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第七章 知りたくなかった真実 後

「なんだ……?」

 腕に絡まったその黒い物体は蠢きながら、リーヴの龍呪回路を的確に探し当てる。そして、龍呪回路に絡みつく。

「くっ……」

 自分の身体の中から、何かが抜き取られる感触。その感触は龍呪回路によって、リヴァイアサンへ光塵を流し込む時の感覚と良く似ていた。

「こ、れは……」

 頭の中で、リーヴはかつてシーが言っていた言葉を思い出す。あの時、グレゴリーが巻き起こしたあの事件で、シーは言った。ラナにリーヴのことを全て話した礼に少々の物を要求されたと。その要求された物がなんなのか、リーヴは今まで気にしていなかった。そして、その答えはリーヴの腕に絡みついたものにあった。

 リヴァイアサンとは違い、真っ黒に染められた木材を銃の握り手とした長大な銃。その木で出来た握り手から、五本の蔓を生やした銃は、リヴァイアサンと同じように、リーヴの龍呪回路に絡みつき、そこから光塵を吸い出していた。

 だがしかし、その形はリヴァイアサンとは大きく違う。光を吸い込んで、黒く光る銃身が形作っているのは、リヴァイアサンと同じような切り詰められたショットガンではない。大型のリボルバー、とでも言うべき形をしていた。

 その銃身は、白く輝くリヴァイアサンとは正反対の黒い輝きを宿した木材によって作り出されている。

 この銃に、リーヴは見覚えがあった。シーがラナを襲撃したあの時、ラナが取り出した銃がこんな形をしていた。となると、恐らくこの銃は、ラナの開発した光塵を扱う銃であり、握り手の部分はシーが木々を操り、作ったものであろう。

 そこまで確認した後、リーヴは自らの龍呪回路に絡みついた木の蔓が二本だけを残して、離れるのを感じる。擬似的な龍である龍呪回路にもっとも親和性が高いのは、同じ光塵によって変異した生命体なのではないか。

 そう、ラナは、思いついたのだろう。だから、シーに無理を言って、手に入れた木材を使って銃の握り手を作り、そして、自らの銃を取り付けた。それは普段、ただの銃の形をした木の玩具に過ぎないのだろう。だがしかし、龍呪回路を用いて光塵を流し込むことによって、その銃は本来の機能を取り戻す。

 光塵が流し込まれることによって、元々は龍の身体であった部品は、その驚異的な堅牢さを取り戻し、銃の握り手としての役割を果たすのだ。

 その銃の握り手に掘られた文字。それをリーヴは読み取る。

「ベヒ、モス?」

 リヴァイアサンと対を為す怪物。神によって作り出され、そして、最後には人の手に渡る食料として生み出された存在。

 その名を掘られたその拳銃は、中折れ式の装填方式のようだった。本来、リボルバーだというのなら、五発ないし六発の弾丸が入っているはずのシリンダーには、二つの大穴が空いているだけだ。

 リーヴは周囲に散らばる機材の中から的確に、このシリンダーに合う弾頭を探して、入れ込んだ後、銃身を振り上げる。かちり、とまるで象が水浴びする時、鼻を大きく動かす時の動きと同じように跳ね上がった銃身は再びリボルバーの形を取り戻す。

「出てこい、リーヴ!」

 その瞬間を待っていたかのように、そんな声が響いた。

「お前がまだ死んでいないのは、わかっている! 隙を窺い、機会を狙っているのだろう? 策を練っているのだろう? ならば、それを見せてみろ。リーヴ!」

「言われ……なくても……!」

 リーヴは自分が手の中に握ったリボルバーを振り上げ、その声が聞こえる方向。正確には、そのやや上へと向かって銃弾を放つ。

 その銃弾には、リヴァイアサンが威力を強化した弾丸を撃つときに必要な光塵と同じ量の光塵を注ぎ込んでいた。

 だがしかし、その威力は、リヴァイアサンとは桁違いの破壊力を誇るものだった。瓦礫を弾き飛ばし、自分が銃で相手を狙うために必要な視界を確保するために撃ち出したその弾丸は、瓦礫を消し飛ばしていた。圧倒的な威力を見せつけたベヒモスの弾丸。その弾丸を見て、警戒に値すると判断したのだろうアルフレッドは、こちらを見て、刀を肩に背負う。

「それがお前の切り札か、リーヴ!」

 そうでなくては、とでも言うかのように、アルフレッドの口元には、朗らかな笑みが浮かんでいた。

「何を期待しているのかわからないが……少なくとも……がっかりさせることだけは、しないさ」

 軽口を叩きながら、リーヴは視線をアルフレッドの方に向けたまま、ゆっくりと周囲の様子を探る。先程まで、あの孤児院の前庭には、アルマの姿があった。その姿がどこにあるのか、リーヴは探し出さねばならなかった。

 もしかしたら、リーヴが反撃の手段を探している間に、アルフレッドの手に掛かってしまったのではないか。そう、リーヴが、嫌な想像を脳裏に浮かべてしまった瞬間、声がした。

「リーヴ、さん!」

 こちらに向かって走ってくるアルマの姿に、リーヴはほっと息を吐き出す。しかし、それは同時に疑問を呼び起こす。何故、アルフレッドはリーヴの不在、それも動くことすら出来ないリーヴの有り様を見て取ってなお、すぐにアルマの命を奪おうとはしなかったのか。

 けれど、その答えを求めることが、無粋なことなのはわかっていた。アルフレッドは、組織の長として様々な露悪的な決断を下してきたことだろう。周囲の敵対組織から舐められないため、聖道教会という組織を維持するため。

 個人として自らの信条に従って生きてきたリーヴとは違い、それはとても、息の苦しい生き方だったのではないだろうかと、リーヴは思う。

 もし、リーヴが何故、アルマを見逃したのかと問えば、アルフレッドは当たり前のように露悪的な台詞を吐くだろう。そんな言葉を、リーヴは聞きたくなかった。

「なんで……あの人と戦っているんですか?」

 リーヴの腕の中へと収まるように、体を寄せてきたアルマがそう囁く。

「なんで、って……」

 その言葉に、リーヴは少し考え込んだ。

「良くも悪くも…………あの人は頑固な人だからな。だから、あの人の本音を聞き出すためには……それ相応にぶっ飛ばさなきゃいけないのさ」

 事ここに至って、リーヴはアルフレッドを憎む気持ちを忘れていた。戦っている内に、リーヴはある事に気付いたからだ。リーヴはシーと戦っている時、自分がこの世界で最強と言える生物、龍と戦えていることに強い感動を覚え、それが本気の力では無かったことを知って、落胆した。それと同じことを、今、リーヴはアルフレッドとの戦いによって感じ取ったのだ。

 自分の力が天使という存在相手に、曲がりなりにも戦えているという実感。けれど、天使の力とはなんなのか。その定義に思い至った時、リーヴは気付く。

 本来、龍と天使。この世界で最強と名高い生物の違いは、単独での最強か、集団での最強かという違いだ。元々、人間が理性を持ったまま、光塵を扱えるように進化した状態である天使は、集団戦を得意とする。

 つまり、今、アルフレッドと戦っていても、天使という種族が持つ本来の力とは、かけ離れている部分で戦っているのだ。

「あの人は……試すって言っていた」

 それは、アルフレッド個人と戦っているだけだということだ。元々、アルフレッドには聖道教会という組織を束ねる長としての力がある。これがもし、アルフレッドの言葉通り、聖道教会としてすべき事をなすために、彼がリーヴに敵対したのなら、そこにはアルフレッドに従う部下の姿があったはずだ。

