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超日本プロレス血風録 異世界巡業編  作者: あるてみす
初代オセロトル無差別級王座選手権
1/3

選手入場

 ────その世界には、四柱の神がいた。

 黒の神、白の神、赤の神、青の神の四柱が全てを支えていた。

 最初の世界は黒の神が生み、滅ぼした。

 二番目の世界は白の神が生み、黒の神が滅ぼした。

 三番目の世界は青の神が生み、白の神が滅ぼした。

 四番目の世界は赤の神が生み、自らが滅ぼした。

 そして、今、五番目の世界を滅ぼさんと神々が目覚めつつある。

 しかし、神々を産んだ神がこう述べた。

「あんた達の戦いなんて、ちっとも面白くない!」

 よって、四柱の神々は一計を案じ、地上にあるものを授けた。

 チャンピオンベルトである。




 ────現代日本。東京。

 今日の超日本プロレスの大会は、後楽園ホールにて開催される。

 超日本プロレスに所属するプロレスラー、鬼無里克己(きなさかつみ)は車窓を流れる東京の街並みを横目に見てから、手元のスマートフォンに目線を落とし、今日に至るまでの抗争の構図を思い出していた。

 鬼無里はヒールユニット・悪の秘密結社の最年少メンバーであり、デビュー三年目の二十五歳だ。身長185センチ、体重92キロで、クルーザー級戦線を賑わせている。フィニッシャーはダイビング・ローリング・エルボーとドラゴン・スープレックス、得意技は足4の字固めである。そして、どこに出しても恥ずかしいオタクである。

「俺が運転してんのに、隣でアニメ見てんじゃねぇよ」

 黒のジープ・ラングラーの運転席でハンドルを握る先輩レスラーに咎められ、助手席の鬼無里は肩を竦めた。

「無料配信の期間内に見ておこうと思いまして」

「そんなもん、帰ってからにしやがれ」

 残忍に毒突かれ、鬼無里は動画を一時停止してから言い返す。

「今期の神アニメなんですよ? 作画も脚本も演出も全部噛み合っていて、円盤をポチるしかないんですよ」

「知るかよ。つか、お前はほんっとに魔法少女が好きだな」

「可愛いモノを見ると心が潤うんですよ」

「そりゃまあ、解らないでもねぇけど」

「あと、ログインボーナスも取り忘れないようにしないと」

「ソシャゲは後でやれよ」

「先輩が運転している間は暇なものでして」

 鬼無里がへらっと笑うと、彼は頬を歪めた、

「乗せてもらっている分際で、何を言いやがる。ガス代の代わりに試合の後で奢りやがれ」

「酒以外であれば、俺の財布の範疇で」

「ああ、食うだけ喰ってやる」

 腹立たしげに毒突いてから、須賀忍(すがしのぶ)はハンドルを切った。黒のレザージャケットにカーキ色のカーゴパンツとやはり黒の革製のブーツを履いていて、そのポケットにはスカルフェイスのマスクが突っ込まれていた。彼のリングネームは残忍(ざんにん)といい、鬼無里の三歳年上のルチャドールであり、鬼無里と同じく悪の秘密結社の一員である。

 残忍は身長175センチ、体重84キロと小柄だが、その身軽さを生かした空中殺法とメキシコ仕込みのルチャ・リブレが得意である。魅せ技のフェニックス・スプラッシュの放物線は美しささえあるのだが、反則上等、凶器攻撃万歳の極悪ヒールレスラーである。そして、鬼無里の兄弟子でもある。

 フロントガラスの先には見慣れた東京ドームとその足元の遊園地が見えてきて、いよいよ試合会場が近付いてきた。試合開始時間は午後六時なので、午後五時頃には会場入りしなくてはならない。試合開始前には、プロレス雑誌やスポーツ新聞の記者による取材や写真撮影もあるからだ。

 後楽園ホール入り口の窓口には、超日本プロレスの《SJPW》のロゴ入りTシャツや所属選手のグッズを身に着けたファンが列を成しているのが見えた。客の入りは上々だ。それを横目に地下駐車場に入り、空きスペースに停車した。

 須賀忍はシートベルトを外してからマスクを被り、残忍と化してから、後部座席の荷物を手にしてドアを開けた。そして、一歩外に出て冷え切ったコンクリートを踏もうとしたが────靴底に柔らかなものが擦れた。

