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8話 売られた女

 それから二週間後のこと。

 秋の味覚が豊富な江戸であるが、今年は秋刀魚が特に美味いらしい。

 昼から夕方になると、どことなく芳ばしい焼き魚の匂いが漂い、それに食指を動かされた男たちが、食事処を賑わわせていた。

 ぱりっと焼けた秋刀魚の皮、ふっくらとそして脂の乗った身は、何とも酒に合うものだ。ヴィフトールもたちまち魅了され、お鈴に『アタシの飯はいらねえってのかっ』と、権六と共に叱られるくらい通いつめていた。

 この日の夜も、秋刀魚を堪能し、食事処から出てすぐのことである。


「おっと」


 とん、と御高祖頭巾をかぶった女とぶつかった。

 女は急いでいるのか、小さく謝り、そのまま走り去る。後ろ姿に見覚えがあると思うと同時に、懐に何か入っていることに気付いた。


(なるほど。お文を従えていたか)


 重みのある袱紗が一つ。

 中には小判が二枚と二つ折りの手紙――“お釜に張った蜘蛛の巣”の絵、そしてヴィフトールには読めない字が綴られている。

 酒を呑みに屋台でも行こうかと思っていたが、その足は、長屋の方へと向いていた。


「――なに、加藤様が!?」


 聞くなり、お鈴が驚きの声をあげた。


「中に何と書いてある?」

「う、むむ? 【蜘蛛、胡蝶を捕らえ虫かごに入れたり】だって」


 蜘蛛とは、雲ノ介のことだ。


「雲ノ介の管轄にネズミを放って、手がかりを探っていたのかあ」


 なるほどなあ、と感心して頷くのだが、二両もの大金と文面が分からず、首を捻った。


「胡蝶ってチョウチョだろ? 捕らえって捕まえたってことで……」


 すると横で、手酌酒をしていた権六が口を開いた。


「吉原の遊郭だな」

「え?」

「吉原の遊女は“かごの中の鳥”って呼ばれてんでえ。岡場所や飯盛り女郎とは比べものにならない。雲ノ介って奴あ、どこかの女房を捕まえて売り飛ばしたのさあ」

「女房ってなんで分かるんだよ」


 娘の疑問に、まだまだだなあ、と酒をあおった。


「“蝶”は女の隠語、ここでは、わざわざキザったらしい“胡蝶”なんて書いてやがる。つまりこれは古い蝶――“古蝶”ってことだ。さしづめ、どこかの偉い奴が気に入ったんだろ」


