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第一章 リーヴ・バーンハード

 かつて「神の降臨」と呼ばれる出来事があった。

 巨大な輝く人。神と呼ぶしかないような存在が突如として現れ、世界を混乱に陥れた。

 そして、その神は世界を歩き、神に触れたものは全て光となって消えていった。

 ある日、その神が死んだ。

 なぜ死んだのかはわからない。殺されたのかもしれないし、あるいは神に救済されるべき人間を全て回収したからなのかもしれない。

 だが、突如として、神は今まで消してきたものと同じように光の粒となった。

 その光の粒は光塵(こうじん)と呼ばれる塵となって、この世界を覆った。

 光塵と呼ばれる神の死体から舞い上がった塵。

 その塵による環境の変化。大半の機械がその塵によって壊れ、人類が築いてきた文明は、致命的なダメージを負うことになった。しかし、人類はその環境の変化を生き延びた。だがしかし、絶対的な人類の数は、神の降臨以前の世界と比べて、三分の一程度になったと言う。

 機械技術の崩壊によって、原始的な生活をせざるを得なかった人類は、最終的に神の死骸である光塵に目を付ける。

 光塵技術。そう呼ばれる技術によって、人は光塵を資源として扱えるようになった。

 その技術によって、多くの人が救われ、人類は新たなる技術をもって、新しい生活を築いていた。

「あーあ……ほんっと、あいつの依頼なんて受けるんじゃなかった……」

 かつて神が歩いた足跡とも呼ばれる聖道砂漠(せいどうさばく)

 神の降臨以前の建物が風化し、所々、形を崩したビルなどが森林のように立ち並ぶ砂漠の中を、ぼやきながら歩く一人の青年がいた。

 その青年の頭の中に思い浮かぶのは、今回の依頼人である友人の言葉だった。

「なーにが、簡単な仕事だよ。人助けも出来て、とっても健全なお仕事だ……なーんてほざきがって」

 青年の名前はリーヴ・バーンハード。

 ぶっきらぼうな口調とは裏腹な澄んだ瞳、年の頃は二十代の前半といったところだろうか。随分と若く、幼げな顔立ちをしていた。

 手入れなど微塵もしていないであろうぼさぼさの黒髪と、気怠げに細められた黒い瞳。

 ややシニカルな笑みを浮かべていることを除けば、それなりの好青年だろう。

 髪と同様にぼろぼろで所々、傷の入った濃紺のフード付きロングコートを羽織り、下に着ているのはタンクトップ。そのタンクトップはリーヴが着ている衣服の中で、唯一まともな形を保ったものだと言えた。

 下に履いているのは、砂でこすられて色が落ちたジーンズ。そうした衣服のボロさは、リーヴ自身の整った顔立ちを、どこかしょぼくれた印象に変えていた。

「あれ……か」

 水気のない砂のような光塵。その上に生える植物を踏みしめて、リーヴは前へと進む。

 あたりには木々が生い茂り、コンクリートジャングルと、本来の意味でのジャングルが合わさって一種独特な異世界のような森林が作られていた。砂漠に森林というと、おかしなものだが、光塵はあくまで世界の大半を覆っているだけだ。

 その下には草も木も生える健全な大地や神の降臨以前のコンクリートで舗装された道などが広がっている。

 リーヴは懐の中から光塵の結晶、光晶(こうしょう)と呼ばれる物質を取り出す。

 リーヴは、その光晶を砕いた。

 パキッ、というガラスの割れるような音と共に光晶が砕け、そこから光塵が溢れ出す。

 正八面体のクリスタルに似た光晶は、中身が空洞になっており、そこはこの世界とは違う神の世界に繋がっていると言われている。故に光晶の大きさを考えれば、あり得ないほどに膨大な光塵が、光晶の中には詰まっているのだ。

 その溢れ出した光塵を、リーヴは投げるようにして、目の前に散らばらせる。

 ちかちかと、その光塵を跳ね返す壁。

 その境界線に、リーヴは光晶を押しつけながら、異世界へと入り込む。

 それは神の降臨以後に発生した身近な異世界だ。光晶の先にある神の世界とはまた違った意味での異世界が、リーヴの目の前に広がっていた。

 先程までコンクリートジャングルと、本来の意味での木々が生い茂ったジャングルが入り交じった一種異様な光景が消え去り、そこには神の降臨以前の世界に存在していたと言われる豊穣な大地と森林が存在していた。

 光塵が大量にある場所はその光塵によって、極めてリーヴたちの住む世界と近しい異世界となっている。

 その入り口にリーヴは光晶という通行料を払い、入り込んだのだ。

 リーヴが進む先、この森林の中で一番巨大な樹木が作り出す木陰の中に、昼寝をしている少女がいた。

 あたりはまるで公園か広場のように、円形にスペースが開いている。

 リーヴの目が、鋭く少女を見つめた。

 その時のリーヴには、まるで、手負いの獣じみた精悍さがあった。

 少女の周りを囲むように、数多くの堕天獣(だてんじゅう)と呼ばれる光塵に汚染された生物がたむろっている。

 堕天獣、それは塵狩りという職業を営むリーヴにとっての獲物だった。

 堕天獣とは光塵に汚染され、進化した全ての動植物を指す言葉である。そのため、堕天獣と一口に言っても鳥であったり、犬であったりとその形態は様々だ。そうした堕天獣たちが唯一共通する点こそ、先程、リーヴが砕いた光晶を体内で生成することである。

 光塵は、この世界を文字通り覆っている。

 動物は空気中に含まれる光塵を吸い込んだり、そうして吸い込んだ光塵を体内に含んだままの動植物を食らうことによって、次第に光塵を体内にため込んでいく。

 それが一定のラインを越えると始まるのが、堕天獣化だ。

 その現象は動植物の体内で、光塵が光晶になることによって始まる。動植物の体内で発生した光晶は異世界の扉、この世界にかつて降臨した神のいる場所への扉を開き、この世界にはない超常の力を光晶が発生した動植物に与える。

