11話 悪魔の棲む家
骨砕けた雲ノ介の遺体はそのまま野ざらしに。
翌日。浪人と目明かしの処断は話題となり、その読み売りを橋の欄干に張り付け、涙しながら手を合わす者まで見受けられるほどだった。
そしてそれとは別に、もう一つ。
「吉原の女郎が、さるお方と心中を図る……ねえ」
お鈴が手に持つは【吉原心中】と題打たれた読み売り。
これが売れに売れているのである。
江戸のものは、心中事件は大好物なのだ。吉原の女がとなれば、なおのこと人の興味が向けられる。
【とある吉原の女郎が、馴染みの男と酒を呑んでいた。
しかし突然、胸を押さえて苦しみ始め。医者が駆けつけた時にはもう、女郎はこときれていた――。
女郎は身分違いの男に惚れ、契りを交わせぬならば来世でと望んだのか。
だが、そうではなかった。
この男はある女に目をつけ、権力をかさに苦界に沈めていた。
そしてその女こそが、毒を飲んだ女郎だったのだ。
女はなにゆえ毒を飲んだのだ。
心中にみせかけ、男を殺そうとしたのか。
私は考える。
男が口を封じねばならないことがあったのではないか、と。
続報が出なければ、私はこの世から消えていることだろう。 】
内容としてはこうであった。
漠然と、かつ知るものには的確な内容である。
心中を図り、死んだ女郎。そう――彼女の正体は八重なのだ。
そして、男は矢島平御助である。
「八重は早桶で運ばれたそうだぜえ……大丈夫か?」
読み売りを手にしながら、お鈴は心配そうに見上げた。
そこには下唇を突出すヴィフトールの姿があった。
「まぁ大丈夫だろう」
「だろう、てお前さあ……」
女郎殺しとして、矢島平御助はその場で取り押さえられた。
奉行である平御助の父は、息子を解放しろと強く出ているようだ。しかしそのたび、吉原で起こした事件ゆえにと突っぱねられる。
「雲ノ介の自白も残ってるし、新藤屋の伝八に自白させりゃあなあ」
ちょうどそこに、二人を探していたと加藤がやってくる。ヴィフトールは要件を聞き、奪い合うように読み売りを求める町民を背に、長屋に引き返すのだった。
◇
横川から少し離れた、閑静な田園地帯。
畑には何も無く、白く乾いた土だけがより侘しさを醸す。
しばらく歩くと、ふいにそれを吹き飛ばすような、賑やかな景色が広がっていた。
「あいつら、もう相撲やる気ねえなあ……」
「“ちゃんこ”とやら美味いらしいぞ。早苗もよく食べに行っているらしい」
早苗、と聞いてお鈴の眉がぴくりと動いた。
視線の先にある長い石階段。その頂きにある寺で、彼女が道場を開いている。
いつもは近隣の女房たちで一杯なのだが、今日はどうしてか男臭い。
「よおっ、お二人さん」
臥煙の者たちがいるからだ。
紋次郎が手を挙げ、そしてヴィフトールを小突いた。
「おめえ、とんでもねえの考えたなおい」
「ふふ、凄いだろう?」
「浅草にも造りてえぜ。絶対に話題になんぜ!」
本堂の横に、これまでに無かった小屋が一つ建っていた。
何の変哲もない、見方によっては少し大きめの物置のよう。
「なんでえ、ただの小屋じゃねえか」
お鈴が興ざめしたように言う。
加藤より、臥煙に頼んでいたものができたと聞いてきたのだ。
「まぁ、入ってみりゃ分かるって」
今しがたまで入っていたのだろう。
若い衆が這う這うのていで出てくると、地面にへたり込み、青ざめていた。
お鈴は眉を寄せ、小屋へ。
寺の廊下から入る造り。引き戸を開くと、中は湯屋のように薄暗くあった。
箪笥やちゃぶ台。行李など、指物が置かれている。
