表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒ヒゲ襲来! ~ドワーフ大江戸、じゃじゃ馬娘と大捕り物~  作者: Biz
2章 ぶつかり合う意地と欲とシマ争い
6/30

5話 風呂の中の目

 人の噂は早い。

 突如として現れた異人を拝もうとする者、鍋や包丁など修繕してもらいたい品を持った者――朝早くにも拘わらず、長屋の前にはたくさんの人が押し寄せる。お鈴はみなに明るく挨拶をしながら、依頼の品を集めた。

 朝の食事も白飯と漬け物だった。

 これは江戸の町・長屋棲まいの常であるらしく、民が痩せ細っているのも当然だ、とヴィフトールは思いながら槌を揮った。

 色濃い空に白い綿雲が悠々と。

 修繕にも終わりが見え始めた頃、どこからか、ナヨっとした高い声が飛んできた。


「ちょっと、あなたっ」


 黒い羽織に幅広の下衣。

 一目で相応の地位があると分かる者が、群衆に道を譲られながら迫ってきたのである。


「あ、加藤の旦那。おはようごぜえます」


 傍にいたお鈴は立ち上がり、恭しく頭を下げる。


「はい。おはようございます」


 加藤と呼ばれた者も、手を前に、丁寧に挨拶を返す。

 そして姿勢を正し、チラリ、と野次馬たちに目を配れば、彼らは慌てて家の中に入った。

 周囲に人がいなくなったのを確かめると、加藤は背筋を伸ばし、まるで女のような仕草で手を仰ぐ。


「聞きましたよ。お鈴さん、いったいどういうことなのです」

「どういうって……なにがで?」

「もう! そこの異人の方ですよ。昨日、富田屋さんのところで悶着を起こしたそうではありませんか」


 ナヨっとしているのは口調だけではない。

 顔立ちから身体つき、一つ一つの仕草までも女――いや、オカマだった。

 加藤が睨むような目を向けるのに対し、ヴィフトール下唇を突き出し、おどけてみせる。


「あ、あれは仁王が悪いんじゃなく、福蔵一家の連中が……!」

「分かっております。ご店主より話を伺ってきたのですから」


 加藤は言うと、懐から紐を通した銭束を差し出した。

 お鈴は慌てて押し戻そうとするも、それよりも早く、後ろから伸びた太い腕が、むんずと束を掴んだ。


「あっ、それは――!」

「俺のものだ」


 ドワーフの王は、言いながら腰に下げた革袋に放り込む。

 実際その通りだ。ぐっと言葉を飲み込む女の前で、加藤は満足気に頷く。


「見たところ和蘭(オランダ)ですか――聞けば、かなりの大立ち回りをしたとか。『仁王様降臨』だとか馬鹿馬鹿しい読み売りが出回ってもいるので、連中から報復なんか受けないようにしてくださいね。今朝みたいに、死体の検分をするのはヤですから」

「今朝って、また仏さんが出たのですかい」


 日に焼けた細腕を露わに、威勢よく腕まくりするお鈴。

 相対する加藤は、化粧をしているのかと思うほど色白く。そうなんですよお、と頬に手をやり困った仕草をする。


(性別が逆で産まれてきたのか)


 誰が死んだなど、自身には関係のない話である。ヴィフトールは作業を再開した。


「――今朝、深川の水路にて土左衛門があがりましてね。恰好からしてどこかの奉公人のようなのですが、身元が分からぬまま。紫色に染まった唇なんて思い出すだけでも、ああ、おぞましい……」

