15話 絶対王者
早苗の機転により、横川は落ち着きを取り戻し。
皐月の半ば。いよいよ祭りの当日を迎える。
「早苗には借りが一つできたな」
早朝。ひやりとした青い空気を、燭台の灯りが赤く暖める。
ヴィフトールは紅梅織りの浴衣に着替え、鏡に映った髭を確かめていた。
「お前、いつまで髭触ってんだよお」
お鈴は横で、浴衣と同柄の羽織り手にしたまま大あくび。
夜明け前より始められた支度は、着替え一瞬、髭に一時(二時間)かけている。
「髭こそドワーフの命。男も女も、いかに美しく見せるか、祭事ならば殊更だ」
「女もって……女もそんな髭が生えるってえのか!?」
「うむ。男か女か分からなくなるほどにな。ゆえに、酔ってズボンを脱がせばイチモツがぶら下がっていた、なんてことも少なくない」
軽い口ぶりに、お鈴は腹を抱えて笑い出す。
これを見ていた父・権六は「女が品のない笑い方すんじゃねえや」と、呆れるのだが、娘はよほどおかしいのか、目に浮かんだ涙を拭ってもなお笑っていた。
「いや、だって、くくく……」
笑いを堪えながら、お鈴は羽織りを広げてみせる。
ヴィフトールは上がり框に腰掛け、袖を通す。
「よっしゃ、気張っていくぞ!」
羽織りをならし、ばん、と背中を叩いた。
家の外に出れば、朝日が稜線に眩く輝き。長屋に住まう者たちが集まり、
「仁王、俺たちも見にゆくぞー!」
「仁王、頑張るんだよー」
と、声援を贈るのだった。
「嫌疑は完全に晴らされたようだな」
「あったりめえよ。福蔵の野郎、もう許さねえぞ!」
――おみやの親父が賄を受け取り、仁王を推薦した
この噂は、福蔵一家の仕業と考えるのが自然だった。
しかし、早苗の一計により失敗に終わり、逆に横川の町民たちからの信頼を勝ち得ることになる。
「仁王、優勝は出来なくてもいい。だけど、福蔵が仕向けた迅雷には負けんじゃねえぞ! 負かして、ぎゃふんと言わせてやるんだ!」
「何を言う。俺は金も欲しいし、初鰹とやらも食いたい」
「お前も江戸の男になってきたなあ。その意気だ!」
朝日の中。お鈴はニマッと笑みを浮かべ、拳を突き出すのだった。
相撲は日本橋の大通りで行われる。
そこは広く長い道であるが、この日だけは江戸中の者たちが来たのかと思えるほど、人でごった返しており、役人たちも総出となって忙しく誘導していた。
火事で燃えた木間屋は、黒焦げたあとを残すばかりの更地となっている。
その前には、床机を置いて小間物を売る家族の姿が。ヴィフトールたちに気付くと、一家は揃って深々と頭を下げた。
「商人たちも精が入っているな」
「そりゃあそうだ。三つ筋にある飯処の松島なんて、畑のもん全部買い上げたってぐらいだぞ」
「ほう。それはなかなかの力の入れようだ。祭りは腹が減るからな」
この祭りの花形でもある相撲取りは、流石の人気だった。
浴衣姿の大男・ヴィフトールと気付けば、
「おい、あれが横川の異人じゃねえか」
「で、でけえ……と言うか、なんつう髭だ……」
道狭くとも人が左右に分かれ、花道を作る。
これにはお鈴も鼻が高く、胸を反らせてこれを大股に歩いた。
「刮目、刮目っ、横川の雄髭山のお通りだぞお!」
「そのファイトネームは何なのだ?」
「ファ……なに?」
「おひげやま、と言うやつだ」
「ああ、しこ名のことか。いいだろ、アタシが考えたんだ」
センスがない、と言おうと思ったが、本人が満足気なので黙っておいた。
「しっかし、アタシは未だに裏がある気がするんだよな」