「なんでえ、ただの九尺二間の――」
足を踏み入れた瞬間、お鈴の身体が大きく傾いた。
「え、なっ、うああああああーっ!?」
小さな身体がごろんと床に転げ、そのまま横の壁まで。
ヴィフトールが覗き込むと、お鈴は何とか転げ止まったと、壁に張り付き目を瞠っていた――。
◇
新藤屋の伝八が伝馬町を出た。
やつれ、無精髭や月代が見窄らしくなっているものの、しばらく牢に入っていたとは思えないほど壮健そうである。
とは言え、釈放などではない。
縄をかけられたまま晒し者のように、横川へ。そしてかの小屋のある寺を訪れていた。
「ふん。坊主の説教で、自白させようというのですか」
口にかつての余裕ははなかった。
悪辣なそれにも動じず、縄はお鈴に預けられ小屋の入り口へ。
「言っとくけど、この先は怨霊の部屋だかんな?」
「何を言うかと思えば。死んだ雲ノ介やらが出るというのですか」
「まあ、それは入って確かめてみろ」
引き戸を開け、灯りのない真っ暗な部屋に伝八を放り込むや――
「な、なに――うわああ!?」
伝八はごろんと転がり、全身が何かに包まれた。
「身体が……な、なんだこれは……」
灯りのない部屋。
身体が後ろに引っ張られている。壁ではない、柔らかくふわふわした何かが身体を包んでいる。
――怨霊の部屋
伝八は短い悲鳴をあげ、床に這いつくばった。
出口へ。しかし身体が重く、床が滑ってなかなか前に進めない。
身体を起こしてよろければ、また後ろに転げてしまう。頭がふらつき始め、ますます前後不覚になった。
何とか身体を起こすと、真っ正面に――壁一面に赤い髑髏が。伝八は声にならない悲鳴をあげ、頭を抱えて震えた。
「ひっ、ひいいいいーっ!? ゆ、許して……許してくれぇ……っ、金が、金が欲しくて……ぇ……」
それは、罪の自白と言えた。
よしきたお鈴が扉を蹴破れば、真っ暗な部屋に外の光が周囲を照らされた。
背後は蘇芳染めの木綿の幕。そして這いつくばる伝八は、やっと床が傾いていることに気付いたのである。
呆気にとられた伝八は、涙や鼻水を垂らしたまま、乾いた笑いを浮かべるだけ。
「やい伝八、今さっき連絡があったぜ。女郎を押し込めていた小島を制圧したってなあ。女郎ら十二人、全員がお前の名を言ったそうだぜえ。他に証拠が欲しいなら言ってみろいっ!」
おみつの仇、これで全部取ってやったぜ。
伝八に縄をかけ、お鈴はそっと目元を拭うのだった。
◇
「しっかし、何でえこりゃあ。足を踏み入れたら、身体が重くなっちまう」
「面白いだろう。悪魔のイタズラと呼んでいるものだ」
斜めに傾いた部屋を覗き込むも、お鈴はそれだけで目眩がするようだ。
「指物の形が真っ直ぐになってるからか……? 身体は重い。背中は幕でふわふわ。床に縫った蝋で足を滑らせる。頭くらくらしたところに、壁に、ガラスを彫った魔境とやらで照らせば……アタシだって小便チビらあ」
「うわっはっは! ドワーフの技術、思い知ったか」
高々に笑うヴィフトールに、お鈴は、
「……ありがとうな」
小さく礼を言った。
「なんの。飯と酒をくれるやつの家にいたら、揉めごとに巻き込まれただけだ。売られた喧嘩は買うのがドワーフだからな」
「権六一家だってそうでえ。なあお前、父ちゃんの跡継げよ! お前ならこの横川だけじゃなく、深川や日本橋、江戸を治められる気がすらあ」
意味を分かっているのか。いや分かっておるまい。
だが、これ以上、管理する国が増えるのは面倒である。
「やなこった」
ヴィフトールは口髭を持ち上げ、べっと舌を出してやった。