 その力に対応するための進化、形態の変化こそが、堕天獣化の最も顕著な変化である。

 事実、少女の周りにたむろする堕天獣のほとんどが、体毛は銀色に輝き、周囲には光の粒子を発生させていた。

 そして、この堕天獣を倒して体内にある光晶を取り出すのが、塵狩りと呼ばれるリーヴの仕事である。

 光晶が人類を今の世界で生存させるために必要な光塵技術に必須の燃料である以上、それを集める仕事が発生するのは当然のことと言えた。

 堕天獣はこの世界とは別の世界に繋がり、超常の力を得ている危険な存在である。

 それでも、人類は今の世界で生き残るために堕天獣を倒し、光晶を得なければならない。

 危険な力を持つ堕天獣と戦い、光晶という資源を得る。言葉にすれば簡単だが、その実態は命を落とすこともある危険な戦闘だ。

 その戦闘にリーヴは若干二十代の若さで入り込み、戦いに明け暮れていた。

 自らの職務を全うするために、リーヴは木々が途切れ、光塵が降り積もった広場のような場所に足を踏み出す。

 先程まで落ち着いた様子を見せていた堕天獣の群れが、リーヴの動きに反応し、身構え始めた。

 だが、リーヴはそんな堕天獣を放っておいて、まず少女へと声をかけた。

「なぁ、あんた聞こえているかい?」

 その声に、少女が顔を上げた。

 こちらを見やるのは、意志の強そうなスカイブルーの綺麗な瞳だ。すらっとした顔立ちにかかる金色の髪は、まるで太陽のような輝きを持っていた。

 しかし、それは光塵による汚染の輝きだ。

 光塵自体が光り輝く性質をもっているため、光塵を体内に循環させている堕天獣の大半は、その体毛を眩いほどに光らせているのが普通だった。

 しかし、そうした負の印象を覆すほどに少女の体は健康的で血色が良く、美しかった。

 一目見て高そうな白いサマードレスを着こなすその肌は、砂漠の風で舞い上がる砂でこすられたことなどないかのようにきめ細かい。

 まるで、童話に出てくるお姫様のような姿。

 元は良家のお嬢様なのだろうか、という疑問が、目の前の少女を見たリーヴの頭の中に思い浮かぶ。しかし、そんなお嬢様が、こんな堕天獣に囲まれた場所にいるわけがないとリーヴは頭を振って、自らの馬鹿な思いつきを振り払う。

 そんな風にリーヴが下らないことを考えている内に、少女は起き上がっていた。

「Ah――――」

 大きく口を開け、まるで歌でも歌うかのように響く声。

 それは、人の堕天獣がもつ特徴だった。

 人が堕天獣になったとき、その声帯もまた変化し、独特の歌うような声をあげるようになるのだ。

 そして、少女の声に反応するかのように、少女の背中から光塵が噴き出した。背中から噴き出す光塵の形は、幾何学的ながらもまるで翼のような形を作り、少女の背中に張り付く。しかし、その翼の形は不安定で、時折、その形を崩していた。

「やっぱ、堕天獣かよ……ちっ、ほんと割に合わない仕事だよな」

 頭を掻きながら、リーヴはコートをまくりあげ、ジーンズに沿うように吊り下げられた二丁のショットガンを引き抜いた。

 それは武器というには、あまりにも美しい装飾をもっていた。

 銀色に輝く銃身には、サメの肌のようにざらざらとした装飾がなされ、アイアンサイトと呼ばれる鉄製の照準器はワニの目のような形をしている。

 そして、何よりも装飾品じみているのは、グリップの傍に付けられたウミヘビの銀細工だろう。まるで本物のウミヘビのような形を与えられたその銀細工は、ショットガンの外側に計五個ずつ取り付けられている。

 銃の名前は、リヴァイアサン。

 サメのような、あるいはワニのような、はたまたウミヘビのような姿をもつと言われる神話の獣の名前に恥じない装飾をなされた銃である。

 その名前を冠した、明らかに戦闘用の武器にはない美しい装飾に彩られた銃を、リーヴは構える。

 そんなリーヴを見て、少女は歌うのをやめ、目を見開いた。少女の指が、リーヴの方を指し示す。その瞬間、まるで少女の指示に従っているかのように、鳥型の堕天獣がリーヴへと襲いかかった。

「くそっ」

 鳥の堕天獣の鋭い爪を咄嗟に横に転がることでかわし、続いて襲いかかってきた犬の堕天獣の牙を後ろに跳んで避ける。

 土産とばかりに、リーヴは一度、リヴァイアサンの引き金を引いて、犬の堕天獣を撃ちぬいた。しかし、距離が遠く、犬の堕天獣に与えた傷は浅いものだった。

 さっき襲ってきた犬の堕天獣とともに、鳥の堕天獣はある方向へと向かって飛ぶ。

 その方向を見て、リーヴは背筋に冷たい汗が伝うのを感じていた。

 襲いかかってきた鳥の堕天獣と犬の堕天獣は、少女の背中から噴き出す光塵のシャワーを浴びていた。すると、犬の堕天獣が負っていた傷が消え、二匹の体が成長するのをリーヴは見てしまった。

「こりゃ……確かにあいつらが動くはずだ……」

 リーヴはあることを思い出しながら、そう呟いた。

 魔女。

 それはとある光塵技術を発見してしまった学者の一団に、付けられた名前である。

 光塵を餌に堕天獣を使役する。少女の堕天獣が行っているのと同じ技術を考えた学者たちの末路は悲惨なものだった。

 堕天獣を使役するという考えを提唱した魔女の技術。その考えは、世界を震撼させた。

 餌付けされた堕天獣は人を襲わなくなり、恐怖の対象になりえなくなる。実際、犬の堕天獣は一時期、番犬として飼われていたこともあるのだ。

 しかし、そうした堕天獣の飼育は、今では禁止されている。

 なぜなら、光塵に汚染された堕天獣を飼育することによって、堕天獣の体内から吐き出された光塵が彼らの吐く息に混ざり、周囲の生物にも影響を与えるという事がわかったからだ。

