第十六話:蛇牙猛怒(ダガーモウド)
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「──春輔様! 春輔様ッ!」
「……うーん」
目を覚ますと──不安そうな表情でトウジローが覗き込んでいた。
灼薬鬼がどうなったのか、自分の身体から抜けた冬月がどうなったのか分からない。
「トウジロー!? 何で!? 何で俺生きて──」
「落ち着くでありますよ。間一髪のところ、我が助けたであります。妖力は既に我が分け与えたでありますよ」
「うちも居るッス! 冬月をひっつかんでトウジローの上に引っ張り上げたッス」
「宮野さんまで……助かったよ。……それで、冬月は──」
「冬月様は……無事とは言えないでありますな」
トウジローが目を向けると、決まりの悪そうな表情で冬月が俯いていた。
落ち込んでいるような、そんな顔だ。
だが、浮かない顔の理由はそれだけではない。春輔は自分の左胸を触る。
簪が埋め込まれていない。彼女が自分の意思で簪を抜き取ったからだろう。
彼女の身体は今にも消えそうだった。
「冬月。お前、あの場を一人でどうにかしようとしただろ」
「……ごめん」
「わざわざ俺の心臓から簪を抜き取って──お前、自分が悪くないのに自分だけ死んで全部解決しようとしただろ」
「……」
「まさかお前、このまま消えるつもりじゃないだろうな」
肯定の代わりに彼女は沈黙する。
しばらくして、泣きそうな声が返って来た。
「……だって、それが最善だから。もう君は巻き込めない」
冬月は目を伏せて言った。
「逃げて。灼薬鬼は君を殺しに行くよ。その前に、穂村家の陰陽師総出で灼薬鬼をどうにかしないといけない」
「そしたらお前はどうなるんだ? その頃にはもう、お前は──」
「分かってる! 分かってる……君を散々利用した口で何言ってるんだって思うかもしれない。だけど──あたしは、君を死なせたくて憑りついたんじゃない」
「だけど、お前が死んだら俺は──」
「もう分かってるでしょ? 君が死んだらあたしも死ぬけど……逆は成り立たないって」
「!」
きゅっ、と彼女は硬く口を結んだ。
その身体は徐々に朧げになっていく。
放っていれば、何時か消えてしまいそうだ。
春輔は自分の左胸を握り締める。そこに簪は埋まっていない。
「まあ、でも……自業自得かな。よりによって……君を利用してしまったから、バチが当たったんだよ」
「……利用したのは、俺も一緒だ」
「え?」
「俺は、お前が居ないとまともに妖怪と戦う事も出来ない。陰陽師としては半人前以下だ」
確かに戦うのは怖いさ、と春輔は続ける。
手には汗。背中にも汗。
さっきの戦いを思い出しただけで吐きそうだ。
「手が震える。変な動悸だって止まりやしない。相手は灼薬鬼。火の妖怪統その人だ。だけど、身体が拒んだって心が叫んでるんだ。こんな俺でも見逃せない事があるって」
「春輔……」
「灼薬鬼の奴が氷の妖怪を皆殺しにしようとしてるなら、それを陰陽師の立場に掛けて座視できない」
「でも、それなら猶更……穂村の陰陽師を呼ぶべきだよ」
「そして、こっからは穂村春輔個人の問題だ。俺はお前相手でもビビる程の性根無しだ。臆病者さ。だけど──」
「──命を賭す程仲間思いなどっかの誰かが泣きそうな顔で覚悟完了してたら、逃げられるわけないだろ」
冬月は目を見開いた。
命よりも大事なもの。
春輔は、生き残る事よりも誇りを取った。
「大切な誰かを守りたいって気持ち、俺だって痛い程分かるつもりだ。だから、俺にもう一度簪を刺してくれ」
「!」
「言っただろ。利用してたのは俺も同じだ。お前が命を賭けるなら、俺だって命を賭けてやる」
「……」
忘れていた。
穂村春輔という男はこういう男なのだ。
例え、妖怪相手に卒倒しようとも、大事な誰かだけはきっと守り通すと決めた男だ。
──あたしは、君のそういう所に惹かれたのに……。
「あたしの言ってることを……信じるの?