 そうなれば、リーヴは敗北を免れなかっただろう。

 けれど、アルフレッドはそうしなかった。

 最初、リーヴはその理由を、アルフレッドがノーラを守れなかったリーヴの不明を追求し、罪悪感を与えて、殺すためにそうしたのだと思った。

 けれど、それにしては、アルフレッドは理性的に、なにかを計るかのように、力を振るいながら、リーヴへと戦いを挑んでいる。なにか、力を持ってしてでしか、計れないような何かを計るために、アルフレッドはリーヴへと戦いを挑んでいる。

 そう考えるのが妥当なように、リーヴには思えたのだ。

「似ているんですね……あの人……」

「え?」

 そんなリーヴの考えをアルマに話すと、アルマはそう言ってのけた。

「リーヴさんと、あの人……本当に良く似ているように、わたしには思えます」

 その言葉を聞いて、リーヴは不覚にも口元が緩むのを感じていた。

「兄弟だから、かな……」

 自分の弱い所を隠すために、心の内側に殻を作り、それにこもっている。リーヴがひねくれた外面で現実を受け止め、その中にある熱心さで、問題の解決に当たるように、アルフレッドは露悪的な態度で様々な物事を受け止め、固い意志の力で己が目的を全うしようとしている。その殻の内側にあるアルフレッドの真実と語り合うためには、その殻を叩き壊すしかない。

 それが、アルマに言われたことから、リーヴがしみじみと感じていることだった。

 自分が本来の心を明かすとしたら、それは本当の意味で打ち負かされた時だけだ。目の前にいる少女の素直さに打ち据えられ、心のあり方をはき出された時から、リーヴは自分自身がそういう性質を持っている人間なのだと気付かされていた。

 自分の感じていたアルフレッドを打ち倒さなければならない理由を、他者の言葉によって、真実なのだと確信し、リーヴは傷ついた足に力を込める。

「立たなくちゃ……いけない。あの人に戦うに値する人間だと認めてもらうために」

 自分の足に力を込めるため、リーヴはあえて口に出してそう言った。

「手伝います!」

 その言葉と共に差しのばされた手を、リーヴは取らなかった。

 そんなリーヴのひねくれた行動をわかっていたかのように、アルマの手は、そのままリーヴの脇を通って、かつてリーヴが龍呪回路の不調で倒れた時と同じように、体を支える。

 その力はか弱く、相も変わらず背丈の小ささからほとんどリーヴを支え切れてはいない。

 けれど、リーヴはなによりも、心強い支えを得たような気分だった。

 こんな小さな女の子に支えられて、その不甲斐なさに奮い立たない男はいないだろう。ひねくれた心の中でそう呟いて、リーヴはアルフレッドを見据える。

「用意は出来たか、リーヴ!」

 リーヴの推測を裏付けるように、二人が立ち上がるその瞬間に合わせて、アルフレッドの声が響いた。

「何の用意だよ、アルフレッド」

 リーヴの軽口に、アルマが静かな笑いを漏らす。絶対に自分が傷つけられることはない。そう確信しているかのような、余裕。それが、今のアルマにはあった。

「もちろん、死ぬ用意だ。リーヴ。人を殺め、その意志を踏みにじる覚悟がないお前に……俺は絶対に倒せない!」

 アルマの余裕を信頼と受け取って、リーヴはアルフレッドに答える。

「それは、相手を殺さなければ……達成できないことなのか、アルフレッド」

「なに?」

 リーヴの素朴な疑問に、アルフレッドは眉根を寄せ、リーヴに語りかけてくる。

「何を言うかと思えば……当たり前の話だろう。自分が老いて、弱くなり……自らが守るべきものを守れなくなる可能性がある以上、敵対する者には絶対の死を与えなければ……本当の安心は訪れない」

 リーヴはアルフレッドの頑なさが、その危機感によって作り出されたものなのだと知る。思えばアルフレッドは偉人と呼ばれる男、ジェラルドが如何にして、斜陽の時代を迎えたのかを知っている人間だ。だからこそ、老いてもなお大切な者を守るためには、なにをするべきなのかを考え、頑なに既存の力をそのままに保存することによって、他者を守り抜くことを決意してきた。

 だが、それは無理な話だった。

「なぁ……あんたは信じられないのか?」

 時の流れは残酷なようで、それでも救いがあるものだとリーヴは思う。

 なぜなら、人は成長し、その結果として老いる生き物だからだ。

「自分以外の……これからを生きる者が、自分の遺志を継いでくれることを、信じられないのか……?」

 かつて、ジェラルドという偉人がいた。彼は自分の罪、神を殺した罪を償うために、その神の死によって起こった環境の変化に苦しむ人々を救った。

 そのために、孤児を守り抜き、結果として、この世界で一大勢力を作り上げるに至った。その志に惹かれない者はいなかった。彼に救われた多くの人間は彼の遺志を継ぎ、この世界を守るための力となることを望んだ。

 けれど、光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる。

 彼の肉親。ジェラルドの苦しみとその信念を一番近い形で目の当たりにしていただろう彼の弟は、その重さに耐えかね、自らの救いを求めて、他者を蹴落としていった。

 思えば、これまでの事件の全て。神の降臨以後、それまでとは一変したこの世界が作り出されるに至った経緯に、ジェラルドは大きく関わっている。けれど、既に故人となった彼は、ただ影響だけをこの世界に遺しているだけだ。

 その強すぎる影響力が、この一連の事件を起こした。

 偉大すぎる人間から逃げるために、全力を費やしたグレゴリー。偉大すぎる人間を継ぐために無理を重ね、傷を増やしていったアルフレッド。

 リーヴにはこの二人がよく似ているように思えた。そんな二人の有り様を見て、リーヴは思う。

 人の思い、残される思いには、本当に凄い力があると。その力を正しく受け継ぐことが出来れば、それは本当に素晴らしい力を発揮するのだろうと。

「自分が老いて、あるいは死んでしまっても……自分の意志が正しく、後を生きる者に継がれるのなら……それはきっと、救いと呼ばれるに相応しいものだ」

 そして、それは、この世界を懸命に生き、他者に自らの有り様を見せることでしか伝わらないものなのだ。

「だから、アルフレッド……きっと、あの人は、自分の真似事をしてほしいなんて思っていない……アルフレッド、あんたがあんた自身の生き方を貫いてくれることを、あの人は祈ってくれているんじゃないか?」

 他者に自らの夢や遺志を強要すれば、それは呪いと一緒だろう。けれど、ジェラルドは聖道教会を作るに当たって、その教義を懸命に未来を生きようとすることだと定めた。

 その教義の裏には、決して、過去に縛られて欲しいという願いは込められていない。ただただ、未来を。これから先を思い描いて、未来を決めて欲しい。その願いを込めて作られた教義こそ、ジェラルドの遺志なのだとリーヴは思う。

「やっぱり……お前は……」

 アルフレッドは自分の顔を隠すように手のひらを広げ、その中で笑っているようだった。

「我らが父の遺志を継ぐに値する男だよ、リーヴ」

 それは、アルフレッドにとって、最大限の賛辞にして皮肉なのだろうとリーヴは思う。結果として今、ジェラルドの後を継いで聖道教会の長となっているのは、アルフレッドなのだ。そんな自らを否定するかのようなアルフレッドの言葉は、リーヴの心に痛みを走らせる。

「お前は、知らないだろう……俺もまた、我らが父より直接聞かされて、初めて知ったことだからな」

 アルフレッドは、独白する。リーヴの反応をまるで顧みないその言葉こそ、アルフレッドに凶行を強いた原因の一つなのかもしれないと思い、リーヴは耳を澄ませた。

「我らが父ジェラルド・バーンズは……この世界で巨大すぎる組織となった聖道教会が、時代の流れと共に腐敗し、その志を忘れ、世界を牛耳る独裁者となってしまうことを恐れた」

