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メイオーンの涙

作者: 佐倉くも

 その日は、年に一度の星祭りだった。だから、王都アルビレオでは、大人も子どもも、誰もがみんな浮足立っていた。特に学舎では、星取りのである十二歳の生徒たちが、朝からずっと、ソワソワと落ち着かない様子だった。

「いいですか、みなさん。自分の星を見つけたら素早く、けれど慎重に網をふってつかまえるのですよ。傷がついたからといって、取りかえることはできませんからね。それから、くれぐれも言っておきますが、星は、人と比べるものではありませんよ。」

授業の終わりの鐘が鳴った時、ロドミア先生の大きな口は、まだ忙しく動いている最中だった。しかし、やはり星祭りである。いつものロドミア先生なら、コソコソと帰り支度をする生徒がいれば「まだお話の途中ですよ」と、さらに長いお説教が始まるところだ。でも、その日ばかりは、ヤレヤレと笑い、

「それではみなさん、良い星祭りを」

と短くしめくくった。

 授業が終わり、一番に席を立ったのは、銀行屋の息子のジュピネだ。コッペパンのような腕でカバンのひもをグイッと持ち上げると、ブゥンと振り回すようにして背負ったものだから、隣の席のナギの頭にボスンとぶつかった。クラスで一番体の大きなジュピネの動作は、いつも雑なのだ。しかしジュピネは、イテテと小さく呟きながらおでこをさするナギにはおかまいなしで、仲良しのミザリに声をかけるとさっさと教室を出ようとした。声を荒げたのは、うしろで見ていたタタラである。

「謝れ、ジュピネ!ぶつかっただろ、ナギに」

タタラは、背丈こそクラスで二番目に小さいが、負けん気と声は誰よりも大きい。自分より頭一つは背の高いジュピネを、真っ黒な目でぐツとにらみつけた。しかし、それにたじろぐようなジュピネではない。

「ナギ?ああ、悪い悪い。見えなかったんだよ、小さすぎて」

クラスで二番目に小さいのがタタラなら、一番小さいのがナギである。ジュピネは、いやな感じにくちびるをゆがめ、せせら笑った。

「オマエなあ!」

「いいから、タタラ」

ナギは、今にもなぐりかからんばかりのタタラの腕を慌てて引き止めると、ジュピネに向かってニッコリと笑いかけた。

「僕は平気さ。悪気はないんだろ?ジュピネ」

そんなナギに、ジュピネはチッと舌打ちし、わざとに大きな声で

「女に守られてやんの、腰抜けロマ・ミオルグ」

と嫌味を言うと、今度こそ教室を出て行った。

「女とかは関係ないだろ!」

なおもくってかかるタタラをなだめながら、

「良い星祭りを」

と、ナギはジュピネの背中に声をかけた。

ぶつける先がなくなってしまった不満を、今度はナギに向けるタタラである。

「なんで止めるんだよ」

「だって、ケンカになるじゃないか」

「いいじゃないか、あっちが悪いんだから」

口を尖らせるタタラに、ナギは首をかしげて困ったように笑った。耳にかかる金色の髪の毛がサラリと揺れる。おだやかとも気弱ともいえるその仕草を見ると、タタラはそれ以上ナギをせめることはできなかった。

「まあ…ナギがいいならいいけど。でもナギ、今日の約束、忘れてないよな?」

「あ…うん。でもタタラ、そのことだけど、」

「『やっぱりやめようよ』は聞かないからな。一刻後に東の丘の一本杉。約束だぞ!」

タタラは、ナギにビシっと人差し指を突き付けてそれだけ言うと、パッとカバンを取って教室から飛び出していった。取り残されたナギは、ひとり小さくため息を吐いた。


 はるか昔、始王ミオルグがオ(神)ル(々)フ(の)ォ(住)リ(む)ア(山)ナの頂からこのアルビレオへ舞い降りたのは、七番目の新月の夜だった。まだほんの少年であったミオルグだが、彼の、空の星よりも輝く金色の髪と目に、人々は誰もが目を、心をうばわれ、そして平伏したのだった。始王の降臨をよろこんだ人々の気持ちは、アルビレオでは今日まで、星祭りとして伝わっている。毎年七番目の新月の夜になると、都の真ん中にあるお城の塔からは花火が上がり、広場では大勢の楽師たちが音楽を奏でる。大人も子どもも誰もが陽気で、飲み、食べ、歌い、おどりながら夜を明かすのだ。星祭りの夜だけは、どこの家の親も、子どもに「早く寝なさい」なんて叱ったりはしない。

