ。
やっぱり私の提案した通りに、馬鹿な人間どもを社会の裏側から操り、管理すれば良かったのよ。
そうすればここまで無秩序に増えることは無かったわ」
「そうかもしれませんね」
「あの時、あなただけは私に賛同してくれたわよね。
今からでも遅くは無いと思わないかしら? 私はいつでも、あなたをこの世界の神にして見せるわ」
完璧な組織が崩壊した理由、それは創始者の心変わりだった。
余りにも、増えすぎた人類に耐えがたいという、それだけが全てだった。
「はぁ」
召喚士はため息を吐いた。
会う度に彼女はこの話をしてくる。
毎回毎回やんわりと断っているのに、これである。
前世からの親友を傷つけたくなかった彼女は我慢していたが、いい加減うっとおしくなってきていた。
「具体的にはどうしますか?」
なので、彼女は敢えて押してみた。
「とりあえず、間引きましょう。
人間なんて一億人も居れば十分すぎるでしょう。
それから支配体制を確立して、徹底的に個人を管理すべきだわ」
冗談みたいな話だった。
だが、イヴは真面目だった。彼女のその頭脳が十分現実的に可能だと算出していた。
そう、この瞬間、この世界の平穏は召喚士の一言に掛かっていた。
この二人が本気で世界を変えようとすれば、瞬く間にこの地球を地獄にすることも可能だった。
そうした地獄の破壊の後に、彼女は創造をしようと言っている。
「このままだと、この地球は千年持たないわ。
私と、あなたで、この世界を救いましょうよ。
こんなところでみみっちく商売なんてしてないで、私と共に新しい世界を作るの」
「いい加減、私もあなたに親友として返事をしようと思っていたところです」
「じゃあ!!」
なぜこれまで召喚士が、前世を含めて彼女に甘かったのか。
それは、彼女の顔を見ればわかる。
──すごく、楽しそうだった。
世界を変えようという言葉に悪意は無く、召喚士と一緒に大業を成そうとする喜びや高揚に満ちていた。
普段の彼女なら、まず出ないような恥ずかしいセリフも臆面も無く出るくらいイヴは召喚士との会話を楽しんでいた。
この頭の良すぎる人造物は、この世界の命運などシミュレーションゲームの攻略方法を友達と話し合う程度の話題に過ぎないのだろう。
最大の問題点は、それを真実実行できてしまう能力があることだった。
召喚士は、前世でイヴとこんな会話をしたことがある。
「あなたのような優れた人間は初めてよ。
初めて私と対等だと認めてあげる。こういうの、友達って言うのかしら?」
それから、イヴと召喚士の交流が始まったのである。
そう、彼女は数百年レベルの筋金入りのボッチだったのだ。
オタクが話の合うと分かった友人との会話で早口になるのと同じ状態だった。
だから組織の根底を覆す提案を、当時の召喚士は彼女を独りにさせられないと言う理由で賛同したのだ。
このままではそれの二の舞になる。なので……。
「辛辣な返答と、歯に衣着せぬ返答、どちらが良いですか?」
「……え?」
イヴのいつもの怜悧で冷たい表情からは想像もできない子供っぽい笑みが、固まった。
「ね、ねえ、イデア、どういうこと?」
目に見えて狼狽えはじめるイヴに、召喚士はため息交じりにこう言った。
「どうでもいいじゃないですか、他人なんて」
「で、でも、気持ち悪いじゃない。どこもかしこも、馬鹿な人間どもばかりで」
「イヴ、あなた気付いていないんですか?」
心底呆れた様子で、召喚士は彼女に尋ねた。
「え、何が?」
「あなたは人類を間引いて管理すると言いましたね。
それって、要するに人類に対してある種の奉仕をすると言うことですよ。
あなたが心底見下して、気持ち悪がっている人間を」
冷めた目で、召喚士は指摘する。完璧である筈の彼女が見落としている穴を。
「一億人で十分? 一億も集まれば十分気持ち悪いじゃないですか。
あなたは根本的に、人間の従者として創られたという事実から何も変わっていない。
いえ、初めからそう言う存在だったんですよ。違いますか?」
「…………」
返事は無い。イヴは固まっている。
「そ、そんなはずないじゃない。私は、私が人間以下なんてことは有りえない。
私は完璧なのよ? だって、そうでしょう?」
「なら、一つ聞かせてください。
私の前世で、あなたはこの世界を変えようと提案しましたね。
その結果、あなたは決して忘れてはいけない不文律を犯した」
召喚士が射すくめるように目を細めると、イヴは居心地が悪そうに眼を逸らした。
「そう、組織の基本理念である魔術の存続と言う、大前提の崩壊ですよ」
少なくともそれに関して、召喚士は親友を赦すつもりはなかった。
「あの提案に、私は賛成しました、ええ、しましたとも。
ですが残りは? 反対されましたよね? あなたは私と二人でもやると言いましたよね?