 アルフレッドは、養父に託された思いを語る。

「それは、聖道教会という組織が我らが父であるジェラルド・バーンズという一人の男を中心に生まれた組織であるために、やむを得ず生まれてしまった欠点だ。聖道教会として行う事の全て。その全ての最終的な決定権は教会長という、一つの役職が握っている」

 その重さに耐えてきたアルフレッドは言う。

「それは、過ちだ。神の降臨によって生まれた混乱期を生き延びるためとはいえ、膨れあがった聖道教会の影響力を鑑みれば……それは絶対に正さなければならない過ちだった」

 アルフレッドは一度言葉を句切り、息を吸い込んで、その後に繋がる言葉を強くする。

「なぜなら、その玉座に、優秀で善意を持つ人間が座っている間はいい。だがしかし、グレゴリーのような存在がその玉座に座った場合、それが恣意的に利用され、リーヴ、お前とノーラを襲った悲惨な事件を起こす装置となる」

 確かに、アルフレッドの言う通りだった。聖道教会はこの砂漠の中で警察のような役割を持っている。そんな組織の上に立つ者が、その組織の力を恣意的に利用すれば、出来ないことなど何もないだろう。

「そして、我らが父はある一計を案じた。神の降臨以前の世界において、宗教と政治は切り離されているものだった。だがしかし、神の実在が証明されてしまったこの世界では、宗教と政治は切り離せないものだ。なぜなら、今の世の中で宗教の力を失えば、政治を行う者に必要な権威を奪ってしまうことになるからだ」

 リーヴはアルフレッドが言おうとしていることが、わかる気がした。

「故に、我らが父は…………政治と宗教を切り分けぬまま、権威と力を切り分けることを考案した。政治と宗教が切り離せないのなら、まずはその部分だけを独立させるのだ」

 聖道教会が力を持つのは、その力を持つに値する名目があったからだ。原罪教団や塵狩り、神学者と言ったこの世界で相応の力を持つ存在も、聖道教会と同じような巨大な組織を得ることは出来ていない。その理由はどの組織にも、かつてこの世界を訪れた厄災ともいえる神の降臨に、人心を安定させるお題目を早期に作れなかったからである。

 それも仕方ないことだろう。神の降臨、その災害に対して生き残るための力を得ることに必死だった各組織には、そうした人心を安定させることを選択する余裕がなかった。

 元々、人心を安定させること。それを目的に作られた組織である聖道教会との違いは、そこにあるのだ。乱暴な言い方をしてしまえば、聖道教会は神の降臨による混乱に乗じて、勢力を増した新興宗教だ。うさんくさい新興宗教が勢力を伸ばしたのは、その時、多くの人々がその名目を必要としたからである。

 その名目という権威と力を切り離せば、それは確かに聖道教会の弱体化となるだろう。

「そうして生まれるのは、政治的にやるべきことや宗教的な目的を掲げることは出来ても、それを実行することの出来る力を持たない権威だけを持った組織だ。この組織を受け継ぐ人間には、ただひたすらに……この世界にとってやるべきことを見出す能力がいる」

 大きくなりすぎた聖道教会にとって、次に切り分けられるべきなのは、そんな聖道教会を支える力だろう。

「そして、次は聖道教会が、この世界でもっとも強い力を持つに至った二つの理由。その二つを一つずつ、専門の機関に振り分ける。まず、一つはこの世界の治安維持、警察機構としての力だ。天使としての力。主に武力を持ち、法を守るための冷徹さを持つ者がここに割り振られる」

 これは天使が堕天獣や龍に匹敵する力を持つという事から、この世界に聖道教会の価値を認めさせるに至ったものだ。周囲の人々を守る力が無ければ、どんな綺麗事を語ったところで、周囲の人間に、なんの価値も見出されずに捨てられていたことだろう。

「最後に天使に関わる部門。これから天使になるかもしれない子供たちを保護することと堕天獣化を抑えるために、最高位のエハヴだけが出来る動植物の中にある光塵を摘出し、自らの体内に入れる作業を行う部門」

 堕天獣化の危険性に悩まされる神の降臨以後の世界を生きる人類にとって、聖道教会がここまでの力を得たのは、その力があったからだ。だがしかし、この能力については、半ば情報が秘匿されている。

 なぜならば、これは天使一人一人の能力によって著しく成果が変わる作業だからだ。動植物の中にある光塵のほとんどを吸収することが出来る天使もいれば、ほんの少ししか体内にある光塵を受け入れることが出来ない天使もいる。

 その違いはエハヴの中でも、光塵を受け入れることの出来る容量が大きな天使と、容量が小さな天使がいるからだ。容量の小さな天使であれば、光塵を摘出できる量は少なくなる。

 しかも、その能力を使った後の天使は、体の中に大量の光塵が含まれている状態であり、堕天獣化の危険性がある。そのため、能力を使う度に光塵が体内から排出されるまでの長い時間を安静に過ごす必要がある。

 その効果の不安定さと不透明さが問題となり、この技術を解放した都市で、暴動が起こったことから、聖道教会は天使が持つこの能力に情報規制を掛けた。しかし、一度解放された情報はどこからか漏れ伝わるもの。そうした情報を得ることが出来る聖道教会に近い町の権力者たちは、その治療を優先的に受けていた。だがしかし、その能力が権力者たちとの癒着の原因となることを恐れたジェラルドは、その能力を食べ物に使うことを発案し、光塵に汚染されていない食べ物を作り出すことに成功する。そして、それは聖道教会の権力をさらに強めることとなった。

「この三つの機関は、聖道教会がこの世界で、唯一とも言える大きさの組織となるのに……必要不可欠な三つの要因だ。その要因一つ一つを分けることで、聖道教会が一つに纏まっていた時と比べて、独裁者が現れたとしても、この世界に与える影響力を少なくする計画が、我らの父の頭にあった」

 アルフレッドは芝居がかった様子で、リーヴを見下ろし、刀を横に振るう。

「そして、その三つの組織を受け継ぐ後継者。それが誰なのか、わかるか?」

 アルフレッドの言葉に、リーヴは頷く。

「一番最初の機関についてはわからないが、少なくとも二番目と三番目については適任者がいる。二番目の組織はアルフレッド……あんたで、三番目の組織にはノーラが適任だ」

 アルフレッドはこうして戦っていると身に染みてわかるほどに頑固で、懸命に生きる男だ。法を、秩序を守るには、こうした堅物の男が良いだろう。不正を嫌いながらも、相手の心情を思いやることが出来る男だからだ。こんな男はこの男以外いないと思わせるほど、厳しさと優しさを併せ持っているのが、アルフレッドの尊敬に値する所だとリーヴは思う。

 そして、ノーラはかつての事件に巻き込まれる前は、エハヴの中でも随一の光塵を操作する能力に長けた天使だった。シスターとしての服装が似合い、優しげな顔立ちから子供たちにも好かれ、孤児の受け入れを任された女性。

 このような見方をすると、良識のある人間には良い思いを抱かれないだろうが、この世界で孤児を受け入れることは、次世代の力を手に入れるために必要な投資だった。天使の力はそれほどまでに強力な力なのだ。ただし、堕天獣化の危険性を鑑みて、ある程度の力を持つ組織が保護しているのでなければ、周囲の人間に反発される。

 そのため、敷居の高い投資であることには間違いない。だが、それは確かに、この世界で力を得るために必要な投資だった。その受け入れを担当するということは、ノーラが並大抵の人物ではないという証だと言えた。だからこそ、リーヴはあの時、ノーラを守れなかった自分の弱さに深く絶望したのだった。