 さて、その星祭りだが、ナギたちのような十二歳の子どもにとっては、より一層、特別な一日である。星祭りの夜は、にぎやかな雰囲気に誘われて、空の星々も都の近くへ下りてくる。アルビレオの民は一生のうちでただ一度、始王ミオルグが降臨したのと同じ十二歳の年のみに、その星々の一つをつかまえることが許されるのだ。だから子どもたちは、星取りの年を、ワクワクしながら心待ちに待つのである。自分の星はどんなだろう。赤いかな、青いかな。大きさは?形は?

 ナギも、星取りを楽しみにしていた一人だ。しかし、タタラとの約束を考えながらの帰り道は、トボトボと足取りが重かった。ナギの家は西の外れにある粗末な小屋だ。薄い板張りの戸を開けると、玄関の感じが、朝家を出た時とはなんだか違う気がした。ぐるりと見回すと、ホウキやバケツの位置が、いつものところから少しずつズレていた。

「ナギかい?お帰り」

ギシリと鳴る木のベッドの上で、母さんが体を起こした。ナギとよく似た面差しだが、黒い髪には白髪がまじり、やつれた様子である。

「ただいま。ねえ母さん、今日、誰か来た?」

「いいや、誰も来ないよ。どうしてだい?」

「なんでもない。気のせいみたい」

 ナギの父さんは楽師だった。リュートの腕前なら都で一番だったと母さんはいう。しかし、ナギが赤ん坊の頃に死んでしまったため、ナギは父さんの顔も、リュートの音色も知らないのだ。ただ、父さんの使っていたリュートは、ナギの宝物だ。父さんと同じように、楽師になることがナギの夢だった。

そのリュートの横に、古びた竹の柄の星取り網とまん丸い星カゴが置いてある。数日前、物置から引っ張り出してきたそれらは、昔、父さんが使ったものだ。せっかくの星取りに、母さんは「新しいものを買ってあげようか」といってくれたが、ナギは断った。父さんが亡くなってから、母さんは働いて、たった一人でナギを育ててくれた。しかし、体が弱く、こうして休みを貰うことも多いものだから、二人の暮らしは決して楽ではなかった。

「星取りの場所は決めているのかい?」

少し咳き込みながら、母さんが尋ねた。

「えっと…東の丘の一本杉。タタラと二人で登るんだ。前に、タタラの兄さんが大きな星を取ったところだよ」

答えつつナギは、夕暮れの風が母さんの体を冷やさぬよう、そっと窓を閉めた。日当たりのよくない家だが、窓を閉めても暗くはない。それは、天井の真ん中につり下げた星カゴのおかげだ。中からこぼれ出す橙色の光は、母さんの星。ナギは、その暖かな光が大好きだ。父さんの星は、葬儀の後に母さんが空へ帰してしまったので、ナギは、その色も形も、覚えていない。

「一本杉といったら、ロウロギの森の近くだね。まちがっても、森に入るんじゃないよ」

「わかってる。…じゃあ僕、そろそろ行くね」

一本杉で星を取る、というのはウソだった。だからナギは、ウソが苦しくなるより前に、父さんの網とカゴを手に家を出たのだった。

 東の丘へは、広場を通り、お城の塀をぐるりと回るのが一番近い。そう思って大通りを歩いてきたのだが、それが大失敗だった。なんといっても、年に一度の星祭りである。広場もお城も、都の中心部はとかく人出が多い。ナギの小柄な体では、人ごみの中ではどうしたって思うように進めない。身をよじり、かき分け、どうにか抜け出した時には、腰に下げた星カゴがペシャンコにひしゃげていた。

