第十話:一先ずは一件落着のようです
──画して、二体の車輪妖怪は無事に倒された。
周囲では白い影を見ただのボヤ騒ぎが起きたものの、それ以上の被害は無く外道怪を早期に撃破出来た事が大きいと言えるだろう。
春輔はと言うと、後処理を全て終えた後眠気と疲れでへとへとのまま家に帰り、布団に倒れ込むとそのまま死んだように寝てしまったのだった。
「春輔、すぐ寝ちゃったねっ」
「こんな遅い時間まで戦闘していたのだから当然でありましょう」
「ジロちゃんもでしょ? ジロちゃんが居なかったら、外道怪は倒せなかったよ」
「我々上級式神は元々そういう風に作られているでありますよ。妖怪の怨霊に対する特効兵器であります」
だから当然のことをしたまでだ、と彼は謙遜して見せる。
「そっかあ……ふふっ」
「……眠くないのでありますか?」
「ちょっとまだ、ね……」
「そうでありますか」
春輔の寝顔を見て微笑む彼女を見ながら、トウジローは溜息を吐く。
「……にしても機嫌が良いでありますな、冬月様」
「えへへっ、そうかな?」
「……冬月様。つかぬ事を聞くでありますが」
「何? ジロちゃん」
君から何時の間にかちゃん呼びになってしまっている事に、複雑さを感じ得なかったトウジローだが今更突っ込みはしなかった。
それよりも気になるのは──
「冬月様は、妙に春輔様を気に入っているのでありますな」
「そう見える? この子、臆病な癖に変な所で度胸があるからさ──だからあたしも自分の命を預けたんだよ?」
悪戯っ子のような笑みを浮かべながら、冬月は言う。
パッと見は同じ背格好に見える春輔をこの子呼ばわりするので、トウジローは眉を顰めたが無理もない。妖怪と人間では流れる時間が違う。
「我は、春輔様の将来が不安であります。もし、春輔様の心の隙に付け込んでお前が何か企んでいるなら──容赦はしないであります」
「ああ、そういう。固い主従の現れってわけだ。……やっぱり、春輔の事が心配なんだね」
「主にお前の所為でありますが」
「それもそうだ。……ごめんね?」
「……でも、それ以上に」
彼は目を伏せる。
「……春輔様が何故、妖怪に対してあそこまで恐れを抱くのか。分からないのであります」
「ジロちゃんってさ、何時から春輔と一緒に居るの?」
「春輔様の父上・宗春様が亡くなられた時、先代の騰蛇も一緒に破壊されたであります」
「破壊された……妖怪との戦いで?」
彼は無念そうに頷いた。
式神とは、陰陽師が使役する為に造り出した人造妖怪。
基本的に経年劣化こそしないものの、肉体に物理的な限界が訪れれば壊れる。
それが式神の死だ。
「我はその後、先代の身体をベースにして春輔様の式神として作られたと聞いたであります。もうその頃には……春輔様は妖怪への強い恐れを抱いていたであります」
「……じゃあ、やっぱ5年くらい前か」
「そうであります。しかし、その5年前に何があったのか……我は詳細を穂村の人間からも、春輔様からも詳しくは聞いてないのであります」
「そうなの? 何か都合の悪い事があるとか?」
「正直、我は穂村の人間を勘繰っている気持ちが無いわけではないであります。でも、穂村の家の人間は、誠実な方ばかり。何か訳があったとしか……」
複雑そうにトウジローは冬月を見上げた。
分からない。穂村の人間が何を考えて自分に何も伝えないのか。
また、春輔も何も教えてくれないのか。
彼の妖怪への恐怖には何らかのトラウマがあるとトウジローは推測している。恐怖を克服したいと言っているのは春輔の意志でもあり、トウジローもそれに従っているが、知らず知らずのうちに彼を追い詰めてしまっていないか? と不安を抱くことさえあった。
「でも、その割には春輔って強いよね。あたしは戦闘面では鎧を与えてるだけで、動いてるのは全部春輔だ。運動神経も頭も両方良いし……あたしは馬鹿だからさ。ちょっと羨ましいや」
「当然であります。幼い頃から父上仕込みの厳しい鍛錬と座学を叩きこまれてきた春輔様は、妖術の組み方こそまだ未熟なだけで、身体能力と戦略眼、術の応用には目を見張るものがあるであります」
「……うん。術の質はまだまだ全然だけど、正直彼くらいの子供がこれだけ動けるなら十分妖怪の脅威足り得ると思う」