「自分を低く評価するのは、相変わらずなようだな……リーヴ」

 リーヴの言葉に、アルフレッドはそう言って、溜め息をはき出す。

「リーヴ、さん……」

 アルフレッドの言葉に同調するかのように、アルマの声と視線が、リーヴを突き刺した。

「なんだってんだよ……」

 訳が分からないと呟くリーヴ。それが本当に、何もわかっていない証なのだと気付いたのだろう。アルフレッドとアルマは、まるで親子のように、同じようなタイミングで肩をすくめていた。

「アルフレッドさん……でしたよね?」

 こちらに武器を振りかざしているアルフレッドに、アルマはまるでその脅威を意に介さず、話しかける。その言葉に、アルフレッドはただ黙ったまま首肯して答えた。

「あなたとリーヴさんは、兄弟なのだと聞きました。なら、その父と呼ばれる人は……あなたたちにこそ、その組織を継いで欲しかったのではないでしょうか?」

 その言葉を聞いて、アルフレッドは我が意を得たりとばかりに、強く頷く。

「ああ、そうだとも。一番目の組織、その主として見定められていた男……それは、リーヴ。お前なのだ」

 その言葉に、リーヴは頭を振って否定の意志を示す。

「あり得ない。俺はあの時、未熟で……どうしようもないガキだった。理想ばかり口にして、何一つ自分一人では出来ない……ただのガキだった。そうだろう? だから、俺は……」

 ノーラを守れなかったのだと言外に告げるリーヴに、アルフレッドは苦笑を深める。

「それが……ちょうど良かったんだよ」

「はぁ?」

 アルフレッドのあんまりな一言に、リーヴは眉根を寄せるしかなかった。

「いいか、元々一番目の組織に必要なのは、正しい理想を掲げることだけが出来る人間だ。あの時のお前も、今のお前も……なんだかんだとひねくれた事を言う割に、やろうとすることが熱血漢ということは変わらない」

 その言葉を聞いて、リーヴは苦い顔をする。自分が情けないと思っていたことを、誰かに評価されるということほど、面映ゆいと思うことはないだろう。

「だからこそ……そんなお前だからこそ……我らが父、ジェラルドは……自らが築き上げた物の中でも、一番自分に近い物を遺したいと思ったんだろう」

 血を吐くように、言葉を口から吐き出すアルフレッド。

 その言葉を聞いて、リーヴは唇を噛みしめる。

「俺は……それが羨ましかった。尊敬するあの人の、一番大切なものを受け継ぐことが出来るお前に、俺は嫉妬した」

 その言葉に、リーヴは驚くことしか出来なかった。

 聖道教会に所属していたころのリーヴは大人として様々な力を持ち、重責に堪えながらも、結果をあげることの出来るアルフレッドに、尊敬の念と────初恋の人を奪われたという事に対するほろ苦い嫉妬を抱いていた。まさか、それと同じような気持ちをアルフレッドがリーヴに抱いていたというのは、正直に言って、リーヴの予想の範囲外だったのだ。

「だから俺は、あの人の全てを受け継げる男になることを望んだ。その無謀な挑戦が…………結局、お前たちを悲劇に陥れる遠因を作り……我らが父の望みをも砕いたのだ!」

 その苦しみは、どれだけのものなのだろう。リーヴにはわからない。

「なにを悔いればいい……どう償えばいい……いつもいつも、そればかりを考えてしまう」

 大切なもの。大切な人が遺したもの。それら全てを、自らのミスによって失ってしまうという事の重さを、リーヴは想像も出来なかった。

「けれど、過去は戻らない。たとえ何があったとしても、壊れた物が再び元の形に戻ることはないのだ……」

 それがどれだけの衝撃を人間に与えるのかわかるなどとは、口が裂けてもリーヴには言うことが出来なかった。

「だから……俺は今あるものを守る!」

 その時のアルフレッドの姿に、かつて神に救いを求めたグレゴリーと似たものを、リーヴは感じ取ってしまう。自分の力ではどうしようもないこと、どうすることも出来ないものに抗うために、その現実を認めないために、自らの狂気とも言える信念に身を投じた有り様が、そこにはあった。

「リーヴ、俺はお前という存在を消し去り、聖道教会という今あるものを守るために……手を汚す…………もう、壊れてしまった過去を見続けることは……苦痛なんだよ」

 それを見て取って、リーヴと同じものを感じたのだろうアルマが、力強く袖を握る。

 アルフレッドの光翼の輝きがさらに光を増し、目に突き刺さる。

 リーヴは肩の力を抜き、銃を構える。けれど、射撃姿勢をとり続ける体に力が入らない。

「うっ……ぐぅ……」

 ふらふらと銃口がよろけ、ついには、膝から崩れ落ちてしまう。

 体から血を流しすぎたのだろう。あるいは、予想よりも足の傷が深かったのだろうか。

 力を込める姿勢を取ると、体のバランスを取れない程に、リーヴの体は弱っていた。

「リーヴさん!」

 自分の倒れる体に巻き込まないよう、アルマとは反対方向に倒れたリーヴ。そんなリーヴを追って、アルマが手を伸ばす。

「いいんだ……」

 その手を、リーヴは握らない。

「そんなの……ダメです!」

 自分で起き上がろうとするリーヴに、手を貸そうとするアルマ。

「いいって言ったはずだ……!」

「そうやっていつも強がって……もっと、誰かに、助けを求めてくれたっていいじゃないですか!」

 リーヴはアルマの懇願に何も答えずに苦笑して、腕を伸ばし、リヴァイアサンとベヒモスの狙いを定める。アルマが、その腕を支えようとした。

「……やめるんだ!」

 そんなアルマに、短い言葉で制止を促すリーヴ。

「なんで……なんで、ですか……」

 その涙を浮かべた哀しい顔に我慢が出来ず、リーヴは自らの行動を説明する。

「子供が武器を、握るもんじゃない。だから、支えたいというのなら、腕じゃなく……背中を支えてくれ」

 それは、リーヴの意地だった。子供が武器を握ることになる。そんなことを、絶対に許す訳にはいかなかった。

「意地っ張り……ですね……」

 リーヴの言葉を聞いて、アルマは哀しそうに涙を浮かべながらも笑顔になり、リーヴの背中をそっと支えた。

「悪い……」

 今、一番アルマにとって安全な場所はリーヴのすぐ傍だろう。保護者であるシーもいないこの状況で、天使であるアルフレッドに抗うための力を持っているのはリーヴだけだからだ。

「なぁ……ほかの皆はどうしているんだ?」

 これだけの騒ぎを起こせば、ラナや孤児院に住む孤児たちは、もうすでに事態に気付いていることだろう。そして、とりあえずは逃げ出しているはずだ。しかし、シーはどうしているのか。それが、リーヴの気がかりだった。アルマも巻き込まれているこの鉄火場を見れば、シーは有無を言わさず、戦闘に介入してくるだろう。

 けれど、シーは今ここにいない。それが、リーヴに恐怖を与えていた。

 リーヴの言葉に、アルマは顔をうつむかせて答える。

「昨日の事件でずいぶん、無茶をしたみたいで……今は、休んでいます」

 堕天獣、それも龍という高位の生命体は、その生命活動の大半を光塵によるものに置き換えている。だからこそ、光塵を使い果たした後には、休眠状態となる。

 恐らくシーは自らの体を作る光塵すら惜しんで、本体となる苗木で眠っているのだろう。

「じゃあ……なおさら、気ぃ張らないとな……」

 リーヴはその言葉を聞いて安心して、覚悟を決める。上半身だけで銃を支えるというのは、意外と筋力の必要な行為だった。自らの腕に入り込んでいる龍呪回路を用いて、その筋力を補強しながら、リーヴは銃を構える。