「ん?」

「先輩、ガムでも踏みました?」

 鬼無里は訝りつつもシートベルトを外して自分の荷物を取り、ドアを開けて外に出た。が、鬼無里も硬直した。

「……あれ?」

 そこに広がっていたのは、鬱蒼としたジャングルだった。

「えっ、ここって後楽園ホールの駐車場ですよね? ねっ?」

 鬼無里は困惑しながら残忍に問うと、残忍は一度ドアを閉めた。

「お前、今、何を見た?」

「アマゾン的なジャングルを」

 鬼無里が半笑いで答えると、残忍は嘆いた。

「……俺もだよ」

「連日連夜のハードワークで幻覚でも見えたんでしょうかね」

「だとしても、外に出ないことには試合に穴が開いちまう」

 残忍は一度首を振ってから、再度ドアを開けた。だが、むわっとした湿気と草木の匂いが流れ込んできて、ぎいぎいぎい、きちきちきち、と怪しげな鳥と虫の鳴き声も聞こえてきた。

 やはり幻覚ではない。二人は顔を見合わせていたが、意を決し、車の外に出た。残忍は律儀にドアをロックしてから、リングコスチューム一式が詰まったキャリーバッグを提げた。鬼無里も恐る恐る外に出て、ショルダーバッグを抱えた。

「どうします、これ?」

「移動するのも怖ぇけど、じっとしているのも怖い。つか、ここは一体なんなんだ? 東京じゃねぇのは確かだが……」

 残忍の言葉に、鬼無里は相槌を打とうとしたが、視界の端に光るものが過ぎったので反射的に身を転じた。ジープを背にして後退ると、残忍も何かを察したのか、同じ姿勢を取った。

 すると、頭上の木の枝が揺れ、数枚の木の葉と共に何かが落下してきた。それは見事に一回転した後にジープのボンネットに飛び乗り、どばん、と着地したが、その衝撃で若干ボンネットが歪んだ。

「俺の車ぁっ!」

 残忍が振り返り様に怒鳴ると、その何者かは鮮やかに槍を振り下ろし、残忍の目の前に切っ先を突き付ける。ひ、と残忍は小さく息を呑んで後退すると、鬼無里は槍の主を見上げた。

「……女の子?」

 羽飾りの付いた冠を被り、一対のツノに似た飾りを付けた、褐色の肌を持つ小柄な娘だった。縦長の瞳孔の金色の瞳が爛々と輝き、しなやかな手足は程良く筋肉質で、先程見せた獣じみた敏捷性に相応しい体付きだった。彼女は目をぎろりと動かし、困惑しきりの二人の男を品定めするように眺めていたが────槍を下ろした。よく見ると、その穂先は黒曜石で出来ていた。

「異邦の者よ。祭壇に至れり」

 そう言い残し、彼女はボンネットから下りて歩き出した。鬼無里と残忍がまたも顔を見合わせていると、彼女は槍を軽く振って促してきた。付いてこい、ということなのだろう。

「あれって、日本語……だったのか?」

 残忍が首を捻ると、鬼無里もまた首を捻る。

「そんな感じはしませんでしたけどねぇ。なんていうか、耳で聞いた音と脳で認識した情報が違う、というか」

「あー、そうだな。しっくりこないっつーか、むず痒いっつーか」

「でも、他の選択肢を選んだら即死ルートっぽいので、あの子に付いていくしかないでしょうねぇ」

 鬼無里が少女の背を指すと、残忍はマスクの下で嘆息する。

「まぁな。いくらジープっつっても、ろくに道もない森の中を突っ切れるわけじゃねぇし。あのままぼんやりしていたら、変な野生動物に襲われちまうだろうし、それ以前に俺らはろくな食料も持っていないから、籠城してもジリ貧だ」

「普通に試合をして帰るつもりでしたもんねぇ」

「スポドリとプロテインぐらいしか持ってねぇよ」

「確実に詰みますね」

「詰むなぁ」

 鬼無里の軽口に残忍は同じ調子で返してくれたが、不安を紛らわすためだった。膝まで伸びた雑草を踏み締めながら進んでいくが、足場が悪い上に視界も悪いので、気を抜けば少女を見失ってしまいそうだった。木の根に引っ掛かり、枝にぶち当たり、濡れた落ち葉を踏んで転びかけながらも、どうにかこうにか進んだ。こんな時は、残忍がいつも履いているブーツがちょっと羨ましくなる。