 蝶を眺めて満足するのは、裕福な家だからよお、と言い添える。


「とーちゃん、見直したぜえ……」

「まだまだ老いぼれちぇいねえよ」

「よし仁王っ、明日、吉原に行くぞっ!」


 権六が、ぶっと飲みかけの酒を噴き出した。


「は、花見とかじゃねえのに、女が入れるわけねえだろっ!?」

「ダメなのか?」


 変な場所だなあ。

 そう言いながら、傍らの()()()から飯をよそうと、そこに湯をかける。

 それをヴィフトールに渡し、そして自分のを用意した。


「む? お前は食ってなかったのか?」

「うんにゃ? 食ったんだけど、食欲の秋でよ、腹減っちまった」


 ざぶざぶとかき込むのだが、


「丸み帯びてるの気付いてねえのか……」


 と、食べっぷりのよくなった娘を見ながら、父はため息を吐くのだった。


 ◇


 その翌日、早苗が訪ねてきた。

 寺に向かう途中、懐にぶ厚い封書が差し入れられているのに気付いたらしい。


「雲ノ介の野郎、ゲスにもほどがあらあ……!」


 お鈴が見るなり、怒りに身体を戦慄(わなな)かせた。

 手紙の中には、その悪事の一つが綴られていたのだ。


【神田の五郎太。五年前に処断】


 八重という名の茶屋の娘と結ばれたのだが、ある日、その八重の実家に、押し込み強盗が入った。彼女の両親は惨殺された。

 その後日、下手人の仲間として、五郎太がしょっ引かれる。仲間と思わしき男の死体と、血染めの匕首を握って倒れていたのが動かぬ証拠と言う。

 五郎太は『酒を呑んでいて、そこから記憶がない』と供述し、金の配分でモメ、酔った勢いで争い、相手を刺したとされ、牢に放り込まれた。

 地獄の沙汰も金次第――ここで目明かしの雲ノ介が登場する。

 なんと、五郎太の妻・八重からの銭を届けていたというのだ。


 だがある日、急にそれが途絶えた。

 それに絶望したのか、五郎太が罪を自白をしてお白州へ。その場で打ち首となって解決……されたはずなのに、どうしてか雲ノ介は、八重のところにいたのだ。


 雲ノ介は金をすべて懐に入れていた。

 それはまるで、シロアリに食い潰される家の如く。日に日に八重は見窄らしく、ついには住んでいた家を棄てて、行方知らずとなったらしい。


「――私は、このような者を断じて許すことができません」

「アタシもでえ! 雲ノ介の野郎、絶対にぶち殺してやらあ!」


 早苗とお鈴が憤る横で、ヴィフトールはじっと考えていた。

 中には、八重のその後が綴られ、吉原の〈渡世屋〉と呼ばれる遊郭で〈八房(やふさ)〉と名乗っているらしい。

 昨夜の袱紗に入っていた二両は、吉原に向かう金だったのだろう。

 調査のためだ、と思っても、つい黒い口髭が持ち上がってしまう――。


 ◇


 浅草・浅草寺。

 その裏・日本堤と呼ばれる場所に、吉原があった。

 十年ほど前、恋煩いによって死した女がいた。供養のため彼女の振り袖を焼いたところ、火の粉が風に舞い上がり、江戸の六割を焼く大火事を起こしてしまう。

 日本橋近くにあった吉原は、この火事ののち浅草に移転したのである。


「さあさ、仁王様。こちらでございます」


 木綿売りのおみや・店主の左衛門が、軽やかな足取りで吉原の石畳を歩く。

 後ろを黒の長羽織りをしたヴィフトールが追う。それは誰の目にも、江戸にやってきた異人をもてなす光景に映った。


「こちらでございます」


 左衛門は『渡世屋』と看板が掲げられた建物に、手を差し向ける。

 朱塗り柱に漆喰の白壁、艶のある黒瓦。やや奥まった人通りも少ない場所にあるためか、ここまでの寺社仏閣に似たものに比べると、些か地味な印象を受けた。


「二両もあれば、初会と裏には十分でしょう。ここならば、もう三両でも加えたら馴染みまでゆけるかと」


 ご入り用でしたら工面致します、と頭を下げる左衛門。

 相撲大会のあと、『雄髭山の浴衣生地を提した店』として名が知られ、千客万来の日々を送っているらしい。

 左衛門は手慣れた様子で暖簾(のれん)をくぐると、さっそく使用人と思われる男が、ささっと出迎えた。


「若い頃、よくして頂いたのが忘れられなくてねえ」

「さようでございますか」


 嘘か真か、左衛門は商人の口上手で、やんわりと用件を伝えた。

 途中、使用人はヴィフトールを一瞥する。警戒と品定めをする目をしたのは一瞬で、首から提げたペンダントなどの宝飾品を捉えるや、柔和な顔つきとなった。


(金を持たぬ者は相手にせぬか)


 色町にはよくあることだ、とかつて訪ねた娼館を思い出していた。


「では、とびきりの者を――」

「いや」


 ヴィフートルはずい、と前に。

 使用人を引き寄せ、肩に手を回すと、


「ヤツフサ、と呼ばれる女を頼む」


 使用人の顔に、驚きと動揺が走った。

 何か事情を知るのだろう。懐から金色に輝く指輪を一つ取り出し、その眼前に持ってゆく。それは一見すればただの指輪であるが、鳥が連なり輪となった、恐ろしく精巧な彫金が施されている。しかも鳥の目にはルビーやエメラルドなど、すべて別の色を放っている。


「女に見せれば、その日は天国を味わえるだろう」


 使用人は、ごくり、と唾を呑む。

 頭の中で天秤にかけるのか、つかの間の沈黙を挟み、小さく頷いた。


「ですが、他言無用でお願いしますよ」


 契約は成立。

 ヴィフトールはニマりと、指輪を男の懐に押し込んだ。


 急勾配の階段をあがれば、ずらりと(ふすま)が並び立っていた。

 開き方次第で小部屋にも大部屋にも。おかっぱ頭の少女が案内役に、規則的に右に左にと襖を開いてゆく。


(他の客と遭遇させぬため配慮か。かつてその国の王が男色で、若い少年を集めている、など知られることもあったからな)