 だが、心配しなければならないのは、銃を保持し続けることよりも、銃の威力だった。

 確かにベヒモスはリヴァイアサンと比べ、破格の威力を発揮することの出来る銃だ。

 だがしかし、散弾銃として作られたリヴァイアサンとの違いである装弾数に、格段の差がある。装弾数が多く、ばらまけるリヴァイアサン。装弾できる弾は二発だけだが、すさまじい威力を誇るベヒモス。

 この二つの銃の機構を理解した上で、勝つための戦略を見定めなければならない。

 リーヴには既に一つ、策があった。しかし、その策を利用するためには、大量の光塵が必要だった。それが先程、シーの居所をリーヴが気にした理由でもある。

 シーがいるのなら、その光塵を元々自らの体でもあったベヒモスに入れてもらうことによって、光塵を補給してもらおうと思っていた。だが、仕方ないとリーヴは腹をくくる。

「自前の光塵で何とかするか……」

 その言葉を言った瞬間、あふれ出す光塵の光。

 リーヴが頭上でアルフレッドが突撃の姿勢に入ったのを見て、その動きに目を向け続けなければならず、背後を見ることは出来ない。

 だがしかし、その光塵は、アルマの方から流れ出している事だけは見ることが出来た。

「これくらいの手助けは……許してくれますよね?」

 その言葉と共に、リーヴの龍呪回路に、光塵が流れ込んでいく。

 ベヒモスを握った右手の龍呪回路には、三本の空きがある。その三本の空いた龍呪回路に光塵が流れ込み、リーヴの全身を拒絶反応すら出させずに掛け巡る。

 それはかつて、グレゴリーにリーヴが行われた他者の体内で光塵を操る天使の最高位、エハヴの力だろう。そして、今、ここにいるエハヴは一人しかいない。アルマがその背中から光翼を生やし、リーヴに光塵を補給しているのだろう。

 その光塵の輝きを血で汚さないために、リーヴは先程ベヒモスの威力を見て、思いついた作戦を実行に移す。

 アルフレッドの突撃。

 今度は何も容赦することなく、絶対的な突進力と光塵によるバリアーを盾に突っ込んでくるアルフレッドの突撃に合わせ、リーヴは引き金を引く。まずは右、ベヒモスの一撃だ。その一撃は光塵によって威力を強化されているために、轟音と目映いばかりの光を発しながら、空に向かって飛んでいく。

 だがしかし、そんな弾丸に簡単に当たってくれるようなアルフレッドではなかった。体を横にズラし、直前で少しでもスピードを緩めるアルフレッド。その肩の上を弾丸は通り抜け、光塵の操作を狂わせる。だが、アルフレッドもまた、こうなることは予測していたのだろう。落下しながらも、体勢を整え、こちらに向かってくるアルフレッド。

 先程の軌道修正によるものか、それはただの落下でありながら、先程までの勢いを得ることで、正確にリーヴの元へと向かってきている。その勢いはいまだ鋭く、その余勢を駆ったアルフレッドの攻撃は、絶大な威力を誇ることだろう。

 リーヴの裾を握るアルマの力が強くなる。

 後ろを振り返って安心させることの出来ない自分の無力さに呆れながら、リーヴは再び狙いを定めた。

 今度は左手の銃、リヴァイアサンだ。光塵による弾丸の強化、その種類は切り札である弾丸の補給だ。まるでマシンガンを撃っているかのように、連続した銃の発砲音。しかし、そこから発せられた弾丸のほとんどが、アルフレッドの振った刀が、巻き上げた瓦礫によって止められる。

「そんなものか、リーヴ!」

 振り上げられた刀を再び肩に背負い、そのまま、振り下ろそうするアルフレッド。

 だがしかし、その刀にこそ、リーヴは銃口を定めた。

 その狙いをつけている銃は、リーヴが右手に握る大型のリボルバー、ベヒモスだ。だがしかし、ベヒモスには二発しか弾丸を装填することが出来ない。

 そう、普通の銃ならもう、リーヴは弾切れだ。けれど、この銃はラナが作った光塵を兵器にする銃。それも龍呪回路によって、光塵を補給できるようにしている銃だ。

 ならば、先程リヴァイアサンでやったことが、ベヒモスでも出来るのではないかとリーヴは考えた。

 その考えは、銃声によって肯定される。

 再びうずき出す龍呪回路。手も足も、もう動かすことはできない。そう思うほどの倦怠感がリーヴを襲った。

 だが、その重さを受け止めてくれる存在があった。

 アルマだ。そのアルマをリーヴは軽く抱き寄せ、横に座らせる。

「ふぇ……あ、リーヴ……さん!?」

 慌てるアルマの姿に、リーヴは少し笑い声を漏らす。

「アルフレッド、いや……兄さん、やっぱ俺には無理だ。大切な何かを切り捨てて、また別の大切な何かを守ろうとすることなんて、俺には出来ないよ」

 それはリーヴが今までやってきたことの肯定であり、アルフレッドがやろうとしてきたことの否定だった。

「ふん……」

 その言葉を聞いて、憮然とした顔で息を吐くアルフレッド。その手には、刃が中程で折れた刀が握られている。

「甘すぎるな、お前は……」

「そんな甘いやつでも、傍にいる誰かが支えてくれるなら……なにかが出来るさ」

 リーヴの言葉を聞いて、アルマがその時は、自分が手助けするんだとばかりに拳を握る。

 その様子を見て、リーヴはアルマの頭を撫でた。

「えへへ……」

 幸せそうに笑うアルマ。

 そんなアルマの姿に、リーヴは苦笑するしかなかった。

 二人の姿に、毒気を抜かれたのだろう。アルフレッドはただ笑っていた。

 アルフレッドに近づく一人の影。その影がノーラのものだと気付いて、リーヴは体の中にある力を抜く。

 どうやら、もめ事はもう終わったらしい。そう思った。それはアルフレッドも同じだったらしい。肩の力を抜いた笑顔で、アルマを可愛がるノーラを見つめている。

 その笑顔は今まで感じられた険しさが取れ、年相応の幼さと優しさが溢れる、リーヴにとって見慣れたアルフレッドの笑顔だった。

「うゆ?」

 ノーラから抱きしめられ、撫でられ、何とも言えない猫可愛がりを受けるアルマの口から、妙な声が漏れる。

「どうしたんだ?」

 そんなアルマに、リーヴは問いを投げかける。

 だが、その答えが返ってくることはなかった。

「すまないが、好きにさせてやってくれ……」

 そう、アルフレッドがリーヴとアルマに懇願したからだ。

「ノーラ。すまないが、その少女を連れて……ラナ……とか言う神学者を連れてきてくれないか。リーヴには、治療が必要だろう」

 その言葉を聞いて、自分の両足をリーヴが改めて見る。

 すると、そこにはずいぶんと酷い傷が広がっていた。傷口には様々な形の小さい瓦礫や粉塵が入り込み、傷口を汚していた。

「うっ……くっ……」 

 少しの動きでもそれらの体内に入った異物が体の内側で擦れ、独特の痛みを発生させる。

 アルマを見ると、先程まで戦っていた二人を取り残していくのが不安なのか、ノーラに手を引っ張られても、健気に抵抗して、この場所に留まろうとしていた。

「これは……きちんと治療しないと、どうしようもないな。悪い、アルマ。そういうわけだから、ラナを呼んできてくれないか?」

 リーヴの言葉を聞いて、アルマは何度も振り返りながらも、この場を後にする。

「で……一体なんだって、こんな戦いを……そして、こんな露骨な人払いを仕掛けたんだ、兄さん?」

 リーヴの言葉を聞いて、アルフレッドは苦笑する。

「やっぱり……バレていたか」

「バレないわけがないだろう」

 苦笑しながらそう答えるアルフレッドに、リーヴは自らも苦笑してそう返す。

「頼みがあるんだ」

「それは……塵狩りとしての俺に? それとも、昔なじみの義弟に対して?」

 改まってアルフレッドがそう口にした時、リーヴはそう聞き返した。

「強いて言うなら……両方のお前にだな」

 アルフレッドの口調は軽いものだったが、どこか人を従わせるに足る何かを感じさせる言葉だった。それは、顔立ちから険が取れ、落ち着いたアルフレッドの風格が自然と漂わせるものなのかもしれない。