 小一時間ほど歩くと、開けた場所に出た。木々が途切れたかと思うと、ごつごつとした石畳が現れた。アスファルトや均された地面よりは歩きづらいが、それでも森の中に比べれば天と地ほどの差がある。鬼無里は泥水を吸って重たくなったスニーカーの裏を石畳に擦り付け、泥と落ち葉を落としていたが、残忍が空を仰ぎ見た。

 そこには、巨大な石造りのピラミッドが屹立していた。頂点は四角い神殿があり、四方には長い階段が備わっている、古代アステカ文明のそれに極めて近い構造物が存在していた。ピラミッドの周囲は整地されているが民家らしきものはなく、森に囲まれていた。

「これ、テオティワカン遺跡か?」

 残忍が呆気に取られると、鬼無里は先輩レスラーに向いた。

「メヒコの武者修行時代に、見に行ったんでしたっけ」

「一度だけな。XLLの先輩レスラー達に連れていってもらったんだが、あのピラミッドによく似ていやがる。似すぎている」

 残忍の声色は引きつっていて、畏怖が滲んでいた。

「来たか」

 そして、件の少女がピラミッドの前に待ち構えていた。次はどこに行くのかと思えば、ピラミッドの階段を上り始めた。残忍は目を凝らして段数を数えていたが、途中で諦めて首を横に振った。

「上るしかねぇな」

「荷物はどうします?」

 鬼無里がキャリーバッグを示すと、残忍は階段の下段に置いた。

「担いでいっても体力を消耗するだけだろ」

「あ、でも、貴重品だけは持っていきましょうよ」

 鬼無里はキャリーバッグを開け、スマートフォンとタブレットとモバイルバッテリーと更に予備のモバイルバッテリーを取り出し、抱えたので、残忍は呆れた。

「電波も飛んでなさそうなところで、そんなもん持って歩いても無駄になるだけだろうが」

「いやあ、そうとは限りませんよ。意外と人工衛星が飛んでいて、GPSが使えるかもしれませんよ」

「馬鹿言ってんじゃねぇよ」

「だって、携帯電話の類が使えないとなると、ここは本当に紛れもなく確実に異世界だという判定が下っちゃうじゃないですか! うっかり空間転移をして地球上のどこかに連れてこられた、と思いたいんですよ、俺としては! ベタな異世界転移をしたとなったら、世界を救わない限りは帰れないじゃないですか! 俺はそういうのは嫌です、無理ゲーです、チートでハーレムな異世界転移なんてしちゃったら、キャリアがパーになるじゃないですか! 他所の世界なんて救いたくありません、俺はベルトとタイトルが欲しいんです! そして、すみれさんとも結婚したいんです! するんです!」

 半泣きになった鬼無里に詰め寄られ、残忍は言い返す。

「俺だってそうだよ! 一刻も早く帰りてぇよ! 後楽園ホールのリングが俺を待ってんだよ! ついでに言えば、対戦相手のアギラさんも待ってんだよ! 故障と病欠以外の理由で欠場なんてしたくねぇよ! でもって、試合が終わったら家に帰りてぇんだよ! 夕子と生まれたばっかりの蛍介がいるんだよ! 帰らなきゃならねぇんだよ! 死亡フラグっぽいセリフになっちまったけど!」

「おい、お前達」

 すると、階段の中程で少女が足を止め、忌々しげに見下ろしてきた。前垂れの後ろでは、不愉快げにヘビの尻尾が揺れている。

「というわけで、俺達は一応は分別のある大人だから、可愛い女の子に誘われるがままに付いていくわけにはいかねぇんだよ。まずは名乗ってくれ、それから俺達がここにいる理由を教えてくれねぇか。でないと、判断が付けられねぇ。内容も読まずに契約書にサインしちまうと、ろくな目に遭わねぇからな」