「今さら言っても仕方あるまい。作為的であれ、敵として立ちはだかるのなら倒すだけだ」
そうだけど、と何か言いたげに口ごもる。
お鈴が言っているのは、この相撲の取り組み表のことだ。
┌神田 前頭 粉吹
┌┤
│└浅草 横綱 大鹿角
┤
│┌八丁堀 同心 左近
└┤
└上野 小結 般田園
┌日本橋 横綱 吾妻丸
┌┤
┤└横川 異人 雄髭山
│
└─深川 関脇 迅雷
福蔵一家の子飼い、そして因縁のある迅雷はシードとなっている。
しかし、それよりも問題なのは、最初の対戦相手が元大横綱の吾妻丸ということ――主催者たちは福蔵一家から袖の下を受け取っているのではないか、と疑いたくなる取り組みになっているのだ。
お鈴は作為的ではないかと眉を寄せるものの、文句をつけにゆくわけにはゆかない。つくづく頭の回る連中だ、とヴィフトールは髭を撫でた。
◇
土俵は日本橋の中央にあり、とんでもない人だかりが出来ていた。
町の代表者たちと関係者のみ、土俵脇の最前列に座ることが出来ているのだが、
「ひょえっ!? かぶりつき席にいるの町年寄じゃねえか!?」
「凄いのか?」
「凄いもなにも、江戸を支配する三大商人だぞ……」
小声で話すお鈴は、
「うへ、荻屋の横にいる美人、あれ間違いなく身請けしたって噂の花魁、雛菊だぜえ……」
千両だったかと呟き、目を瞠っていた。
商人には興味がないが、美人には興味がある。
ヴィフトールはそれを見て、ほう、と目を細めながら髭を撫でた。
「あれが遊女か。もっと肉がつけばなおいい」
「お前、吉原には行くんじゃねえぞ。一緒に寝るだけで何両も取る、あこぎな所だからよお」
寝たら美人でも分からないだろ、と唇を尖らせる。
(もしやこの娘、寝る、の意味を分かっておらぬのか……?)
千両で身請けされたと言う遊女を確かめた。
(あれで小判千枚ならば、エルフの女であれば三千枚は固いな)
ここに渡ってきた、ドーラの扉。
エルフは身持ちが堅いと思われているが、美貌を売る者も少なくない。裏道に立つのを何人か、こちらに放り込めば相当な金になるだろう。
頭の中で算盤を弾くヴィフトールは、ぬふふ、と悪辣な笑いがこみ上げてきていた。
◇
行事の仕切りにより、選ばれた力士が土俵へ。
200cmもあるヴィフトールが一番大きいが、他の力士たちも劣らず大きい。また引き締まった身体をしているのは、当人のみ。異人なのも手伝って、一段と注目を浴びる。
ここまででも相当だったのだが、最初の取り組みが始まろうとすると、地割れするかのような歓声が沸き起こった。
と言うのも、
「大鹿角ーっ!」「いよっ、男前ーっ!」
「粉吹、いきなり負けんじゃねえぞっ!」
いきなり最高位・横綱の登場だからである。
現役では一人だけ。もう一人は、
(ヨコヅナ、とやらはここまで人を沸き立たせるのか)
それがかつての英雄となれば、いかほどのものなのか。
対面に座る、ひときわ存在感を醸す男に目を向けた。
ここ日本橋の代表・吾妻丸――ヴィフトールの最初の対戦相手である。
(負け知らずとは、誇張ではないようだな)
浅黒い肌に大銀杏。年を感じるものの、その大きくでっぷりとした身体からは、未だ歴戦の闘士であることを感じさせる。
恐らく死ぬまで力士であろう。
ヴィフトールは腕を組みながら、そう思った。
取り組みは悲喜こもごも。
前頭と横綱は、予想通りの運びとなったものの、
「八丁堀ー、そこで勘弁してやれー」
「八丁堀ーっ、冤罪だぞーっ」
と、茶化した野次が飛び交う。
八丁堀の代表こと同心・左近が現役力士を下したのである。