「わかった……話を聞こう。それが、試すって言葉の真意なんだろ?」

 リーヴの言葉に、アルフレッドは黙したまま、頷いた。少しの間、お互いが何もしゃべらない時間が流れる。その時間はやけに懐かしく、リーヴの心を締め付けた。

 ずいぶんとリーヴ、そしてアルフレッド。この世界でお互いに血は繋がっていなくても、兄弟として育った二人は、ずいぶんと立場を違えてしまっていた。

 塵狩りとして生きるリーヴと、聖道教会の教会長として生きるアルフレッド。

 よくよく考えれば、グレゴリーが起こしたもめ事がなければ、再び出会うこともなかっただろう。そういう意味では、グレゴリーに感謝してやってもいい、そう思うくらいには、リーヴはアルフレッドと過ごすこの時間を心地よく思っていた。

「アルマを……守ってやってくれ。聖道教会から……原罪教団から……」

 アルフレッドの頼みは、そんな内容だった。

「あの少女はこれから、この世界にある様々な組織に狙われるようになるだろう」

 アルフレッドの言葉に、そうなるだろうという意味を込めて、リーヴは頷く。アルマが世界に示した価値、それは今現在、聖道教会に頭を押さえつけられている形となっている他の勢力にとって、喉から手が出るほどに欲しいものだ。

 何せ聖道教会の長であるジェラルドの弟グレゴリーが、聖道教会を裏切って造り出した人造の神である。その技術と聖道教会を弾劾するための証拠を手に入れようと、原罪教団はアルマを付け狙い、そして、世界を揺るがす爆弾となったアルマを、今現在の秩序を守るために聖道教会は狙い続けるだろう。

 塵狩りや神学者たちも同じ事だ。塵狩りは生活のために、高純度の光晶を必要とする。アルマの体内には、この世界で最も純度の高い光塵が入り込んで、光晶を作り出していることだろう。その光晶を取り出して、市場に売れば、それは、金の卵を得たということと何ら変わらない。

 神学者とて、元々は神の降臨によって、実在が証明された神について、研究するために生まれた学問だ。降臨した神の謎を解き明かすために、神の身体を構成していた光塵を得るということは、多くの神学者が、願えども叶わないと思われていた望みの一つである。かつて、神と呼ばれたものに一番近い光塵を体内に宿している。その事実が、どれだけの研究価値をアルマの光塵や光晶に与えるのか、神学者としてその道を歩むラナにすらわからないだろう。

 それに今現在、人類がその勢力を維持できているのは、ひとえに数が少ないものの、まだ生きている神の降臨以前の機械技術と近年発展が著しい光塵技術があるからだ。

 光塵技術の研究のために、純度の高い光塵や光晶はどれだけあっても足りない。

 ただの民衆にとっても、アルマというのは動く爆発物に他ならない。この世界にある全ての勢力、全ての人間が、アルマを狙うに相応しい理由を持っている。いつ爆発するかわからない爆弾を除去したい。そう願わない者はいないだろう。その事実が、アルマの将来を著しく狭めていることに、リーヴもアルフレッドも気付いていた。

 だがしかし、その事実に気付いてはいても、それは個人の塵狩りであるリーヴにはどうしようもないことだし、ましてや治安を維持する側であるアルフレッドにとっても、どうしようもないことだろう。

「無理を言っていることはわかっている……だが、それでも頼む!」

 それがわかっているのか、アルフレッドの口調にはどこか苦いものが感じられた。

「兄さんの懸念は、わかっているよ。俺個人が世界に対抗しても、時間稼ぎにしかならないんじゃないか……って、そう思っているんだろう?」

 リーヴはそう、言葉を発する。その言葉に、アルフレッドは小さく頷き、苦渋の表情を顔に浮かばせる。

 リーヴは笑う。それは、安堵の笑みだった。アルフレッドはアルマを、小さな子供を見捨てるような真似を心の中では許してはいなかったのだ。それがわかっただけでも、リーヴには十分だった。

 世界からアルマを守るためには、それ相応の力がいる。だから、アルフレッドはリーヴに戦いを挑んだ。アルマという存在を、一時的にせよ守る力が、リーヴにあるのかどうかを試すために。

「素直じゃないなぁ……兄さんは」

 口の中でぼそりと呟くように、リーヴはそう言った。

 幸いにして、その言葉はアルフレッドには聞こえなかったらしい。

「何にせよ、俺がお前に依頼したいのは……そういう依頼だ。俺も出来る限りの協力をする。だから、アルマという少女を……守ってはくれないか?」

 その言葉に、リーヴはただ肩をすくめて答えた。

「それはもう、依頼されていることだよ。なら、俺はそれをやり通すだけ、さ。塵狩りとしても、個人としても……俺はあいつを守ることを頼まれていたし、自分でも守りたいと思っている。あいつが、この世界を生きていく様を見ていたいから……」

 アルマの正直な性根は、今の世の中に欠けているものの一つだろう。

 その意志が一体どんな人と絆を結び、どんな生き方を選択していくのか。それを想像するだけでも、胸の内に暖かな気持ちが満ちる。だから、そんな暖かな未来を見せてくれるだろうアルマを、リーヴは守り続ける決意を固めていた。

「そうか……」

 そんなリーヴの言葉を聞いて、心底、安心したかのようにアルフレッドは呟く。

「俺が、お前に協力できること。今の内にやっておくとするか……」

 アルフレッドはその言葉を言い終わるか言い終わらないかの瀬戸際でこちらに近づき、倒れ込んでくる。

「お、おい……どうしたんだ?」

 光塵の影響圏を何度も弾丸で吹っ飛ばしたことが、何かアルフレッドの身体に悪影響を与えたのかと思い、リーヴは慌ててアルフレッドの身体を受け止めようとする。

 だがしかし、その手を止める冷たい輝きがあった。

「兄……さん……?」

 リーヴの声が掠れる。こちらに倒れかかってきたアルフレッドの身体、その背中からは冷たい輝きが光っていた。

「兄さん!」

 その輝きが先程、リーヴがベヒモスの弾丸によって叩き折った刀だと気付いて、リーヴはアルフレッドの身体を引き離そうとする。その瞬間、掌にべったりとこびり付いた血に、リーヴは驚いた。

「な、んで……なんでだ、アルフレッド!?」

 リーヴは思わず、そう問いかける。

「なんで、自分を刺すなんて真似……!」

「言っただろ? 俺が出来るだけの協力をすると……」

 リーヴの戸惑いに対しての答えを提示しながら、アルフレッドは血の気の失せた青い顔で笑う。

「誰も……呼ぶな、叫ぶな、リーヴ。見られているのだ……から、な。ほかの聖道教会の人間には、俺がここに聖道教会の裏切り者である……リーヴを粛正しに行くと話してある。その粛正を監視する人員が、近くにいるはずだ」