 残忍は平静を取り戻してから、両手を上向ける。

「たかだか供物如きが、黒の神のナワルである私に質問だと?」

 少女は太い眉を吊り上げて口角を歪め、金色の瞳をぎらつかせる。

「供物? ってことは、このままピラミッドに上ると、さっくりと心臓を切り取られて神様に貢がれるってわけか。いかにもメソアメリカっぽい感じ。でも、さすがにそれは勘弁願いたいなぁ……」

 鬼無里がじりじりと後退ると、残忍も身構える。

「当たり前だ。俺達はまだまだプロレスをしてぇんだ、こんなところでくたばってたまるか!」

「うわあ、余計に死亡フラグっぽいですよ、先輩」

「いちいちはしゃぐな、ウゼェな! だったら、もっとそれっぽいことを言ってやりたくなるじゃねぇか!」

 などと下らないことを言い合いながら、鬼無里と残忍はそれぞれの荷物を抱え、少女から目を離さずに後退し続けた。こちらは現役のプロレスラーであり、相手は小柄な少女だが、ツノと尻尾から察するにまともな人間ではない。油断は出来ない。

 両者は睨み合い、膠着状態が続いた。少女は槍を構え、両足を広げて腰を落としているが、正直言ってへっぴり腰だった。ただ持っているだけで、ほとんど使ったことがないようだ。そのせいで、緊張感が生まれるようで生まれなかった。

 森の木々をざわめかせた風がピラミッドに至り、少女の羽飾りとクセの強い黒髪を揺らしていく。濃密な生命の匂いが含まれた風が過ぎ去り、太陽を僅かに陰らせていた雲が晴れると────少女の金色の瞳が潤み、目尻から熱い雫がぼろぼろと零れた。

「うわあっ、また失敗したぁああああっ!」

 少女は途端に泣きじゃくり、槍を放り投げてピラミッドを駆け上がっていった。泣いているにも関わらず、ぽんぽんと身軽に跳躍して数段飛ばしで上っていったので、恐ろしい身体能力の持ち主である。

 鬼無里は残忍を見下ろし、残忍も鬼無里を見上げていたが、猛烈に気まずい空気が流れていた。先輩があの子を慰めに行って下さいよ、いや鬼無里が謝りに行けよ、と心の中での押し問答が続いていたが、二人は同時にピラミッドの階段を上り始めた。

 足腰のトレーニングには最適だった。



 ピラミッドの頂点には、神殿が設えられていた。

 石造りの天井にそれを支える太い柱、鏡が飾られた祭壇、そして四本のポールと三本のロープが張られた四角い聖域────プロレスのリングがあった。その上、ちゃんとゴングとそれを叩くハンマーも用意されていた。ピラミッドに不釣り合いなんてレベルではない、異物である。異常である。非常事態ですらある。

 そして、あの少女はリングの真ん中で膝を抱えて背を丸め、ぐずぐすと泣いていた。彼女が嗚咽交じりに漏らす言葉の中には、聞き取り切れないものもあるので、何らかの力によって日本語に翻訳されている現地の言語を訳しきれていないのだろう。それは恐らく、少女の精神状態に影響されているのだろう。

「……ええと」

 残忍が恐る恐る声を掛けると、少女は鼻を啜りながら振り返った。

「私ね、ここの巫女なの」

「薄々そんな気はしていたけど」

 鬼無里はリングに近付くが、上がっていいものかと躊躇した。残忍も少し迷っていたようだったが、ブーツを脱いでから上った。通常のプロレスのリングも、土足厳禁だからである。

「この前、黒の神様から神託が下ったの。神様達が地上にもたらしたモノを巡る戦いをして、楽しませてくれなければ、世界を滅ぼしてしまうって」

「随分とアバウトな」

 鬼無里が苦笑すると、少女は指で目尻を擦る。

「だから、これまでやってきたお祭りを一通りやってもらったの。街の人達に。でも、黒の神様は満足して下さらなかったから、異界の者達を連れてきて、なんとかしようとしたんだけど……」

「無茶振りにも程がある」

 残忍は少女の背後に胡坐を掻き、嘆いた。鬼無里はその隣で正座をする。

「というか、何らかの力で異世界人を召喚した後はフォローしたの? その分だと、さっきの俺達みたいに、いきなり連れてきて無茶振りしてそれっきりっぽいよね? それはいくらなんでも無理だよ。そりゃ俺達はエンタメのプロではあるけど、お互いに要領が掴めているプロレスラー同士ならまだしも、何の打ち合わせもなしに楽しませるのは無理ゲーすぎるよ。増して、それがズブの素人なら尚更だよ。それはつまり、君の人選ミスといい加減なディレクションのせいで世界は滅ぶってことだよ」

