8話 炎恨を断つ
燃えさかる門を破れば、そこは黒煙流れる灼熱の世界だった。
熱風が吹き上げる。梁の片側が見世に落ち、もう片方もまたかろうじて踏みとどまっていた。その隙間が、奥の廊下に繋がる唯一の道であった。
くぐればすぐ板敷の廊下に。子供はそこにいた。
「……」
突如として現れた存在に目をぱちくり。
しかしすぐ、張り詰めていた緊張が解けたらしい。
「う、うえええええ……」
「うむ。再び泣き出す力があれば大丈夫だ」
まだ総髪の、寝巻き姿の男の子。濡れた手ぬぐいを口にあて、火の出ていない廊下にうずくまるようにしていた。
顔は煤で汚れているが、様子からして、あまり煙を吸い込んでいないらしい。
「お前だけか」
小さな手は廊下の奥を指差した。
「おっかあが……」
指先は座敷と思わしき部屋が。そこから半身乗り出す格好で横たわる、白い襦袢姿の女を捉えた。
子を逃がすため放り投げたのだろう。廊下と部屋の間にには、火をあげる落ちた天井の一部が阻んでいた。
ヴィフトールが近づいてみると、火はいっそう勢いを増し、その黒々とした髭を掴まんと火の手を伸ばす。上背を反らしたものの、わずかに髭が燃えた。
面白い。王は斧を下段に構えた。
「バルログの怨念よッ、ここで完全に断ち切ってやろうぞッ!」
大音声とともに、斧は風切り音をあげる。
◆
かつて――ドワーフの拠点の一つとなった岩城に、それは現れた。
ミスリルを採掘していたときか。ドワーフの底抜けの欲が禍を呼んだものだが、その時は違っていた。
突如として降り落ちてきた炎の塊。それは悪鬼であり、巨大な翼を広げ、手にした鞭と剣をふるい、瞬く間に岩城を我がものにしてしまったのだ。
円柱形の岩城の底はマグマが流れ、百年、何人も近づけぬ地と化した。
だが、再び岩城に立つドワーフの姿。
肩にミスリルの大斧を乗せ、火の竜〈ドレイク〉の革を使った防具に身を包み、塔に巻きつく階段を昇っていた
――愚かなり。たった一人で勝てると思ったか
待ち受けていた悪鬼は嘲笑った。
しかしドワーフもまた、一笑に付した。
――そうだ。貴様も所詮、我が武勲の一つに過ぎん
猛る悪鬼。振り下ろす大剣は炎を纏う。
ドワーフはこれに怯まず、斧を振り上げる。
対決は何時間にも渡り、決着がついたのは塔の床が抜けたときのこと。
これを狙っていた。ドワーフは跳び、悪鬼を踏みつけながら落下してゆく。
ドワーフの靴は重く、巨大な悪魔の翼を持ってしても身体を揺さぶるだけ。
そこに、銀の大斧が振り下ろされた――。
◆
斧の刃が深く食い込み、ヴィフトールのブーツがそれを踏む。
道を阻む瓦礫は、ばきばきと音をたてて崩れ落ちた。
「――うむ。なかなかイイ尻だ」
白い襦袢は着崩れ。
腰帯を掴むと同時に、人妻の大尻が火の中で露わとなった。
意識はないが死んではいない。
女を肩に担ぎ、ヴィフトールはへたりこむ子供の下へ。
「おっかあっ、おっかあっ……!」
「感動の対面は後だ。他に誰もおらぬな?」
男の子は目に涙を溜め、頷く。
「治助さんが、助けてくれた……」
火の海となった居室の向こうを見据えながら言う。
きっと強い子になる。ヴィフトールは空いた手で、男の子の頭を撫でてやった。
「ここはじきに崩れる」
肩から下ろした婦人を、男の子の背に負わせた。
年は七歳か、八歳か。いやそれよりも幼いかもしれぬ。
だが男の子は、年は関係あらぬと小さな身体で母親を担いでいる。
「その梁を持ち上げる。服が燃え、肌を焼かれようが構わず走れ。すぐには死なん」
いいな、と念を押せば、男の子は顔を強張らせながら頷く。
それを見たヴィフトールは、よし、と腕を膨らませ、梁を持ち上げた。
「――行けッ!」
男の子は走った。
同時に建物が悲鳴をあげる。まるで母子が脱するのを待っていたかのように、めきめきと音をたて、見守っていた者たちの歓声が上がるや、大きな瓦礫が次々と落下してゆく。
梁を支えていたヴィフトールを、中に残したまま――。
(最後まで足掻くか、バルログの怨念よ)
外でお鈴の声が聞こえた気がした。
やかましい娘だ。
首を振りながら少し引き返し、炎の中に置いてきた斧を取りにゆく。
◇
木間屋は完全に炎に飲まれ、息をするたび崩れていった。
脱した母親と子供はすぐに医者の下へ。……しかし、救助に向かった者がまだ出てきていない。
すでに鴨居は崩れ出口を失っている。
その様子に、少女は声を震わせた。
「仁王……」
まさに、その時である。
燃えさかる店から、ばん、ばん、と叩きつけるような音がしたのである。
「お、おいっ、何か爆発してるんじゃないのか!?」
「ば、馬鹿言え、火薬があるわけじゃあるめえし……」
それは、店の左側からであった。
しかしまさか。火の勢いが少ない右側ならまだしも、と誰もが言葉を失っていると――ついに突き出した、黒い何かに、少女は顔をぱっと明るくした。
「仁王ーッ!!」
ぬっと現れる巨人の輪郭――。
右手に炎を纏った大斧を。左手にはどこから得たか大徳利を傾けながら、それは現れたのである。