 その言葉を聞いて、リーヴは絶句する。

「だけど……兄さんは、俺の指名手配は解かれたって……」

 リーヴの言葉に、アルフレッドは静かに首を振る。

「グレゴリーという巨悪を相手にするためには、小さな悪は見逃さなければならない時があると訴えただけだ。お前の指名手配は、まだ解かれていない」

「そんな……そんなことをして、一体なんの得が……」

 血がドクドクと流れ、段々とアルフレッドの顔色が悪くなる。

「だれ……っ!」

 誰か、助けてくれと叫ぼうとしたリーヴの口を、アルフレッドの手がふさぐ。

「お前は……聖道教会に恐れられなければならなかった……!」

 なにを言っているのかとリーヴは、アルフレッドに目で問いかける。

「アルマは聖道教会にも狙われている。その狙いを逸らすには、俺という存在を打ち倒すほどの危険な存在がいるとするのが一番だ」

 目を動かし、アルフレッドが庭に植えてあるシーの本体を見つめる。

「幸いにして…………塵狩りのお前と、そして、アルマを保護しようとする腕のいい神学者。龍……と、聖道教会が危惧するような力を持つものが、お前の周りにはいるようだしな」

 アルフレッドの目から、シーは逃れられなかったらしい。けれど、その事実を聖道教会がこの町で動いている間だけ、アルフレッドは隠し、その情報をどう役に立てるのか考えていたのだろう。

 その利用法が、このでっち上げられた畏怖だった。

「龍を従わせ、神学者の協力を得て……俺をも倒す力を得た……そういうことにしてある。それを窺わせるような、手記を遺しておいた。お前はこれで、ジェラルドや俺を失って弱体化した聖道教会では、簡単に手の出せない緩衝地帯を作り出すことになるだろう」

 アルフレッドの掌に、力が抜ける。それがアルフレッドの身体の中に、力を入れるのに必要な血液すら流れてしまったということに気付いて、リーヴはその手を握りしめる。

「なんだって……そんな、それでも……アルフレッド……あんたが……兄さんが死ぬことはないだろう! 誰か……誰か!」

 リーヴの悲痛な叫び。それを止めることも、既に出来なくなっているのだろう。アルフレッドの片方しかない大きな手が、ぴくりとしか動かなかった事から、リーヴはそれを悟った。

「我らが父が、聖道教会を造り出した背景を例に挙げれば……わかるだろう? 正しいことを為すには……力が必要だ。その力を、お前は持っている。だが、その力を証明するに相応しい実績を、持っていなかった」

 敗北にまみれた記憶。苦戦の果てに、辛勝しか引き寄せられなかった自分の戦いの記録。だからこそ、圧倒的な格上に対しての勝利を、リーヴは手に入れる必要があった。

「だけど……だけど……!」

 それがアルフレッドがアルマを守るために、リーヴに足りないと思う一つだったのかもしれない。だが、それをアルフレッド自らの命でもって、証明させることはないだろうと、リーヴは重ねて言うしかなかった。

 まるで幼子のように、涙を流しながらしゃくりあげ、言葉にならない嗚咽を漏らすリーヴに苦笑しながら、アルフレットが首を振る。

「これは……俺にとっての……罰なのだ」

「罰? 兄さんが……こんな死に方をする必要性のある罪なんて、犯すはずがないだろ!」

 リーヴがそう断言し、アルフレッドへの信頼を示す。しかし、アルフレッドはその信頼の言葉に、首を振る。

「俺の罪は……お前に嫉妬したことだ……」

「嫉妬って……その話はもうすでに聞いたよ。それでも、俺はこんな死に方を兄さんがする理由なんてないって、そう思うんだ!」

「違うんだ……!」

 リーヴの手を掴み、アルフレッドが静かに言い聞かせる。先程まで力を失っていたはずの身体は、生涯、秘めざるを得ない罪の懺悔を行うためだけに力を奮っていた。

 それが、リーヴにはあまりにも悲しかった。

「違うんだよ、リーヴ……俺は、お前への嫉妬から……既に大きすぎる罪を犯しているんだ」

 その力強い動きが、ロウソクの最後の灯火が、より一層光り輝くのと同じものだと、リーヴは勘付いていた。

 だからこそ、その言葉のたった一言も聞き逃さないように、リーヴは耳を澄ませる。

「ノーラ……彼女はな、かつてのお前に……恋をし始めていた。お前が神父になろうと決意した日、手の掛かる弟扱いだったお前を……頼りがいのある男として彼女が見始めたことに……俺は気付いていた……」

 アルフレッドは血を吐くように、言葉を口に出していく。

「俺はそれに気付いて、焦ったのだ。聖道教会の……我らが父、ジェラルドの後継者として一番大切なものを、その志を受け継ぐ者としても選ばれず……そして、俺が愛する女の心すら奪われてしまったのなら……俺には一体、何が残る?」

 アルフレッドは涙を流しながら、語る。

「その焦りが……俺を狂わせた。あの日、俺は夜、ノーラの部屋に忍び込み……愛を囁いた。彼女は俺を受け入れてくれた。ただ、それはお前への思いが…………恋に変わる前の一瞬の隙を狙ったに過ぎない」

 それはエゴにまみれた話であった。けれど、それが兄と尊敬した男が、死に際に語る言葉なら、リーヴは聞き届ける必要性があると考えていた。

「俺はお前に……負け続けてきた。俺は、お前との勝負と言えるものでは、全て……汚らわしくも下らない方法での勝利しか得られなかった。だから、俺は今日ここで、お前と正々堂々と戦うことを望んだ。けれど、その戦いも……俺の敗北で終わったのだ……」

 何かを納得するかのように呟かれる言葉。

「試すって……言っていただろう?」

 だから、リーヴは疑問を口に出す。アルフレッドは確かに、戦う時に試すと言っていた。試すことが目的の勝負での勝ち負けなど、意味のないものだと、リーヴは語ろうとする。語らなければ、話し続けなければ、アルフレッドが死んでしまうと思っていたからだ。

「それは……愚かな兄の意地というものだ。俺は本気だった。俺個人の力で、お前を凌駕したかった……けれど、それは叶わなかった。そして、その見栄と意地が……俺にとって最悪の形で、罰を押しつけてきた」

 リーヴの言いたいことを理解して、先回りして答えを口に出すアルフレッド。

「グレゴリーがノーラに光塵の実験をしたあの時、ノーラは……妊娠していたんだ」

 その言葉を聞いて、リーヴは声もなく絶句する。

「あの男は言ったよ。俺とノーラの子供は、光塵によってその身を守られながら、急激に成長させられ、光塵研究の実験台にさせられようとしている……と。その子を守るために、グレゴリーの言うことに従うしかなかった俺は、様々な罪を犯した。あいつの研究資金を都合し、聖道教会の内部情報すら売り渡した」

 それが、アルフレッドがあの事件でグレゴリーに掛けられた本当の首輪だったのだろう。

 自らの子供を人質に取られていれば、たとえどのような要求であっても、親は答えようとするだろう。その子供を守るために。そして、グレゴリーにとっては、その親子の間における情こそが、自らが背負う原罪の発端となったものだ。

 あの男は嬉々として、アルフレッドを、その子供を苦しめたに違いないだろうと、リーヴには想像できた。

「その状況を好転させるために、俺はクーデターを起こし、グレゴリーを聖道教会の長から蹴り落とした。だが、俺とノーラの子供は、グレゴリーの手に渡ったままだった。俺はその時、もうその子供の命は、グレゴリーの手に掛かり、取り戻せない所に行ってしまったのだろうと思っていたよ」

 アルフレッドは既に力の入らなくなった身体の全てを、リーヴに預けていた。その重さに耐えながら、リーヴはアルフレッドの話を聞く。

「ならば、せめて……仇を討ちたかった。たとえ、俺がどれだけ罪に塗れていようとも……子供に罪はない。その復讐だけは、俺の命を賭しても果たすつもりだった」

 それが、聖道教会の長ともなった男が、こんな辺境の町にやってきた理由だった。たとえあのグレゴリーが相手だとは言え、組織の長であるアルフレッドが、その討伐に動くのはおかしなことだった。