……が、これは大番狂わせなどではなく、
「上野の般田園と言やあ、客寄せだからなあ」
お鈴は楽しげに、そう説明した。
前座・余興として場を盛り上げる。『上野の塩むすび』と親しまれ、その三角のようなフォルムを活かし、最後には土俵をすってんころりん、自ら前転しながら落ちてゆくらしい。
また今回は、相手が八丁堀であることから、
『いつか現れる妻と子のために』
や、
『番所の裏で立ち小便したぐらいで』
など、ユーモアを交えつつ。
最後には捕り物を演出し、どっと会場に笑いと拍手を起こした。
(真面目くさった勝負ごとばかりではないか)
ヴィフトールは緩んだ表情を引き締める。
ちょん、ちょん、と次の取り組みを告げる拍子木が鳴った。
「仁王――」
「余興が終われば、次は血肉脇踊る派手な試合よ」
観客席から酒をひったくると、それを煽りながら土俵へ。
その仕草に、観客は期待のどよめきをあげ「にーし、おひげやぁまー」と名を詠まれれば笑いが起こる。
対する、浅黒肌の巨漢の力士は――
「にぃーし」
行事がわずかに溜め、
「――あづま、まぁるー」
刹那。ウォォォォォーッ、と揺れんばかりの大歓声が起こった。
四股を踏む。天高くまで脚を伸ばし「よいしょーっ」とかけ声が揃った。
「オークの軍でもこうはゆかぬな」
「大奥?」
見合って見合って、と行事が声を張る。
土俵の中心で睨み合う中、ヴィフトールはニッと笑った。
「久々の大喧嘩だ。存分に楽しませてもらおう」
「ふっ、それはこちらも同じ。一撃で倒れてくれるなよ」
はっけよい。
双方、筋肉を膨らませた。
「――のこった!」
その声に、双方、同時に土を蹴り上げた。
身体は大きく浮かさない。双方、同時に真っ直ぐ、頭を突き出す。
「ヌオォォッッッ!」
「ヌゥゥゥッッッ!」
ゴッ、と鈍い音が響く。
ぶちかまし――つかの間の沈黙が周囲を包み、土俵の巨体はそれぞれ弾かれ、上背を反らせていた。
「オオオオオッ!」
「ヌアアアアアッ!」
どちらも右手で張り手を繰り出せば、バキッと、平手では考えられないような音を立てる。防御もせず、左、右、左、右……と、互いの顔を殴りつける。
血しぶきが飛び散っている。
観客は総立ちとなり、うねるような大歓声をあげていた。
「いよっしゃッ、やっちまえェー髭野郎ッ」
「吾妻ッ、負けんじゃねェーッ」
よろけ、身体を支え合うように回しを取った。
ふーふー、と獣のような荒い息を吐き、互いがどう出るか窺う。
やはり同じ気質だ。
ヴィフトールは、くくっ、と笑った。
(どちらも玉座でじっとしておられぬ性分か)
吾妻丸が押すのに合わせ、脚を踏ん張ってじっと堪える。
右に左に揺さぶりをかけるが、早苗との取り組みで得た、柔術の身体の使い方――天性ともいえ戦いのセンスにより、相手の力を完全にコントロールしていた。
「ふ、ぅ、と、年を食ったものだ……ッ」
吾妻丸が思わず吐露した。
「互いに戦場が散り場所の、ようだッ」
「ふッ、ま、ったくだ……!」
ようやく荷が下ろせる。
老兵の言葉に応えるが如く、ヴィフトールは腕に力を込めた。ぐぐぐ……と吾妻丸の身体が上に、ついに土俵から離れ、
「あ、吾妻の身体が……!」
「ま、まさか、ああ、まさか……!」
「あの吾妻が……!」
観客は瞬きを忘れ、歴史的瞬間を目に焼き付けた。
「ヌオオオオオオオ――ッ!!」
吾妻丸を後ろに放り投げる。
それは巨体とは思えぬほど軽々と、見惚れるほど美しい弧を描いていた。




