16話 優勝は誰の手に
無敗の大横綱に土がついた。
場は一時騒然となり、そして大喝采に包まれる。
ヴィフトールは勝者の雄叫びをあげず、そのまま吾妻丸を起こしに向かい、互いに肩を叩き健闘をたたえ合った。その姿に場は更に盛り上がった。
『お、俺死んだよなあ? 吾妻丸の下敷きになって死んでるよなあ?』
『俺あ、折れた足がくっつかなくていいっ! あの吾妻がやられちまった日に、真下にいたんだからよお……っ!』
下敷きになった観客は、骨折などの怪我を負っても嬉しそうだ。
張り手の応酬で顔は血だらけで、お鈴は手ぬぐいを持ったまま心配そうに。ヴィフトールは『これぐらい普通のことだ』と言いって顔を拭うと、ほっと安堵の表情を見せる。
英雄、墜つ。
これは他の力士にも衝撃を与え、『年寄りの冷や水だわな』と苦笑する吾妻丸に、涙しながら労う者の姿もあった。
その者こそ、次なる相手――迅雷である。
勝ち上がった横綱・大鹿角と、同心・左近の取り組みが始まる。しかし迅雷は取り組みには目もくれず、ヴィフトールを睨み続けた。
「――うえええっ!? 左近のおっさん、勝ちやがったああっ!?」
お鈴の仰天声に、む、と顔を向ければ、大番狂わせが起こっていた。
何と横綱・大鹿角が、土俵の上に両手をついていたのである。
「さこぉんんんっ」
拍子木に合わせた行事の声に、左近は喜びと驚きが入り交じった表情で、手刀を切る。その傍らでは大鹿角は悔しげに。左脚をかばうような仕草をしながら、土俵を降りていった。
「先の取り組みで、脚を痛めたか」
「これは加藤の旦那、相当やつれるだろうなあ。毎日、横綱を下したって自慢するぜえ」
ただでさえ捕り物自慢が長いのに、と笑う。
間を置かず、続けてヴィフトールと迅雷の名が呼ばれ、各々が土俵に。お鈴の顔が強張ったものの、
「この通り力が有り余っている」
と、頭をポンポンと叩き、笑ってみせれば、
「ガキ扱いすんじゃねえやい」
お鈴の顔から強張りが解け、笑みが浮かぶ。
土俵にあがるヴィフトールであるが、どうしたことか、迅雷は尻をつけたまま動かない。行事が催促してやっと立ち上がったものの、
「俺に上がる資格はねえ」
とだけ言い残し、土俵から離れざわめく人混みの中に歩みを進めた。
(不器用な武人が多い世界だ)
ヴィフトールはふん、と鼻を鳴らし、手首をくいくいと土俵の下で汗を拭う同心・左近を挑発した。
「よっしゃあっ、いい覚悟でえ!」
左近が奮い立てば、動揺が浮かぶ観客に再び熱が戻る。
行事も迅雷の件をなかったかのように、
「にぃしぃ、左近んんーっ」
相手の名を詠みあげ、仕切りを始めた。
「見合って見合って」
左近と言う同心は、厳めしく罪人にとっては恐ろしい存在に思えるだろう。
身体も大柄であるが、自らの意志で肥える相撲取りの体型ではなく、年と不摂生による肥えたもの。目も武人と言うより、官人に近い。決勝の相手となるには、先の吾妻丸よりも大きく劣った。
(まぁ、祭りではこちらの方が盛り上がるであろう)
ガチガチでは盛り上がっても、残るのは一時の興奮だけだ。
さて、どのように締めてやるべきか。
そう思った時、ふとある考えがよぎった。
「はっけよい――」
同心が目明かしを飼う。
はて、その目明かしのお鈴と共にいる自分は、どのような扱いなのか。
「のこったっ!」
今度はぶちかましもなく、真っ向からばちんと肌を打ちつけ合い、回しを掴む。
左近は威勢がよかったものの、相当疲れているようだ。
『おい、髭。分かってんだろうな』
小声で左近が話しかけてくる。
『なにをだ?』
『お鈴の下っ端だろうが』
やはりか。
力関係では相手の方が上なのだ。
『賞金の一両。それでどうだ、悪い話じゃあるめえ』
目明かしは袖の下を受け取り、それを生活の糧としている。
だが、ヴィフトールは、
『カツオ』
『……は?』
『カツオもよこせ』
ぐ、と喉が鳴った。
賞金なら懐に忍ばせられるが、初鰹の存在は目立つ。
それに何より全三匹の分け方は、家族で一匹、仲間で一匹、残る一匹は上役や然るべき筋に献上し、覚えをよくするのに使うのが普通だろう。
『は、半身でどうだ……?』
ヴィフトールは左腕に力を込め、左近の身体を傾かせた。
とっとっと、と踊るのを見て、観客が「おおお」と轟く。
『い、一匹は多すぎる。約束しているのだ……っ!』
『ならば、ある連中を締め上げろ。揺さぶればカツオを落とす』
そのうちの何匹かを回せ、と言えば、左近は押し黙った。
頭の中で算盤を弾いているらしく、しばらくすると、
『……よし分かった。してその連中の名は』
『福蔵一家。ああ、あと女は見逃せ』
悪よのう。左近は言うと、ヴィフトールの身体を大きく横に。
観客が「あ」と声をあげた。
「ぬわー」
土俵に転がるヴィフトール。
何も無かったかのように、両手を掲げて勝利のアピールをする左近。
その光景を見ていたお鈴は、
「ひでえ忖度でえ……」
沸き起こる拍手喝采の中、一人、鼻白んだ様子で手を叩いていた。