「星取りかい?ロマ・ミオルグ」

だみ声に呼ばれ顔を上げると、一人の楽師がリュートの調弦をしていた。のっそりとした体にヨレヨレの服を着て、しかも右の目を黒い眼帯で覆っているその姿は、リュートを持っていなければ、まるで山賊だ。だが、ナギを見つめる左目は、いやな感じではなかった。

「その星カゴ、貸してごらん」

言われるがままに星カゴを渡すと、楽師は、ずんぐりとした指に力を込めて元の丸に直し、折れた部分は、なんとリュートから外した弦で、つくろってくれた。

「ちょいと不恰好だが、これで大丈夫だろう」

「ありがとうございます。でも、あなたのリュートが」

「なーに、気にするな。私が今晩リュートを弾けないことより、お前さんが星を落っことしちまうことの方が重大さ。ロマ・ミオルグ」

ニィッと笑うと、楽師はヒラヒラと手を振って、「早く行け」と促した。その手首に、かれの身なりに似合わない金色の腕輪がチラリと見えた。ナギは「おや?」と思ったが、タタラとの約束が迫っていたため、もう一度お礼を言って、道を急いだ。

一本杉の下では、タタラがブンブンと網を回しながらナギが来るのを待っていた。ナギの姿に気が付くと、網を止め、

「遅い」

とぶすくれた。

「ごめんね」

「モタモタしてたら、星が全部落ちちゃう」

タタラは、ぶすくれたままサッと回れ右をすると、ナギが今登ってきたのとは反対側へ丘を下りていく。ナギは、息をつく間もなく、慌ててその背中を追いかけた。

丘へ着くまでは、広場へ向かう何人かとすれ違ったものだが、一本杉の先の道には、二人の他に誰もいなかった。丘のふもとが、道の終わりである。二人はそこで足を止めた。

二人の後ろでは、西側から、紫がかった空が迫ってきている。そして目の前には、暗くにごった森が、静かに二人を待ち受けていた。


 レオニダの泉に行こう、とタタラが持ちかけてきた時、ナギが「熱でもあるの?」と言ったのは、アルビレオの民としては当然の反応だった。ロウロギの森の奥には、青く澄み渡る泉がある。背の高い木々ばかりが覆い茂る森の中で、その泉の周りだけは空がひらけ、差し込む日の光に応えるようにシイラの花が咲き乱れている。その美しさといったら、星祭りでもないのに空の星々が酔いしれて、手を伸ばせば届くところにまで下りてくるほどだ。始王ミオルグが王妃を見初めた場所とされ、王妃の名をとって“レオニダの泉”として今日まで語り継がれている。語り継がれている、というのはつまり、伝説ということだ。

「伝説だからって、うそとは限らないだろ」

タタラがそう言い張るのは、泉があるとされる場所が、ロウロギの森の中だからだ。

 ロウロギの森。まさに今、ナギとタタラが見つめているその森である。“ロウロギ”とは、もとは古代の言葉で“ラ(禁)・ウル(忌 の)・オーギ(場所)”つまり、入ってはいけない場所という意味だ。禁じられた森。中へ入って、帰って来たという人の話を、ナギは聞いたことがない。

 その森へ、タタラは入るという。

「だって見返したいじゃないか。ジュピネのやつ、チビとか女とかってことでいつもバカにするんだ。ナギだって、いつまでも腰抜けのロマなんて言われたくないだろ?」

そう迫るタタラの目があまりに必死で、ナギは断ることができなかった。


 外から見るだけでも、ロウロギの森があんまり暗いものだから、ナギはつい怖気づいた。

「本当に行くの?タタラ」

するとタタラは、それまでジッと前を見つめていた目を、フッと足元へ落とした。

「一本杉へ来る途中、ジュピネを見かけたんだ。最新式の網を持ってた。あいつの背丈より長くてさ、その上、ボタンを押すと伸びる仕掛けになってるって、ミザリに自慢してた。それで、一番高いところの星を取るんだとさ」

