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第十五話:弐閃の挟撃

 ※※※


「妖怪統って、何であんなに強いんスかね?」


 トウジローにしがみつきながら秋帆は問うた。

 惧れを隠せない様子で彼は眉を顰める。


「妖怪とは、言わば自然現象の体現者であります。それを支配する妖怪統が絶対的な権限を持つのは、それぞれの元素に自らの力を直接繋ぎ止めているから……と考えられているであります」

「直接繋ぎ止めている? どう言う事っすか?」

「つまるところ自然災害を起こす、季節を乱すことも造作ないということでありますな」

「ヒエッ……無敵じゃないッスか! じゃああの灼薬鬼って、火山の妖怪ッスよね!? あいつが暴れたら、日本の火山は大変な事になるッス!」

「しかし、五行の元素は単独では機能しないであります。それぞれが必ず関わり合って働いているでありますよ。その拮抗が守られている限り、一つの属性が暴走することはまずないであります」

「ひゅー、それは一安心ッス……」


 五行相克という考えがある。

 木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に勝つ。

 このようにして元素と元素は互いに互いを抑え込む関係にある。

 そのため、水が健在である限り、火の元素が暴走して火山が灼薬鬼の一存で爆発し続ける事は無い。


「──逆に言えば……今の冬月様と灼薬鬼にその力は無いであります。灼薬鬼は恐ろしく強い妖怪でありますが、自然法則を乱すことは出来ないであります」

「そ、それは安心っすね……」

「最もそれは冬月様も同じ、むしろ一人で実体を保てない分、冬月様の方が不利まであるであります」

「ウッ……マジすか」

「……ともかく、春輔様を助太刀するでありますよ」




 ※※※



「いざ、尋常に──死合いましょうかッ!」



 黒い輪郭の鎧には紅い灼熱が絶えず迸る。

 最早、今の灼薬鬼は動く火山。

 鈍重な戦輪と化した脚が地面を蹴り、煮え立つ溶岩の刀を構えて春輔目掛けて飛び掛かった。

 

「この程度で……死んではくれないですよねェッ!!」


 薙ぎ払われる二本の刀が交互に斬りつけてくる。

 反応は間に合っているが、鬼武者は地面にめり込んだ溶岩の大太刀をすぐさま引き抜いて今度は舞うように薙ぎ払ってくる。

 鎧を身に纏い、先程よりも重い一撃がさっきのそれを上回る速度で次々に襲い掛かって来るのだ。

 ──速すぎる……どんな理屈か知らないけど、さっきよりも速くなっている!


「攻弓符”氷雨”──ッ!」

「無駄だ」


 札を全て投げ付けた春輔の身体が硬直した。 

 氷の弓矢は確かに灼薬鬼の鎧に突き刺さったものの、簡単に溶かされてしまう。

 もう先程とは違う。分厚い装甲に、弓矢は通らない。


「なっ!?」

「何度も同じ技、喰らうものですか。今度は貴方達にたらふく喰って貰いましょう」


 刀の溶岩が一際大きく泡立つ。

 振り上げられた二刀が組み合わさり、黒い竜巻が青白い稲光を伴って天へ突き上がる。

 稲光を伴った黒い竜巻が全てを喰らいながら春輔目掛けて向けられた。


「──火砕流。摂氏100度から700度に達した水蒸気と火山鉱石、それが時速最大200キロメートルの速さで拡散し、通り過がりにあらゆるものを飲み込み死に至らせる現象」

「春輔、避けて──ッ!!」

「──逃げる事も叶いません。私の振るう二刀は、荒ぶる自然の牙と同じと知れッ!」


 竜巻が更に大きく口を開けた。

 身体は言う事を聞かず、だんだん引っ張られていく。


「ダメだ、足が動かないッ──!?」

 


「──噴災(ふんさい)双火砕龍(そうかさいりゅう)ッッッ!!」



 獣が吼えるような音を立てて、竜巻が春輔を喰らった。

 その余波で工場の屋根も壁も吹き飛ばされ、海は荒れ狂い、雲は千切れ飛ぶ。

 鎧を纏っているとはいえ、唯の人間に過ぎない春輔の身体は軽々と塵のように吹き飛ばされていく。

 熱が、稲光が、水蒸気が、全て春輔へ凶器となって襲い掛かる。

 唸る竜巻は何度ものたうち回り、地面へ激しく鞭打ち、そしてようやく鳴り止んだ。

 

「……チッ、この妖力では此処までが限界ですか。しかし──」


 竜巻が消え去った後──そこには、最早虫の息の陰陽師が倒れていた。

 見たところ、鎧は健在。

 しかし、最早立ち上がる様子は見られない。地面に這いつくばり、こちらを睨んでいる。


「姿かたちも無く消し去るつもりで撃ったのですがね──」

「──ぐ、ぅ……あ……」


 春輔は小さく呻いた。

 辛うじて生き延びたが、既に性も根も尽き果てていた。

 それどころか──もう有効打となる御札は妖力と一緒に全て使い切ってしまったのだ。

 

(危なかった……冬月が機転を利かせてくれなかったら、どうなってたか……)


 咄嗟に残りの爆砕札をぶちまけて「凍える爆風」を防壁代わりに使わなかったら、今頃装甲ごと身体が消し飛ばされていた。

 そうでもしなければ今の大技を受けきることは不可能だったが──もう、攻め手が無い。

 

(春輔……どうしよう……! もう、御札無いよ!?)