事実、妖怪相手に恐怖を抱いてまともに戦えなくなるから、トウジローを遠距離から支援する戦い方になったのであって元来彼は一通りの戦い方は身に着けている。
それは鎧を纏った時に、驚異的な運動神経となって現れ出ていた。
「それどころか、春輔様は、お父様が亡くなられる前は幼なながらに妖怪討伐の功績を立てたことがあると聞いたであります」
「──嘘でしょ?」
「流石に、これを言うのは春輔様をより苦しめるだけだと思い、本人に言った事は無いでありますが……少なくとも、春輔様の恐怖は先天的なものではないであります」
「……そうなんだ」
「……春輔様が苦しんでいるのに、結局我は……何も出来ていない。それどころか、主を追い込んでしまうようなことも言ってしまうであります」
式神失格でありますな、と彼は自嘲した。
「……ねえ、ジロちゃん」
「何でありますか?」
「それでも、春輔を今まで守って来たのは、間違いなくジロちゃんでしょ?」
「……でも、きっと春輔様は我の事を鬱陶しく思っているであります」
「この間さ、ヒクイドリを目の当たりにした時、倒れたあたしの前で春輔はすっごく怖がってたよ」
「そりゃそうでありましょう。貴女が居なければ、今頃我々は……」
「何が怖かったか分かる?」
彼の眼をしっかり見ながら、冬月は言った。
天真爛漫ないつもの表情からは考えられないくらい、真剣な眼差しだった。
「君を失うのが、何よりも怖かったんだってさ」
「……」
「ひっどいよねー、最初はそれであたしの事も祓おうとしてたんだよ? 一人でヒクイドリに勝てるわけがないのにさっ。でも……そんな彼だからこそ、あたしは力を貸そうと思ったのかもしれない」
「そう、でありますか」
「良かったね。良いご主人様に恵まれてさ」
彼が小さく頷く。
「我は、幸せ者でありますな」
主従の関係に不安を覚える事があっても、春輔が自分を見限ったりはしなかったことにトウジローは目頭が熱くなっていた。
何より彼が命を捨てて自分を守ろうとしてくれたことが、嬉しかった。
「その言葉で……報われた気がするでありますよ」
トウジローは、彼女が悪い妖怪ではないような気がしてきた。
騒動を持ち込んできたのは確かかもしれない。
しかし彼女なら──彼女なら、春輔の怖がりを治せるかもしれない、と一筋の希望を抱いたのだった。
※※※
寝ると、とてもつもなく嫌な夢を見ることがある。
何の夢かは分からない。汗が噴き出し、息を切らせて起き上がることさえある。
しかし、今日の夢は最後に誰かがふわりと自分を抱きしめて終わっていた。
白く、綺麗な、あの人は一体──
「……あっちぃ」
暑苦しさで春輔は目を覚ました。
この分だと、また昼に起きてしまったのだろうか。
それと、少し重い。何かが上に乗っかっているような──
「あ、起きた? 春輔っ」
「……」
春輔の顔が蒼褪めた。
冬月が、身体の上に乗っかっていた。
「ギャーッッッ」
悲鳴と共に、飛び上がった彼は冬月を押しのけてトイレへ駈け込んで行ってしまう。
その声で飛び起きたらしいトウジローが「敵襲でありますかァ!?」と辺りを見回している。
見ると、トイレの扉をガンガン叩いている冬月の姿が見えた。
「もうっ、折角起こしてあげたのにっ。何で逃げちゃうの」
「この馬鹿ーッ、心臓が止まるかと思っただろーが!」
「えー……あんなに昨晩はあたしの事を受け入れてくれたのに」
「言い方ァ! それとこれとは話が別だ、朝っぱらから不意打ちするなァ!」
「まーたやってるでありますよ……良いから春輔様、さっさとトイレから出てくるであります」
「いや、その、怖さのあまり腹を下してしまって」
トウジローは溜息を吐く。
二歩前進して一歩後退。
人間、そう簡単に変われるなら苦労はしないのである。
──ま、気長に見守るとするであります。
それが仕える者の役目だ、と騒がしい朝に苦笑するのだった。
式神記録1
トウジロー(騰蛇)
火の属性を司る、穂村家が所有する上級式神の一角。普段は小さな蛇の姿をしているが、本来の力を解き放つと龍と見紛う巨大な翼を持った赤い蛇・騰蛇となる。
春輔との連携が本領であり、移動手段、空中への攻撃、また地上への支援攻撃などあらゆる方面からサポートする。
毒を帯びた炎が武器であり、翼も春輔の持つ御札によって強力な刃に変わる。