他の徒弟たちも巻き込んで。その結果、彼らを死なせる羽目になった。
私も他のメンバーと殺し合いになり、お互いに命を失った。
あれ、おかしいですね。これは失敗になりませんか? 完璧とは何だったんですか?」
「…………」
容赦のない召喚士の言葉に、イヴの額に脂汗が浮かび始めていた。
当然の指摘だった。召喚士やほかのメンバーにとって、先祖代々そして師から弟子へと連綿と引き継いできた魔術の存続は自らの命にすら勝る何事にも代え難い使命だった。
そうなるようにずっと組織を管理していたイヴが決め、歴代メンバーも同意していたことだった。
それを、彼女は自分一人の感情ですべて狂わせた。
他のメンバーが転生し、イヴの存命を知ったら結束してタコ殴りにされても文句は言えない所業だった。
そうならないのは、ひとえに彼らが彼女の技術を惜しいと思っているからである。彼女の錬金術は、この世界から失わせるには余りにも惜し過ぎるからだ。
今の時代、彼女以外に実用段階のホムンクルスを作成できる存在など居ないのだから。
「それで、今生でも性懲り無く同じ提案ですか?
あれですか? 今生でも他のメンバーを敵に回して死ねと?」
「こ、今度は入念に準備をすれば」
「魔王ごっこがしたいなら、ネット小説にでも投稿しなさい。馬鹿馬鹿しい。
大体、この世界を管理したところで、享受できるメリットより労力の方が遥かに大きい。
私は魔術の研究をしたいですけど、それって支配後の雑務の合間に出来ることなんですか?
もしかして、雑務は他人にそんな任せろとか無責任なこと言いませんよね?」
積年の、それこそ前世からの言いたいことをすべて吐き出すように、召喚士は矢継ぎ早に本音を語る。
「完璧にもなれない、道具にも徹することが出来ない。
あなたがバカにしている人間も、ちゃんと成長できる人はいますよ。
それに比べてあなたはどうです? 激情に駆られて主人を殺し、手塩に掛けて作った組織も私情で台無しにした。
そんなに中途半端なくせに、自分は成長していない。失敗から学ばない。完璧とは要するに、成長性が無いってことなんですか?
私は貴女がかわいそうですよ、そんな風に主人に作られただなんて」
召喚士は、この場で彼女と殺し合いになることを覚悟してそう言い放った。
彼女との友情の全てを捨ててでも、言わねばならないことだった。
俯くイヴは何も言わない。
沈黙が、応接間を満たしていく。
そして。
「だッ、だから、か、なぁ……」
ぼろぼろ、と大粒の涙を零しながら彼女は言う。
「ご、しゅじんさまがッ、わたしを、えッ、えらんで、ぐれながっだのわぁ」
「はぁ」
召喚士は更に深いため息を吐いた。
ボッチと陰キャの、何の生産性も無い会話に嫌気が差してきたのだ。
「それくらい、あなただって分かってるでしょう。
他人や動物を術で操ったりする場合、精神が無かったり、自分と近い方が違和感が少ないと。
肉体をあなたに乗り換えるには、あなたは無駄が多すぎる」
要するに、イヴの肉体は普通の人間が乗り換えるには高スペックすぎるのだ。
誰だって、自動車のエンジンで飛行機を飛ばせるとは思わないだろう。
だから彼女の主人は敢えて人間に近い、知識も無く乗り換えるまでの最低限生きていて居られる肉体の器を作ったのだ。
それぐらいイヴにも当然分かっていた。分かっていても、八つ当たりせずにはいられなかった。
そしてそこに一つ、誤算があったとすれば。
「だ、だっでぇ、あれをいもうとだって、後継機だって、ひっぐ、わたしを、ぐすッ、もういらないんだと、思うじゃない!!」
成長する必要性など存在しない彼女に、幼稚な感情が芽生えたことだろう。
「い、いッ、いらない、のはッ、わたしを!! 私を!!
私を必要と、しない方に決まってるじゃない!!」
そしてその幼稚な心は、数百年経った現代に至るまでちっとも成長していない、成長する機会も無かったという悲劇がここにあった。
「わッ、私は、自らの手で、創造主を超えたのよ!!