「はぁー、仕方ないでありますな。こうなったら、とことんまで付き合うであります。言っておくでありますが、穂村の式神の名に懸けて誰も死なせないでありますよ」
「う、うちも居て良いんスかね?」
「ジロちゃん……秋帆……」
春輔は冬月に手を伸ばす。
「……本当に君は……弱いくせに、救いようがないくらいのお人好しだっ」
左胸に簪が突き立てられた。
全身に彼女の妖力が戻って来る。
片や力を。片や勇気を。
足りなかったものを二人は取り戻す。
「……はぁ、生き返った気分だよ! やっぱこうじゃないとね!」
「春輔様。御札はこちらにあるであります。存分に活用するでありますよ!」
「ありがとう、トウジロー。お前にも迷惑掛けちゃったな」
「なぁにを今更。奴が追いかけてくるなら、此処で決着を付けるしかないでありましょう!」
トウジローの首輪にはホルダーが付けられており、万が一の為に予備の御札のセットが用意されていた。
それを受け取り、自分のホルダーにセットする。
「それと、溶岩鬼の鎧について何か知ってないか? あれが相手では弓矢も爆砕札も有効打に成り得ない」
「うーむ……溶岩鬼の鎧は、内部が冷え固まって硬く、外装は高温で溶けて柔らかくなっていると考えられるであります」
「溶岩って冷えたら脆くなるんだよね? やっぱり鎧そのものを凍らせるしかないんじゃないかな?」
「だけど、距離を取ったら大技が飛んで来る。弓矢も吹雪も、こっちが撃つ前に、さっきの技で打ち消されるどころか押し切られてしまう」
「ならば、こちらも距離を詰めて戦うしかないでありましょう」
「距離を詰める……?」
「真っ向から、灼薬鬼と打ち合って勝つ……それしか方法は無いと思うであります」
春輔は眉を顰めた。
あの鬼人は鎧を身に纏っているにも関わらず、圧倒的な速度を誇っていた。
それに追いつくだけの近距離武器は、生憎今持ち合わせていない。
「穂村君ってそもそも弓以外で戦えるんスか?」
「父さんから一通りの戦い方は叩き込まれたからな……だけど正直、一番好きなのは遠距離戦さ」
「スナイパーって恰好良いけど、穂村君が言ったら微妙に情けなくなるのは何でなんスかね……」
「言うな……自覚はあるんだ。それでも、ビビってる暇なんかあるものか。近距離主体で攻めるとして、後は肝心の武器があれば良いけど」
「春輔様。一か八かでありますが、この札を使うしかないでありましょう」
「この札って、どの札?」
冬月が不思議そうにのぞき込んだ。
トウジローは鼻を膨らませる。
「とっておきの、1枚でありますよ」
言ったトウジローは、春輔のホルダーの一番上に置かれた札を咥えて差し出した。
トウジローが御札について、つらつらと述べた後──それを握った春輔は目を見開いた。
「……そうか。冬月が憑依している時なら使えるかもしれない──!
「作戦会議は、そこで終わりですか?」
熱気が上空から降り注ぐ。一瞬で地面は溶岩へと変わり果てた。
溶岩の鎧に身を包んだ灼熱の鬼が降り立つ。
両手で掲げた二振りの大太刀を構えると、今にも飛び掛からんとばかりに振り上げた。
「灼薬鬼……!!」
腰が抜けそうになる。鬼、と言うものを初めて素の状態で目の当たりにした気分を味わった。
肌で熱さ、そして畏怖を感じ取る。
思わず平伏してしまいそうな程に、目の前の妖怪統は強大だ。
目が眩み、心臓が痛い程になり、膝を突きそうになった。
しかし──
「冬……月──ッ!!」
「うんっ! 行くよッ!」
──熱気を押し返すようにして叫ぶ。
確かに怖い。
だけど、今は──隣に、一心同体で戦う彼女が居る。
周囲の温度は完全に拮抗した。
火をも喰らう溶岩と、全てを凍てつかせる冷気。
相反する元素の化身が今、相対した瞬間だった。
「灼薬鬼……お前の煮え滾った頭を冷やして貰うぞ!」
「あくまでも、諦めないその意気や良し……ですが、焼き切って差し上げましょう。希望と闘志、諸共にねェ!!」
刀を構え、飛んで来る灼薬鬼。
その前に御札を構える。
「騰蛇符──”刃装蛇牙”!!」
それを使った時。
周囲の温度が一気に下がった。
傍にいたトウジローと秋帆が震え上がり、灼薬鬼の溶岩の勢いが弱まる程に。
「な、何これ、妖力が急激に上昇してるんだけど!?」
冬月が焦った声を出したその時、鎧がバラバラに砕け散る。
周囲には粉々になった鎧が転がり、そして白い冷気が立ち込めていた。
「な、何だ、何が起きたッスか!? いきなり自爆したッス!」
「いや、我の推測が正しければ──!」
「目晦ましとは、猪口才な。見損ないましたよ」
大振りの一閃が白い煙を断つ。
熱が冷気を溶かし、一瞬で霧は晴れた。
「なっ……!」
しかし、空振り。
何かを斬った感覚が無い。
そして、ずしりと握る刀身に妙な重さを感じた時。
刀の切っ先には先程とは違う姿の陰陽師が立っていた。
「軽い。さっきよりも、身体が軽いぞ!」
白いマフラーを首に巻き、御札がそれぞれ二本の苦無に変化して両手にそれぞれ握られた。
その姿は忍び。朧げで姿を掴ませない霞の如き姿だ。
「式神用の札は、装甲化した式神の強化にも使えるであります。勿論──使う陰陽師と属性が同じならば、何の式神──ないし妖怪──が憑依していても使えるでありますよ!」
「す、すげぇっス! フォームチェンジッス!」
トウジローが得意げに叫ぶ。
「その名は、”蛇牙猛怒”! 冬月様……春輔様……我と穂村の力の一端、お貸しするであります!」