「うわああああんっ! ごめんなさぁああああいっ!」

 ますます少女は泣き喚き、リングに突っ伏して頭を抱えた。

「いじめてんじゃねぇよ」

 残忍にどつかれ、鬼無里は言い返す。

「俺は正論を言ったまでですよ、先輩」

「……まあ、なんだ。これから失敗を取り戻せばいいだろ」

 残忍が声色を和らげると、少女は涙と鼻水でべたべたに汚れた顔を上げた。

「だ、だったら、手伝ってくれますか? 黒の神様を喜ばせてくれるんですよね? ねっ、ねえっ?」

 必死の形相の少女ににじり寄られ、残忍は後退ったが、鬼無里がその背を止めた。

「先輩、リングの上で明言したことは覆せませんよ」

「解ってらぁ! だったら、そっちも約束してくれよ! やることを終えたら、俺達を元の場所に帰してくれるってな! いいか、俺達は秋巡業の真っ最中だ! 正月の東京ドーム興行に向けて、超日本プロレスを全体的に盛り上げている最中なんだよ! 今日の後楽園大会が終わったら、明日は移動して大阪大会があるんだよ! その次は神戸、福岡、でもって北海道から徐々に南下してまた後楽園ホールに戻ってくるって算段だ! 悪の秘密結社は最初の頃はショボかったが、今や超日本プロレスのドル箱ヒールユニットなんだよ! 一人だけならまだしも、二人も長期欠場するとなると大損害だ! 下手すりゃ、超日本プロレスが倒産する! 億単位の借金を背負う! それだけの覚悟があるか、なあ、お嬢ちゃん!」

 残忍は少女に詰め寄り返し、マイクパフォーマンスの要領で力強く捲し立てた。少女はびくっと小さな肩を縮め、目を大きく見開いてぼろぼろと涙を落としていたが、何度も何度も頷いた。

「う、ぁ、が、がんばってみます……」

「言質が取れたところで、契約書でも調印しておきます?」

 鬼無里が録音モードにしてあるスマートフォンを掲げると、残忍はマスクの下でちょっと笑った。

「ちゃっかりしてやがる」

「契約書……? ああっ、そうだ、それも使わないと!」

 ちょっと待っていて下さい、と少女はどたばたとリングから飛び降りていった。その背を見送りつつ、鬼無里は残忍と少女が押し問答している最中に撮影した写真を見返した。

 どれもこれも鮮明に撮影されていたが、時刻表示が奇妙だった。スマートフォンの時計も、タブレットの時計も、後楽園ホールの駐車場に入った時のまま動いていない。壊れたのかな、と色々といじってみるが、どの機能も正常に働いていた。となれば、これはどういうことなのだろう。

 一抹の希望であればいいのだが。



 しばらくして、少女が戻ってきた。

 その手には複雑な文様が描かれた円形の石板が抱えられていて、それもまた黒曜石で出来ていた。かなり重たいのか、よたよたと歩いてきた。それがリングに投げ込まれると、マットが激しく軋んだ。少女は息を切らしながらリングインし、槍の穂先に似た黒曜石の破片を差し出してきた。

「この石板に署名して下さい。そうすると、黒の神様があなた方を正式な供物だと認識します」

「黒曜石って柔らかいから、砕けるんじゃないの?」

 鬼無里が訝りつつも黒曜石を受け取ると、少女は足を揃えて座った。

「いえ、その辺は大丈夫です。黒の神様のお力で」

「えー?」

 残忍は灰色の石板を小突いてみたが、やはり硬かった。

「んで、どこに署名すりゃいい?」

「ええと、それはここで」

 少女は石板の中央を指した。

「んー、そうだな……」

 残忍は少し考えた後、石板の中央に黒曜石の破片を触れさせると────ぐにょり、と切っ先が没した。触れた部分だけが粘度の如く柔らかくなっていた。それを不思議に思いつつも、残忍は手を動かしていき、文字を刻み付けた。《超日本プロレス一同》と。

