11話 相撲部屋破り
江戸において、怪力のドワーフに敵う相手はそういない。
横川にも相撲取りはいるのだが、如何せん小兵ばかり。これでは練習相手にもならず、もっぱら子供たちの遊び相撲の相手をして、時を過ごす。
お鈴が言った、吾妻丸の現役復帰の報せは江戸中を震撼させた。
『吾妻丸には敵わねえや。俺あ観戦側に回るぜ』
多くが威勢よく諦め、
『吾妻丸に打ちのめされて死ぬなら本望よ』
多くが奮い立つ中、横川の界隈では奇妙な噂が囁かれていた。
「おい、仁王」
「どうした」
青い半纏姿のお鈴は、上半身に汗を浮かばせるヴィフトールの前で、腰に手をやり仁王立ちになっていた。
「お前、相撲部屋破りなんてしてねえよな?」
「なに?」
その手があったか、と顎を撫でる。
しかし、何故そんなことを訊ねるのか。
「めっぽう強い奴が、深川の相撲部屋を荒らしてんだと。深川の奥間部屋、紅葉がやられたって言うじゃねえか」
後の方は言葉が強くなる。
まだ二十四歳の新進気鋭の力士であり、ひょろりと背が高く色白。穏やかな風貌であるが、ひとたび『のこった』がかかれば豹変し、猛烈な張り手の応酬が始まる。 それがめっぽう強く、白肌に赤い紅葉を咲かせながら土俵を降りる姿が、こと若い女に人気であるらしい。
お前じゃねえだろうな、とジロリと睨むお鈴。
(こいつも追っかけの一人か)
あらぬ嫌疑を晴らしたのは、それを追ってやってきた、頼りない身体を力士であった。
「権六のっ、た、助けてくれえ……!」
「む、どうした、コロ吉」
横川の相撲部屋の力士である。
丸い身体で、よく土俵の上を転がるので“コロ吉”と親しまれている。
「す、相撲部屋破りだ……! う、うちの砂鰈親方がやられちまった……!」
今、部屋にいる。
それを聞いて駆けだしたお鈴のあとを、ヴィフトールも大股にあとを追った。
◇
相撲部屋は、横川から少し北・田園地帯が広がる場所にある。
門構えは立派なのだが、稽古場は最低限の広さのみ。逆に板敷きは広く、ぐつぐつと煮えるちゃんこ鍋が置かれる。ヴィフトールが『ちゃんこ鍋屋の方が向いている』と言ったのを、本気にするぐらいの部屋であった。
しかし今、その部屋の前にはたくさんの力士が転がり、
「――威勢がいいのは最初だけか、軟弱者!」
黒袴に白胴着。高い位置で髪を束ねた女が、凛とした声を張り上げ、見下ろしているではないか。
「やいやい、何してやんでえ! 女がはしたねえ!」
「お前は人のことを言えるのか……?」
ヴィフトールの言葉を聞かず、お鈴は女に詰め寄ってゆく。
青い半纏・目明かしと気付いた女は、わずかに動揺した素振りを見せたものの、
「ご苦労様です」
折り目正しく腰を折り、頭を下げた。
「私は早苗と申します。これは正当な試合ゆえ、お目付がたの思われているようなことは、一切ありませぬ」
「てえことは、深川の奥間部屋の看板を奪ったのもお前か」
「人聞きの悪い。私は看板なんかに興味がありませぬ。ただ強い男が相手を求めている、私はそれを聞いて腕試しを申し出ただけです」
「稽古場とは言え、土俵は女人禁制だ。話は番所で聞くとすらあ」
「横暴です。応じられません」
「うっせえ! 紅葉をやっつけ、祭りに参加しなくした罪は重てえんだよお!」
ほぼ言いがかりで、お鈴が早苗の袖をぐっと引っ張った。
まさにその時――
「……え?」
お鈴の身体が、宙でくるんと。
早苗が腕を軽く、円を描くのに合わせてひっくり返ったのである。
「え、ええ……?」
「我が身を守るためです。お許しください」
軽い身体は、とすんと砂利の上に。
背中を地につけ、何が起こったのかまるで分からない様子で、周囲の様子を窺っている。
(ほう。面白い武術だ)
女は痩せっぽちなので、興味が無い。
あるとすれば、その体型に見合わぬ大きな胸だろう。
尻も武芸者特有の大きさで、うむ、と立派な髭を撫でた。
「て、手前、アタシを投げ飛ばしやがったな……!」
「言われのない罪に応じたくありませんので」
淡々ととした物言いに、お鈴が更にいきり立とうとしたそこに、
「俺が相手をしてやろう」
ヴィフトールが前に歩み出た。
お鈴が「仁王」と呼んだ途端、早苗の目の色が変わる。
「貴殿が仁王……これは好都合です」
「ほう。俺を探してわざわざここへ?」
「まさか異人だったとは――さあ、どの形式でやりますか?」
「そちらの好きなように戦え。俺は相撲でやるとする」
「結構」
砂利に描かれた丸輪の中。
お鈴が買って出た行事に従い、早苗は左脚を前にして構え、ヴィフトールは腰を落として睨み合う。
「下から見上げれば、更に揉みがいがありそうだ」
眉がピクリと動いた早苗の表情に、ニヤリと笑む。
「はっけよい――のこった!」
お鈴の声と同時に、ヴィフトールは両手を広げて掴みにかかった。
早苗は動かず。ゆえに取っ組み合いは一瞬であった。
先手必勝に、大きな手で道着の襟首と肩を掴み、横に投げ飛ばそうとするも、
(なんだ――)
早苗の足に、杭が打たれたかのように。
痩身の身体はまるで微動だにしなかったのだ。
「まさか、あれ柔術か!?」
お鈴が横で声をあげた。
ジュウジュツ?