「へえ、ジュピネらしいや」

「うん。でもバカだ。金かけて高い網を買ったって、そんなの、自分が木登りが下手だって言って歩いているようなもんじゃないか」

意地っ張りのタタラの、口が悪いのはいつものことだ。でもその時は、いつもとは違い、まるで思いつめた口ぶりだったものだから、ナギはなぜか、とても悲しい気持ちになった。

「行こう」

タタラは、今度はいつも通りのハッキリとした声でいうと、森へ一歩、足を踏み入れた。

「あ、ちょっと待ってよタタラ」

一呼吸おくれて、ナギも続く。それまで前に伸びていた二人のかげぼうしは、森の深い緑色の中に溶けていった。

 森の中では、びょう…と不気味な音がひびいていた。ナギは思わず「ヒッ」と息をのんだ。するとどうだろう。今度は続けて二度も、その不気味な音は森の中にひびき渡った。あまりの恐ろしさに、ナギはとうとう耳をふさぎ、その場にしゃがみ込んでしまった。

「情けないなあ」

三歩ほど先を歩いていたタタラは、そんなナギの様子に呆れ顔だ。

「ただの風じゃないか。それとも、メイオーンの声だとでも思ったのか?」

メイオーンというのは、これもまたロウロギにまつわる恐ろしい伝説の一つだ。見た者を幻でまどわす二つの目と、人を食らうための長い牙。身のこなしはどんな動物よりも素早く、そして人間たちよりも知恵の働くその精霊に、勇敢にも一人で立ち向かったのが、始王ミオルグである。二人の戦いは三日三晩続いたが、ミオルグの鋭い剣に胸をつらぬかれたメイオーンは、命からがらロウロギの森へ逃げ込んだ。ロウロギの森で「びょう」という風の音がしたら、それは、ミオルグを恨みに思うメイオーンの鳴き声なのだ。と、初めてそのお話を母さんがしてくれた時、ナギは、暗い森の中でギラギラと牙を剥いたメイオーンが、今か今かと始王ミオルグを待ちかまえている様を想像し、震えあがったものだ。

嫌味を言いながらも、ナギのもとへ引き返したタタラは、グイっとしゃがみこんだ二の腕を掴んで立ち上がらせた。

「仕方ないだろ、怖いものは怖いんだ」

そう開き直ると、タタラはさらに呆れ顔で肩をすくめた。

「こんな臆病者に生まれ変わるだなんて、始王もびっくりだろうね。ロマ・ミオルグ」

「やめてよタタラまで。ロマなんて、ただの迷信なんだ」

「それを言ったら、オマエが今怖くて怖くてしかたないメイオーンだって、ただの迷信じゃないか」

ナギとタタラは学舎に上がる前からの友達どうしだが、ナギがタタラに、口げんかで勝てたことは一度もない。

「ほら行くぞ、ロマ・ミオルグ!」

 アルビレオでは、ナギのように始王と同じ色の髪と目を持つ者を、ロマ(ミオ)・(ル)ミオルグ(グの化身)と呼ぶ。始王を除いては、黒い髪と黒い目をした人ばかりが暮らしていたこの地で、初めてロマが生まれたのは、始王が身まかってから三年後のことだった。不思議なことにロマは、何十年かに一度、しかも時代にたった一人しか生まれない。始王の生まれ変わりといわれるのはそれゆえだ。ナギが生まれた時は、前のロマが亡くなってから十数年がたっていた。

ロマ・ミオルグ。ナギは、そう呼ばれるのが好きではなかった。けれどこの時タタラにそう言い返さなかったのは、ナギの手を掴むタタラの手の平が、冷たかったからだ。意地っ張りのタタラだって、怖くない訳ではないのだ、きっと。怖じける気持ちを押し込めて、ナギはタタラの手を握り返した。相変わらずびょうびょうと吹く風の向こうで「ミオルグ…」と小さく聞こえた気がしたが、タタラの声がこだましたのだ、と自分に言い聞かせた。