「他殺か自殺か、土左衛門は分かりにくいですしねえ」


 両肩をさする加藤に、ヴィフトールは顔を向けた。


「肺は見たのか?」

「肺、ですか……?」

「薄まった空気の中で死ぬと、唇が紫染まるそうだ。その死体に締め跡がないなら、生き埋めにされたのではないか?」


 加藤は驚き顔を浮かべ、


「急いで調べさせませましょっ」


 と、内股気味に駆け戻っていった。

 よく見れば足下が下駄を履いており、カンカン、と小気味よく音が遠のく。


「はえー……お前、医の心得まであるのか?」

「いや、エルフのアホ王がしたり顔で話していた」


 エルフ、と首を傾げるお鈴に、ヴィフトールは自身の耳を引っ張る。


「こんな尖り耳をした、アホのくせに賢ぶる連中だ」

「うへ。そんな奴、一番嫌いだ」


 舌をべっと出すお鈴。

 ドワーフの王は朗らかに笑うと、手の甲で汗を拭った。


「しかしこの蒸し暑さはなんだ」


 日が昇るにつれ気温はどんどん高くなっていた。

 青く澄み渡った空を見上げると、お鈴もつられるように顔を向ける。


「そうか? 今日は過ごしやすい方だと思うんだけど、火の傍にいるからじゃねえのか?」

「この程度で熱いと感じるドワーフなぞおらん。だがこの気候は、蒸し器の中にあるような気分だ」

「んー……アタシにはよく分かんねえなあ。江戸から出たことねえし」


 じっとりと湿った空気である。

 湿地を埋め立てたのではないのか、とヴィフトールは考えていた。


「そのモサモサ髭を剃れば、ちょっとは涼しくなるんじゃねえのか? 寝ている時、すげームシっとしてたし」


 馬鹿言え、とヴィフトールは口をへの字に曲げる。


「ドワーフにとって髭は命、髭あってこそドワーフだ。剃るなぞもってのほかよ」

「なら、お前さんは〈髭の王様〉ってことだな」

「うむ。そうなる」


 黒々とした髭を撫でる。

 それを見たお鈴が、興味に負けたように手を伸ばしてきた。


「――はえー、意外と柔らかいんだな」


 他の男が触れば喧嘩になるが、女子供は別である。


「手入れは怠らぬ。湯洗い一時間、(くし)入れ一時間が日課だ」

「加藤様もやってるらしいけど、櫛なんか女のするモンだろ」

「毛は女だけに生えるものではない。それよりもお前は女にのに櫛を使わぬのか」

「あ、アタシはいーんだよ。面倒だし」


 こっちのが動きやすいし、とボサボサ髪を掻く。


「ここに風呂はないのか」

「お、あるぞ! いっぱいある!」


 何かに触れたのか、お鈴は目を輝かせ始めた。


「そう言えば、昨日は色々あって入ってねえしな。これから行ってみるか!」


 父・権六がすっ転んだのか、後ろの自宅から騒々しい音が聞こえていた。


 ◇


 風呂と聞いて、どうしてお鈴が興奮したのか。

 それはやはり気候・風土が関係しているらしい。湿潤な気候は肌をベタつかせ、風に舞った砂が張り付くからだ。

 朝と夜の二回は当たり前。一日に五回は入るのが江戸っ子だ、とお鈴は説明する。

 火事を避けるべく家に風呂を置かない。

 そのため大通りに出れば、各所で風呂屋が営業しているのだと言う。


「おっちゃん、入らせてもらうよー」


 お鈴の行きつけの店なのか、ひょいと暖簾をくぐる。

 店の者も威勢よく返事をしたものの、それを真似て入ってくる大男に、ひゃっと悲鳴をあげた。


「ああ、そうだ。何か読み売りで有名になってるらしい仁王だ。――えぇっと、八文だったな」


 後はヴィフトールに向けた言葉であった。

 加藤から受け取った銭束・その一枚が〈文〉である。紐から八枚を抜き取り、小高い台に座る店の者に渡した。

 それが終わるとお鈴が中へ・板場へと手招きをする。

 応じて視線を向けると同時に、ヴィフトールはぎょっと目を瞠った。


「なんだここは」


 蒸し風呂のような、ムッとした暖かい蒸気。

 一段高い場所に荷を納める棚があるのだが、そこに男も女も、一糸乱れぬ姿でウロついているではないか。

 お鈴もまた同じく、恥ずかしげもなく着物を脱ぎ、真っ裸となるではないか。


(これがこの土地の風俗なのか?)


 父親がずっこけた理由を理解した。

 年頃の娘が男の前でも当たり前のように脱ぐ。

 他の娘などは、共にやってきた老婆などに身体を隠されていたりするのに、お鈴はまるで頓着しないらしい。

 いや、それどころか――


「何じゃそりゃあ!?」


 ヴィフトールも服を脱げば、お鈴が頓狂な声をあげ、


「お前のマラ、すっげえなあっ!」


 大根みてえだ、と無邪気に目を輝かせる始末なのである。

 お鈴の身体は年相応の膨らみと、滑らかな曲線を備えている。中身だけが、未だに子供のようだ。

 脱衣場から奥に進むと洗い場、その先には狭い進入口があった。灯りは一切なく、暗い。


(なるほど。暗がりならば気にならぬということか)


 加えて、ぶ厚い蒸気が視界を阻むので、隣人を確かめるのもままならない。

 だが、それは人間に限った話。ドワーフであるヴィフトールの目には、しっかりと女の裸を映していた。


「むふふ。これはいい肉付きだ」


 むっちりとした尻を見つけるや、大きな手がそれを鷲掴みにしていた。


「ぎゃあっ!?」


 女が悲鳴をあげ、ギッと睨みつける。

 だが、ヴィフトールの姿を認めるなり視線が下に。ぶ厚く毛深い胸板から股間を捉えると、唾とともに言葉を飲み込んだ。

 どこかの女房らしい。

 それとは知らず、お鈴が慌てて駆けつけてきた。


「な、何やってんだ!」

「いい尻があったからだ。――ダメなのか?」

「ダメに決まってんだろ!?」


 お鈴は女に向き直り、すまねえ、と謝る。

 どうやら顔見知りだったらしく、異人であるヴィフトールを一瞥すると、


「気をつけておくれよ」


 そう言って離れるのだが、口ぶりには棘がなく、また男の股間に気を残したままである。

 貞操観念があるのかないのか。この国の文化はやはり変だと思うのだが、他の女たちもチラリ、チラリと目を向けるところからして、悪くはなさそうである。

 傍で警戒するお鈴をよそに、誰にしようかと品定めをしていると――


「む」


 どこからか視線が。

 男への興味ではなない。獲物を狙う獣の視線を感じ、闇を睨んだ。


「どした、なにかあったのか?」

「……いや、なんでもない」


 確かめるにも厚い蒸気の中なので、鮮明には分からない。

 動く気配がして出口を向けば、出ようとする女の姿が――何とも()()()尻に目に留まった。

 異質のドワーフと言えど、好色なきらいはそのまま。

 丸く大きく、むっちりとした白尻を見るなり、向けられた視線への興味は失していた。


(やはり面白い国だ)


 誘うようにくねる腰。そして間違いなく剛毛だ。

 ヴィフトールはムフフと下卑た笑みを浮かべ、無茶苦茶にしてやろう、と湿った顎髭を撫で続けた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