表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/30

11話 悪魔の棲む家

 骨砕けた雲ノ介の遺体はそのまま野ざらしに。

 翌日。浪人と目明かしの処断は話題となり、その読み売りを橋の欄干に張り付け、涙しながら手を合わす者まで見受けられるほどだった。

 そしてそれとは別に、もう一つ。


「吉原の女郎が、さるお方と心中を図る……ねえ」


 お鈴が手に持つは【吉原心中】と題打たれた読み売り。

 これが売れに売れているのである。

 江戸のものは、心中事件は大好物なのだ。吉原の女がとなれば、なおのこと人の興味が向けられる。


【とある吉原の女郎が、馴染みの男と酒を呑んでいた。

 しかし突然、胸を押さえて苦しみ始め。医者が駆けつけた時にはもう、女郎はこときれていた――。

 女郎は身分違いの男に惚れ、契りを交わせぬならば来世でと望んだのか。


 だが、そうではなかった。

 この男はある女に目をつけ、権力をかさに苦界に沈めていた。

 そしてその女こそが、毒を飲んだ女郎だったのだ。


 女はなにゆえ毒を飲んだのだ。

 心中にみせかけ、男を殺そうとしたのか。


 私は考える。

 男が口を封じねばならないことがあったのではないか、と。

 続報が出なければ、私はこの世から消えていることだろう。        】


 内容としてはこうであった。

 漠然と、かつ知るものには的確な内容である。

 心中を図り、死んだ女郎。そう――彼女の正体は八重なのだ。

 そして、男は矢島平御助である。


「八重は早桶で運ばれたそうだぜえ……大丈夫か?」


 読み売りを手にしながら、お鈴は心配そうに見上げた。

 そこには下唇を突出すヴィフトールの姿があった。


「まぁ大丈夫だろう」

「だろう、てお前さあ……」


 女郎殺しとして、矢島平御助はその場で取り押さえられた。

 奉行である平御助の父は、息子を解放しろと強く出ているようだ。しかしそのたび、吉原で起こした事件ゆえにと突っぱねられる。


「雲ノ介の自白も残ってるし、新藤屋の伝八に自白させりゃあなあ」


 ちょうどそこに、二人を探していたと加藤がやってくる。ヴィフトールは要件を聞き、奪い合うように読み売りを求める町民を背に、長屋に引き返すのだった。


 ◇


 横川から少し離れた、閑静な田園地帯。

 畑には何も無く、白く乾いた土だけがより侘しさを醸す。

 しばらく歩くと、ふいにそれを吹き飛ばすような、賑やかな景色が広がっていた。


「あいつら、もう相撲やる気ねえなあ……」

「“ちゃんこ”とやら美味いらしいぞ。早苗もよく食べに行っているらしい」


 早苗、と聞いてお鈴の眉がぴくりと動いた。

 視線の先にある長い石階段。その頂きにある寺で、彼女が道場を開いている。

 いつもは近隣の女房たちで一杯なのだが、今日はどうしてか男臭い。


「よおっ、お二人さん」


 臥煙の者たちがいるからだ。

 紋次郎が手を挙げ、そしてヴィフトールを小突いた。


「おめえ、とんでもねえの考えたなおい」

「ふふ、凄いだろう?」

「浅草にも造りてえぜ。絶対に話題になんぜ!」


 本堂の横に、これまでに無かった小屋が一つ建っていた。

 何の変哲もない、見方によっては少し大きめの物置のよう。


「なんでえ、ただの小屋じゃねえか」


 お鈴が興ざめしたように言う。

 加藤より、臥煙に頼んでいたものができたと聞いてきたのだ。


「まぁ、入ってみりゃ分かるって」


 今しがたまで入っていたのだろう。

 若い衆が這う這うのていで出てくると、地面にへたり込み、青ざめていた。

 お鈴は眉を寄せ、小屋へ。

 寺の廊下から入る造り。引き戸を開くと、中は湯屋のように薄暗くあった。

 箪笥やちゃぶ台。行李など、指物が置かれている。