 その疑問に、リーヴはアルフレッドの言葉で答えを知る。

「だが、俺の予想は外れていた。あの男は天使と天使の間に出来た子供という……極めて希有な存在を、自らの欲望のために利用していたからだ」

 神の再臨。そう呼ばれるべき出来事の中で、この世界に降臨した神の光塵を操るのに、天使と天使の間に生まれた子供という特殊な存在であるアルマは実に都合が良かったのだろう。

 それが、アルマの命を救った。

「あの男は…………俺がこの町に近づいてきたのを何らかの方法で察知し、逃げられないことを悟ったのだろう。だから、俺たちの子の居場所を教える代わりに、この町で起こる事件を見逃せと言ってきた。どうするのかはお前次第だ……と。その要求が果たさなければ、子供がどうなるかはわからない、と」

 それが、アルフレッドがこの町で、グレゴリーとの猿芝居を演じた理由だった。

「騙されているのは、わかっていた。だが……それでも……それでも! 俺とノーラの子供が助かるのなら、その可能性が一片でもあるのなら……縋り付かずにはいられなかった!」

 そして、恐らくアルフレッドは、あのアルマが神と化した教会で、全ての真相を知ったのだろう。天使と天使の間に生まれた、光塵に対する適応能力がずば抜けて高い少女。アルマ。

 その少女こそ、自らが追い求め続けてきた実の子供なのだと。

「リーヴ……恥知らずな男だと俺を罵ってくれて、構わない。どれだけの罪を重ねながら、どの口でそんな願いを口にするのかとそう思ってくれて構わない……だが、俺がどれだけ罪に塗れていようとも……あの子には、その罪は関係ないんだ!」

 それこそ、血を吐くような思いでアルフレッドは、その言葉を再び口にする。

「あの子を……俺とノーラの子供を……俺の罪の証ですらあるあの子を……アルマを!」

 初めて、アルフレッドは自らの子供の名前を呼んだ。それが、こんな場面でこんな形で、血と罪に塗れて呼ぶ名前ではないと思っているのだろう。唇を血が出るほどに噛みしめ、それでもその名を呼んで、アルフレッドはリーヴに懇願する。

「守ってやってくれ……この世界の、全ての不条理から! 親とすら名乗れぬ、愚かで罪深い俺の代わりに!」

 その言葉を最後に、アルフレッドは命を落とす。

 その瞳から、涙が流れていた。

 リーヴは、アルフレッドが涙を流している所を、初めて見た。その涙を見てリーヴは、アルフレッドの瞳を閉ざしながら、口に出してアルフレッドの懇願に答える。

「わかった、よ。だから……せめて……安らかに眠っていてくれ……」

 必ず、守る。そうリーヴは改めて、既に死骸となったアルフレッドに誓った。

「リー、ヴ?」

 名前を呼ばれて、リーヴはその声の方向に顔を向ける。

 すると、そこにはアルマとはぐれたのか、一人だけで立つノーラの姿が見えた。

「姉、さん……」

 ノーラはリーヴの声に答えず、ただじっとアルフレッドの死体を眺めている。

「アルフレッド……」

 死んでしまった自らの夫、その名前を呟くノーラの姿があまりにも痛々しすぎて、死というものすら理解できなくなってしまったかのような、ノーラの姿を見ていられなくて、リーヴは目線を外してしまう。それがリーヴにとって、生涯の後悔を生むことになると、神ならぬリーヴは知らなかったのだ。

「いずこまでも……私は、あなたの傍に侍りましょう」

 やけに明朗なその言葉に、嫌な予感を覚えたリーヴは、目線をあげる。

 そして、そこにあった光景に、目を見開くしかなかった。

「あなたが罪を犯したというのなら、私もまた罪を犯し、あなたの元へ参りましょう」

 ノーラは、アルフレッドの死体から刀を引き抜き、そして、自らの喉へと突き刺そうとしていた。

「…………っ! やめろーーーーーーーーー!」

 音が出るほどに勢い良く息を吸い込み、リーヴは叫ぶ。

 けれど、そんな叫びは届かず、ノーラの握った刀はその喉へと突き刺さった。

「幸せになって、ブフッ……ね……私の弟、それに……むす、めも……」

 こちらを向いて、ただそれだけを言い残して、ノーラもまた、アルフレッドを追って旅立ってしまった。

「うそ、だ……こんなの、こんなのって……」

 それを信じたくなくて、リーヴは首を振る。

 満身創痍の身体を引きずるように動かし、リーヴは兄と姉、二人の死骸に触れた。

 異様に冷たいその身体が、そこに生命というものが欠片も存在していないということを証明していた。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ、ああっ、あああああああああ!」

 叫び、涙を流し、リーヴは慟哭する。

 どれだけの時間が経ったのだろう。リーヴからは既に時間の感覚が、消し飛んでいた。

 リーヴの涙は、既に涸れ果てていた。けれど、リーヴが触れている二人の身体からは、まだ血が流れている。

 そんな、長いと言うには短く、短いと言うには長い時間を、認めたくない現実を受け入れるためだけに、リーヴは使っていた。

 それほどまでに、リーヴにとってこの二人の死は耐え難いことだったのだ。

 だがしかし、二人の死がどれだけ悲劇的なものであっても、リーヴはそれを受け止めなければならなかった。その死を悼むために。その死を受け入れるために。だから、リーヴは涙が涸れ果てて、目元を腫れ上がらせたままで、ただ、その死を見つめていた。

 目が、離せなかったのだ。目の前に起こった出来事があまりにも、現実的ではないと思えるほどのショックを、リーヴに与えていた。

「リーヴ、さん?」

 ノーラが来た時と同じように、リーヴの背後から、声が投げかけられる。

 その事実がリーヴの体を突き動かし、素早く後ろを振り返らせた。

 そこにいたのは、ラナとシーを連れたアルマの姿だった。

「これは…………」

 陰惨な状況に慣れているのか、短く納得するシー。そこには、リーヴにはない年月を経たもの特有の悲惨な状況に対する慣れがあった。

「リーヴ……あんた……大丈夫なの、血だらけよ?」

 この世界を生きていく者として、生きている者を最優先に考える性質を持つラナは、リーヴを気遣った。けれど、その気遣いは、やけに空しいものにリーヴには思えてしまった。

「リーヴ、さん……これっ、て……」

 そして、アルマ。アルマの反応は、陰惨な光景に慣れていないためにどこか鈍く、状況を理解しきれていないようなものだった。そのアルマの反応を見て、リーヴは慌てて立ち上がり、ふらつきながらもアルマの身体を抱きしめる。

「え、あ……え?」

「何をやっているのじゃ、小僧!」

「ったく……元気なんじゃない、心配して損したわよ!」

 三者三様の反応。しかし、どの人物にも共通していたのは、驚きという感情だった。 

「…………見ちゃ、ダメだ……」

 そんな感情を意に介さず、リーヴはただひたすらに、アルマの体へ縋り付いて懇願する。

「頼む…………ラナ、シー……頼むから、アルマにあの二人の……死体……を……見せないでくれ」

 リーヴの様子に、常日頃のひねくれた態度とは違うものを感じ取ったラナとシーは、何一つ文句を言わずにリーヴの言葉に従った。

 その静かな埋葬が終わるまで、リーヴは泣きながら、アルマの体を抱きしめ続けた。

「リーヴ……さん、泣いているんですか?」

 そんな言葉が、腕の中で響くのを聞きながら。


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