 その為、そうした堕天獣を飼育する技術を持つ学者は魔女と言われ、迫害された。

 そして、その技術は滅んだ。だがしかし、魔女の技術。それは何の皮肉か、人類に対しての敵対者である堕天獣の手によって再現されていたのだ。

「あの頃は魔女狩りなんざ、クソくらえだって思ってたんだがな……」

 再び飛びかかってくる数多くの堕天獣に対して、両手に握ったリヴァイアサンを向け、リーヴは笑った。

「今ではお似合いの仕事だ」

 堕天獣が咆哮を上げると同時に、二つの散弾銃から発射されたとは思えないほどの弾丸が、その体を貫いた。

 圧倒的な数の違いを活かした突進を止めたのは、馬鹿げているほどの弾丸の雨だった。

 常人なら肩が外れるどころの騒ぎではない反動を受けたはずのリーヴは、むしろ反動が物足りないと言わんばかりに肩を鳴らして、けろりとしていた。

「火薬ではなく、光塵を使った爆発で弾丸を撃ち出す。反動が少ないために、連射してもブレない。挙句の果てに一発の弾丸で最低十発も撃てるとなりゃ、そりゃ優秀だよな」

 あれだけの連射をして、使った弾丸は一発。その不条理を可能としたのは、弾丸自体に施された細工だった。光塵をエネルギーとして利用する技術、光塵技術を用いて作られた武器。それこそ、リーヴが握るリヴァイアサンの真の姿なのだ。