何だと思った瞬間――早苗はヴィフトールの腕を掴み、身体をくるりと返し、
「ぬ、ぬおっ!?」
「仁王!?」
何と、身長も体重も勝る大男の身体を、軽々と背に担ぎ上げたのである。
ヴィフトールは浮遊感に包まれた。
――勝った
早苗から、勝利を確信したのが伝わる。
(押せば引く、相手の力を利用する体術か)
この女は“命がけの戦”と言うものを知らない。
戦いに身を置き続けた、戦士の刹那的な感覚がそれを教えた。
幸いにも、左手は肩を掴んだまま。
いける。足が最長点に達した瞬間、ぐぐっと腕を膨らませた。
「!?」
早苗が驚いた。
身体の使い方、投げるタイミング、その弧線……すべて完璧に揃ってこその武であるらしい。ゆえに身体の軸をわずかにズラせば、
「ぬううッ!」
投げは成立しない。
ヴィフトールは背筋に力を込め、足をくの字に曲げ。まるで猫が宙返りをするかの如く、すたっと地面に着地したのである。
思った結末と違い、早苗の表情は動揺が浮かんだ。
「ヌワッハッハッハッハーッ」
「そ、そんな……いや、しかし……!」
次は女から掴みかかる。
だが、ドワーフは彼女の弱点を見抜いており、
「え……」
胴着の襟首に両手をかけるや、ずるり、と肩から脱がせたのである。
さらしを巻き付けた乳房が、弾けるように露わに。何が起こったのかと、お鈴や相撲部屋の力士も、ぽかんとなっている。
早苗の顔が、みるみると赤く染まってゆく。
「こ、こ……この……こ、この不埒ものッ! 絶対に許し――」
「野試合に定めがあると思うてか。負ければ死、女は犯される。相手がオークであれば、その場で死ねるがな」
「え……」
ぬっと手を伸ばすと、早苗はようやく理解したらしい。
「い……いやああああ――ッ!」
悲鳴をあげ、身体を隠すように抱きながら、その場にうずくまる。
しかし、ドワーフは好色漢。この程度でやめるはずもなく、
「こらーっ!! 狼藉はやめろーっ!!」
お鈴は二人の間に身体を割り入れ、女に迫ろうとするドワーフを、必死に押し返すのだった――。
◇
藤堂 早苗。
安房の出で、父は藤堂流柔術の道場師範。仁王ことヴィフトールの噂を聞き、はるばる江戸にやってきたと話す。
「――父は、何度も私が男であればと思ったことでしょう。ですが、武芸に男も女もないと私は考えています」
「だから、男どもをぶん投げていたってことかい」
小さな茶屋の縁台に腰掛ける女二人。
田道の途中にあり、昼下がりの田畑を眺めながら茶を啜る。
早苗とお鈴。間には赤白緑の団子が乗った皿が置かれているが、口に運ぶのは主にお鈴だ。
早苗はお鈴の言葉に、ええ、と恥じ入る表情で頷く。
「仁王様に会うのが目的だったのですが、『とてつもなく大きな男』と拙い情報だけでやってきたため、てっきり相撲取りの方だと思い込み……申し訳ないことをしました」
「気にしなくてもいーって。どうせ、そこのスケベみたいに鼻伸ばしてたんだろ」
地べたに座るヴィフトールに向かって顎をしゃくる。
近づくなと念を押されたのだ。
「ええ。不埒者は許せません」
「よく言った! 女だてらにいい根性だ。気に入ったぜ」
手を叩くお鈴に、お前はどうなのだ、とヴィフトールは黒眉を寄せた。
早苗はしばらく横川に滞在するらしい。
近づくなと言われていたものの、ヴィフトールは彼女の武術に興味があり、相撲にも役立ちそうだと言われ、お鈴同伴の条件で会うことを許された。
早苗もまたこれを快諾し、近くの寺の境内を借りて練習を続けていたのだが……
「柔術には寝技があって……」
や、
「寝技でやれば、身体の使い方が……」
など、何故かしきりに寝技を教えたがる。
相撲には必要ないはずだ。訝るお鈴が訊ねてみれば、
「お鈴様は、仁王様とお約束されているのでしょうか」
と、逆に聞き返される。
「私は、あの方を相手にし、敗れて、初めて“女子”を実感しました。ああ、これが男に組み敷かれる気持ちか。女はいくら強くても男の下にくる運命、またそれを求める――私はその言葉の意味を、初めて知ったのです」
早苗の目は別の世界を見ている。
うっとりとした表情で、ああ、と嘆息するその姿に、
――仁王に近づけてはならねえ
よく分からないものの、井戸水を浴び、上機嫌で髭に櫛を通すドワーフを見ながら、お鈴はそう思うのだった。