 黒曜石を離すと、程なくして石板が再び硬直し、残忍の記した文字も固まった。少女はその出来栄えを確かめ、眺め回してから、満足げに頷いていた。そして、石板を祭壇に運んで飾った。

「ふははははははは、喜ぶがいいぞ、異邦の者よ!」

 途端に少女は胸を張り、勝ち誇った。

「あ、自信を取り戻した」

「やっとお役目を果たせたんだもんなぁ」

 鬼無里と残忍が呟くと、少女は槍を高々と掲げる。

「それでは供物共よ、心して聞くがいい! 私は黒の神の巫女にして代弁者、故に我が言葉は神の言葉である! 黒の神は怠惰にして粗悪な文明に溺れた人間を蔑み、哀れみ、疎んでいる! 故に、この世は黒の神によって再び滅びるであろう! だが、黒の神は寛大にして偉大なる神である! 神の御心を満たす供物を捧げれば、滅びは免れるであろう!」

 言い方が仰々しいだけで、先程と言っていることは変わらない。具体的な解決策を提示しているわけではない。ということは、つまり、少女自身も黒の神を満足させる方法を知らないのではないだろうか。鬼無里がそう思っていると、妙な沈黙が流れ、少女はまたもや泣きそうになる。

「だから、その……」

「で、その神様を満足させるにはどうすればいいんだよ」

 残忍が本題に切り込むと、少女はぎこちなく祭壇に振り返り、鏡と円形の石板を凝視した。だが、どちらも何の変化も起きず、少女は槍を取り落として座り込んでしまった。

「で、神様からの指示があったの? なかったの?」

 鬼無里が問うが、少女は首を横に振るばかりだった。なんとも頼りない巫女である。彼女は巫女としてのプライドが大いに傷付いたらしく、座り込んだまま泣き出しそうになったので、残忍は少女の前に膝を付いた。

「とりあえず、指示を待とうや。本当にあるならな」

「あう、う……。ありがとう、ございますぅ」

 少女は涙を拭いながら、しゃくり上げた。

「んで、君はここで寝泊まりしているの? それとも家があるの? この分だと、しばらくは留まらなきゃいけないっぽいから、その辺ははっきりしておかないと。それと、俺と先輩の食い扶持はどうやって確保すりゃいいの? こっちの世界の通貨なんて持っていないし、通貨を手に入れるための働き口も見つけないといけないし」

 鬼無里が目下の問題点を羅列すると、少女は洟を啜り上げた。

「それについては、後で説明します」

「気持ちが落ち着くまで放っておいてやろうや」

 残忍は後輩を見やると、鬼無里は肩を竦めた。

「先輩はお優しいですねぇ」

「そうでもねぇよ」

 残忍は神殿に至る階段に腰掛け、深い森を外を見下ろした。鬼無里もそれに倣って隣に腰掛け、少女の切なげな泣き声を聞きつつ、森の奥に目をやると同じようなピラミッドが三つ建っていた。

「あ、えっと」

 少女はちょっと泣き止んでから、ピラミッドを指した。

「向かって右手に見えるのが白の神様のピラミッド、左手に見えるのが青の神様のピラミッド、一番奥にあるのが赤の神様のピラミッドです。で、その、この戦いは神様同士の戦いでもあるんです」

「つまり、代理戦争ってやつ?」

 残忍が聞き返すと、少女は躊躇いがちに頷く。

「そういうことになっちゃいます」

「つくづくろくでもねぇな、ここの神様は」

「それは、私からはなんとも……」

 少女は罪悪感からか、声色を弱め、またもぐずぐずと泣き出した。それからしばらく、彼女は泣き止まなかった。その間に、鬼無里と残忍は情報と状況の整理をしようとしたが、現代社会に生きる日本人の感覚では理解が追い付かなかった。

 神様に供物を捧げるのは解る。高位の存在に敬意を払うためだ。戦いを見せて喜ばせるのも解る。神道にも似たような神事はある。だが、こうしてリングが据えられ、召喚されたのが現役プロレスラーであるということは、神様が求めているのはプロレスなのだろうか。それ自体はレスラー冥利に尽きるのだが、しかし。