 弾丸に火薬の代わりに光塵を詰め、弾頭の代わりに光晶を詰める。そうすることによって、光塵を弾丸として発射するのだ。

 火薬とは違い、一発で爆発を起こす光塵を使い切ることがないために、さっきリーヴがやってみせたような連射を、この武器は可能とする。

 リヴァイアサンに取り付けられたレバーを引くことによって、空になった薬莢を排出、同時に新しい弾丸を装填させるリーヴ。

「細かな機構で光塵が挟まるかと思ったら、その光塵を吸収、利用するってわけかよ……凶悪すぎる……」

 弾丸を再装填したリヴァイアサンは銃身を淡く輝かせ、リーヴの言った通り、細かい機構に挟み込まれた光塵を吸収して、薬室に装填された弾丸へと供給する。

「だが、ま、堕天獣相手には妥当な代物か……」

 いまだ魔女の少女は数多くの堕天獣を従えて、リーヴへと牙を突き立てる機会をうかがっていた。

 自らが持つ武器の評価を下しつつも、油断しなかったリーヴの視界に影が差す。

 その瞬間、咄嗟にリーヴは横へと跳んだ。上から下へと振り下ろすように襲いかかってきたのは、この森の中で一番大きな大樹の枝だった。

「その娘の力は、あんたにも影響を及ぼしていたって訳かい、龍?」

 リーヴの揶揄するような声が、広場に響く。その視線の先、魔女の少女が背中を預けている巨大な樹のほらから、一人の女性が現れた。

 まず腕が生え、魔女の少女を女性が抱きしめる。その抱きしめられた腕に甘えるように、魔女の少女はにこやかに笑いながら、その腕を掴んだ。

 するりと細長く、モデル体型の体を樹のほらから出し、女性は地面に足を付ける。

 そして、樹のほらにまだ引っかかっていたのだろう。最後に樹のほらから現われたのは、女性の丁度腰くらいまで伸びた金色の髪であった。

 エメラルドの瞳を輝かせる女性の姿、顔かたちは、魔女の少女とどこか似通っている。

 それこそ、親子とも言ってもいいくらいに。

 そんな印象を否定するのが、リーヴの目の前にいる女性が、樹のほらから生えるように出てきたという事実と、その長い髪の隙間から、ひょっこりと顔を出す尖った耳の存在だ。

 布を二枚重ね合わせただけにも見える簡素な衣服を纏った女性の容姿は、まるで童話の中にあるエルフの姿を模したかのようなものだった。

 だが、その女性の正体はエルフなどではない。

 この世界において、生態系の頂点に存在する「龍」という種族だ。

 龍とは自然が光塵によって、意識をもった存在である。

 例えば今、目の前にいる龍は長年生きてきた大樹が光塵によって意識を持ち、活動しているようだった。

 光塵による超常の能力は、基本的にその大本となった動植物の体格によって左右される。

 単純に光塵が光晶になるまで、体の大きい動植物だとより多くの光塵と長い時間が必要だからだ。

 そうした体の大きい動植物の体内で発生した光晶は、そこに含まれる光塵が多ければ多いほど、かつて降臨した神に近い異世界から神の力を引っ張ってくる。

 そして、その中でも相応の長い期間を経て、成長した自然が光塵によって意志を持った存在を人々は畏怖の感情を込めて、龍と呼んだ。

 それが人間と比べて、どれだけ格の違う存在なのか。

 それは、語るまでもないだろう。

 龍と戦うということは、自然の力。例えば、津波や竜巻、土砂災害を相手に戦闘をするということに等しいのだから。

「娘よ。今は眠るのじゃ。起きたら、また……寝物語でも聞かせてやるからのう」

 慈愛に満ちた声でそう言って、龍は自らの手を魔女の少女の目を覆うようにかざす。

 その手が触れた瞬間、魔女の少女は目を閉じ、くたりと体の力を抜いた。

 その体を即座に、しかし丁重に、自らの本体である大樹に横たらわせる龍。

「この姿をとるのにも……随分と慣れてしまったものじゃのう……」

 愚痴をこぼすかのように呟きながら、強い意志を込めた瞳で「龍」は「人間」を見る。

 その視線が体を貫いた瞬間、ぶるりとリーヴの体が震えた。圧倒的な力を持つ存在、天敵と呼ばれるような生物に睨まれたからだろう。

 リーヴの体は、圧倒的な存在に見つめられる恐怖に固まっていた。

「そこな小僧、儂の名はシー・トールキン。命惜しくば、ここから立ち去るといい」

 圧力、とでも言えばいいのか。

 恐怖によって感じるその圧力に耐えながら、リーヴはシーと名乗った龍の話を聞く。

「儂らの後を追わぬと誓うのならば、見逃してやろう」

 体が勝手に震え、かちゃかちゃとリヴァイアサンの銃身が鳴った。

「もし、従わなければ?」

 舌がもつれる。正直、リーヴには先程の言葉をまともにしゃべることができたのが奇跡に思えた。

「死ぬがよい」

 シーの言葉と共に圧迫感が増し、胃がせり上がるのをリーヴは感じた。

「意地を張ることではないじゃろう? 貴様とて、龍に自らの力が及ぶとは思うまい。退くことは、恥ではないのじゃ」

 まるでリーヴの中にある怯えを見抜いたかのように、優しい口調で語りかけてくるシー。

 その通りだと、リーヴの中で何かがささやきかける。

 龍はこの世界で最も強い、本物の力を持つ存在だ。人間がいくらか集まったところで、抵抗することなど出来ない。

 逃げることのどこが間違っているのだろうか。いや、むしろ、逃げることが正しいのだ。互いの実力差を、本当に理解しているのなら。

「確かに……あんたの提案は、こっちとしてもありがたいね」

 しかし、リーヴの足は動かない。

 目の前の女性に話しかける暇があるのなら、少しでも逃げるために後ろへと足を進めるべきなのに、リーヴが選んだ行動は、もつれる舌で無駄口を叩くことだった。

「ほう?」

 恐らく、シーもリーヴの行動に疑問を抱いたのだろう。遠回しに、リーヴの言葉の先を促す。

「元々、俺の仕事はこの銃のテストでね。堕天獣と戦うだけで、目的は果たしているのさ」

「ならば……なぜ、貴様はまだここにいるのじゃ?」

 心底、不思議そうに首を傾げるシー。

「さぁ、何でだろうね……」

 自分でもわからないことを他人に説明するなど、出来るわけもないと、リーヴは肩を竦めながらそう思う。

「勝機を待っているのか? そんなもの、いくら待っても貴様には訪れんぞ。絶対的な力の差がありすぎるからのう」

 ぴくり、と体が痙攣するのをリーヴは感じ取った。

 違う。リーヴの体が、シーの言葉に否と反抗するかのように、震えていた。

「それとも……自殺願望でも、もっているのか?」

 そう言って、こちらを見下すシーを見て、リーヴはようやく自分の気持ちを理解した。

「生憎、こんな世界になってからも、ずっと死にたいと思ったことはなくてね。それだけが俺の唯一の誇りだよ」

――気にくわない。

 一言で言うと、リーヴが今、感じている感情はそういうことだった。

――上から目線で自分には絶対に敵わない……そう思ってるんだろ?

 強く握りしめた手の中で、リヴァイアサンのグリップが軋む音がする。

 リーヴの頭の中ではもう、語るべき言葉が思い浮かんでいた。

「なぁ、龍よ。俺の仕事はさっき言ったように、堕天獣相手に銃のテストをすることでね」

 軽口を叩きながら、シーに近づくリーヴ。

「それが果たされた……というのはもう聞いたが?」

 訝しげにそう問いかけながらも、首を傾げるシー。その仕草は本当に、人間のそれと良く似通っていた。

「そう結論を急かすなって……だけど、まぁ実際に言われたのは光塵に汚染され、進化した生命体に対して銃のテストをしろって事でな」

 さっきまでリーヴが感じていた怯えは、どこか別の場所に行ってしまったかのように、今のリーヴには感じ取れなかった。

「その時に、出来うる限りのデータをとれって依頼人に言われていてね……」

 そのかわりに感じるのは、自分への呆れにも似た感情だった。

「目の前に堕天獣よりも、さらに光塵に適応し、進化した生命体が現れたのなら……」

――まったく、ひねくれものにもほどがある。

 自分に対して苦笑しながら、リーヴは両手にもったリヴァイアサンを持ち上げ、シーへと向けた。

「俺は……どうすればいいと思う?」

 その言葉に、シーはしばらくの間、押し黙った。

「…………なるほどのう。つまりは、あれじゃな?」

 腕を突き出し、シーの両目がルビーのように紅く光る。

 それは、龍が力を発揮する時に起こる現象だ。

 龍の目が光った瞬間、ざわざわと森の中で葉擦れの音が聞こえ始める。その音を聞いて、龍の強大な力に巻き込まれるのを恐れてか、魔女の少女のすぐ傍にたむろっていた堕天獣たちが逃げ惑う。

 葉擦れの音は次第に大きくなり、リーヴの周り全ての方向から聞こえ始めていた。

「随分とさえずってくれていたようじゃが、要はこう言いたいのじゃろう?」  

 もったいぶるかのように、葉擦れの音と共に現れるはずの枝は今も出てこない。

 ざわざわと葉擦れの音だけが、リーヴを取り囲んでいた。

「小僧、ぬしは敵うと思うておるわけじゃな。この儂を相手に、自らの力が通用すると……そう自惚れているわけじゃな」

 そして、一瞬、静寂が広場を支配した。

「その過信がどれほど高く付くものか……教えてやるのも一興かの」

 まるで子供を相手にするかのように仕方ないと笑ってみせるシー。

 そんなシーを前に、リーヴは溜め息を吐き出した。

――それはこっちの台詞だ……過信がどれだけのことを招くのか、教えてやる。

 そう思いながら、リーヴは一瞬の機をうかがった。

 葉擦れの音よりも先に、風を切る音が聞こえた。咄嗟に頭を横に伏せることで、頭を貫こうとした枝をよけ、次に体をひねって地面に伏せる。

 頭を貫こうとした枝ごと叩き潰すかのように、太い幹がリーヴへと振り下ろされ、砂漠の砂を巻き上げた。

「良く避けたものじゃ! ならば、これでどうじゃ?」

 煙幕のように、目の前に広がる砂の幕。砂に含まれる光塵のせいで、巻き上がった砂煙が光り、それを見続ける目が痛い。だが、その砂の幕から目をそらす訳にはいかなかった。

 突如として、その砂の幕が切り裂かれる。砂の幕を切り裂いて出てきた枝の形状を見てとって、リーヴは戦慄した。さっき突き出された槍のような鋭い枝とは違って、何本もの細い枝と葉がついた枝がリーヴに襲いかかった。