「もうすぐ日暮れだな」

タタラにつられ見上げると、木々の隙間から見える空は、もうほとんど紫色だった。

「そろそろ一番星が下りてくるころだね。誰が取るだろう」

「やっぱり、アンリじゃないか?足が速いから、どこへ下りても一番に駆けつけれるだろ」

「欲しがってたものね、一番星。タタラはどんな星がいいの?」

「…赤い星がいい。兄さんのみたいな、いや、兄さん以上に大きくて熱くて明るいやつ」

おととし、赤く大きな星を取ったタタラの兄さんは、学舎を出た後、王立騎士団に入った。タタラの家は、お父さんもおじいさんも騎士だ。そしてタタラも、騎士団の騎士となることが小さいころからの夢なのだ。アルビレオの長い歴史の中で、女の騎士はいない。そのことを知っても、タタラはあきらめようとはしなかった。毎日道場へ通い、剣の稽古にうちこむ姿を、ナギは知っていた。


―ミオルグ…


「タタラ、今何か言った?」

「言わないよ。なんだ、また臆病風か?」

そうじゃないけど、とナギがそう言うより早く、突然、ゴウゥっと強い風が吹いた。

―ミィオォルゥグゥゥゥ

今度はハッキリと聞こえた。地面がビリビリ震えるような、恐ろしい声だ。ぐるぐると、近くなったり遠くなったりする。二人は、近くの木につかまり風を耐えようとしたが、

―ミィィオォォルゥゥゥグゥゥゥ!

一際大きな声とともに、風も一層グンと強くなり、とうとう吹き飛ばされてしまった。

「タタラ!」

ナギはとっさにタタラの腕を引き寄せた。ポーンと投げ出された二人の体は、厚くむした苔の上に落ちたおかげで、ケガをすることはなかった。しかし、そこから先はとても急な坂になっており、止まることもできずゴロンゴロンと抱き合ったまま転がり落ちてしまった。ぐるぐると回る視界の中で、ナギは、ガラスのような青い二つの目を見た気がした。


 ぽろん…ぽろろん…ぽろろんろん―…

あたたかい音。きれいな音。少し哀しい音。橙色の温かな光の中で、誰かがリュートを弾いている。

―ナギ

誰?

―おいで、ナギ。リュートを教えてあげよう

父さん?

―どうした?ナギ。こっちへおいで

父さん…父さん、父さん!


「ナギ!」


 突然ガツンとひびいた大きな声で、橙色の光やぼんやりとした人影が、一気に晴れた。ハッと目を開けると、鼻がくっつくほどの近さで、大きな青い二つの目がナギを見ていた。

「うわぁぁぁぁ」

「頭下げろナギ!」

急いでに首をすくめると、背後から勢いをつけて飛び出してきたタタラが、星取り網を目の前の相手に思い切り打ち下ろした。

「ギャッ!」

左の肩口をしたたかにぶたれた相手は、悲鳴を上げて飛びのいたが、ブン、と右の手を回してつむじ風を作り出すと、もう一発打ち込もうと構えたタタラを吹き飛ばした。

「タタラ!」

まともに地面に打ち付けられたタタラは、ウッと低くうめいた。

―ミオルゥグ…

いろんな音うねるようにまざり合った不思議な声を、上下の牙の間から発しながら、相手は再びナギに近づいて来る。

「君は…メイオーン?」

―ムィオルゥグゥゥ…

相手は応える言葉を持たないのか、なおも始王の名を呼びながら、植物のツルが絡まりあったような手をナギの首筋へ伸ばした。

「ナギ!」

タタラが、いたむ体をおして再び跳びかかろうとしたが、「ビョウ」と相手が一鳴きすると、たちどころに下草がウネウネと伸び出し、タタラの足首をからめ取るようにつかまえた。

「逃げろナギ!」

タタラは、喉がさける程に叫んだ。けれどナギはじっと動かず、差し向う相手の目を見つめた。

「ずっとここで待ってたの?ミオルグを」

ヒタリ…と、湿り気をおびた相手の肌が、まるで形を確かめるかのように、ナギに触れた。ナギは、森へ入った時の怖気がうそのように、落ち着いていた。ついさっき見せられた父さんの幻が、温かくて、幸せで、でもどこか寂しかったからかもしれない。