「なんでえ、ただの九尺二間の――」


 足を踏み入れた瞬間、お鈴の身体が大きく傾いた。


「え、なっ、うああああああーっ!?」


 小さな身体がごろんと床に転げ、そのまま横の壁まで。

 ヴィフトールが覗き込むと、お鈴は何とか転げ止まったと、壁に張り付き目を瞠っていた――。


 ◇


 新藤屋の伝八が伝馬町を出た。

 やつれ、無精髭や月代が見窄らしくなっているものの、しばらく牢に入っていたとは思えないほど壮健そうである。

 とは言え、釈放などではない。

 縄をかけられたまま晒し者のように、横川へ。そしてかの小屋のある寺を訪れていた。


「ふん。坊主の説教で、自白させようというのですか」


 口にかつての余裕ははなかった。

 悪辣なそれにも動じず、縄はお鈴に預けられ小屋の入り口へ。


「言っとくけど、この先は怨霊の部屋だかんな?」

「何を言うかと思えば。死んだ雲ノ介やらが出るというのですか」

「まあ、それは入って確かめてみろ」


 引き戸を開け、灯りのない真っ暗な部屋に伝八を放り込むや――


「な、なに――うわああ!?」


 伝八はごろんと転がり、全身が何かに包まれた。


「身体が……な、なんだこれは……」


 灯りのない部屋。

 身体が後ろに引っ張られている。壁ではない、柔らかくふわふわした何かが身体を包んでいる。


 ――怨霊の部屋


 伝八は短い悲鳴をあげ、床に這いつくばった。

 出口へ。しかし身体が重く、床が滑ってなかなか前に進めない。

 身体を起こしてよろければ、また後ろに転げてしまう。頭がふらつき始め、ますます前後不覚になった。

 何とか身体を起こすと、真っ正面に――壁一面に赤い髑髏(しゃれこうべ)が。伝八は声にならない悲鳴をあげ、頭を抱えて震えた。


「ひっ、ひいいいいーっ!? ゆ、許して……許してくれぇ……っ、金が、金が欲しくて……ぇ……」


 それは、罪の自白と言えた。

 よしきたお鈴が扉を蹴破れば、真っ暗な部屋に外の光が周囲を照らされた。

 背後は蘇芳(すおう)染めの木綿の幕。そして這いつくばる伝八は、やっと床が傾いていることに気付いたのである。

 呆気にとられた伝八は、涙や鼻水を垂らしたまま、乾いた笑いを浮かべるだけ。


「やい伝八、今さっき連絡があったぜ。女郎を押し込めていた小島を制圧したってなあ。女郎ら十二人、全員がお前の名を言ったそうだぜえ。他に証拠が欲しいなら言ってみろいっ!」


 おみつの仇、これで全部取ってやったぜ。

 伝八に縄をかけ、お鈴はそっと目元を拭うのだった。


 ◇


「しっかし、何でえこりゃあ。足を踏み入れたら、身体が重くなっちまう」

「面白いだろう。悪魔のイタズラと呼んでいるものだ」


 斜めに傾いた部屋を覗き込むも、お鈴はそれだけで目眩がするようだ。


「指物の形が真っ直ぐになってるからか……? 身体は重い。背中は幕でふわふわ。床に縫った(ろう)で足を滑らせる。頭くらくらしたところに、壁に、ガラスを彫った魔境とやらで照らせば……アタシだって小便チビらあ」

「うわっはっは! ドワーフの技術、思い知ったか」


 高々に笑うヴィフトールに、お鈴は、


「……ありがとうな」


 小さく礼を言った。


「なんの。飯と酒をくれるやつの家にいたら、揉めごとに巻き込まれただけだ。売られた喧嘩は買うのがドワーフだからな」

「権六一家だってそうでえ。なあお前、父ちゃんの跡継げよ! お前ならこの横川だけじゃなく、深川や日本橋、江戸を治められる気がすらあ」


 意味を分かっているのか。いや分かっておるまい。

 だが、これ以上、管理する国が増えるのは面倒である。


「やなこった」


 ヴィフトールは口髭を持ち上げ、べっと舌を出してやった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