 その枝を避けても、しなった枝と葉が容赦なくリーヴの体を打つだろう。

 二発。リヴァイアサンを持ち上げ、リーヴは撃った。

 そのすぐ後に、リーヴは自ら枝へと飛び込む。

 枝や葉が体をこすり、皮膚が切り裂かれる。しかし、リーヴはしっかりと腕を交差させて、散弾によって脆くなった枝を体で折りつつ、体と目を守る。

 そんなリーヴの背後から、生木が砕ける壮絶な音が聞こえた。それは、先程の枝から一拍おいて、四方八方から突き出された同じような枝が、リーヴの背後でぶつかった音だった。

 一番最初に突き出された枝を見て、リーヴが素直に横に大きく回避していたのなら、背後で音を立ててぶつかった枝は、リーヴの体を貫いていたことだろう。

 周りを囲む枝と葉をかきわけ、少しでも早く前へとリーヴは走る。

 リーヴには、シーと戦うためにそうする必要性があった。

「そうはさせんよ……小僧の考えなど、読めておるわ」

 シーは自らの体である枝を伸ばし、ムチのように振ってリーヴの足を払う。

「くそっ!」

 足を枝で打ち据えられて転び、それでも前に出ようと足を動かすリーヴ。しかし、リーヴの目の前に束になった枝が広がる。

 それら全てが、リーヴの全身を打ち据え、吹き飛ばした。

 痛みをこらえながら立ち上がり、リーヴはシーの本体、このジャングルの中で最も大きな巨木を睨み付ける。

 リーヴからその巨木までの距離は遠く、その距離を詰める方法は今の自分にはない。

 リーヴがシーの本体である巨木に近づかなければいけない理由。それは、リーヴが持つ武器であるリヴァイアサンの性質を考えれば自ずとわかることだった。

 リヴァイアサンは、ショットガンなのだ。光塵を収束して撃つ技術がなく、開発者は結局、リヴァイアサンをショットガンとして作った。光塵を弾丸として収束させて撃つよりも、そのまま広がるように撃った方が技術は必要なかったからだ。

 例え弾丸の中身が火薬か光塵かという違いはあれど、どのみち小さな散弾を撃つショットガンはその性質から、相手の近くで撃たなければ十分な威力を発揮することは出来ない。

 近距離。それも連射を考えるなら、反動が少ないとはいえ、片手で上方へとズレ続ける銃身を抑えて撃つために、龍の本体である大樹の幹に触れるくらいの距離が望ましい。

その距離での集中砲火なら、あるいは龍に対してもダメージを与えることが可能かもしれない。リーヴの考えは仮定に仮定を重ねた、推論と言うにもおこがましいものだったが、それしか今のリーヴには打つ手がなかった。

 その距離へと必死に近づこうとするリーヴを嘲笑うかのように、シーはリーヴの身長よりも太く大きな枝でリーヴの道をふさぐ。

 その枝を見て、リーヴは力強い笑みを浮かべた。

「とっておきだ……!」

 次の瞬間、リヴァイアサンに取り付けられた装飾のウミヘビが動き出す。

 そのウミヘビがリーヴの拳、正確には指と指の間に噛みつく。すると、リヴァイアサンの輝きが増した。

 龍呪回路(りゅうじゅかいろ)と呼ばれるリーヴの腕の中に仕込まれた回路が起動し、リーヴの体内にある光塵を操って、リヴァイアサンに注ぎ込んだのだ。

 動植物の体内に、呼吸や食事によって入り込む光塵。その魔の手は、もちろん人類にも向けられている。だがしかし、人類には光塵技術という救いの手もまた存在していた。

 体内にある光塵を操り、排出する技術の開発とその光塵をエネルギーにして生活に必要なものを作り出す技術。どちらの光塵技術も今、人類がこの世界を生き残るために必要不可欠な技術となっていた。

 そして、リーヴの体内に潜んでいた龍呪回路はその前者の代表例と言えるだろう。

 その効力は武器に光塵を流し込み、堕天獣に有効な力を得るということだった。

 再び、リーヴが構えたリヴァイアサンから、堕天獣の突撃を食い止めた時と同じような爆音が響く。しかし、今度はいくつもの銃声が重なった爆音ではなく、たった二つの銃声が重なり合っただけの音だ。

 けれど、そのたった二つの銃声が生み出した結果は驚くべきものだった。

「なんじゃと?」

 リーヴの進路をふさいでいた枝が、抉り取られたかのように巨大な穴を開けていたのだ。

「通常の弾丸なら最低十発。でも、出力を制限しなければ、一発限りの特殊な弾丸を撃ちだすことができる」

 それが今、リーヴがやってみせたことだった。弾丸の性質を切り替える。それこそが光塵技術によって作られたリヴァイアサンがもつ切り札だったのだ。

「強化できるものは射程、威力などから自由自在に選択できる、と。ほんと使い勝手のいい武器だよ、こりゃ」

 呆れるほどの威力に、リーヴは舌を巻く。

 しかし、その強大無比な攻撃によって道は作られた。

「……乗り遅れないようにしないとな!」

 その道を迷わず駆け抜けるリーヴ。

「させんのじゃ!」

 時間稼ぎのためか、再びムチのようにしなる枝が一気にリーヴへと襲いかかった。

「へっ、こりゃ丁度いい!」

 その枝を銃身で殴りつけてそらし、枝の下をくぐり抜ける体を追うように、リヴァイアサンの銃身を回転させてレバーを引くリーヴ。

 弾丸が排出される金属音を聞きながらリロード。この動作をする間、一瞬たりともリーヴは止まらずに駆け抜けた。

 並大抵の攻撃では歪みもしない厚い鋼鉄によって、作られた銃身。その銃身はある程度、乱暴な扱いをしても、リーヴの思い通りに動いてくれる。

 銃身による攻撃の防御。攻撃を受けた銃を回し、レバーアクションでリロード。そんな無茶な要求すら可能にするリヴァイアサンの頑丈な設計は、弾丸の装填という銃が持つ最大の欠点すら補ってみせる。