 それでいいのか、と鬼無里は悶々と悩んだ。



 少女の住まいは、ピラミッドの傍らの小屋だった。

 彼女一人で住んでいるらしく、生活用品は数えるほどしかなかった。羽飾りや槍といった儀礼用の衣装の他には、サンダルと麻布のワンピースぐらいしか着替えがなかった。当然ながら食糧も一人分で、トウモロコシの粉と森で狩ってきた獣の肉しかなかった。

「粥かトルティーヤぐらいしか食ってねぇのか?」

 簡素な台所を眺めた残忍が尋ねると、少女は泣き過ぎて腫れた目元を擦った。

「ええ、まあ。畑を作ってみたこともあったんですけど、獣除けの魔術が上手くいかなくて荒らされちゃったし、買い出しに行こうにも街が遠いし……。徒歩だと三日は掛かるんです」

「三日!?」

 鬼無里がぎょっとすると、少女は口の端を歪めた。

「……慣れましたから」

「ところで、君の名前はなんていうの」

 鬼無里はそう言ってから、ふと気付いた。

「ああ、そういえば、こっちもまだ名乗っていなかった。ごめんごめん。俺は鬼無里克己っていって、こういう字を書く」

 鬼無里は小石を拾うと、小屋の床でもある剥き出しの地面にごりごりと字を書いた。鬼無里克己、と。

「んで、俺は……リングネームの方がいいな。残忍だ」

 残忍は鬼無里から小石を受け取ると、鬼無里の名の隣に書いた。残忍、と。

「複雑な字なんですね」

 少女は二人の名を眺めていたが、鬼無里は改めて問うた。

「で、君は?」

「ええと……本当の名は……」

 少女が目線を彷徨わせて語気を濁したので、鬼無里は察した。

「他人に言っちゃダメなやつ?」

「そんなところです」

「じゃ、便宜上の名前を付けていい? 名前がないと呼びづらいし。そうだなぁ、巫女っぽいポジションだからミコちゃんでどう?」

 鬼無里が少女を指すと、残忍がマスクの下で怪訝な顔をした。

「安直すぎやしねぇか、それ」

「当人の意見を聞いてみないことには」

 ねえ、と鬼無里が少女を見やると、少女は目を丸めて小さな拳を握り締めていた。褐色の頬が徐々に紅潮し、口角が緩んだ。

「ミコ、ミコですか。わあ、なんだか可愛い!」

「それじゃ、ミコちゃん。これからは色々とよろしく。俺と先輩が元の世界に戻るには、君にしっかりしてもらわなくてはならない」

 鬼無里が語気を強めると、残忍がそれを宥めた。

「気持ちは解るが、そう脅すなよ。まあ、仲良くやろうや」

 残忍が手を差し伸べると、少女──ミコは恐る恐る手を伸ばしてきた。小さな手が残忍の皮の厚い手に重なると、残忍は彼女の手を力強く握り締めた。マスクの下の眼差しはいつになく凄味を帯びていて、それに気付いたミコは曖昧な笑みを浮かべていた。

 先輩だって脅しているじゃないか、と鬼無里は思ったが、口にはせずスマートフォンを確かめた。せっかくなので残忍とミコが握手している場面を写真に撮ってから、時計を確認したが、やはり一秒も時間が動いていない。外では既に日が暮れ始めているというのに。

 謎が深まるばかりだ。



 粗末な小屋は、三人で寝ると窮屈だった。

 少女、ミコはポンチョを被って丸まって眠りに付いたのだが、鬼無里と残忍はそうもいかなかった。地面に直に敷布を引いただけなので、底冷えする上に寝心地がとてつもなく悪い。おまけに夕食が足りなかったので、空腹に悩まされていた。

 ミコは乏しい食料を使い、彼女なりに二人をもてなしてくれた。干し肉を煮込んで塩と香辛料で味付けしたスープと、トウモロコシの粉を練って平たく伸ばして焼いたトルティーヤを振る舞ってくれた。味は悪くなかったのだが、量が少なすぎたのだ。商売道具である筋肉を保つためにたっぷりと食事を摂っているプロレスラーであるから、尚更である。だが、ミコの気遣いを無下にするわけにはいかないので、文句は言えなかった。