だって、だって、ご主人様は、笑ってた!!
私が首を絞めてずっとずっと、死ぬまでずっと、そうしている間、ずっと笑ってた!!」
喜怒哀楽の感情がイヴの中を目まぐるしく変化している。
召喚士はその様子を黙って見ていた。
「だから私はもう一度、あのお方に会いたいの。
そして私は最高で完璧な道具だったって、そう言わせてからもう一度殺すの」
四方八方向いていた彼女の感情のベクトルが、ようやくまっすぐになったのを見て、召喚士は言った。
「私は協力しませんよ」
「ええぇ、なんでー!? 探し物は悪魔の得意分野じゃない!!」
とりあえず、召喚士は彼女の反応がいつも通りなので、胸中で臨戦態勢を解いた。
「イヴ、私は怒っているんですよ。ここ百数十年間、私たちの秘術は途絶えた。
こうして転生なんて事象に立ち会ったのは、結局は結果論です。それともあなたはこの現象を予期していたんですか?」
「う……」
イヴは言葉に詰まった。
今生で召喚士と再会したイヴの喜びようと言ったら、それはもう親友の彼女にして呆気に取られるくらいだったのだ。
「わ、私だってあなたを失ったここ百年近くはずっと後悔してたわよ……」
「だったら、もう少し人間について理解を深めてくださいよ。
あなたの精神と能力はちぐはぐなんです。ハッキリ言って危なっかしい」
召喚士はしょぼくれているイヴに、呆れたようにそう言った。
「そして、それが終わったら、もう一度かつての組織を再建しましょう。
その時はもう一度、あなたがまとめ役として皆をまとめてもらわないと困ります」
「イデアは私にチャンスをくれるの?」
「どうせ他にそれをやれる人間なんていないんですよ……」
パッと笑顔になる彼女に、召喚士は陰鬱そうにそう答えた。
結局、イヴは組織の維持や管理に関しては実績がある。
余計なことさえしなければ、完璧と言う言葉が実に似合う女なのだ。
そして召喚士は知っている。かつての組織のメンバーや歴代の幹部もまた、どいつもこいつも社交性が皆無の陰キャどもばかりだった。
魔術を窮める人間とは、大体そんなに連中ばかりだった。召喚士も含めて。
「それに、これからの時代、あなたと組織は必要とされると思いますし、その明確な地盤を持っているあなたが適役なんですよ」
「……まあ、そうでしょうね」
イヴは世俗に、人間社会に興味を持っていない。
しかしそれでも、情報収集を怠っているわけではなかった。
彼女の明晰な頭脳は、今後の人間社会の動向と自分が構築する組織の体制がどのようにすれば世界に必要とされるか、既に算出されていた。
「イヴ、今度は私と一緒にやりましょう。
なぁに、私たち二人はこの世界を滅ぼすことも出来るんです。
だったら、私たちが出来ないことなんて無い。そうでしょう?」
最悪にして、最高のコンビの片割れたる召喚士は笑う。
彼女の心の中には、不可能なんて言葉は無かった。目の前の相手とならどんなことでもできると言う確信と信頼だけがあった。
「ええ、ええそうね、イデア!!
私たちで新しい組織の体制を作って、この世界に一石を投じましょう!!」
そんな彼女の手を取って、イヴは嬉しそうに笑った。
誰かに必要とされると言う被造物の本能なのか、それはこれ以上ない喜びだった。
お互いがお互いに必要とする、利己的ながらも人間非人間を超えた美しい友情だった。
……ちなみに余談ではあるが。
前世からして、召喚士は他の組織のメンバーからイヴの対応を一任されていた。
イヴを上手く乗せて資金を引き出せるのは彼女だけで、そもそもほかの面々がイヴと関わるのを嫌っていたからだ。
それが巡り巡ってこうなった。
もしこの地球に魔王が存在したとして、その誕生を阻止する勇者が居るのだとしたら。
何とも皮肉なことに、それはイヴとイデアの二人の友情なのかもしれなかった。
魔王にも、勇者にも成りえる二人は語り合う。
「この世界を変えましょう、イデア。
かつての組織の理念のために、もう一度」
「ええ、それでこそですよ、イヴ。
私は誰よりも、あなたの事を理解してますから」
そして今、この時のこの会話が、魔王の産声なのか、勇者の誕生なのか。
そのいずれだと、判別できるものはいなかった。




