第12話:辰弥の恋 2
今回も辰弥と由菜の5年前のお話です。
電話が鳴り出した部屋の中は、異様な空気が漂っていた。
伯母さんが電話を取り、神妙な面持ちで電話の向こう側にいる誰かに返事をしている。
「はい。分かりました。明日お伺いいたします。有難うございました。」
伯母さんはお辞儀をしながらそう言うと受話器を置いた。それから由菜へ笑顔を送る。
「子猫助かったって。血は沢山出たけど、傷はそんなに深くなかったんだって。今日は病院に泊まって、明日はおうちに連れて帰って良いそうよ。良かったね、由菜。」
「うん。」
由菜は突然泣き出してしまった。今まで我慢していたものが、溢れ出したかのように。
次の日。三人は猫を迎えに行く為、病院へと向かった。
病院に着くとあの猫はみゃあみゃあと元気に鳴いていた。由菜が近づくと、一際大きな声で鳴き出した。
「君の事を覚えているのかもしれないね。」
振り向くと後ろには獣医さんが立っていた。背の高いまだ若いと思われるその獣医は由菜に微笑みかけている。由菜は恐る恐る猫を抱き上げた。
「君がこの子をここへ連れて来なければ、確実に死んでいただろう。君はこの子の命の恩人なんだよ。この子を大事にしてくれるかい?」
「はい。」
由菜は泣き出しそうな目をしきりに手でこすって小さな声で答えた。
辰弥はそれらの一部始終を隣で黙って見ていた。
その翌日には、辰弥は自分の家へ帰って来ていた。
あの日を境に、辰弥はあの日のあの時の由菜が頭から離れなくなっていた。あのシーンが辰弥の頭にこびりついて離れない。
由菜が車を見ずに道路を歩き出す。そして血だらけの猫を抱き抱える。その時の由菜の表情は、息を呑むほど美しかった。由菜のあの表情が、寝ても覚めても辰弥の心を揺り動かす。まだまだ幼かった辰弥は、このままでは自分はおかしくなってしまうのではないかと思い、母親に相談する事にした。
今も昔も、辰弥は母親に何でも相談した。辰弥の母は、親身に辰弥の話を聞いてくれ、いつでも的確なアドバイスをしてくれる。
早速、辰弥はあの日の事、由菜の事、自分の今の状況をすべて話して聞かせた。その間辰弥の母は、黙って聞いていた。そして、辰弥が話し終わると、辰弥の母は、口を開いた。
「あんた馬鹿ねぇ。それはね・・・『恋』よ。あんたは由菜ちゃんに恋をしたのよ。間違いなくね。」
辰弥の母は嬉しそうに、そして自信満々に言ってのけた。
辰弥は衝撃とともに今までかかっていた霧が、一気に晴れたようにすっきりとした。その時初めて気付いた自分の気持ち。辰弥はその新たに生まれた恋という気持ちを嬉しく、恥ずかしく、そして誇らしくさえ思った。
それからの5年間、辰弥は由菜を守れるようになる為に、勉学に勤しみ、身体を鍛えた。これらの事をしてきたのには、若干の陰謀が隠されている。
辰弥の母は、辰弥の恋を知ると、
「由菜ちゃんは頭が良いんだって。あんたも勉強しないと一緒の高校に入れないよ。」
そう聞いた辰弥は一生懸命に勉強したのだ。それまでの辰弥の成績は中の下位だったのが、学年でも上位に入るまで、上り詰めた。
「由菜ちゃんを守るためには、男らしく、鍛えとかないと。」
と言われたら、辰弥は柔道、剣道、空手といろんな事を習い始めた。それまでの辰弥はよく風邪を引く、貧弱な子供だったのだが、体が鍛えられ、風邪を引く事もほぼなくなった。
全てが、母親の思惑通りだったのだ。
しかしながら、辰弥にとってはそんな事はどうでも良い事だった。由菜を守れるのならどんな事でもしようと心に誓ったのだから・・・。