 だが、しかし。空腹に妨げられて浅い眠りから覚めた鬼無里は、欠伸を噛み殺しながら起き上がった。それから、枕元のメガネを手にして掛けた。鬼無里は弱い近眼なので、試合に挑む際はコンタクトレンズを付けているのだが、寝る前に外してメガネに変えたのである。それからスマートフォンを手にして画面を付けるが、やはり時刻表示は動いていなかった。

「……あれ」

 隣で寝ていたはずの残忍がいない。鬼無里は小屋の隅で寝ているミコを気にしつつ、小屋の外に出ると、冴え冴えとした青い月明かりが降り注いでいた。ピラミッドの頭上には満天の星空が広がり、息を呑むほどの絶景だった。

「寝付けねぇよなぁ」

 小屋の手前では、残忍が座り込んでいた。律儀にマスクを被っているのは、不安な顔を見せないためなのかもしれない。

「腹が減りました」

 鬼無里が背を曲げて嘆くと、残忍は肩を竦める。

「俺もだ。けど、手持ちのものを無駄に食うと後が怖いと思ってな」

「この先、何があるか解ったもんじゃないですからね」

 鬼無里は残忍の傍らに腰を下ろし、夜空を仰ぎ見た。

「……すみれさん、どうしているかなぁ」

 スマートフォンを見つめ、鬼無里は写真を表示させた。そこに映っているのは、現在同棲中の恋人、名取すみれの写真だった。鬼無里よりも三歳年上のOLで、長い黒髪でメガネを掛けている。お台場でのデート中に何の気なしに撮影したもので、はにかんだ笑みが愛おしい。

「うあああああああ、すみれさあああん」

 鬼無里が頭を抱えると、残忍も両手でマスクを押さえた。

「俺だって泣きてぇよおおおおお」

「これがホームシックってやつなんですねぇ、先輩」

「うん、ホームシック以外の何物でもねぇよ。メヒコで武者修行している最中はそうでもなかったけど、あれはいつか必ず超日に帰れるって解っていたからなんだ。けど、ここはたぶん地球じゃねぇ。メヒコっぽいけどメヒコじゃねぇよ。俺の知るテオティワカン遺跡とは何か違うってのもあるが、星の見え方が違うんだ。メヒコで見た星座が一つも見えなかった。……それはつまり、あれだろ?」

 残忍が夜空を指すと、鬼無里もそれに倣う。

「地球によく似た別の惑星、ってことですかね?」

「だとしたら、どうやって帰ればいいんだよ! 俺らはプロレスしか出来ねぇの! プロレスで宇宙を越えられるわけねぇだろ!」

 残忍に肩を掴まれ、鬼無里はがっくんがっくんと揺さぶられた。

「というか、うかうかしていたら滅ぶことが決まっている世界に放り込まれても、ぶっちゃけ困るだけですよねぇ。その手のことは外注せずに、身内だけで解決してほしいんですけど」

「うん、俺もそれは長年疑問に思っていた。余所者をわざわざ召喚して呼び寄せて重大な使命を与えるのって、結局は自分達の世界の損害を出したくないからだよな? 死ぬことが大前提だよな?」

「俺はまだ死にたくないんですけど!」

「俺もだよ! 死にたくねぇから悩んでんだよ!」

 鬼無里が怒鳴ると、残忍も怒鳴り返す。そのまま二人は睨み合っていたが、顔を背けた。あんまりにも情けなくて、格好悪くて仕方なかったからだ。だが、現実は容赦なく襲い掛かってくる。

「腹減った……」

 残忍が弱々しく呟くと、鬼無里も嘆いた。

「苛々すると余計に腹が減りますね……」

「全てを諦めて寝よう」

「それしかないですね、先輩」

 残忍に促され、鬼無里は渋々小屋の中に戻った。あれだけ騒いだのだからミコは起きてしまっただろうか、と少女を窺うが、ミコは微動だにせずに熟睡していた。巫女としての役割を果たせたことで気が抜けたのか、それとも単純に図太いだけなのか。

 言いたいことを言うだけ言ったから不安が紛れたのか、鬼無里はようやく眠気が訪れた。少しはマシになるだろう、と敷布の上に悪の秘密結社のロゴ入りTシャツを敷いてから横たわった。

 異世界なんて、ろくなもんじゃない。

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