4話 手がかりは何だ
江戸の町に戻ったのは、何と三日後のこと。
宿には入らず、牛を休める時だけ草の上で横になる。
検めに時間のかかる関所も、
『俺の顔を覚えているだろう』
と、顔を近づけ凄んで見せれば、コクコクと頷くだけで通された。
そして順風満帆な理由はもう一つ――尽きた路銀が補充できたことだ。
『そこにいるのは福蔵ではないか?』
権六一家が締める横川を奪おうとした福蔵一家。その親分である福蔵と、手下の仁と吉助が、街道を歩いていたのだ。
福蔵は『げっ』と露骨に嫌な顔をした。
『いつぞやの鰹は美味かったぞ』
『ぐ……き、貴様のせいで……!』
綿密な計画を立てた鰹漁と、商い計画。
それが欲を出して権六一家……もとい、強欲なドワーフを敵に回したが最後。獲れた鰹をいくらか納めるよう命じられる。――つまりは、漁船と商いを召し上げられた形だ。
『いいではないか。路頭に迷うよりマシであろう』
『てめえも八丁堀と同じこと言うんじゃねえ! お文は江戸のどこかで、お目零ししてもらってるのに、俺たちゃ相模との繋ぎ役だ……』
『そうか。それはさておき、何か食い物を持ってないか? 路銀が尽きたのだ』
ふざけんなと反発する福蔵であったが、頬に一発平手打ちを食らうと、今度は素直に、手下と一緒にジャンプをした。
『目明かしのツレがッ、やってること山賊だろうが……ッ!』
『違う。ただの集金だ』
福蔵は『覚えてろよッ!』と言い捨て、相模の方へと走り去る。
いつぞやに比べ、その背中は随分と小さく見えた。
……とのことがあり、何の障害もなく江戸に戻れたのである。
威風堂々と歩く黒牛に驚かれながら、ヴィフトールはまず横川を目指した。
目指すは根城である長屋。
引き戸を軋ませれば、湿った空気が逃げてゆく。畳の上で、立て膝に顔を埋めている娘を見て、察した。
「――娘はやはり、お前の友であったか」
娘・お鈴は小さく肩を震わせ、鼻を啜った。
水色の半纏を羽織るその背が、一回り小さくなったように見える。
「……なんで」
振り向かず、お鈴は弱々しい涙声だけをあげた。
「なんで、おみつがあんな目に遭うんだよ……!」
「女が攫われる理由はそれ以外にない」
遺体が運ばれたのは一昨日のこと。
報せを聞き、伊勢町堀の大澤屋に駆けつけた。
変わり果てた友の姿。別人であって欲しいと願いながら検分したものの……確かと教えたのは、幼い頃の思い出であった――と話す。
「おみつの左の尻たぶに、ホクロがあったんだ……。二人で馬鹿やって大笑いしたそれがよ……」
懐かしむ言葉に涙がにじむ。
遺体は腐敗が進み始めていたので、父母との別れもほどほどに、その日のうちに荼毘に付した。
遺灰は孫を探し続け、無念の内に亡くなった祖母の墓へ。涙しながら謝罪する親の姿は、居たたまれなかったそうだ。
話を聞いていたヴィフトールは、そうか、と一言。
「お前は友の死に、背を向けるだけか」
「なに」
お鈴はやっと身体ごと振り向いた。
目は真っ赤に充血している。怒りの色をたたえる瞳を見ると、ヴィフトールは懐からおもむろに、一通の文を取りだした。
「ここに、おみつが遺した言葉がある」
「っ……、ど、どうしてそれを……っ!」
「情報が心許ない。感情のまま動けば、遺言もただのうわごとになる」
ぐっ、と娘は喉を詰まらせた。
「……アタシは」
俯かせた顔を上げ、力強い眼差しを向けた。
「アタシは、おみつのためにこの半纏を着たんでえ! 言いやがれ、仁王ッ! ここで止めたらオンナがすたらあッ!」
「うむ。『お祭り・青い輪・嫌なにおい・うすけさん』――これだけだ」
「うすけ……そいつが?」
「いや、敬称をつけているので下手人と離す」
お鈴の頭も冷静になってきたのだろう。
尖った頤に指をかけ、しばらく考え込む。
