3話 流れ着いたもの
女団子にくるまれ、奏太はこの世の終わりのような顔を浮かべていた。
「宿きなせえ! 宿きなせえ!」
「いたいけな子を、年増の宿に引き込むんじゃないよ! うちならとびきり若いのいるよ。うちにしなせえ」
「そっちはもっとババアだろ。――ウチに来なしゃんせ、若いこの身体、教えしゃんせ」
「下手な花魁言葉で喋んじゃないよッ、小娘は引っ込んでろ!」
茜空に藍が染まる宿場町。旅籠から女衆が現れたかと思うと、瞬く間に通りを歩く男に手を伸ばし始めたのである。
特に奏太のような子供は珍しいのか。四方八方から奏太を引き合う姿は、まさに屍鬼と呼ぶに相応しかった。
「――なるほど、一番力のなさそうなのを、力づくで宿に入れるのか」
「そうさ。そうするとツレの男たちが、しょうがねえなあって言いながら、芋づるに宿に入るって寸法だよ」
興味なさげに眺める、煙管片手に腕組む女。
直垂髪に櫛を一つ。緋色の小袖を着崩し、鎖骨を覗かせている。
「お前は行かぬのか?」
「うちはチョイとお高い店でね。ガッつかなくても向こうから勝手にくるのさ」
助けてーっ、と悲鳴をあげる奏太の声を聞きながら、ヴィフトールはこの商売根性に感心していた。
「で、アンタはどうだい? 異人のアレは凄いって言うじゃないか」
「うむ。江戸では大根と呼ばれていた」
「あっはっは! そりゃ分かりやすいね。でも大根役者じゃないだろうねえ」
「役者も見なければ分からぬだろう」
「ふふ、ならアタシの汁で焚いてみるかい?」
あの子も八つ裂きにされちまうし、と奏太を指差す。
「あれぐらいの年で、いい娘はおらぬか? 親から『女を抱かせて自信を持たせて欲しい』と頼まれてるのだ」
「いるにはいるけど、お高いよ」
「金に糸目はつけん」
そうかい、と妖しく微笑む女。
そして煙管を揺らしながら、亡者の中に割って入れば、奏太の手を引き、さっそうと戻ってくるのだった。
◇
女布団で三つの夜を数え。
その間、ヴィフトールと奏太が顔を合わせたのは、片手で足りた。
旅籠の並びから外れた、格式漂う建物に。娼婦は主人らしき者に何かを告げ、奏太は別室へと連れてゆかれる。
再び顔を合わせたのは、翌日の昼のことだった。
『弁天様にお会いしましたァ……』
まさに夢見心地の表情。ヴィフトールの傍らで、大股を広げたままぐったり横たわる女を気にする余裕もなく。
『絹枝、と言う子で、部屋にあがるのは三度目らしく……』
その姿は、完全に心奪われた男である。
だが、夢は覚めるもの。
そろそろ帰らねばなと、見納めに浜辺に出た時のこと――
「て、てえへんだーっ!」
遠い向こうから、並々ならぬ声がした。
「女が、女が沖に浮かんでいるぞーっ!」
沖に。目を向けてみれば、300mほど先に、薄らと赤い着物が浮かんでいた。
波が荒く、男たちは泳げないようだ。しかしヴィフトールは躊躇せず、褌一枚になると、白く泡立つ海へと飛び込んだ。
陸からの声援を受けながら、水を掻き分け。女は海面に顔をつけたまま、しがみつく心許ない板のおかげで、沈まずにいる状態だった。
おい、おい、と精気のない顔を叩けば、かすかに唇が動く。
「ばあば……」
「ばあば?」
「ばあば……ばあば……」
女は錯乱しているようだった。
うわごとのように、何度も「ばあば」と呼び、手を宙へ差し伸べる。
(何かに導かれたか)
とにかく陸へ。ヴィフトールは泳ぎ始めた。
「お祭り……青い輪……」
「嫌なにおい……嫌なにおい……うすけさ、ん……」
もう長くない。女からそう伝わっていた。
砂浜に上がった時にはもう、こと切れる寸前だった。
「女っ、お前の名はっ!」
頬を叩きながら、怒鳴るように訊ねる。
名だけでも分かれば、手がかりにも墓標にもなる。女は絞り出すように、唇を動かした。
「み……つ……」
徒人がやってきたのはその直後のこと。息がないのを確かめると、慣れた手つきで戸板に乗せ、そそくさと連れ去ってしまった。
『赤い襦袢としたら、女郎の身投げかねえ……?』
『心中かもしれないよ』
『可哀想なもんだ』
ヒソヒソと男や女が囁き合う中、
(みつ、ばあば……お祭り……)
その言葉を反芻した時、頭に声が浮かんだ。
――悔しいんだ
それは、お鈴の声である。
――アタシには仲のいい友達がいたんだ
――それが祭りの日、人さらいに遭ってよ……
――一緒にいた婆ちゃんは
まさか、と女が運ばれた方を振り向いた。
――お祭り……青い輪……
――嫌なにおい……嫌なにおい……うすけさ、ん……
◇
ヴィフトールはすぐに奏太を呼びつけ、文を書かせた。
そして、それを届ける者を探そうとすると、
「父と取引きのある船があるはずです。事情を話し、その方の亡骸と文を届けてもらう方が早いと存じます」
書き綴る文面にぎょっと目を瞠ったものの、その言葉には毅然とした、自信のようなものが感じられた。
その件は任せる。ヴィフトールは告げると、自信も帰り支度を始めた。
「お前の父・久重が迎えにくるだろう。そこで一緒に戻ってくるがいい」
「いえ、私も供に」
「ならぬ。ちと荒い帰り方をするのだ。――まぁ、三日も四日もかかる金は変わらんだろう」
「宿代で四両……しばらくは白飯と漬け物だけの生活ですね」
「なら、お鈴を雇え」
美味いぞ、と片眉を上げて覗き込む。
「お前も少しでも長く留まりたいだろう」
これに、奏太は恥ずかしそうに顔を伏せた。
翌朝、空が白むころに宿を発った。
握り飯も何もなく、女に用意させた酒の入った竹筒を数本。
だが、ヴィフトールが向かったのは、江ノ島・その浜辺であった。
白波に向けて賽銭を投げる旅女と、それを拾いにゆこうとする地元の童。周遊用の黒牛を引く男にあり金を握らせ、半ば強引に頂いたのである。
――その脚ならば、江戸まで持つ
黒牛の角を握り締め、目を合わせ語りかける。
初めは『何を言っているのか』と言いたげだった牛も、
――嫌なら構わぬ
――肉は久しく食っておらぬし、金が腹を満たしたと思えば安い
意味が通じたのか、黒牛は取り繕うように荒い鼻息を立て。
上に跨がるドワーフの意志に従い、猛牛の如く、大山街道を戻ってゆくのだった。