(……どうするもこうするも……!)


 ギリッ、と歯を食いしばる。

 最早、抵抗する力も残ってはいなかった。

 爆砕札に大量の妖力を使ってしまった所為だ。


「──まあ良いでしょう。今の一撃を耐えられた所で、腸を掻っ捌けば同じ話。なぜなら、貴方にもう動けるだけの妖力は残っていない……そうですね?」

「くぅッ……クッソォッ……!!」

「恨むならば、そこの雪女を恨みなさい。貴方を利用した、そこの雌犬を、ねェッ!!」


 鈍い痛いが迸る。

 鉛のように重い足が春輔の脇腹へ振り下ろされる。

 蛙が踏みつぶされたような悲鳴が、他に誰も居ない外れに響いた。


「ああっ……がっ……!」

「おっと失敬。足が滑ってしまいました。ああ、でもそうですね──このまま殺してしまえば、詫びの一つ、その女から聞けないか」

「詫びの一つ!? 詫びる事なんて、一つも──」

「黙りなさい、卑怯者の雪女め。貴女にも懺悔してもらいましょう」

「ざん……げ……?」

「その通り。貴様等雪女の罪──」


 灼薬鬼の瞳が兜の奥から覗いた。

 激しい怒り、そして憎悪に満ちているのが分かる。



「──私の娘、及び我が配下を氷像に変えた事、です」

「──ッ!?」



 瞳孔が開かれ、鼻息を荒げながら、それでも感情を抑え込みながら灼薬鬼は言葉を紡いでいく。


「どういう事……!? あんたの娘の事なんか──」

「しらばっくれるな。溶岩鬼程を凍らせることが出来る妖怪等、雪女以外に居るわけがないでしょう」

「た、確かにそうかもしれないけど──!」


 氷の妖怪は数あれど、それでも大きな妖力を持つのは雪女くらいしかいない。

 特に、火を喰らう溶岩鬼を氷像に変える程の妖力を持つ妖怪など──そうそう居はしない。


「溶岩に漬け込んでも、どんなに妖力を送っても、一向に戻りはしない。もう、私は娘の元気な顔を見る事が出来ない」

「っ……そんなことが」

「最愛の娘を失った私にとって、今唯一心を埋められるのは復讐のみ。まあ最も──誰がやったのかは分からない以上、先ずは頭がケジメを付けるのは当然のこと。つまり、水の妖怪統たる貴女の命を摘み、そして他の雪女も皆殺しにする」

「──ッ!!」


 冬月は言葉を失った。

 怒りのあまり、灼薬鬼は狂ってしまっていたからだ。


「貴女が間抜けにも一人、この近くの山に潜んでいて幸いでした。先に貴女を始末出来るのですから」

「ま、待ってよ……! 皆も、殺すの──!?」

「当然。雪女も、氷の妖怪も皆殺しだ。しかし、その前に頭である貴女を潰しておく必要がある。貴女が犯人ならば好都合、そうでなくとも見せしめになるでしょう。最も──どの道全員地獄送りですがねッ!!」

「関係ない妖怪にも手を掛けるつもりか、お前は──ぐぁッ!?」

 

 春輔の身体が蹴り飛ばされる。

 最早、灼薬鬼は誰の言葉も聞き入れない。

 娘を凍らされた怒りのままに自らの決めた断罪を執行するだけだ。


「騒々しいんですよ、雪女の力を借りなければ戦えもしない小蠅め。人間の倫理や道理を私に持ち込むな。火の妖怪の倫理も道理も私が決める事です。納得が行かないならば、力で私をねじ伏せてみなさい」

「ッの、野郎……!!」


 春輔はいきり立つ。

 しかし、もう力が残っていない。

 歯向かう力も、抵抗する力も何も残ってはいない。

 自分の弱さをつくづく呪った。

 そして、灼薬鬼の理不尽さも。

 拳を握り締め、ただ死ぬのを待つしかないと思われたその時だった。


「待って! あたしが犯人だからっ! あたしを殺せば、それで終わりでしょう!?」

「冬月!?」


 彼女の悲痛そうな声が響く。

 春輔の身体から鎧が解かれる。

 待て、と彼が言葉を発そうとした瞬間、解凍したはずの心臓がキュゥ、と締め付けられた。

 

「うっ、冬づ──……!」

「ごめん──少し、休んでね。シュン君」


 言わば仮死。

 その状態のまま、春輔は地面に転がされる。

 なるべく彼に恐怖を感じさせないために冬月が施した最期の餞別だった。

 