「メイオーン。僕は、ただのロマだ。ミオルグじゃない。君の知ってる始王ミオルグは、ずっと昔に死んでしまったんだ。もう、いないんだよ」

ナギがさとすように伝えると、相手は

―グィオオオオォォォウ…

と一際大きな鳴き声をあげ、パンッと、はじけるように消えた。ナギのほほには、雫が一つ、ぽたりと落ちてきた。

 しばらくの間、座ったままでいたナギだったが、やがて、ほほを手でぬぐうとタタラのもとへ駆け寄った。からんだ草を、一つ一つ引きちぎる。

「…死んだのか?あいつ」

「いや、きっと精霊だから、森にまぎれたんだ。それより、行こう、タタラ。水の音がする。多分、すぐ近くに泉があるんだよ」

 道と呼ぶにはあまりに細い木々の間を、音をたよりに歩いていくと、だんだんと木の丈が低くなり、そしてついに、視界が開けた。

「わぁ…」

ナギの口からは、思わずため息が漏れた。波のない、おだやかな泉。月がない夜にもかかわらず、群がる星たちのおかげで、辺りはまばゆいほどに明るい。

 タタラは、見とれるナギの腕をぐっとつかむと、ずんずんと泉のそばへ引っ張って行った。二人の足音に驚いた星たちは、いっせいに慌てて、花の中に隠れてしまった。

「どうしたの?」

タタラは、ナギを泉のほとりに座らせると、両手で水をすくい、ナギの右手を洗った。そして、泣き出しそうな声で言ったのだ。

「ゴメン…」

「え、だから、えっと…なにが?」

突然のことに、思わずまごつく。

「だって…楽師になる、大事な手なのに…」

ナギの手は、たくさんのすり傷や切り傷で血がにじんでいた。

「私が森に入ろうって言ったから…私が女じゃなくて、兄さんみたいに強かったら、こんなケガなんてさせなかったのに…」

「大丈夫だよ、タタラ。どれも大した傷じゃない。それに…僕は楽師にはならないよ」

「うそ、なんで?だって、」

「学舎を出たら、お城で召使いになるんだ」

母さんは言わないけれど、これまでに何度か、王様の召使いが家に訪ねて来ていることを、ナギは知っていた。隣の家の、オソノおばさんが言っていたのだ。マントにシイラの花の紋章がついてたもの、お城の使者さ。前のロマも王様の召使いだったんだしね。アンタがお城で働くことになったら、アンタたちの暮らしもグンと楽になるだろうさ、と。

「召使いなんて、ナギらしくない。ナギにはリュートの方が似合うじゃないか。ただ目と髪の色だけで呼ばれたってんなら、そんなのナギじゃなくてもいいんじゃないか」

「そうかもしれないけど、でもロマは僕しかいないし、ロマっていうのも僕の一部だ」

「だって、ずっと、ロマだってこと、いやがってただろ。なんでいきなり」

「…タタラ、気付いた?さっきのメイオーン、泣いてたんだ。きっと長い間、暗い森に一人で、さびしかったんだね」

「…それがなんだっていうのさ」

「メイオーンは、幻を見せることができるでしょ?さびしいなら、にぎやかな幻を自分に見せればいいじゃない。幻は、なんでも思いどおりの世界だもの。でも、メイオーンは、泣いていたんだ」

「言ってる意味、わかんないよ」

「うん。僕もよくわかんない。ただ、思ったんだ。なんでも思いどおりにできても、それが幸せとは限らないんじゃないかなって。だったら、思いどおりじゃなくても、誰かに必要としてもらえる方が僕はいいな」

「…楽師をあきらめる言い訳にきこえる」

「そうかもしれないね。楽師になりたい気持ちが無くなった訳じゃないから。でも僕は、僕がロマとして生まれてきたことには、きっと意味があると思うんだ。必要だっていわれるなら、応えたい」

