6話 拗ね娘は放置が一番
「――馬鹿娘がッ! 単身乗り込むなんざ、なに考えてんでえッ!」
長屋に戻るなり、権六の喝が飛んだ。
しかし、お鈴は腕を組んだまま壁を向き、ツンと一言も発していない。
(ブギョウ、とやらが江戸の治安を守る長か。表向きは言いがかりをつけ、金をせしめたように見せたが、さて、連中はどう動くか)
新藤屋の店主は慌てているようでいて、落ち着き払っていた。
あの手の人間は化けていることが多い。
店主から受け取った賄は五両。包んでいた袱紗に鼻を寄せると、得も言えぬ薬のにおいが香っていた。
◇
翌朝から、お鈴は不機嫌の塊だった。
会話も極端に少なく、『そうか』『知らん』のどちらか。飯は当然なく、外に出ることを余儀なくされた。
「……すまねえなあ、仁王。アイツはああなるとなげえんだ」
「構わぬ。滑らかな女の脛よりも、毛深く長い方がいい」
「拗ねってことかい。気の長いことだあな」
めし処・富田屋。
その中で男二人、天ぷらやうどん、豆腐を肴に酒を酌み交わす。
三日、四日、と続けると、店主も「お鈴坊に謝りなよ」と、一品差し入れられるほど切ない光景であるらしい。
酒の入った権六は饒舌で、赤ら顔であれこれ喋り始める。
「親馬鹿じゃねェけどよ、俺ァお鈴が間違ってはねェと思うぜ」
「うむ。ほぼ確定と言っていいだろう」
「雲が逃げ、お天道様が罪を照らしてくれた。だけどその雲がいなきゃどーにもならねェ……雲を掴むたァ、このことだなァ」
新藤屋に乗り込んだ直後、雲の介が行方をくらました。
目明かしに訊ねても忽然と姿を消したと言う。
(奏太が持ってきた地図は、確かに確定づけるには相応しいものだろう。だが、それだけでは証拠にはならぬ)
地図に描かれていたのは、一つの朱丸であった。
伊豆の近くにある名ない小さな島。その近くを、新藤屋が扱う薬を運ぶ廻船が通るのだと言う。
(焦って動いた方が負ける。それまで、新藤屋からの賄で長屋を修繕するか)
とび職でもある臥煙の紋次郎を頼ろう。
「お福ぅすまねぇなぁ……」
ドワーフは酒が入るほど頭が冴える。
寝言を洩らす権六の横で、ヴィフトールはどんどん酒を傾けていた。
◇
夏の暑さが遠い過去のように。
すっかり秋めいた空は、女たちの着物も厚手のものに変える。
我慢比べは長屋の内でも外でも。
「う、うー……」
お鈴は、口を開こうとしては閉じる。
拗ねるのに飽きてきたのが丸わかりだった。
何かをきっかけを探している。忙しく目配せをするも、自分からは話すのは癪なのか、きっかけを見つけても言い出せずにいる。
それが面白く、ヴィフトールも何も言わなかった。
『ごめんくださいまし』
引き戸の向こうで声がすると、お鈴はいそいそと出迎えに。
「これはこれは。仁王様とお鈴様に、ご挨拶に窺いました」
「ん? あいさ――「ほう、なんだ?」
きっかけを奪われ、むぅっと頬を膨らませるお鈴。
無視してヴィフトールも玄関に出ると、そこには奏太ともう一人――質素ながらも品のよさが感じられる、枯れ草色の着物姿の少女が控えていた。
「うちで働くことになった、絹枝と申します」
重久の紹介に、緊張の面持ちで頭を下げる少女。
まだ幼さを残すものの、すっと伸びた切れ長の目は、その将来を確かなものだと証明する。
そして彼女こそが、江ノ島にて奏太が見た“弁財天”である。
「おお、ついに――「しかしまだ、第一歩目を踏み出したに過ぎんな」
むぅぅぅッ、とお鈴は睨む。
事情を知らぬ重久たちは、何だと双方を見比べ続けた。
「働くと言うことは、まずは下働きからか」
「え、ええ。奏太が番頭となり、“奏助”と名乗るなるまで、と」
「元遊女で、しかも跡取りに添う。風当たりも相応に強いだろうが、頑張ることだ」
はい、と力強く頷く絹枝。
添うとの言葉に、奏太と供に横目で視線を絡め、頬を染め合う。
「まったく、隙を見せるとすぐこれで……」
重久がわざとらしくため息を吐く。
若い二人は慌てて顔を伏せた。
それに、機を窺っていたお鈴が、
「奏太の奏は、“奏でる”の字だから――「芸事の女神と崇めた女に助られる。参詣に行った甲斐があったな」
「は、はい! 最初はどうなることかと思いましたが、仁王様との旅があるからこそ、今の自分があると思っております」
うううーッ、とお鈴は目に涙を浮かべ。
そしてついに――
「うぁぁぁんっ、どうして意地悪すんだよぉぉぉもぉぉぉぉっ!!」
両拳を振り上げ、ぽかぽか殴り始めたのである。
ヴィフトールは、
「うわっはっはっはっ! 勝ちだ!」
と、何も知らず、ぽかんとしている大澤屋のものたちをよそに、大きな勝者の笑いをあげ続ける。