「お祭り、青い輪……輪投げ屋か? いや三社祭だと違うな……嫌なにおいって祭りだと男くせえし、神輿衆か……ああっもう、頭が働かねえっ」
ボサボサ頭を、わしわしと掻く。
「ベソベソ泣いた直後だ。湯屋でも行って頭をシャキッとさせてこい」
「べ、ベソベソなんてしてねえやい……っ! でも風呂はいいな。お前もくさいし、一緒に行くか」
「くさい? そうか?」
すん、と小袖を嗅ぐが、特に感じない。
常に水浴びをしなければならないのはエルフで、ドワーフは腐敗臭を漂わせても気にしない種族。鼻に感じるのは、江ノ島で抱いた意外と年増の娼婦と酒の匂いだけだ。
お鈴は鼻を近づけ、一つ頷いた。
「うん。何か腹立つにおいがする」
◇
日差しは強く、風呂のあとは特に堪えた。
湯屋の二階は男たちの憩いの場で、特に夏場はここ目当てに通う者が多い。
人が集まれば情報が集まると、ヴィフトールが腰を上げたものの、
「やめとけやめとけ。加藤様も最初はそう思ったんだが、大した情報は得られなかったんでえ」
お鈴の言葉通り、それとなく訊ねても『どこのうきちだい?』と訊ねられるのがオチであった。
人口百万人と言われる江戸の町。
人を捜すには相応の職に限る。加藤を訪ねるべく、二人は深川の新大橋を通って八丁堀・水谷町へ向かう。
異人扱いされるヴィフトールはなお目立つ。相撲大会での姿を知る者は、あっと声をあげるが、知らぬ者はとにかく訝しんだ。
「――まったく、それを調べるのが目明かしでしょうが……」
「へへッ。でもこれは、アタシのすべてとも言える事件だ。使えるモンは何でも使う」
「だからと言って、上役を使うもんじゃありません」
運良くちょうど見回りに出ている加藤と遭遇し、事情を話す。
お鈴の事情を知るためか、いつものオカマ口調も柔らかい。取りだした紙に、おみつが遺した手がかりを書き綴ってゆく。
「『お祭り・青い輪・嫌なにおい・うすけさん』ねぇ……」
下唇を突き出し、なんか、と思案顔になる。
その仕草はますますオカマだ。
「お祭りは三社祭のことでしょう。嫌なにおいはさておき、青い輪……」
「加藤様、どんなことでもいいんでお願いしますッ」
「ひょっとしてこれ、島帰りではありませんか?」
「は?」
お鈴が、きょとんとした顔を浮かべた。
「八丈島か伊豆に流された者の手首に、青い入れ墨をするでしょう。子供の背丈ならばちょうど見上げるぐらいにくる」
「そ……そうだっ、確かに輪っかだ! そいつに手を引かれたのか!」
「ですが、気になるのですよねえ。心細い迷子が知らぬ者に手を引かれれば、声をあげるか泣く。入れ墨の意味を知る子供も多くてなお、ですし」
確かにそうでえ、とお鈴が腕を組む。
加藤が「嫌なにおい、うきち」と口の中で呟く横で、ヴィフトールは口を開いた。
「それであっても大丈夫だと思うものだろう」
同心と目明かし、互いに目を合わせた。
人の出入りが多い江戸は、治安がいい方ではない。
信頼される立場は限られており、島流しにあった者でも、まだ、警戒を緩められる者は、
――目明かし
お鈴と同じ立場の者だけだ。
「ま、まさか……」
「考えられますねえ……。お鈴さんは賄を受け取りませんが、他の目明かしは疎まれるくらいせしめてますから。立場を利用して、悪事に荷担するのも十分ありえます」
お鈴は権六一家・やくざ者の娘ゆえに、半纏を着ることを許された。
しかし他の目明かしは、江戸の町をよく知る、顔の広い盗人や咎人なのだ。考えられない話などではない。
加藤は言葉を続けた。
「島帰り……何か引っかかるものがあるので、調べておきましょう」
翻った加藤の後ろで、お鈴は呆然と立ち尽くしている。
まさか同業者が、親友を奪ったのかと衝撃を受けているようであった。