ナギが首をかしげ、困ったように笑うから、タタラはもう、だまるしかなかった。ふとナギは、うつむいたタタラの肩に、星が一つ止まっているのに気がついた。なぐさめるかのように寄りそう星は、青くみずみずしく、そして強く光っていた。

「タタラもね、男の子になることはできないけど、タタラはタタラ。女の子のタタラだからできることは、たくさんあると思うから」

ナギは、両手でそっと星を包みとると、タタラの顔の下でゆっくりと手を開いた。おだやかな青い光は、ふんわりと舞いあがった。

「あ…」

星を追って顔を上げたタタラは、ナギの後ろに広がる景色に、小さく声を上げた。ぽん…ぽぽん…。中にかくれた星に温められたのだろう、夜だというのに、シイラの花が咲き始めた。かくれていた星たちが、ふわふわと辺りへ舞いあがる。

「ナギ、あそこ」

タタラが指さす方に目をやると、キラキラと光の尾を引きながら、こちらへ近づいて来る星があった。ナギの目の前まで来ると、赤から青に、青から黄色に、黄色からみどりに、まるで万華鏡のようにくるくると色を変えた。

「ナギ、カゴ」

タタラに促され、ナギが星カゴを開けると、その星は、ジジッとほのかにまたたいて、自らカゴの中におさまった。タタラも、星カゴを開け、彼女のそばで強く光る星を囲った。

「あのさ、ナギ。さっきの話だけど、」

ナギが「ん?」と聞き返すと、タタラはバツの悪そうな顔をさらにさらに不機嫌にゆがめ、

「ナギに説教されるなんてクツジョク。なぐさめられるなんて、もっとクツジョク!」

と意地を張った。

「そろそろ帰ろうか」

ナギがクスリと笑うと、タタラは、返事をする代わりにコックリとうなずいた。

 帰りの道に、怖いことはなかった。タタラの星が足元を照らしてくれたし、ナギの星が右へ左へ出口の方向を教えてくれたから。森を出る前、ナギには「ミオルグ」と、メイオーンの声が聞こえた気がした。


 広場の真ん中では、誇らし顔の星取りたちが、人々に自分の星を見せていた。人垣の中心で、真ん丸の大きな星を高らかに掲げるジュピネは、ナギとタタラを見つけると

「ちびタタラに腰抜けナギ!遅いから、取りそこなって逃げ出したかと思ったぞ!」

と叫んだ。

「バカにするな、でくのぼう!」

止める間もなく人垣の中へ飛び込んでいくタタラに、ヤレヤレと呆れ顔のナギである。

「星はとれたかい?ロマ・ミオルグ」

だみ声に振り向くと、広場のすみで。夕刻に会った片目の楽師が座っていた。

「ええ、あなたのおかげです」

ナギは楽師へ、今度は星の入った星カゴを差し出した。星は、再びくるくると色を変える。

「ほう、これはまた、おもしろいこともあるものだ。父上の星によく似ている」

「父さんを知っているの?」

「ああ。私のリュートの先生だったからね」

楽師は、なつかしそうに目を細めながら、左手であごをクイっと触った。その手首には、金色の腕輪がはめてあるのが、今度はハッキリと見えた。泉で見た、シイラの花と同じ形の紋章がほどこしてある。

「僕も、アナタを知っています」

ナギ!と、広場の中心から、タタラが呼ぶ声が聞こえた。今行く、と応じながらナギは、楽師から星カゴを受け取ると、

「学舎を出たら僕は、あなたのもとで働きます、王様」

と、まっすぐに楽師の目を見つめて言った。楽師は一度目を丸くしたが、

「そうか、それはとても楽しみだ、ナギ・ロマ・ミオルグ。しかし、さあ、今は早く友達のもとへお行き」

と優しく微笑んだ。ナギはペコリとお辞儀すると、回れ右をして広場の中へかけ出した。「上手く変装したつもりだったんだがなぁ」と、王様のつぶやきが背中に聞こえた。


 その日は、年に一度の星祭りだった。だから、王都アルビレオでは、大人も子どもも王様も、誰もがみんな浮足立っていた。ロウロギの森では、びょうびょうと風が吹いている。


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