 銃身を踊らせながらリロードし、舞うように銃を撃ちまくるリーヴは次第に、龍の本体である大樹の幹に近づく。

「ぬ……ぐぅ……!」

 近づいてくるリーヴに焦り、シーは呻き声を漏らした。

「もう少し、気張ったところを見せてみろよ……龍!」

 そんなシーにリーヴは挑発を繰り返す。

「小僧が、良くもそう吠えるものじゃ!」

「だったら、そのきゃんきゃん吠える小うるさい人間くらい、黙らせてみせろ!」

 密度を増し、リーヴをはじき飛ばそうとする枝を殴りつけ、再びのリロード。

 自分の力が、この世界で何よりも強い存在である龍に通用している事実に、リーヴの気分は高揚する。

 そんな気分の高揚が、リーヴに口を滑らせた。

「それくらいやってみせろよ。じゃないと、あいつらを相手にすることなんて出来ないぞ!」

 シーが操っていた枝や木々の動きが、止まった。

 不意にリーヴとシーの戦いの場を、沈黙が支配する。

「…………あい、つら?」

 恐る恐る、シーがその言葉を口にする。リーヴが語ったあいつらという言葉。その言葉は、リーヴがもしもの時、シーと交渉する時のために取っておきたかった言葉だった。

「ちっ……」

 思わず舌打ちを漏らすリーヴ。

「小僧、ぬしは一体何を知っておるのじゃ!」

 険しい顔でリーヴに問い掛けるシーからは、先程までの威圧感を感じることはできない。

 恐らく、リーヴが口走ったあいつらという言葉に、半ば見当がついているからだろう。見当が付いているからこそ、シーの声は怯えて、震えていた。

「はぁ……」

 そんな風に怯える龍を前にして、リーヴは戦意を保ち続けることなど出来なかった。

 ため息と共に、自分の体の中にある熱をゆっくりと吐き出していくリーヴ。

「聖道教会。名前くらいは聞いたことあるだろ」

 リーヴが口にした聖道教会という言葉。それは、聖人とも呼ばれるジェラルド・バーンズによって作られたこの世界の警察のようなものだ。

神の降臨が証明した神の実在とその存在による恐怖や混乱によって、この世界に生きる多くの人々は宗教に救いを求めた。結果として、多くの宗教が信者を増やし、その中でも降臨した神に最も姿形が似通った神を信仰していた宗教は、より多くの信者を得ることとなる。

 そして、その宗教がその後の政治的な混乱期において、多くの実権を握った。その宗教を元に、ジェラルド・バーンズが神の降臨以後に作り出した組織。

 それこそが、聖道教会だった。

 聖道教会が、元となった宗教から政治的な実権を奪い取り、神の降臨以後の世界で警察のようなものとなった最大の要因。

 それは、聖道教会にだけ、光塵技術のない世界でも、龍や堕天獣と対抗することが出来るほどの力があったからだ。龍や堕天獣の危機を日常茶飯事だと感じていた多くの人々が、その庇護を求め、聖堂教会に集った。

 だから、この世界で単独での最強が龍だとするなら、この世界で群れでの最強は、聖堂教会なのだ。その名前を聞いて、龍が押し黙るのを見ながら、リーヴはさらに魔女の少女をさして喋り続ける。

「その女の子が目覚めた堕天獣の力は、魔女と呼ばれる人々の技術に酷似している。魔女狩りが好きな聖堂教会のお偉方が、見逃すわけがない」

 魔女の技術に問題点があることを発見し、その技術を持つ者を一番に迫害したのは、聖道教会で最高の権力を持つ人間だった。

「魔女狩りは、聖堂教会にとって最もやらなければならないことだ。神の降臨以後、新生したこの世界で、あいつらが権力を握っているのは、聖堂教会がこの世界で唯一、堕天獣や龍に対抗する軍事力があるからだ」

 その裏には、聖堂教会が権力を握るのに最も必要だった軍事力を、魔女の技術が脅かしたという背景が存在する。

「……その子を、聖道教会から守れるのか?」

「なにを……言っているのじゃ?」

 わからない、わかりたくないと体を震わせながらとぼけるシーに、リーヴは真実を突きつける。

「ここに……魔女の技術を再現した堕天獣がいるということがわかれば、聖堂教会はすぐにでも、そこの少女を狩りに来るだろう」

 びくりと震え、怯えるシーからは、さっきまでのような龍に対する威厳と恐怖を感じられなかった。まるで子供を奪われることを恐れている母親のような姿で、シーは怯えていた。