「君の娘を殺したのは──あたしだからっ。だから彼は無関係! 勿論、他の妖怪達も──だから灼薬鬼! もう、こんなことはやめてよ!」

「黙りなさい。その手には乗りませんよ。貴女が犯人を知っていて、庇っている可能性がありますからね」

「はぁ!?」


 灼薬鬼はあくまでも冬月が何を言っても難癖をつけるつもりだった。

 冬月も、他の氷の妖怪も、全て皆殺しにする。それは彼の中で決定事項のようだった。


「貴方一人が死んでどうにかなる問題ではありません。良いですか、ルールは私だけです。私の裁きに従って、貴女も、他の氷の妖怪も処断する。それだけの話ですからね」

「そ、そんな……!」

「そもそも貴女、私の娘を見たことがあるんですか? 答えてみなさい。ええ?」

「……う、うぅっ……!」


 答えられない。

 彼に娘が居ることは知っていたが、会ったことは一度も無かったのである。


「それ見たことか。犯人が誰だろうが、冬月。貴女には死んでもらいます。氷の妖怪も皆殺しだ」

「戦争に、なるよ……! 間違いなくね!」

「でしょうね。しかし勝ち目は十二分にある」

「馬鹿言わないでよ!」

「今は夏──我ら火の妖怪の勢いが最も増し、水の妖怪の勢力が最も弱まる時期だからだ。私が直ぐに回復したのも、貴女がなかなか回復出来ないのも──今が夏という季節だからです」


 貴女と言う後ろ盾を失えば、氷の妖怪を滅ぼすのは容易い、と灼薬鬼は言ってのけた。

 それほどまでに妖怪統の及ぼす影響は強かった。

 特に、雪女の中でも突然変異クラスの強大な力を持つ冬月の存在は、輪をかけて大きい。

 今此処で弱体化している冬月を殺せば、氷の妖怪は殿無しで不利な季節のまま戦わなければならない。


「娘の命が無駄に散らされたとあれば、貴女にも、他の全てにも無駄に命を散らしてもらうまで。それに意味を問う事こそ無意味でしょう? それに、目には目を歯には歯をが妖怪の基本でしょうが」

「そ、そんな……!」

「氷の妖怪には滅んで貰います。しかし、一つ聞いておきたいことがある」


 冬月は跪く。

 

「──何故、貴女はこんな所に籠っていたのですか?」

「──!」

「本来なら、今の貴女達は北の北へ引き籠っているはずだ。にも拘わらず、冬月。貴女は何故かこんな辺鄙な地に潜んでいた。だから私は貴女を袋叩きにすることにしたわけですが」

「……そ、それは……!」

「その人間に妙に拘りますね、冬月。只、その人間と心臓が繋がってるから、ではないみたいですが」


 まあ、もう関係ないか、と灼薬鬼は二刀を振り上げた。

 冬月に動く力は残っていない。

 爆砕札によって、彼女もまた力を使い果たしてしまったのだから。


「でも、貴女がその少年を利用していたのもまた事実。所詮、玩具を気に入ってただけでしょう」

「……本当は、こんなつもりじゃなかった」

「はい?」

「あたしって、ほんと馬鹿……やること成すこと全部裏目に出ちゃうんだから……全部、裏目、逆……笑えるよね」


 だけどさ、と彼女は続けた。

 キッと灼薬鬼を睨みつける。



「あたしの守りたかったものを、滅茶苦茶にして──誰の所為だと、思ってんの──ッ!」



 初めて、今日彼女は怒りを露にしていた。

 その瞳が赤く光る。

 しかし、もう抵抗する妖力は残っていない。

 それでも最期の力を振り絞らんとばかりに冷気を全身から集めて掌を鬼へ向ける──


「理不尽過ぎるよ、灼薬鬼……! 本当に、心まで鬼だ……!」

「何て言ってくれても結構。私は鬼。生まれながらの鬼です。むしろ、人間に妙な情を抱いた貴女の方が妖怪失格ですよ──死ね、冬月」


 だが、最早それはそよ風すら吹かせはしない。

 刀が彼女の首目掛けて振るわれ──

 


 刃は、深くアスファルトに突き刺さった。




「……は?」




 呆気にとられた灼薬鬼の声が後から続く。

 刀は誰の首も、刎ねていない。

 それどころか──忽然と、二人の姿が消えている。

 キッ、と灼薬鬼は一瞬だけ感じた妙な気配を追う。

 空の向こうへ、小さくなっていく影──



「──しまったッ……! 陰陽師の式神か……!」



 悪態を吐いた彼は、両足の火の輪を転がし、空へ飛び立とうとする。

 しかし──火の輪は空回りして、もう飛べはしなかった。

 ガス欠だ。さっきの大技でこちらも妖力が不足しているのである。


「クソッ……私としたことが、こんな所で足止めを食らうとは……!」

妖怪記録・灼薬鬼

火の妖怪統。種族は血の代わりに溶岩が流れる溶岩鬼。圧倒的な力とカリスマで火の妖怪を率い、特に身内には寛大である一方、周囲の存在を傷つけられればその怒りは納まる事を知らない。溶岩で作った刀が武器で、剣術を用いて戦う。怪腕と速度で舞うように相手を圧倒し、更に飛び道具や搦め手を使うことも厭わない。

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