 国に戻ったらしてみるか、とあまり頭のよくないドワーフの混乱を想像し、人知れず笑みを零す。


「あい。客人をお連れしました」


 少女が声をかけ、襖をそっと開く。

 その中には、しっとりと落ち着いた藍染めの振り袖姿の女が一人。髪を軽く上げ束ねただけであるが、何とも言えぬ色気を放っていた。


「……」


 ヴィフトールが入ると、襖が閉じられる。


 ――異人が何の用か


 それよりも、他に大きな疑問が渦巻いているように見えた。


「八重、であるな?」


 襖の向こうに聞こえぬよう、声を幾分か潜め。

 八房こと八重は、びくっと身体を震わせた。


「お前をここに放り込んだ男を追っている」

「……なんのことでありんす」

「亭主、五郎太が首をはねられたことを知るか?」

「……ッ!」


 八重は己が遊女であることを忘れた。

 体裁も気にせず、ヴィフトールの両肩を掴んだ。


「知らぬのだな」

「……ぅ、ぅぅ……」

「頷くか首を振れ。お前をここにやったのは雲ノ介という目明かしであるな?」


 八重は頷いた。


「幼子を(さら)い、お前と同じ目に遭わせている。その黒幕は新藤屋か」


 八重は頷きも、振りもしない。


「新藤屋、でありますが、違います……」

「なに?」

「町奉行の息子・矢島(やじま) 平御助(ひょごのすけ)でございます。あの男が、私を慰み者にするため……」


 涙声で語ったのはこうであった。

 五郎太を契りを交わす前、執拗に言い寄る男がいた。すでに決めた人がいると断っていたのだが、それでもしつこく食い下がる。

 それが、奉行の倅・平御助である。

 平御助は所帯を持ってからは現れなくなった。……が、不幸が家族を襲ったのち、


『八重さん。牢では銭がなきゃ、やっていけねえんでさ。島帰りのあっしが言うんで、間違いねえ。殴る蹴るは当たり前、厳しいお調べのあとにそれは堪えまさあ。牢名主の機嫌一つなので、酷い時になると、指やイチモツまで落とされちまう』


 腕の青い入れ墨を見せる目明かし・雲ノ介が現れる。

 八重は慌てて金を渡したが、一か月、二か月……ついに貯えは尽き、着ているものや家財、果ては形見の(かんざし)までも質に入れた。

 それでもなお、雲ノ介はくる。いよいよ何もなくなった。


『働いて銭を作ればいい。その身体でなら稼げますぜ。実は銭をある方にも握らせていたんですが、あと三両あれば御赦免が叶いそうなんで』


 拒否はできなかった。

 三両。一日に千両もの金が動く吉原でなら、目を瞑っていれば済む額だ。そう言い聞かせ、ここ・渡世屋に売られた。

 だが、それが罠と気付いた時には遅い。

 初めての客として現れたのは、何と、矢島平御助だったのだ。


「平御助はすべて明かしました。あの人の酒に薬を入れ、眠らせ、濡れ衣をきせたと。その薬を提したのが、金を貸した新藤屋の伝八……」


 しかし、と涙を拭った。


「吉原は一度入れば、二度と出ることは許されません……。三両のお金は、いつしか三百両に。しかも矢島平御助だけの遊女。誰にも面会を許されない、ここは座敷牢なのです……」

「そうであったか」

「お願いです、異人様。どうやってここに来たかは存じませぬが」

「分かっている。雲ノ介をはじめ――」

「いえ、もうここには来ないでください」


 八重は、遊女・八房の顔に戻っていた。


「相手は奉行。関われば、地獄を見ることになります。あの人がもうこの世にいないのならば、八重への未練はありませぬ」

「地獄、か」


 ヴィフトールはふっと笑った。


「その奉行とやらは、バルログよりも恐ろしい悪鬼か?」

「ば、ばる……?」

「炎の禍と呼ばれる、この建物並に大きな怪物だ。手には身体よりも大きな剣を、煌々と輝く炎の鞭。巨大なコウモリの羽を広げ、溶岩の上に巣を作る悪鬼だ」


 想像したのか絶句する遊女。

 その前で、ぐっと力こぶを作った。


「俺は、それを仕留め王となった――お前の言う地獄を見せる者は、バルログに違わぬ者か?」

「そ、そのようなことは……」

「糞と講釈を垂れる人間なれば、俺の敵ではない。連中の隠れ家となる場所はどこか知らぬか」


 隠れ家、と女の唇が動く。


「千住……隠れ家かは分かりませんが、平御助が私を抱いたあと『お前は恵まれている。千住に埋まる女は、ボロ雑巾まで使われるからな』と、満足気に語ってました」

「分かった。八重は重要な証人だ、今しばらく待っていろ」


 襖を開く。

 その後ろでは、畳に両指を揃えた遊女が平伏していた。

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