 そんなシーを見るリーヴの胸に、釈然としない思いが宿る。

 自分では浮かばせることのできなかった、シーの敗北に焦る表情。

 見たかったその表情を見ることができた。けれども、リーヴの心の中にはただ悔しさだけがあった。

「小僧……ここの情報を外に知らせたか? 知らせて……いないのなら!」

 怯えたシーが、恐怖からか的外れな言葉を口走る。先程よりも、倍はありそうな葉擦れの音が、リーヴを取り囲んだ。

 さっきまではリーヴを殺そうとも思っていなかったのであろう。言葉通り、灸を据えさせてやる。そんな程度の力と戦えたことで、リーヴは喜んでいたのだ。

 悔しかった。なにより、悔しかった。今、リーヴを取り囲む力こそ龍の本気なのだと、リーヴは骨身にしみて、わかることができた。

 子供を叱りつけるために振るわれたような力に、対抗できたことを喜んでいた自分が、リーヴには酷く滑稽に思えた。

「逃がさない……って訳か? そんなものは無駄だ」

 はぁとため息を吐き出し、リーヴはそう呟く。

 リーヴとシーが戦い、どちらが勝ったとしても、その先にある未来は変わらないだろう。

 そのことを、リーヴは知っていた。

「なに?」

 結局、リーヴはシーにとって、敵とすら認識されていなかったのだろう。

 それもまた、リーヴには悔しかった。

「元々、俺みたいな塵狩りがやってきたのは、その情報が街に流されていたからだ。曰く、この森に珍しい魔女がいるってな」

 堕天獣や龍を相手にする塵狩りたちと聖道教会は、表向きには協力関係にある。だが、情報の出し渋りなど、お互いの足の引っ張り合いは多い。

 それは聖道教会の人間にとって堕天獣と戦うことが、光塵の脅威から人々を守るための責務であり、自分たちの仕事なのだという意識があり、塵狩りたちは今日を生きるための糧を得るために堕天獣と戦うという目的の違いからくる対立だった。

 だが、そうした足の引っ張り合いも聖道教会が組織であり、塵狩りたちはあくまでも個人で動くことから、基本的には塵狩りたちが譲歩することが多い。

「そう遠くないうちに、聖道教会の連中にも情報が渡る。そうすれば、すぐにでも討伐隊が派遣されるだろう」

 そして、シーは聖道教会と不眠不休で戦い続けることになる。

 たとえ自然が意志を持った存在と言われる龍といえど、生物であることに変わりはない。

 食べもすれば、眠りもする。

 昼夜を問わず戦闘を繰り返せば当然、龍は消耗を余儀なくされる。

 数で勝る聖道教会の人間が、それを狙わないわけがなかった。

「それでも、守れるのか?」

 一度や二度の襲撃なら、まだなんとかなるかもしれない。だが、数十回の襲撃ならばどうだろうか。頑強な岩ですら、何度も水に打たれれば穴が開くように、物量を超える力はそうそうないものだ。

「答えてみせろ、龍!」

 リーヴの言葉に、シーはただ沈黙する。

「だが、それでは、どうすればいいと言うのじゃ……」

 途方に暮れたかのように肩を落とし、シーは顔を俯かせて呟いた。

「だから、俺がここに来たのさ」

 ようやくリーヴは、そうしたシーのリーヴに対する興味のない、敵とも見られていない態度に意趣返しをすることができた。

「なんじゃと?」

 リーヴの言葉に顔を上げるシーからは、ありありと戸惑いの表情が浮かんで見える。

 自然と自分の知り合いならここで浮かべるだろうにやりとした笑いを、リーヴは浮かべた。自分の性格が悪いということを改めて自覚しながら、リーヴはシーの疑問に答え始める。

「実は俺の受けた依頼は二つあってな……一つはさっき言った銃のテストをすること」

 ぴんと指を一つ立て、リーヴは説明を開始する。

 シーに説明するリーヴの口調は外見同様、どこか幼いものだった。

「これはもう、二種類の弾丸も試したし、充分だろう?」

「え、あ、ああ。そう……じゃな」

 相づちを打つシーの顔には、今もなお状況を読めないという困惑の感情が浮かんでいるように見えた。その顔に、さっきまで相手にもされなかった自分の自尊心が少しは満足するのを感じながら、リーヴは説明を続ける。

「そして、もう一つは魔女を保護すること」

 その言葉を聞いて、シーは思わず魔女の少女を抱きしめてしまったようだった。

 子供を取られるかもしれないと思っているのだろう。

 しかし、その顔には、リーヴの言葉に対する疑問も見て取れた。

 してやったりと、笑みを浮かべるリーヴ。意趣返しというよりは、ただの意地が悪い仕返しが終わったことをリーヴは笑顔で喜んだ。

「馬鹿げているのじゃ……」

 思わず、口から声が出てしまったというように呟いた後、呆然としているシー。

「なにが馬鹿げているんだ?」

 そう問いかけるリーヴも、シーがそう呟く理由はわかっていた。

 堕天獣を匿うことが、どれだけ危険なことかわからない訳がない。今、この世界を生きる人々は、自分が堕天獣になる可能性で怯えている。

 大気に含まれている光塵を吸い込むことによって、今もなお、この世界を生きる人々は汚染されているのだ。

 それは、明確な恐怖だった。

 その汚染に耐えきれなくなった時、人は堕天獣となってしまう。

 体の中から光塵を吸い出す龍呪回路のような技術もあることにはあるが、それでも人が人でなく、化け物になるという恐怖が薄れるものではない。

 理性や記憶を、自我を。全てを失い、ただの化け物になる恐怖を、この世界に生きる人々は皆、抱えていた。

 その恐怖こそが、堕天獣が人類の敵対者と言われる理由でもあった。

 堕天獣を匿うということは、匿っている人間やその周囲の人々に、堕天獣化の危険性を背負わせるということだ。堕天獣のような光塵を利用する存在は全て、吐く息に光塵が混ざり、その光塵は周囲の人間を汚染する。

「もちろん、今のまま集団生活って訳にはいかないさ…………ただ、吐き出す光塵の量を、人よりちょっと多いくらいにすることは出来る」

 堕天獣となった人間を治療することは出来ない。それが、世間一般の常識だった。しかし、リーヴが言ったことは、堕天獣となった人間を治療するという事にほかならない。

「なにを……するつもりじゃ?」

 その事実に目を見張ったシーが、訝しげにそう尋ねてくるのを聞きながら、リーヴはコートから一つの弾丸を取り出す。

 それは、先程まで使っていた弾丸とは、異なる輝きを帯びた弾丸だった。

「純度の高い光晶を砕いて作った弾丸だ。あまりに高すぎる純度の光塵は、堕天獣ですら適応する前に拒絶反応を起こす」

 薬も過ぎれば、毒となる。進化を促進する程度の毒性を持つ光塵を、今すぐにでも体から排出しなければならないほどの高い毒性へと変化させるのだ。

 弾丸に含まれる大量の光塵を体内に撃ち込むことによって、魔女の少女が体に蓄えている光塵の濃度を一気に上昇させる。そうすれば、魔女の少女は本人の意志とは関係なく、生理的な現象として、自然と光塵を体内から排出しようとするだろう。

 しかし、それだけでは堕天獣となった人間を治すことはできない。

 光塵を排出しても、堕天獣となった人間は自らの核である光晶を砕き、光塵を体に流し込むことによって、体内における光塵の濃度を維持しようとするだろう。

 それを防ぐためには、堕天獣の体内にある光晶を砕き、一緒に排出させるしかない。

「これをこの子の体内にある光晶に向けて撃ち、弾き合わせるのさ」

 堕天獣の体内にある光晶に銃弾の光晶をぶつけ、反発させる。生物の体内にある光塵は、違う生物の体内に入っている光塵とは性質が違い、反発する特性をもっていた。

 反発した光塵は消滅し、跡形もなく消え去る。これは、リヴァイアサンが光塵を扱う堕天獣や龍にダメージを与えられる理由でもあった。

「そんなことをすれば、娘の体はどうなる……」

 シーの危惧通り、普通ならこの方法は弾丸が魔女の少女を引き裂き、重要な器官を破壊するだけに終わるだろう。

「大丈夫さ。光塵の性質はお前の方が詳しいだろう、龍?」

 だが、高純度の光塵は、光のような性質をもつという特性がある。

 今回は、この性質を利用する。物質ではなく、ただの光のような性質をもつようになった高純度の光塵を撃ちだすことによって、魔女の少女とその体内にある器官を傷つけずに、光晶とだけ反発させるのだ。

そして、反発して消滅しきらなかった光晶は、魔女の少女が堕天獣から人間へと戻る間の栄養源となる。そうしなければ、生命を維持するための器官を動かすのにも、光塵を使っている堕天獣は死んでしまうからだ。

 堕天獣にとって、光塵は何よりの栄養源なのだ。それを急に奪ってしまうのは、あまりにも危険だった。

「そんなことが……本当に可能なのじゃな?」

「…………さぁてな」

 リーヴの説明を聞き終え、慎重に問い掛けてくるシーにリーヴはすげない答えを返す。

「ふざけるな! そんな無責任な言葉に、娘を差し出せるわけがないじゃろう!」

 激怒して叫ぶシーに、リーヴは肩をすくめた。

「堕天獣になって強化されているとはいえ、まだ子供なんだ……この少女が、光塵が抜けた後の変化に耐えられるか、わからない」

 だから、リーヴはもともと理性のないであろう魔女の少女を無力化した後、無理矢理治療を開始するつもりだった。

 しかし、そんなリーヴの目算は、魔女の少女を娘と呼び、守ろうとする龍がいたことから狂いだす。

 龍が別の生き物を「子」と呼ぶ場合、それは龍の跡継ぎを意味する。

 自然界の頂点に位置する龍は無限に近い寿命を持つとされるのだが、しかし、龍はその卓越した第六感にて自らの死を予期すると、子と呼ぶ存在に自らの光塵を流し入れて子を育てていく。そして、子は親の光塵を全て吸収して成長し、親が死んだ後には新たな龍となるのだ。

 その代替わりが特殊な形で行われるだけで、龍が子に注ぐ愛情は、人間が自分の子供に注ぐ愛情となんら変わりがない。だからこそ、リーヴは治療をする許可をシー相手に求めることを諦め、一度は逃げだそうとしたのだ。

 こんな成功率すら割り出せていない未知の治療法。それをやるしか「子」が生き残る術はないとはいえ、真っ当な親なら賛成するだろうか。

 いや、そんなはずはないだろう。そんなリーヴの考えを引き留めたのは、逃げだそうとした原因であるシーに対するリーヴ自身のひねくれた性格であった。

 自分の性格が、結果的に一番良い結果を手に入れた事実に苦笑を浮かべながら、リーヴは迷いのない動作で、弾丸をリヴァイアサンに装填する。

「だけど……見てみろよ」

 顎をしゃくりあげ、リーヴはシーに後ろを振り返らせる。

「娘……よ……」

 いつのまにか、魔女の少女が目を覚まし、言い争うこちらをじっと見つめていた。

 その姿はリーヴの言葉を理解し、覚悟を決めているようにも見える。

 その証拠に、リーヴが銃を向けると、魔女の少女は顔を逸らさずにじっと銃口を見た。

 ただ、じっと銃口を突きつけるリーヴを見つめる瞳は、まるで全てを信じて、リーヴに身を任すと言っているかのようだった。

「なぜじゃ、なぜ! この小僧を信用するのじゃ!」

 シーは魔女の少女が銃口を向けられても無抵抗にその銃口を見つめていることに疑問を感じているらしく、慌ててリーヴが持つリヴァイアサンの銃口から魔女の少女を庇おうとする。

 しかし、リーヴからしてみれば、魔女の少女が決意した理由はわかりやすいものだった。

「それ以外に、生きる道がないのなら……やるしかないって、わかってるんだろ?」

 リーヴの問い掛けに、こくんと頷く魔女の少女。人間の堕天獣なら、良くて三歳児程度の知能しかないはずだ。しかし、その未熟な知能で魔女の少女は決断したのだ。リーヴは、その魔女の少女が決断した意志を尊重するつもりだった。

 こんな風に迷いもなく自らの道を決断できる勇気を、リーヴは羨ましいとすら思っていたからだ。

 しかし、シーは魔女の少女が全てを受け入れると決断した仕草に、泣きそうな顔をした後、そっとその手を握った。

「これで、いいんじゃな?」

 魔女の少女は、シーの言葉に頷く。そのことでようやく覚悟を決めたのか、シーはリーヴが握るリヴァイアサンの銃口から身をどけた。

 そして、リーヴは引き金を引いた。

それが、リーヴと魔女の少女の出会い。二人の物語が始まる瞬間だった。


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